この世のよすが
すぐ隣の部屋のドアが、バタンと音を立てて閉じる。ベッドが
安宿の薄い壁は、その様子をはっきりと伝えてきた。「……」東堂さんが身を固くするのがわかった。手のひらを握る力が
(…これは本当に良くない…)うつむいてしまった彼女の横で、切田くんは本当に頭が痛い。(…
(…この状況で、はたして僕らは眠れるのだろうか…)想像してみる。超気まずい。
(…無理ゲーすぎる。僕一人ならともかくさあ…)
(一旦酒場の外に出るべきか?…いや、外で行きたい場所なんてないし、行ける場所もない。周囲の治安だってお察しなんだぞ。…だったら行為が終わるまで、じっとここで耐えて待つべきなの?)それもどうだろうと思う。何だか胃の奥までシクシク痛くなってきた。(…グェー…)
(そりゃあ、『精神力回復』があれば我慢は効くだろうけど。…東堂さんにもそれを
(……そうだ。僕にいい考えがある)
冴えた頭の切田くんは、この状況をなんとかするアイディアを瞬時に導き出す。これが、彼こそが『賢者』たるゆえんであろう。
(やはり覆面だな)
(覆面が隣の音を軽減してくれるに違いない)
(不快な音というものは直接耳に入って来なければ、意識の焦点がズレる事で
(なので僕は水袋を、東堂さんには…そうだな、食料の麻袋をかぶってもらおうか。あれならば呼吸を邪魔することはないだろう)
(そして僕は今度こそ)
(水袋に呼吸孔を開けるのだ)天才だ。切田くんは自らが導き出した最善のプランに、心の底で大きく深くうなずいた。
(よし)
提案しようと口を開きかける。
「……ねえ、切田くん」
「しよっか」
「私たちも」
◇
「……」
「……」
切田くんは、開けた口をつぐんだ。
東堂さんも黙っていた。
沈黙に耐えきれず、おずおずと尋ねる。
「なにをです」
「エッチ」
東堂さんは真剣だ。…周囲の空間が
「…からかわないでくださいよ」
手のひらを
「嫌なわけないですよ」
切田くんは慌てて(落ち着いて)即答する。
「だけど、ヤケになっちゃいけませんよ東堂さん。好きでもない相手にそんな事を言っちゃいけません。今日は本当に大変な一日でしたし、きっと疲れて混乱しているんです」
「まだまだ状況は始まったばかりです。先は長いんです。自分を大切にしてください」
◇
ふたりはしばし黙っていた。隣の部屋から聞こえてくる笑いと
東堂さんが口を開いた。
「切田くんって、正論大好きよね」
「……」(…うぐぅっ!)
切田くんは内心
「……そりゃ、正論を言って得意になってしまうことはありますよ」
「でも本当は、筋を通したいと思っているだけなんです。正論なんてこれっぽっちも好きじゃありませんよ」
ぼそぼそと答える少年に対し、彼女は前のめりに上体を
「…そう?じゃあ正論ではなく筋道を立てた話をしましょう。なぜ私がこんな事を言いだしたのか」
「聞いてくれる?」
切田くんは横目で
「はい」
沈黙を
「ひとつめ。切田くんは、私を安心させてくれる」
「…それは」
「『スキル』の力、でしょう?私はそれでも構わないのだけれど」
「そんなの気休めですよ。何も解決していない」
「そうかもしれないわ。それでも私は救われた。あなたは
一つ一つを確認する様に、彼女は淡々と言葉を並べる。
「普通なら、こんな状況で安心できる人なんて居はしない。間違いなく私は、切田くんがいなければ、死ぬかもっとひどいことになっていたわ」
「…私はここでは、一人では何も出来ない。きみが混乱する私を救ってくれて、…助けてくれて、…落ち着けてくれて、この場所まで導いてくれたの」
「私にはきみが、切田くんが必要なのよ」
「そこまでは良い?」
「…ええ。まあ」
「うん」
東堂さんは横の少年と同様に、彼から目をそらして正面を向いた。
「ふたつめ」
「でも、切田くんは私のことを必要としていない」
切田くんは即答した。
「そんなことはありませんよ」
彼女は少し黙り込み、同じ口調で淡々と続ける。
「…切田くんは親切だから一緒にいてくれているだけ。同じ被害に巻き込まれた女の子が、困っているからという理由で」
「でもきみは、私が欲しいとは思っていない」
「…私がここで別れると言ったら、きみは決して引き止めることはない」
握り合う手を離した。
温かさの喪失に、切田くんはすこし
東堂さんは立ち上がって、部屋のドアへとコツコツと歩んでいった。
…まるで、ここから出ていこうとするかのように。
ドアの前で立ち止まり、振り返って問いかける。「そうよね?」
「……」
「きみは私と違って、ひとりでもやっていける」
「…そんなことは」
「だから私は本当なら、きみにすがりついてでも
「…見捨てないで。私、何でもするから」
芝居がかった声は、悲痛な響きを
「…そんなの、逆に受け入れられませんよ」
その答えにまた、
「そうね。きみはそういう人」
忙しくくるりと向き直って、彼女は再び台本を読み始めた。
「だから、仲良くなりましょう。私がきみに尽くすから、見返りに私を助けてとお願いするのではなく」
「
「お互いが自然と助け合えるなにかがそこに生まれるまで」
「何度も何度もエッチしましょう」
演技の区切りであるかのように深呼吸する。そして、不安そうに問いかけた。
「…それは嫌?切田くん」
「…だから嫌じゃありませんよ。ただ」
「最後にみっつめ。私にとって一番大事なこと」
彼女はそこで言いよどみ、
ふたつの灯りに照らされて、整った顔が紅潮しているのがわかった。
ささやくように、彼女は言った。
「……私も……」
「…嫌じゃないよ…」
「…切田くんとするの…」
ドアの
◇
彼女は身を
伝線だらけのストッキングに両指を掛けて、体を折り曲げてずり下げる。ブラウスの裾野から、可憐な白いショーツが
革のローファーを片方脱ぎ、スラリとした曲線の片脚を、ボロボロのストッキングを
そして屈み込み(ブラウスに細い腰のラインが浮き出る)、もう片足もローファーとストッキングから解き放つ。
ゆらり、と、彼女は振り向いた。
ブラウスの
もう迷いはない。
切田くんは体をこわばらせたまま、脱衣の様子をじっと見ていた。
ぺたり、ぺたりと歩み寄る、脱ぎ差しの少女。
いつしか彼の目の前には、ブラウスにつつまれたおなかが位置していた。
息遣いがはっきりと聞こえる。空気を挟んで彼女の体温も。
ブラウスのボタンを上から一つずつ外していった。
ゆっくり、ゆっくりと。
やがて年相応よりもくびれたおなかが、小ぶりながらも主張するふくらみをつつむ、白い可憐なブラジャーが、
ブラウスの影から存在を誇示している白いショーツが、目の前に
顔を上げると、上気した繊細な造形が近づいてくる。
長い
座る股ぐらに割り込むように、少女はベッドに
ベットが
近い距離で見つめ合い、固い笑顔を浮かべる。
白い躰を
両袖の傷ついたブラウスが、床にはらりと落ちる。
今や少女が
白く
「ふふ」
見つめ合う少女が、照れ隠しみたいに笑った。
たおやかな手が
……壁を
学生服を下まで外し終えると、少年の変な柄Tシャツの奥に両手を這わせ、そっと落ち着きどころを探す。
そして伏せた目を上げて、彼の瞳をじっと覗き込んだ。
夜の個室に浮かび上がる、
はぁっ…と、切なげな、熱い吐息をもらす。
胸板に掛かる、両手の重み。
手のひらから、高い熱と早い鼓動が伝わってくる。
「切田くん」
彼女は言った。
「さあ、よすがを
東堂さんはそのまま、切田くんへとしなだれかかった。そして
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