魔法を習得しよう
お互いに寄りかかったまま試行錯誤をしてみたものの、結局ふたりは、食事の都合で自然と離れてしまった。普通に食べにくい。……顔を見合わせ、少し笑う。
なごやかに、かつお互いに意識しながら食事を終えたふたりは、再び
……無言の時間が流れる。
もたれ合った熱の余韻が、まだ体の中に残っている。――ふたりの間は握りこぶしほどの隙間もない。(…こうして目を逸らしていてなお、印象の力が強いんだよな。存在感って奴なのかな…)ただでさえ『聖女』か何かで通りそうな超絶美少女の隣なのだ。彼女の重みや熱さ
(…というか、何なんだろう、この状況…)
どうにも変な雰囲気だ。
同様に押し黙る東堂さんが、伏し目がちに切り出す。
「……切田くん、これからどうしたい?」
……なんだかドキッとしてしまった。
「えっ…」
「明日以降のこと」
「……ああ、なるほど」…スゥ…と息を吸って、変な気持ちを振り払う。そしてショルダーバッグから三冊の本を取り出した。
「魔法書ね」
「はい。これからの僕たちは、ひとまずこれを求めるべきだと思います」
魔術師より奪った三冊の魔法書。これらは切田くん達の強さに直接繋がっている。
強力な武装を入手した所で、
「…つまり、魔法書が売るほどあるはずの、『迷宮』に入る方法を探すのね。良いと思う」
「今の僕らには、力はどうしたって必要です」
「できれば僕らに差し向けられた追っ手を、手を引いている奴らごと
東堂さんは黙り込む。
……正直な気持ちではあったが、自分を強く見せ過ぎただろうか。――それでも今は、本音をさらけ出す局面だろう。
「…すみません。でも必要な事だと思います。隊長さんたちには勝てましたが、きっと追っ手はどんどん強くなる」
「能力の対策をされるかもしれないし、どうにもならないほど取り囲まれるかも知れない。…決して勝てない敵をぶつけてくるかもしれません。そんな終わりかた、僕は嫌です」
「……ねえ、切田くん。私は追っ手から逃れたり隠れたりする力でも構わないのだけれど」
「もちろん、手札は多いほうが良いですよ。ただ僕は、出来る事なら追われる原因そのものを取り除きたい。解決したいんです。…だって、理不尽な話じゃないですか。…おかしいですよ。こんなの…」
……とは言ってはみたものの、敵の姿が
(どうなれば、この状況は解決するんだ?…敵は、誰だ?)
(…僕は初手から『僕らを害した事件の責任者』を排除することに成功している。僕らを追いかけている敵は、結局はその残響。
(…仕組みに追われて追う敵を、全部殺せば解決するのか?)
(……そんなわけはない。……僕は、いったいどうすれば……)
考え込んだまま、続ける。
「…東堂さんの言うとおりです。一番大事なのは安心できる生活を取り戻すこと。健康で文化的な環境を手に入れたり、可能ならば
「…
「…そうね」
「押し付けやごまかし、
考え深げに口をつぐみ、
「彼らは僕らを捕らえ、殺そうとするでしょう」
「…あるいはもっと、ひどいことになる」
隣に座る東堂さんはうつむいたまま、コクリと
「…うん」
「そんな
「戦いますよ。僕は」
(…そうだ。戦う意思を持たなければ、悪意に
「……うん……」
東堂さんが顔を上げ、真剣な顔で問いかけてきた。…ピリ、と、空気が張り詰めた気がした。
「…切田くん」
「なんです?」
彼女の問いは、どこか遠い響きを持っている。
「切田くんは、私と一緒がいいの?」
「えっ」
◇
(…しくじった…!)
(反発されてしまった?…確かに僕は、押し付けがましい事を言ってしまっている…)
(あれじゃあ、『東堂さんも同じ意見ですよね。だったら僕の言うことを聞いて、僕に
あまりに傲慢。ストレスに内腑がギュウと締め付けられ、胃液が逆流しそうになった。オエー。
つまり、彼女は牽制しているのだ。『だったらもう、一緒じゃなくてもいいよね?』『私がきみとずっと一緒に戦うだなんて、お門違いなことを思ってないよね?』と。(…ひぇぇ…)深刻な失敗の感覚。胸の奥が重く、身体の芯がヒュッと冷え込む。
(あーあーあー。やってしまった。正しい
(周りの事も
(…うわぁ…)内心しおしおになる。(……典型的な
(嫌だよそんな奴。否定して撥ねつけるだけのドヤ顔な
(しかも
(自身の強さじゃあないんだよ。…あれだ、よくあるやつ。ちょっと成功体験を得たぐらいで、ふんぞり返って周りに指図しはじめるイキリ人間。…ぐべぇ)もうマジ無理。手足をバタつかせて暴れたくなる。(噛ませ犬キャラかよぉ)
(…まあ、確かに僕は、元々そんな感じではあるんだけど。そもそも頼りないし、パッとしないし…)胸の奥がチクリと傷む。頭をよぎったのは、彼女に最初に感じたコンプレックスだ。……そして直接、聞いた言葉。
(『しばらくよろしくね』とも言っていた。つまり、僕らはもともと一時的な仲間)
(東堂さんは元がしっかりしたひとだ。事態に
(僕と一緒にいるよりも、一人のほうが動きやすいだろう。持っている『スキル』のパワーもダンチだ)
(場合によっては、僕より強くてまともな仲間だって見つかるかもしれない。…そうなれば、僕は邪魔になる…)
ホワー。自分で思っておいて、どんどん情けなくなってしょんぼりする。(『やっぱり追放ニャン!』うるさいな!だれだよ!?)
(…最初の負い目と年下だからって、僕のことをかまってくれてはいるんだろうけど…)
(あれだ。親切心でかまってくれたのを勘違いして、『もしかして脈があるんじゃ』ってアピったらドン引きされるやつ〜)
(『戦いますよ。僕は』(キメ顔))
(これで東堂さんに『素敵!抱いて!』と思わせた!アハーン。もしかして僕のことが好きなんじゃね?)
(『だから東堂さん。僕と一緒に来ませんか。…出来ればずっと、ふたりの力を合わせて』(キザ顔))
(東堂さんは答える。『はい?……そういうのはちょっと……』(引き笑い))
(アーッ!!あっ、あっ、あっ、やめ、やめて!)
激しい
(ま、こんな美人がいつまでも僕と一緒に居てくれるわけはないか。
(…関わるのが面倒で。上辺の態度で他人と距離を取り続けてきたのが僕なんだ。…そんな奴に、人との関係がまともに作れるわけがないんだよ…)
半ばヤケクソ気味に、切田くんは自身の精神を完全に立て直した。気分が落ちれば頭もろくに回らない。――ポジティブシンキングなどという盲目的な
(あーあ。せっかくこんな綺麗で
(まあ、現実はこんなものか。なんとかなるさ。ひとりでも)
刹那の合間に高速で
「もちろん、東堂さんがそう望む間だけで構いません。同じ拉致被害に合ったよしみですから」
「……」
その落ち着きはらった態度と顔を、東堂さんは
そして、彼女は目をそらした。……どこか壁を作るような、固い口調。
「わかった」
伝わる冷気に、切田くんは鼻白む。(…やっぱり怒ってたか。…
「…その。じゃあ魔法書を試してみましょう。東堂さん、『異世界言語』は?」
「持ってる」
机に置かれた三冊の魔法書。一冊は白い表紙の装丁で、あとの二冊は黒い装丁だ。
黒い一冊を手に取ると、中は意味のわからない文字で埋まっている。……ただ、切田くんにはなにか、『読めそう』な感覚があった。(行けそうだ。この黒い二冊、よく似ているけど同じものなのかな?…使わずに持ち歩いていたんだから、適正が無かったか、
(売りさばきに行く途中だったのかもしれないな。…なるほど。売るほど魔法書があるってことだ…)
東堂さんも残った二冊を手にとり、順に目を通す。
「こっちの白い方は読めそう。黒いのは駄目ね」
「一応見せてください」手渡された白い本。こちらは全く読める気がしない。
「…僕には読めなさそうです」
「じゃあ、それぞれ読んでみましょう」
ふたりはそれぞれ、本に目を通す。
いつしか切田くんは黒い本に引き込まれ、他の何も気にならなくなっていた。……『異世界言語』でも意味のわからない、文字の羅列。
――わからないのにページをめくる手が止まらない。
それは読むたびに、しっくりとした感覚とともに体の中に入ってくる。
それらは体の中でつながって、何かを形作っているようだった。
切田くんは、はっと気がつく。
いつしか本は、白紙になっていた。
それは朽ち果てるように茶色くなっていき、
(本は消えた。でも、本の内容は確かに僕のものになった)
(今ならばわかる。本に秘められていた力が。そして今の僕は、それを自由に使うことが出来る)
知識がエネルギーとなる感覚。力の道筋が世界の仕組みと
(ただ、問題が一つ)切田くんは残ったもう一冊の黒い本を手に取り、パラパラとめくる。……この本は、やはり崩れた本と同一のものだ。同じ本が二冊入っていたのだ。
(この本は…)
(…【
(『マジックボルト』と【
(……ぐううっ……)
切田くんは
……なんなら『マジックボルト』と【
(…ああもう。道理で敵もバンバン撃ってくると思ったよ。産出が多いんだ)ムムムとなる。
(敵に居場所がバレたら、どこから狙撃されるかわからないってことじゃないか。…あの『マジックボルト』を防いだ謎バリアを、早く手に入れないと危ないな…)
隣を見ると、東堂さんがまだ白い本を読んでいる。……目もくれないほどに集中している。
(…これ、無防備すぎるな。魔法書を読むなら、安全な場所じゃないと危険すぎる)
◇
東堂さんも白い本を読み終わった(だいぶ時間が掛かった)。目をパチクリさせると、そっけなく切田くんに言う。
「試してみたいのだけれど、いい?」
「構いませんよ。もちろん」
彼女は静かに目をつぶり、
「『世にあまねく聖なるものよ、
どこからともなく清浄な風が吹き、彼女はキラキラと細やかな光に包まれた。
その静かなそよぎと光の粒子は、部屋の中の空気までも変えた。――
やがて細やかな光は、徐々に消えていった。
東堂さんはフゥと息を吐き、晴れやかに笑った。
「やったわ、切田くん。見て」
(…いいなー)視覚にもはっきり映る超常変化。まさしく魔法だ。(…ちゃんとした魔法だ。羨ましい…)
返り血をあびたスカートやブラウスが、おろしたてのまっさらな状態になっていた。埃や汚れも消えている。
彼女はブラウスの首元を引っ張り出してスンスンと嗅ぎ、ホッと安堵する。
「良かった。洗濯の魔法よ。お風呂も」
「…あっ、はい」
切田くんは、内心首を
しかし彼女は、悩ましげに顔をしかめる。「…でもこれ、詠唱っていうのかな…」
「すっごく恥ずかしい」
(…ふむ)切田くん的にはかっこいいと思っていたのだが、……残念ながら理解できる話ではある。人には向き不向きがある。一定の年齢を超えて魂を維持し続けるためには、ある種の残酷な取捨択一が必要となるのだ。
思い当たることがあったので、ショルダーバッグから魔術師が使っていた短杖を取り出す。
「これを使ってみてください。もしかしたら」(奴は【
短杖を受け取った東堂さんが、神妙に居住まいを正す。「うん。…はい、切田くん、じっとして?」
「はい」同じく姿勢を正した少年へと、彼女は
「【
細やかな光に包まれた。
光がおさまった所で、ふんふんと服や体の臭いを嗅いでみる。……汗や埃の気配が消えている。よれよれ学ランも多少はパリッとした気がする。なるほど、これは便利だ。(…宇宙ステーションの風呂とかに良いかも…)
「バッチリです。いいですね、これ」
「フフ。…これ、しばらく貸していてね」彼女は短杖をフリフリと振った。気に入ったようだ。
「もともと東堂さんのものですよ、それ」(あの魔術師を倒したのは東堂さんだものな。別れた時のために、今のうちに渡しておいたほうがいいだろう)
「…そういうことは、後で話し合いましょう。今は…【
ベッドに積んだ外套と、白いローブに向かって魔法を放つ。くすんだ白いローブは見違えるような純白になり、外套もさっぱりした色合いになった。すっかり洗濯魔法だ。
「【
楽しげに立ち上がり、ベッドに向けて
「…あっ」突然、彼女は貧血を起こしたかの様によろめいた。
光に包まれたベッドの端に膝をつき、ふらりと倒れ込んでしまう。切田くんは
「ぐえ」
圧と柔らかさ。
「ごめん」
「なんだか、クラっと来て…」
(魔法を使ってクラっと来た?)「もしかして、マジックポイント的なものが切れたんじゃないですか?」
「…そうかも。でも今、切田くんにのしかかったら…」
そこまで言って東堂さんは、顔を赤らめ、神妙にうつむく。
「…私、切田くんにみっともないところばかり見せてるね」
「…そんなのありました?」答えながら身体を起こす。特に思い当たることはないし、むしろ自分のほうがそうだ。
すぐ隣でシュンとする、ふたつ年上の麗しき先輩。――沈んだ様子でさえも惹きつける端正な美貌を曇らせて、彼女はかすれた声で続ける。「いつもはそんな事はないの。もっとちゃんとしているつもり」
「…なのに、きみに見せている私は、今みたいにはしゃいで倒れたり、…切田くんを乱暴に叩いたり、…叫んで暴れたり…」
「ああ」
なるほど、物は言いようだ。彼女の言う活躍のうち最初に思い浮かんだのは、……分厚い壁を殴りつけて爆発させた、『聖女』東堂さんの姿だった。(ヒェー。かっけぇー)「かっこよかったですよ、あれ」
「衝動のままに力の限り
「……」
東堂さんが、うつむいたまま黙ってしまった。
(…しまった!)切田くんはハッとした。またもや失敗の予感がする。
(…おべんちゃらに聞こえたかも。東堂さんぐらい美人さんだと、綺麗とか言われるとむしろ
内心で(こいつウッゼ)と舌打ちしていたらどうしよう。…どうしよう。危機感といたたまれなさに、全身から冷や汗が吹き出す。
(…話した感じ、東堂さんはそんな周囲の下心にうんざりしている人だ。それこそ嫌悪感しか抱かないはず…)
(……やってしまった……)
横から熱波が伝わってくる。両手のひらが膝の上で、
それ以上、目を向けることの出来ない雰囲気だ。
怒りを食いしばって耐えているのだ。非常にまずい。切田くんは緊張に目をそらし、情けなさそうに声をかける。
「…あの」
「……いいの?」
怒っているのか聞こうとした切田くんを
(別に怒っていないのなら良かった。恥ずかしかっただけなのかな?…確かにあれだけの大暴れだものな。心無い人にどうこう言われる要件ではあるのかもしれない)「良いんじゃないですか?別に。僕しかいませんし」
そう答えた切田くんの手に、そっと手のひらが覆いかぶさった。熱い。熱を持っている。『精神力回復』の落ち着き要請と判断し、(はい)と、彼はその手を握る。……握った手が、ギュッと強く握り返された。
しばらく黙っていた後、東堂さんは落ち着いた声で言った。
「…そう」
そして切田くんの手をしっかりと握ったまま、東堂さんは床のブレザーに短杖を向け、魔法を放った。
「【
「……今見せますよ」
切田くんは、困った顔で詠唱を始めた。
「『魔力よ、
パチンと指を鳴らすと、机の上にこぶし大の光球が出現した。――ふわふわと浮き、
(…飛ばない【
沈んだ顔の切田くんに、東堂さんは机と燭台の二つの光球を見比べて、困惑する。
「…あれと同じの?」
切田くんも、仕方なさそうに答えた。
「…同じやつです」
「…そっか」
「…はい」
「ポーズは止めて」
「はい」切田くんは、腕をスッと下げた。
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