ホットひと息
ふたりは歓楽街まで戻ってきた。時刻はそろそろ夕方だ。
混んでいる。(グェー…)以前に増して
その多くは仕事の終わり、暗くなる前の僅かな
隣には、外套のフードを深く被る女性がいる。
(…細いからなぁ、この人…)厚い人波に割って入ると、流れに持っていかれそうで心配になる。握った手を引き寄せ、少し先行すると、…熱と気配。
……歓楽の人波をひいこら言いながら
(脱出するにも潜伏するにも旅の装備は必要なんだから。さっきの店主さんに相談して……って、…あれ?)手を繋ぎ合うふたりは、店の前にて足を止めた。……ものの、
「……」
兵隊たちとの
ふたりの間には特に会話もない。切田くんも雑談が得意な
しかし、目的地であるローカス商店にはたどり着いてしまった。
(…疲れているの?…
(理不尽な想いを
切田くんは言葉を飲み込み、……握ったままの彼女の手を
……東堂さんが怪訝な顔になり、ムッとして顔を赤らめ、切田くんを
「ごめん。ぼうっとしてた」
(…セーフ?…いや、やっぱり何か駄目だった気がする…)「考え事ですか?」
「……うん。……そう」端切れの悪い答え。
彼女は切田くんの顔をじっと見つめ、そして目をそらす。……そこに奇妙な熱を感じ、切田くんは少し戸惑う。
(…何だ?…じめっとした、…梅雨の湿気、というか…)
「気を使ってくれてありがと。行きましょう?」彼女は涼やかに、覗き込む様に笑いかけてきた。……気のせいだったろうか。(気のせいかぁ)
フードを取って、おずおずと『ローカス商店』に入る。すると早速、初老の店主がため息混じりに
「なんだ、何故戻ってきた。来るなと言うのが聞こえなかったのか?…まったく…」
情に
「串焼き屋さんに聞いたの。ローカス商店のホッパーさんのところに行けって」
それを聞いた店主は頭をグリグリと掻きむしり、毒づく。
「……こんなヤバそうな案件を取り込む気か。しかも子供だぞ。見境なしにも
「えっ」
「まあ、いいだろう。何が必要なんだ?」
◇
大きめの
「飲み口がついていない水袋も、追加で一袋お願いします」
その切田くんの要望に、東堂さんは少し眉をひそめた。
「かぶる気なの?」
交換用水袋を奥から取り出し、ホッパーがやれやれと気がかりを向ける。
「必要最低限、と言ったところだな。簡易的な野営ならば十分だろうが…」
「それと、見てほしいものがあるんですが」硬貨を並べながらも、魔術師から奪ったショルダーバッグを見せる。――小奇麗な新品の本が三冊入っている。店主は
「魔法書か。売るのならば高値で買い取るぞ」
――切田くんのテンションが少し上がった。(魔法を習得するためのアイテムかな?)
「…どういうものなんです?」
「読めば魔法が使えるようになる」
(よし)良しである。心の中でガッツポーズを取る。憶えられる保証はまだ無いものの(…この流れからすると、絶対『異世界言語』で読めるやつ。僕は詳しいんだ)、魔法を使えるのはカッコイイ。流れとか言うな。
「詠唱と魔力は必要になるが、擬似的な『スキル』が手に入るようなものだな。店に置けば金貨百枚からでも
「どうやって魔法をおぼえるんです?」
「その魔法に適正があり、古代語を読める者ならば目を通すだけで習得できるはずだ。ただし一度使うと力を失う使い捨てのアイテムだな。読んだことが無いのか?」
「はい」
「…つまり、お前らは『スキルホルダー』か。ろくに戦う
「……」
ふたりは口をつぐむ。図星を刺されたのはそうだが、余計な情報を言うべきではない。…ホッパーは眉間にしわを寄せ、「ああ、違う。そいつは俺の仕事じゃあない」硬貨を片付け、仕方なさそうに続ける。
「お前たち、今晩から野営をするつもりか」
「……わかりません」
「野営は
顔を見合わせるふたりに、ホッパーはやれやれと肩をすくめる。
「今日は裏手の酒場に泊まっていけ。余計な詮索なぞされん宿だ。橋の下だのスラムの
「…酒場の主人には俺の紹介だと言え。ちゃんと宿賃は払えよ」
ありがたい話だが、ずいぶんと美味い話だ。それに、先程聞こえた『取り込む気か?』という言葉が気になってもいた。
(ここに来るよう、串焼き屋さんに誘導された?何のために?)
(…裏社会の人間が、僕らの力に興味を持っているのか?)胸にブクブクと警戒心が湧き上がる。
(…だったら、ホッパーさんだって都合の良し悪しで誘導して、僕らをこの場に留め置きたがっている、という事になる。…僕らが寝ている間に裏社会の人間を引き込むつもりなのか。…罠なのか?これ…)
「……そうしなければ、どうなります?」
「別にどうもせんよ。好きなほうを選べばいい」鋭く
(…あれっ?…)切田くんは肩透かしされた気分になった。ホッパーは裏の意図を隠すつもりさえ無いようだ。(…僕が肩肘張り過ぎなのか…)
(…含むところはあるようだけど、この人は、僕らに親切にもしてくれた…)「…ホッパーさんはどっちが良いと?」
「さあな。お前たちがしばらくこの街に滞在するならば、泊まっていったほうが都合の良いこともあるだろうな。一切関わりたくないと思ったのならば、悪いことは言わん。さっさと街を離れることだ」気のない返事のホッパーは、ぐりぐりと頭を掻きむしった。
「後悔の無いよう決めることだな。俺は知らん」
隣にちらりと目を向けると、東堂さんは不安げにうつむき、ためらいがちに答える。
「……ベッドは……あったほうがいいかな……」
切田くんはうなずき、ホッパーに向かって答えた。
「泊まっていきます。ありがとうございます」
ホッパーはふんと鼻を鳴らし、座ってそっぽを向いてしまった。
一礼し、外に出ようと背を向ける。「酒場でも泊まれるんですね」
「そうね」
「…連れ込み宿だぞ」
「え」
ピタリと止まったふたりの背中に、ホッパーが片眉を上げて
「別に構わんだろう?」
「別に構わないわ」東堂さんが即答する。切田くんは何か言おうと
彼女はツンとした態度でフードを被ると、切田くんの腕を引いてドアを開けた。
◇
裏通りは狭く、暗くて汚い。そして混み合っている。小さな酒場や食堂、立ち呑みのあばら家、怪しい屋台や露店などがひしめき合って(「蟻のミートボールだよ!」「食べてみます?」「…本気で言ってるの?」)、繁華街の表通りにも引けを取らぬ混雑具合だ。……
ホッパーに紹介されたのは、周囲とは一線を画す大きな酒場だ。二階建ての奥行きのある建物で、ずいぶんと羽振りが良さそうだ。――それでも門構えはボロボロで、この
店内では、ガラの悪い男たちが飲み食いしながら歓声を上げている。扇情的な格好(へそ出しすぎ)の女給たちが忙しそうに働いており、客にしなだれかかっている女給の姿もある。娼婦も兼ねているのかもしれない。
視線を追った東堂さんが、そっけなく言う。
「切田くん、興味があるの?ああいう人に」
「え」
「前もデレデレしていたでしょう。道で声を掛けられて」
「め、面食らっただけですよ」
……問う声に、なんだか険がある。別に興味は無くなどないが、決してそう答えるわけにもいくまい。
喧騒の酒場に分け入ってくる、フードを被った怪しい二人組。――何人かの客がそれを
カウンターでは酒場のマスターが、気にもとめずに皿を磨いている。切田くんはカウンター越しに声をかけた。
「すみません」
場にそぐわぬ若い声に、酒場のマスターはギロリと鋭い眼光を向ける。そしてフードを深く被るふたりに眉をひそめた。
「ガキの来るところじゃねえぞ。さっさと出ていけ」
――
「ホットミルク」
「切田くん?」東堂さんがジトッとした目で
「…ホッパーさんの紹介で」
「ふん」酒場のマスターは客席を見渡すと、かるく手を振ってみせる。客たちは一斉に興味を失い、騒ぎの中へと戻っていった。
マスターは銀色のミルクタンクを取り出し、鍋に中身を注ぎかまどにかける。……牛乳の匂いがする。
(あるんだ。ホットミルク)
「…私にも一杯お願い」納得のいかなそうな東堂さんの声に、マスターは無言で牛乳を継ぎ足す。
沸騰する前に鍋を持ち上げ、木彫りのジョッキに順に注いでいく。――
「そら、銀貨二枚の銅貨二枚だ。二階の一番奥の部屋を使ってくれ」
「どうも」
「ありがと」
「コップは後でちゃんと返せよ」
◇
夕暮れ時。周囲は暗くなり始めている。
酒場の二階には、ずらりと狭い間隔で、お
壁掛けのランタンには火が入っておらず、木窓より差し込む光は
一番奥の、殺風景な空き部屋。鍵は掛かっていない。
部屋の中は薄暗いを通り越し、暗い。隅には
「…暗いね。明かり、どうしよっか」
「僕、出来ますよ。東堂さん」切田くんがパチンと指を鳴らすと、
「…明るくなった。また別の力?」
「同じやつですよ」
「ふぅん」興味深げな横で、切田くんは心の中で得意気に種明かしをする。
(『飛ばないマジックボルト』だ。決して強い力ではないけれど、なかなか
「……いつまでポーズを取ってるの?」
「はい」
指パチした腕を引っ込める。
部屋には粗末なベッドがひとつ。袋状の麻のマットが敷いてあり、一応は清潔そうなシーツが被せてある。他には粗末な机が一つ。椅子は見当たらない。
(結構狭いな。ベッドは東堂さんに使ってもらうとして、椅子がないのは困るな。…僕は床でいいか…)考え込んだのを尻目に、東堂さんが
そして早々と、ベッドの端へと腰掛けた。
ぎし、とベッドが音を立てる。
「切田くん」
入口で立ち
「はい」
切田くんは素直に従った。ハイハイ
牛乳ジョッキや食料袋を置いて、東堂さんの横へと(遠慮がちに、ギクシャクと、少し隙間を開けて)座る。……体重をかけると、ギシリと不安な音が鳴った。だいぶ
これで部屋には二人きり。
彼女の体温と、隣を意識している気配が伝わってくる。自分と同様に少し緊張もしているようだ。
「じゃあ、脱ごっか、切田くん」
「え、…は、はい?」思わず横目で見ると、東堂さんはいそいそと外套を脱ぎ、畳んでベッドの奥に置いている。背負い袋や短刀のベルトも外し、床へと置いていく。
切田くんはホッとする。……と同時に、
(ちょっと期待したって?)
(……)
あらわになったスラリとした脚。扇情的な、ボロボロのストッキング。
(……こんな綺麗な先輩が、すぐ横で無防備に着替えをしているだなんて)
(正直めちゃめちゃモヤモヤする。しかも
(…やばいだろ、これ…)動揺もしていたし、変態っぽい思考にもなっていた。――だが、『精神力回復』でそれらを押さえつけ、切田くんも落ち着き払って外套や荷物を置いていく。一見クールだ。
(有能スキルすぎる。普段ならば絶対にキョドっていたはず)
制服姿となった彼女は、白いローブをベッドの奥、畳んだ外套に重ねる。
(…見まいとは思ってるんだよ。…こんなに意識していたら、すぐに気づかれて嫌がられてしまうな。…どうしよう…)
ブレザーのネクタイを緩め、外す。――肩までの黒髪が
(ヤバーイ!!)切田くんは悶絶した。
(だめだダメダメ。意識しすぎて苦しい。東堂さんが無防備すぎるのも悪いんですよ。わざとやってる訳じゃないんだろうけど…)
……どこからか、カリカリという幻聴が聞こえる。
(まあ、それどころじゃないか。非常時だものな)
切り替えた切田くんはジョッキをふたつ手に取って、机の上の埃を強く吹き散らかす。牛乳ジョッキを戻し、串焼き肉の包み(肉うまそう)やドライフルーツの袋を机に置いていく。
東堂さんはうつむいて、ブレザーのボタンを丁寧に外していく。
血塗られたブレザー。塊が剥がれ落ちないよう、ゆっくりと脱いでいく。…ブレザーはもはやボロボロだ。これはそっと床に置いた。
中のブラウスはほとんど汚れていない。ボロボロの袖を畳んでまくりあげ、彼女は
「今日は大変でしたね」
切田くんのなんの気なしの言葉に、東堂さんは破顔した。
「ふふ」くすくすと照れくさそうに笑い、彼女は答えた。
「大変だったね」
初めて見る、東堂さんの笑顔だ。
いつもの
切田くんは暖かくてソワソワした気持ちになった。内心を隠して食料袋へと手を伸ばす。
「…食事にしますか。バゲット食べます?」
「食べる」
取り出した丸いバゲットは固く、かさかさだ。短刀で切り分けようと思ったが、奪った盗賊の短刀をそのまま洗ってもいないことを思い出す。…流石に使える気分ではない。
「貸して」東堂さんは手を伸ばしてバゲットを受け取ると、蓋をするように手のひらを重ねる。…すると、カラカラのバゲットが、心持ち
(『スキル』を使った怪力だろうか。…いや、バゲットが柔らかくなったのかな?)「バゲットを柔らかくする『スキル』ですね」
「ふふ。なぁに?それ」
クスクス笑いながらバゲットの半分を切田くんへと差し出し、彼女は言った。
「『生命力回復』よ」
「…なるほど」(わからん)
ペコリと受け取りつつ、内心首を
(生命力を回復するスキル。それはわかる。僕の傷を直したスキルだよな。死の淵からでさえ回復させる強力な『スキル』だ。…それでどうして固いバゲットが柔らかくなるんだ…)
(…バゲットの生命力を回復したのか?…バゲットの生命力って、なんだ…?)
不条理さはともかくとして、――『スキル』を明かす程度には彼女の信頼を得たことはわかった。(ならば、こっちも答えるべきだろう)
「僕のスキルは『精神力回復』です」
「落ち着くスキル?」
「そうです」
「そっか。最初から私とセットなのかもしれないね」
東堂さんは手に持つバゲットの片割れを、軽く
「私のスキルでヒットポイントを回復して、きみのスキルでマジックポイントを回復する。よくあるゲームみたいに。…どう思う?」
「僕らは同時に召喚されたわけですし、何らかのシナジーが設定されていても不思議ではないと思います。偶然と考えるよりは自然だと思いますよ」
「……そうじゃなくて」
東堂さんは、少し
(…あれ、どこを間違えたんだろう…)不条理さえ感じる。難しい。
◇
「いただきます」
「いただきます」
ふたりはバゲットにかぶりついた。
(本当に柔らかくなってるな。食料庫の棚から取ったときよりも)
元が固焼きのバゲットだが、それでも今は焼き立てのフランスパン程度だ。固いながらも、しっとりとしたやわらかさがある。小麦とバターの風味を感じる。おいしい。
東堂さんはジョッキを取り、そっと温かいミルクに口をつける。そして人心地ついたようにフウと息をついた。
「でも、落ち着くスキルとして使っちゃうの、おもしろいね」
切田くんは行儀悪く、串焼き肉とバゲットをもぐもぐ噛みながら答える。肉ウマーイ!肉ー!「パンを柔らかくするのも」
「ふふ。ちゃんとおいしい」
彼女は晴れ晴れした表情で笑い、串焼きに手を伸ばして一口食べる。
「お醤油の味。不思議ね。…向こうじゃないのに」
東堂さんの曇った声に、切田くんはスイと片手を差し出す。
……その手のひらを見て、彼女は柔らかく微笑んだ。
「それじゃご飯が食べられないでしょう?」
東堂さんはベッドの上で身じろぎし、体をすぐ隣へと寄せた。――肩と肩が触れ合う距離まで。
そのまま彼女は、そっと、切田くんへと寄りかかった。
「…ちゃんと落ち着く…」
彼女の熱を直接感じる。肩と腕越しに、彼女の鼓動も伝わってくる。……そして、ゆったりとした呼吸の動きも。
ふうっ、と、深く息を吐き出して脱力する。――彼女は安堵し、そして、切田くんに身を任せている。
切田くんはあまりのことに、ギチリと固まってしまった。(あわわわわわ…)
もたれかかった東堂さんから、「…ふふ」と、小さく満足げな笑い声が聞こえた。
(…か、勘違いするなよ切田類。言っていたじゃないか、片手が塞がると食べにくいって。…これは便宜上の問題だ。効率の問題…)
切田くんは硬直したまま、ギクシャクとホットミルクを飲む。……まだ熱いミルクが胃に流れ込み、体を温める。
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