異世界の串焼き屋

 昼下がりを過ぎた時間の運河べり。まれに通る運搬船と、人通りのほぼ無い河沿いの道。――かといって、周囲は今は無人というわけでもなく、資材置き場や建屋には作業中の人々が垣間見かいまみえる。忙しくものんびりとした下町の風景。


 水際の土手はや植樹がある程度。落下防護柵等は設置されていない。干満や増水を見越した高さもあるため、ふざけながらきわを歩くべきではないだろう。……暗がりと酔っぱらいを足せばすぐに土座右衛門がロールアウト出来そうだ。(デカい魚もいるな。良い餌食ってるのかな…)切田くんは性格が悪い。


 路地裏でのあさりを終えて港へと向かう道中。手をつなぐ東堂さんが、突然奇妙なことを言い出した。


「…醤油ダレの香りがする」


「えっ」(…こんな異世界で?)


 流石に首を傾げた切田くんはクンクンと鼻を鳴らすも、それらしき匂いを感じることはない。


 切田くんは醤油ダレが大好きだ。――とはいえ、美人の太ももなどと同様に、醤油ダレが嫌いな者などそうはいないだろう。


 なんなら切田くんは塩より断然タレ派だったし、きのこよりも断然たけのこ派であった。……いけない。争いと分断の芽はそこかしこにある。


(…海の匂いを感知した時と同様に、五感が『スキル』で強化されているのかな?なら…)


「気になりますね。行ってみましょう」


(ただでさえ理不尽な悪意にさらされた直後なんだ。…唐揚げレモンなんて目じゃないよ。無理にでも切り替えて日常気分に戻ったほうが、僕にとっても彼女にとっても良いに決まっている。…行ってみるか…)


「…切田くん。私は別に、お腹が空いているわけではないから。それは分かって」


「は、はい」牽制けんせいされた。ノンデリ前科だ。



 ◇



 大型船舶が並ぶ港湾部。商用らしき帆船からは、荷運びや荷卸の様子がうかがえる。仕事にのぞむ人々の高揚と喧騒けんそう


 雇われの荷役たちはもちろん、指示を出す水夫や商会員まで揃いも揃って屈強で、切田くんの体躯ではとても入っていけそうにない。ノータイムで追い払われそうだ。(『ガキがウロチョロすんな!』ってやつ。…ひぇぇ)(…でもって、実際に子供が仕事の邪魔をしている、って事なんだよな。…ガキはお退きなさいよ!)


 仕事ぶりを眺め、(……そうは言っても、何かしらの働き口は必要だろうな。だけで食べていくわけにはいかないだろうし……)切田くんはとなる。(街の外から薬草取ってくるだけの仕事とか無いものかな。Eランク常設依頼で。薬草無双したい)



 接岸する大型船舶に動力機関や大砲等の艤装が施されている様子は見えない。――技術レベルは近世に満たない程度、外洋航海が出来るか出来ないかといったところだろうか。……とはいえ、魔法的な技術を推し量ることは、切田くん達に出来るものではない。



 港には常設市場がある。今は昼間を大きく周り、雑踏の流れもおだやかだ。ピークタイムを過ぎているのだろう。この時間は休憩している屋台も多い。


「あれね」


「…ほんとだ。醤油の甘辛ダレの匂いですね。うまそう」


 東堂さんが差し示した屋台。どうやら炭火を焚いて串焼きを売る店のようだ。肉だ。肉が食べたい。醤油タレ肉最高である。


 客の姿はなく、店主も一休みしている。屋台へとおもむくと立ち上がり、愛想よく声をかけてきた。


「いらっしゃい、お二人さん。うちのは美味いよ。今焼くけどいくつだい?」


「おいくらです?」


「一串銅貨一枚さ」


「じゃあ十本」試しに銀貨を一枚取り出す。貨幣価値がわからないので、そのまましれっと差し出してみる。


「ちょうどだな。毎度あり」


(銅貨十枚で銀貨一枚か。分かりやすくて良かった)相場表が欲しい。肉もだ。(肉ー!)


 大きな火鉢にうちわで風を送り、肉串を並べて網焼きを始める。――脂の乗った色の濃い赤身肉で、特に怪しい品質には見えない。


 火にかけた途端、ジュウと肉の焼ける小気味良い音。炭火の匂いの隙間を縫って、香ばしいロースト臭がただよう。


「やきとり?」


「やきとんかしら?」


「これはな、サベージボアの肉さ。『迷宮』からの仕入れでな」


 焼き加減を見ながらも得意げに語る。いいからはよ肉。


「家畜を潰さなくても肉が食える。迷宮様様さまさまさ」



ね」


「迷宮産の肉ってのは清潔なもんさ。病気になったりはしないから安心して食ってくれ。…蝙蝠だの鼠だの、銅貨で山ほど食えるような手頃な肉だって流れちゃいるがね。港というのは贅沢をする所だからな。ウチのは美味いぜ?」美味い肉をはよ。


 醤油ダレを絡ませてじっくり焼き上げる、迷宮イノシシの厚切り炭火焼肉串だ。


 さいの目に切られた一口大のゴロゴロした肉が、焼けた金網の上でジュウジュウと小気味よい音を立てている。……溜まった肉汁があふれ、炭火の上でオレンジ色の炎を上げた。立ち込める、げの香ばしさと旨味の暴力。


(…串焼き肉って、こうやって本能にダイレクトに来るから良いよな…)などと思いながらよだれダラダラ興味深げに眺めていると、



 、炭火の上にあるはずの、見えない焔の揺らめきに目を奪われた。



(……逃げ出すことが嫌で腹を立てて、挙げ句に負けて。東堂さんを僕の自傷に巻き込む所だった。……戦うことは、全然正解じゃなかった……)


(……でも、だったら『逃げる』を選択する事は、本当に正解だったの?)



 運河でのならず者との戦闘。動機や戦闘の運びについては確かに過失を感じてはいた。――しかし、冷静な判断の下でも、自分は逃走を選ぶことが出来ただろうか。……そう考える事が、あまりに心の奥底を冷やす事に、切田くんは困惑していた。(……そうだよな。どうにも納得が無いんだよ)



(何となくの正しさにっただけの逃げなんて、後悔にしかならない)


(多数決にり寄って、逃げた事を開き直って。みんなの口先で慰め合うって寸法すんぽうだ。『暴力に対し暴力で返すのは駄目だよ!あなたは正しい!よく頑張った!』ワーワー。カルト宗教かな?『みなさん、暴力に暴力で返す人を殺しましょう!』)


(…だけど、わけのわからないインチキチートだよりで戦うことが、迷いに拍車を掛けている…)胸の奥が、ズキリと痛む。


(つまり、反対はこうかな?逃げない勇気を賛美して、ありがたい御札おふだみたいにチンドン喧伝けんでんしてさ。『みんな、僕のチートに付いて来い!チートには人の心を導く力があるんだ!』)


(『僕は逃げない!死んでも戦う!騒音の中で叫ぶんだ!どうだいみんな、力が湧いてきただろう!?』ワーワー。ワーワー。会費はこちらへ。……啓発セミナーなの?恥ずかしくない?)



 炭火を見すぎて顔が熱くなったので、ゴシゴシと擦る。



(まあ、そもそもインチキパワーが存在しなければ、こんな所に飛ばされる事もなかったさ)


(今は割り切るべきなのか。インチキチートが無ければ、僕は初手から暴力の渦に飲み込まれて、戦うことも逃げることも出来ずに死んでいたはずだ。…力が無ければ死ぬんだよ。…好き勝手に奪われて、削られて。どこにいたって普通に死ぬんだ)


(…戦うにせよ、逃げるにせよ。せめてその都度つどちゃんと考えていきたいけど…)



「…ねえ、切田くん、こんなに食べるの?」



 深刻な顔で見入る切田くんに、東堂さんがひそひそと囁きかけてくる。……言われてみれば結構なボリュームがある。検証気分でじゅう頼んだだけだったが、切田くんは食べ盛りの男の子なので、港湾労働者サイズの肉串でもとおは全然いけそうだ。旨肉うまにくは全部行ける。


「東堂さんはいくつぐらい食べます?なんならもっと注文しても…」


「……」


 彼女は困った顔で複雑そうに黙り込み、そして答える。


「…切田くんは」


「たくさん食べるほうがいいと思う?」


(…ん?)切田くんは、そんな歯切れの悪い質問に戸惑う。



 今はブカっとしたローブと外套に身を包んではいるが、東堂さんは全体的にスラッとしていて、細くしなやかだ。モデル体型、――あえて言うならばスレンダーである。



 ……などという意図で東堂さんのシルエットをチラチラ見てしまったことに気づき、(…ヤバイ、罠だ!)切田くんは慌てた。


「あ、いえ!僕が食べたくて頼んだので!」


 あせる切田くんを一瞥いちべつし、東堂さんは胸の辺りに手を当てて、少し気落ちした様子で言った。


「…男の子だものね。多いほうがいっか」


(…違うんですー!)「すみません。ほんと違くて」


「……何が違うの?」


 ジトっとした目で睨まれ、切田くんはヒェッとなった。ちゃんと考えたつもりだが不正解だったようだ。(何が正解なのこれ!?わざとやってんでしょ、この人ー!)



 火の通った猪肉に、刷毛はけによってたっぷりとタレが塗り込まれていく。メイラード反応の香ばしい匂い。(うひょ〜)甘辛醤油の餡状のタレが炭火に落ち、ジュンと香ばしい音を立てる。てきぱきと手際も良い。


 串焼き屋はパタパタとうちわで風を送りつつ、人の良さそうな調子で尋ねかけてきた。「ご姉弟きょうだいかい?『迷宮都市』へようこそ。どこの国から来たんだ?」


「……」ふたりは沈黙する。追われる立場だ。下手なことを言うわけにもいくまい。


「おっと待った、すまねえ。他意はないんだ」複雑げな様子をチラリと見て、串焼き屋は気兼ねのないように続けた。


「ここで店をしていると、いろんな国の話を聞くのが楽しみでな。…だが、外国からわざわざこんな、狂王の住まう『迷宮都市』に来る奴らだ。事情を抱えた奴らだって大勢いる」


 串をひっくり返しながら、後ろの風呂敷包みから大きな葉っぱを取り出す。


「ここは『迷宮』のおかげで、裏も表も商売が盛んだものな。迷宮を持っている国というのは強いもんさ。知ってるか?ここでは貨幣まで迷宮産なんだぜ。鋳造したものより高品質だから、すぐに国外へと持ち出されちまうがね。他国の貨幣ばかりさ」


「そんなこんなで『迷宮』目当ての奴らが際限なく流れ込んでくる。その分、治安は褒められたもんじゃないがね。…おたくらは気をつけたほうがいいかもだな」


 大きな葉っぱを包み紙にして、十二本の串焼きを手早く包み、植物性の紐でがっちりと十字に結ぶ。


「ハハハ。余計なお世話だったな。サービスしといたぜ」


 受け取るとずっしりと重い。葉を通して温かさと、タレと肉のいい匂いが漂ってくる。うまそうだ。


「どうも」(肉をどうも)


「ありがと」


「お二人さん、見たところ買い物かい?ここの店の大半は外国人には渋いからな…」


 そう言いながらも串焼き屋は、通りの一方を指差す。


「この道を進むと運河を渡る橋がある。道なりに行った歓楽街、そこにある『ローカス商店』のホッパーさんを尋ねてみな。一見ただの古着屋だが、つてがあれば色んな商品を安く売ってくれる」軽く肩をすくめる。


「いわくつきの商品もまじっちゃいるがな。まあ、そういう筋の店さ。港の串焼き屋の紹介だって言えば良くしてくれるはずだ。…余計なお世話かもしれないが、きっとお二人さんには役に立つと思うぜ」


 思い当たるフシがあった。東堂さんが顔を寄せ、耳元でささやく。


「さっきの古着屋よ。看板があったもの」


「…どうしましょう」


「…すこし気は進まないけれど、戻りましょう。今はとにかくいろいろなものが必要よ。街に潜むにしても、脱出するにしても。…あてもなく彷徨さまようよりは、ずっと良いと思う」


(…確かに、手戻りの形にはなるけど…)


 切田くんはうなずき、店主へと声を掛けた。


(必要な手戻り。遅滞を責めて遅滞させるやからが絡まなければ、手戻り自体は問題ない)「ありがとう。行ってみることにします」


「おう。まいどあり」



 ◇



 屋台を離れ、なにげなく振り返ると、串焼き屋の店主が浮浪児らしき子供に、余った肉串焼きを手渡しているのが見えた。早く肉が食べたい。


「親切な人ね」


「そうですね。…これ、どこで食べます?」


「あとでね」(…ガーン…)


(……肉ー!)切田くんは未練がましそうに、串焼きの包みを食料袋に入れた。



 ◇



 串焼き屋は焼きたての串焼きを手に、近くの浮浪児を手招きする。


「ほら」串焼きを一本渡す。


 浮浪児は慎重に受け取るが、それにかぶりつきはしない。――何かを待っているかの様にうかがい、じっと串焼き屋のことを見つめた。


「いつもの怖いおじちゃんたちの誰かを呼んできてくれ。ほら、駄賃だ」ポケットから銅貨を差し出す。浮浪児は串焼きと銅貨を握りしめ、即座にその場を駆け去っていった。



 しばらくして、屋台にガラの悪いチンピラが顔を出した。



「どうした」


「おかしな子供の二人組が来ました。港からじゃない、運河の方からです」串焼き屋は声を潜める。


「目深にフードは被っていましたが、くたびれた感じのない小奇麗な顔、素人の身のこなし、持ち物のさ、血の匂い」


「…正直、違和感すごいですね。物腰は柔らかですが気品って感じはありません。いいとこの都落ちではなく、よその国の召喚勇者だと判断しました」


 チンピラは眼光鋭くうなずいた。


「出物がショーユに誘われたか。そいつらは?」


「ローカス商店に回しました」


「わかった。他に持っていかれたくはない。…特に国にはな。急いでカシラに話を通す」



 ◇



 港から歓楽街へと続く道は結構な人通りがある。しかしフードを目深に被ったふたりの姿を見咎みとがめるものは、もういない。こうなれば暢気のんきなものである。(非監視社会!アン・ディストピア!)無軌道な自由が地獄の世界を呼びそうだ。


(ローカス商店で野営の道具を手に入れたら、足のつかない場所で夜をしのぐことも出来るはずだ。ちょうど食料も買えたことだし…)


(…""、楽しみだな。冷えたら冷えたで餡状になっているタレの味も、肉の中までじっくりと染み込んでいることだろう。絶対うまい)よだれが出る。


 とりとめのないことを考えながら歩いていると、徐々に周囲の人波がまばらになっていく。



 やがて人並みは、完全に途絶えた。……切田くんは少し、不審に思う。



「…あっ…」



 東堂さんの慌てた声。



「どうしました?」


「…敵よ。挟まれた」



 その声を皮切りに、重装備の兵士たちが路地からバラバラと飛び出してきた。――そしてすぐさま、分厚い方盾を使った強固な陣形を組み上げていく。訓練された、迷いなき動き。


「防壁陣形!」「防壁陣形ぃ!!」「『圧殺陣』準備急げ!!」


 掛け声がこだましている。戦慄と共にあたりを見回す。


 隙間なく建物が立ち並ぶ街並み。脱出路は兵士の向こう側だ。……すでに後方からも重装兵の陣形が詰め寄って来ている。



 もう、逃げ場はない。



「ヒャハハハハ!ここで会ったが百年目ぇ。半日ぶりかぁ?勇者ども!!」


「…しつこい…」東堂さんが心底嫌そうにつぶやき、切田くんは歯噛みをする。


(…追手の動きが早い。監視社会だったの?…僕らにはもう、日常気分にひたることさえ許されないって言うのか…?)


 盾壁の向こう側、男が嫌らしい笑みを浮かべてふんぞり返っている。

 筋肉質の、壮年の指揮官。ふたりを見下すように睥睨へいげいした彼は、つばを吐き散らしながら、得意気に喚き叫んだ。


「国防衛兵隊トガリ中隊隊長、トガリであ〜る!研究所襲撃犯ども、おとなしく縛につけぇい!!」

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