変態 vs 東堂さん
「…くっ…!」悔しげに歯噛みをし、東堂さんはひとり、迫撃の動きを止める。
静やかな裏路地。都市の流通に使われる運河に面した、資材置き場のさらに奥側。――
彼女たち以外に人の気配はない。積み込みや
今は散策どころではない。
(…やられたっ!!?)弁舌の
呼吸すれど濡れタオルを押し付けられたみたいに空気を得られず、(…ま、マズい、呼吸がっ…)代わりに脳まで焼ける息苦しさだけが、物凄い勢いで体内へと侵入してくる。
両腕もガッチリと粘着力で固められ、喉に致命の刃まで突きつけられて、――現状ほぼ詰みである。残機もゼロだ。
立ち尽くす『聖女』に嫌な目線を向けてくる魔術師が、
「お姉ちゃんのほうも魔術師かぁ?…今、おまえ。素手でかかって来ようとしてたよな?」
「……肉体強化をつかうのか?それともなにか?武器か何かを隠し持っているのか?」
盗賊が、嬉々として調子を合わせた。
「女はどこに何を隠しているか、わかったもんじゃねえからな!」
ゲラゲラ
「…おい!早く俺を治癒院か教会に連れて行け!このままじゃ、血が流れすぎて死んじまう!!」
「そのぐらいの傷、自分で手当できるだろ。どうぞご勝手に」
「へっ、ざまぁねえな。日頃の行いだろ、日頃の行い」
「ああ!?」戦士は怒り心頭で食い下がった。「ふざけんな!さっき全部売っちまっただろうが!!ポーションの
「おお怖い。怖いでちゅねぇ〜」
「痛い?なあ、痛い?」チラッと中指を立てる。
身内同士で仲良さげな彼らに、東堂さんは尋ねかける。
「…どうしてこんなことをするの?」
その問いかけは、不思議なほどに感情が抜け落ちた、透明な響きかたをした。
「はいぃ?なんだってぇ?」
「先に手を出してきたのはお前らだろうがよ!」魔術師と盗賊は、声を合わせてゲラゲラ笑う。超楽しい。
「おい聞いたかぁ?どうちてこんな事ちゅるのぉ〜」
「お前らから誘っといて恥ずかしげもなくぅ?…ああ?なんだよこいつ。カワイイ顔して眉ひとつ動かさねえ。…あーあ、
「まあ、ここでは流民のガキはどう扱ってもいい、みたいなところがあるからな。決まりだよ決まり。世の中の」
「世の中のルールには、素直に従わないとなぁ?みんながルールを守ってる。みんなやってる事だろ。なあ」
嘲笑に冷ややかな視線を向けて、東堂さんは断固続けた。
「…切田くんを、治させて」
「治癒の魔法を使うのか。そりゃちょうどいい」
「俺を先に治せよ!おいっ!!ぐぅぅ、…俺が先だ!!」
魔術師と倒れた戦士が即答する。
盗賊は短刀で、切田くんの顎をぺしぺしと叩いた。
「へっ。どうせ死ぬぜ、こいつ。窒息してるのに暴れねえ。きっとナイフが肺まで突き抜けて、そっから空気が入ってるんだ。人の呼吸ってそういうものなんだろ?そこらの治癒師に治せる傷じゃねえよ」
「俺が死ぬだろノロマぁっ!なんで誰も言うこと聞かねえんだぁっ!?さっさと治せよぉ!!」
「…まあ、待て」戦士の
「
「……」
絶句した東堂さんを眺めながら、魔術師は
「逃げられないよう、全裸になりな。急がないと弟くん、いとしのキルタくんか?死んじまうぞ?」
「そりゃあいいや。最っ高」盗賊がせせら笑いながら、――
……そのままグリグリと押しこんだ。
少年の頭部からくぐもった何かが聞こえ、体がビクリと跳ねる。
東堂さんが血相を変えて叫んだ。
「…やめなさいっ!!」
「早くしろぉっ!!!」豹変した盗賊が、ドスを効かせて叫び返す。
彼女はワナワナと体を震わせ、しばらく睨みつけた後、……無言で外套の革紐を外し、はらりと地面に落とす。
白いローブの
盗賊がヒュウと口笛を吹いた。
東堂さんは、地の底から響くような声で言った。
「…切田くんが死んででもみなさい」
『全員
魔術師は鼻で笑おうと口元を
「…口ではなんとでも言える。ほら脱げ。俺たちの気が変わらないうちにな」
「……っ!」東堂さんは唇を震わせて、白いローブを一気にまくりあげた。――そこに隠されたものが
魔術師と盗賊は、思わず息を呑んだ。
ほっそりとした肢体をつつむ、見たこともない
娼婦でも表では履かないような、膝上までの短いスカート。
それらは
乾いた赤黒い血の塊が、ポロポロと地面にこぼれ落ちる。
腕周りはズタズタに千切れ、特にその部分には血液が染み込んでいるように見える。
ローブを投げ捨てた東堂さんの瞳が、猛獣みたいにギラリと光った。
「…なんだぁ?…おまえ…それ…」
盗賊があっけにとられ、
◇
(…今だっ!)
意識を圧搾し続ける痛みと窒息。気胸をおこした片肺の収縮。――のたうち回りたい衝動を『精神力回復』で無理にでも押さえつけながらも、切田くんは『マジックボルト』を放った。
頭の横に発生した光弾が、
まぶたが
発生させた場所、――それは、切田くんの
光弾が唇と粘着弾を突き破った。そのまま盗賊の
「へぁ?」声を発し、くにゃりと盗賊は脱力する。
ヒュウッ。切田くんはあえぐように、穴から大きく息を吸い込んだ。
「…なんだとっ!?」
魔術師は驚愕する。杖以外の場所から【
だが、体内から魔法を発動させるなど、見たことも聞いたこともない。
「……俺の知らない外の技術があるだと?……吐いてもらうぞ!小僧っ!!」魔術師は短杖を突き出そうとした。
その時すでに東堂さんは、空中で平手を背負い、引き絞っていた。
『このおっ!!!』
平手打ちは正確に、魔術師の頬へと吸い込まれた。衝撃に
地面をこすり、転がって路地の壁へと激突する。……そして、節々を複雑に折りたたんで、彼の体はそこで止まった。
東堂さんは怒りを込めて言い放った。
「……変っ態!!!」
(ありがとうございます)
倒れたままの切田くんは、空気を求めて喘ぎながら思った。
◇
魔術師の死によって粘着弾が力を失う。バラバラと白い繊維になってほどけ落ち、
「…切田くん!!」悲痛な声を上げ、駆け寄る。
無残な様相を呈していた。
ゲボッ、ゲボと咳き込む。破れた唇からコポリと、血が
吐瀉物で溺れないよう、少年の身体を横向きに転がし、顔を下向きにさせる。
そして彼女は気遣わしげに、――血で汚れるのも構わずに、ヌルリと彼の傷ついた顔を
「…東堂さん…」地面を見つめ、弱々しく
(…失敗した。失敗した失敗した。何が一人で殺れるだ…)
(僕の負けだ。
(……)
(…ていうか、なんだ!『世界に選ばれたんだ(キラーン)』て、お前。…今思い返すとめちゃめちゃ恥ずかしいやつじゃないかっ!)
(『能力が、相手の上をぉ〜』後ろグサー。バカバカバカ!…ぐおぉ…うごごご…)ドン底気分に恥辱が乗っかって、闇に飲まれるラスボスみたいな断末魔を上げる。世界を道連れにしたい。
(…いや、僕は東堂さんに『いいところを見せたかった』のかもしれない。インチキピストルひとつ使える程度で調子に乗って…)
(治癒にどれだけかかるだろう。人が来る前に急いでここを離れなければ!……なのに、僕が足を引っ張って……)
ドロつく沼少年を手で押し出して、ゴロリと仰向けに寝かせ直す。
そのまま覆い被さる形で覗き込み、――少し
「…ねぇ、切田くん」
「…はい、すみません東堂さん。僕のミスです」
「そんな謝りかたはやめて」
たおやかな指が額に触れる。(冷やりとした感触)――細い指先が脂汗をなぞり、前髪がかき上げられる。彼女は続けた。
「…でも、もうこんなことはしないで」
「…はい。僕はうぬぼれていました。東堂さんの言う通り、ここは逃げるべきだった」
「…そうじゃなくて」そっと額から手を放し、念を押す。
「自分で自分を傷つけるような戦い方」
「……」切田くんは黙り込む。
(目と口に穴を開けたのは、ベストな判断だったと思う。攻撃と通気を両立出来たし)
(…だけど、そこまで追い込まれたことは、やはり不正解だったんだろう)
頭でそう考えた後、内心で首を振った。
(…いや、心配させるなってことだよな。目の前でそんな事をされたら、僕だって嫌だ)切田くんは弱々しくうなずいた。
「…わかりました。約束します」
「…うん」彼女は羽のようにやわらかく、どこか愛おしげに頬から目元を
(…やさしい人なんだな…)
慈愛を
……なにか、違和感がある。
安らいだ気持ちは吹っ飛び、ビリリと背筋に
切田くんには何故か、彼女が冷たく
(……何だ?)
唐突に東堂さんは目をそらし、切田くんの背中から手を放して立ち上がった。
「じゃあ、剥ぎ取りを始めましょう」
「えっ」
「理想や気持ちはともかくとして、現実には立ち向かいましょう。彼らの装備はきみの言う通り、確かに有用よ」
「…あの、僕は重傷で」(また肺をやられた。運命は僕の肺に恨みでもあるんだろうか)
弱々しく答える彼に、少しあきれて彼女は言った。
「もう治っているでしょう?」
「…え」
切田くんはボケっと立ち上がり、深く呼吸をして、傷ついたはずの自分の顔を
「つっよ」
「一人逃げたわ。急ぎましょう」
◇
「ひっ…ひっ…畜生…いでぇ…ひっ…殺される…畜生…聞いてねえ…あんな化け物女…殺されるっ…!」
戦士が両腕で必死に地面を
追おうとする東堂さんを制し、切田くんは半身でシャープペンシルを向けた。
放たれた光弾が正確に、潰れゴキブリの
「…誰かに見られるかもしれません。深追いは危険です。彼は諦め、そこの二人の装備を奪って奥に進みましょう」
「…そうね。うん。急ぎましょう」
切田くんは魔術師が持っていたショルダーバッグを肩に掛け、短杖を無造作にしまう。(…そうだ、お金も)折り畳まれた体を叩いて確認し、財布らしき小袋を奪う。すっかり追い剥ぎだ。
その間に東堂さんは、脱ぎ落とした白ローブを着込み直し、外套を身に
盗賊の短刀を拾い、身体を引き起こして腰ベルトを外す。……大きなウエストバッグがついている。短刀の鞘、投げナイフが二本くくられている。
切田くんは最後に、食料の入った麻袋を肩に掛けた。
「良し。行きましょう」
「ええ」
じっと目を合わせ、うなずき合う。
差し出された手を取り合って、ふたりは路地の奥へと小走りで駆けていった。
後には、物言わぬ死体が二体と一体。
いまだ、彼らを見つけるものはいない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます