覆面魔術師、切田くん。ヤンデレ聖女に愛されて夜も眠れる異世界７日間戦記

素敵なものの入った袋

　『勇者』が目を覚ました時、彼は台の上に全裸で雁字搦（がんじがら）めにされていた。――身じろぎひとつ出来ないほど、入念に、綿密に、彼はガッチリと拘束されてる。

「な、何なんだよこれっ！どうなっているんだっ！！」己（おの）が正義に基（もと）づいて、『勇者』は猛然と抗議の声を上げた。

「…ちょっと、そこのあなた！これは一体どういうことなんです！？ちゃんと説明してくださいよっ！！」

　どよめきが起こり、ヒソヒソ声が飛び交う。声をかけられた兵士は怯え、目をそらして後ずさる。……周囲の人々が、まるで彼を化け物でも見るかのように見てくる。――その不可解な理不尽さは、あまつさえそれを他人に押し付ける態度は、「…なんだよっ、ズルをしたがる奴らの動きを…！」非常に『勇者』の気に触った。

「なんとか言ったらどうなんですっ！？おかしいだろっ！！こんな、人を不当に拘束して…！！」

　兵士達の後ろより進み出た人物が、――その誇り高き言葉を遮（さえぎ）るように、猛（たけ）る『勇者』に馴れ馴れしく声をかけてきた。

「あらぁん、気がついたのね？…『勇者』くん、でいいのかしらね？」

　ゆらりと進み出てきたのは、このく（・）す（・）ん（・）だ（・）場で異彩を放つ、金髪の美丈夫（びじょうぶ）。豪奢でスマートな印象の男。「ハァ〜イ」

　パンデモーヌ伯爵だ。彼は書類もないのに片目にモノクルを嵌めたままの姿だ。手をヒラヒラしている。……『勇者』はその異様な雰囲気にたじろぎ、思わず声を細めた。

「…すいません、偉い方なんですか？だったらこれ、一体どうなって…うひゃあっ！？」白手袋越しに体中をまさぐられ、素（す）っ頓狂（とんきょう）な声を上げる。

「変な声出さないで。……随分復活が早いわね。想定以上の出力がある……」

　パンデモーヌ伯は『勇者』から手を離すと、近くの兵士に呼びかけた。

「ねえ、そこのあなた。召喚実験室から『あの袋』を持ってきて頂戴」

「…はっ！」

「くれぐれも箝口令（かんこうれい）は徹底させて」

　無視された形の『勇者』はムッとして、――それでいて、顔色をうかがう様にお（・）ず（・）お（・）ず（・）と声を上げた。

「…あの、すいません、教えて下さい。あれから一体どうなったんですか？たしかさっき俺は、頭の固い兵士に刺されて」

「死んでいたわねぇ、あなた。ハリネズミみたいになって」

　パンデモーヌ伯のあ（・）り（・）え（・）な（・）い（・）言動に、『勇者』は沈黙する。

　自分はこうして生きているではないか。この男は何を言っているのか。

　そう言いたげな顔を、パンデモーヌ伯は冷ややかに眺め、続けた。

「今回は大変だったわねぇ『勇者』くん。おつかれさま。突然召喚されてびっくりしちゃったでしょう」

「え？…ええ。…あの、これ、解いてもらえませんか。俺は善良で誠実な人間です。俺の国ではすべての人間が、教育として道徳心を学ぶんです。話の通じる相手に対して暴力を振るったりなんてしない」

「へぇ～？」パンデモーヌ伯は、その言葉がツボに入ったかのようにニマニマと笑い出した。

「うふふっ。…素晴らしいわ『勇者』くん。あなたって理知的で誠実。まるで『勇者』の鑑（かがみ）のような存在なのねぇ？とってもステキ」

「いえ、それほどでも」

「まあぁ、ご謙遜」目を細め、皮肉げに笑う。

「…そうねえ。じゃあ『誠実』に話し合い、あなたが安全で協力的な存在だと示してみてくれるかしら。そうなればもちろん、あなたの拘束を解いてあげるわ。どう？出来る？」

「ええ、わかりました。必ず潔白を証明してみせますよ」

「それは結構。話（・）の（・）わ（・）か（・）る（・）相（・）手（・）で助かるわ？…ではまず、あなたが召喚された場所で何があったのかを、なるべく詳しく話して頂戴。どんなささいなことでも」

　◇

「ところで東堂さん」

「…何？」

「お腹がすきました」

　隣の呑気（のんき）な声を聞き、彼女は空を見上げた。――太陽は中天をとうに過ぎている。確かに昼飯時（ランチタイム）を回ってしまっているようだ。

「逃走中なのだけれど」ツンとしている。デレは無い。

　街の中心へと向かう通りを、切田くん達はポテポテ歩いている。手を繋ぎながらのゆったりとした歩行に、――道行く人々の視線は幾分（いくぶん）穏やかだ。不審な目を向ける人も減っている。ダッシュお米は相当酷かったようだ。

　しずしずと隣を歩く、この麗しき『聖女』先輩は、――切田くんの手のひらをぎっちりと握り、離そうとはしない。……しかし、その返答はつっけんどんだ。目を向けようともせずにそっぽを向いている。

（…流石に壁を感じるな…）出会ったばかりの見知らぬ男女だ。急に馴れ馴れしくなるはずもない。

　切田くんとてコミュ強だのリア充だの、そういった言葉に対して恐れを抱くタイプだったし、必要だからと『精神力回復』を盾に彼女の手を握る事だって、正直言うと気後（きおく）れしていた。

（…じゃあ、ど（・）う（・）し（・）ろ（・）っての。『…僕みたいな奴にいつまでも握られていたくなんてないですよね？』とかヘラヘラ卑屈アピールして、手を離して突き離せばいいって事？…ないわぁ）

（…いや待て、逆に『落ち着くためには仕方ないのだけれど、どうしてこんなのと…』なんて、内心疎（うと）まれていたら最悪…）

（……グエー。胃が痛くなってきた……）

　二つ年上の、麗（うるわ）しき他校の先輩。普段であれば接点など有り様の無い存在である。――学生のコミュニティなど学校、学年、学級が違うだけで関わりのなくなる極めてローカルなものだし、……切田くんに至（いた）っては安定のコミュニティ外を維持している。関わり合うはずもない。

　東堂さんの飛び抜けたルックスや存在感、制服の洗練されたデザイン等から察するに、庶民でぼっちの切田くんからすれば高嶺すぎて登山道具さえ揃わないような絶界霊峰の花である。気後（きおく）れどころか警察もやむなし、といった勢いであった。（…通報は止（や）めてぇ…）

（知り合うわけがないし、筋もない。仮に知った所でどうやって関わっていけっての。ボーイがガールにミーツするにしたって、限度ってものがあるんだよ。格ってもんがさあ…）

（偶然ぶった下心丸出しで、住居近くをウロウロすればいいって？「や、やあ偶然！」…うわ。おじさん構文のロミオレター抱えながらストーキングするなんて冗談じゃない…）（はいそこ、通報しない！）

　とはいえ、物事には都合があるし、必要なことを放ってはおけない。切田くんは深刻な顔で、不退転（ふたいてん）の決意を覚悟に込めた。

（…そうだ、伺（うかが）い合うばかりじゃない。人と人とが関わり合うのなら、主張が正面からぶつかり合う事だってあるんだ。…ならば、ここは僕のわがままを通させてもらう…）

（なぜならば、僕は昼食を抜くと体調を崩しやすい体質なんだ）

「お腹が鳴りそうです」切田くんのお腹が、キュウ〜と鳴った。

「……」

「……」

（…タイミング良すぎだろ…）切田くんは恥じ入る。超恥ずかしい。（…昭和の漫画かな？）

　東堂さんは、吹き出すような、困ったような、凄く奇妙な顔をしていた。そして流し目で、いびつに膨らむ麻袋を見る。

「…食料の入った袋って言ってたよね。中を見てはいないのだけれど、食べ物も入っているの？」

「食べ物しか入っていませんよ」

「そう」……つい、と目をそらす。何の気無しに、彼女は言った。

「…じゃあ、軽く、ね。軽く」説得完了だ。お腹の音。

　◇

　ふたりは道端の木陰に並んで腰掛け、食料の入った麻袋を開く。……道行く人々が、怪しむよりも微笑ましいものを見るように眺めていく。（ニッコニコやないかワレェ…）何故（なぜ）だ。

（…心持ち、東堂さんが期待を込めた目で見ているのは気のせいだろうか）

「東堂さんもお腹が減っていたんですね。良いのを選んできましたから、きっと御期待にも添えますよ」

　切田くんのドヤりに対し、――彼女は、どこか 剣呑（けんのん）な笑みを浮かべた。ジトッとした目で覗き込んでくる。

「切田くん。デリカシー」

「はい」ヒエッとなる。（…余計な一言だった。少し怒ってるみたいだ…）

（…でも、まだ立て直せる。『賢者』の慧眼によって選びぬかれた食料たちならば、東堂さんだって喜んでくれるに違いない）

　気を取り直し、居住まいを正す。――さあ、攻撃開始だ。

「…まず、ひとつ目は」

「うん」

　１ターン目。切田くんは厳選されしひとつめの食料を、袋の中から取り出した。

「ホールチーズです」

「…ホールチーズ」東堂さんは固い口調で答えた。

　丸のままの平たく厚い、重量感のあるかたまり。クリーム色に近い色合いの、白い硬質のチーズ。蝋引（ろうび）き紙（がみ）に包まれており、重くて大きい。……とても食いでがありそうだ。持ち出した食料の中では、これが一番重い。

　両手で東堂さんに渡すと、彼女は軽々と受け取った。

「…いえ、そうね。きっと今後の役に立つわね」

　東堂さんは一旦チーズを膝の上に置いた。

「続いて」

　２ターン目の攻撃。切田くんが次の食料を取り出した。

「ベーコンブロックです」

「…ベーコンブロック」東堂さんは先程と同様に、固い口調で答える。

　こちらも丁寧に蝋引（ろうび）き紙（がみ）に包まれている。中にはか（・）ら（・）か（・）ら（・）になるまで燻製（くんせい）されたベーコンの塊。――これも、大きく食いでがありそうで、重い。

「…そうね。これも役に立ちそうね」

　東堂さんはそれも軽々と、一旦チーズの上に重ねた。

　……どうも先程から攻撃の手応えが悪い。切田くんは焦（あせ）りを感じる。

（…効いていない？保存と味のスペックを両立した、総合力のあるチョイスのはずだ。…僕は何かを間違えているの？）

　梢（こずえ）で小鳥たちが戯（たわむ）れる声が聞こえる。

　切田くんは不安に駆られ、おずおずと次の食料を取り出す。３ターン目。

「…丸いバゲットです」

「うん。良いと思う」

　安堵（あんど）の声が答える。……僅（わず）かながら攻撃が通ったようで、切田くんもホッとする。

　大きなカチカチのバゲット。三つのうちのひとつを東堂さんに渡し、次の食料を取りだず。

「ドライフルーツの小袋」

「良いじゃない。切田くん」

　褒められた。

　４ターン目にして、東堂さんの声に喜びの気配がある。攻撃成功だ。

　保存のために砂糖漬けにして干した果物だ。小袋と言っても一抱えになるほど詰め込んであり、重い。――これも、袋の中に蝋引（ろうび）き紙（がみ）が敷いてある。蝋引（ろうび）き紙（がみ）は便利だ。

　東堂さんはやはり軽々と受け取り、小袋を大事そうに抱える。

「塩の小瓶」

「うん」

　５ターン目。コルクのはまった陶器の小瓶を切田くんは差し出したが、東堂さんはそれを押し止める。……攻撃はブロックされたようだ。そのまま袋に戻す。

「以上です」

「…切田くん？」一瞬の間をおいて、東堂さんが困った顔で尋ねてきた。

「…切田くん。包丁やナイフなんかは持ってる？チーズやお肉、バゲットを切り分けたりする」

「あっ」

「…それと、飲み物は？水筒、飲み物の瓶、あるいは水袋のようなもの」

「覆面に使いました」

「切田くん！？」ちなみに、あの覆面はそのまま捨ててきた。

　東堂さんは仕方なさそうに、バゲット、ベーコン、チーズを切田くんに返した。

　じっと覗き込み、……すぐに力を抜いて、彼女は小さく嘆息した。

「…そんなにシュンとしないで。先のことまで考えて持ってきてくれたのでしょう？」座り直して、少しだけ躰を寄せてくる。「はい、これ」

　差し出されたドライフルーツの袋。切田くんも気を取り直し、ひとつ受け取ろうとする。――しかし、両手にはベーコンとチーズを抱え込んでいる。膝上の食料袋にはバゲットが乗っかっている。満員電車だ。

　東堂さんはその様子に少し沈黙して、ドライフルーツを指でつまみ上げた。

「切田くん、口を開けて」

「え」

「はやく」

　切田くんは混乱する。（…な、なんで？）

（まさか、これは、『はい、あーん』というヤツなの？…どうして…）

「嫌なの？」

「…いえ、そんな」（…単に実利の問題なのか？）「…はい」

　切田くんは戸惑いながらも、東堂さんの指から直接ドライフルーツを咥（くわ）え、もそもそ食べる。砂糖にまぶしてあるものの、――それは、未熟なりんごのような、杏（あんず）のような。そんな味だった。

（酸っぱいな）切田くんはもしゃもしゃと咀嚼しながら思う。

「…おいしいよ、これ。甘酸っぱくて」自分もドライフルーツを千切って食べながら、そして、もうひとつドライフルーツをつまんで差し出した。

「はい」

（…はい、じゃないんですよ…）「…あの…」

　切田くんは顔を赤らめ、躊躇（ちゅうちょ）する。

（…何で当然みたいな顔でそうするかなぁ。いくら実利があるからって…）「…ちょっと待って下さい。食料を片付けますから」

「駄目」

「駄目て。…はい…」速攻で拒否られてしまった。

「嫌なの？」

「…いえ、その。…食べます。はい」差し出された指から直接ドライフルーツを咥（くわ）え、もそもそと食べる。

　――自らの手で切田くんが給餌（きゅうじ）される様子を、東堂さんは神妙な顔で、じっと眺めていた。

「…ねえ、切田くん。こ（・）う（・）い（・）う（・）の（・）って私は、今まであまり良い印象を持っていなかったのだけれど」ジトッとした目で、微笑む。

「…やってみると楽しいね。これ」

　照れの恥辱が身体を焼き、切田くんは身悶（みもだ）えしそうになった。（…まさか、本来の意味での『はい、あーん』なの！？何故僕で…）（からかわれているのか！？）脳の奥まで熱（あっつ）い。んもー。

　向（・）こ（・）う（・）での切田くんは、異性に変にからかわれる質（たち）だった。

　彼女たちは本当に不条理なイジメまがいの構い方をしてくるので、何とかしてほしいと常々（つねづね）思っていたし、――それが嫌で自然と距離を置いていたのだ。男子ともだが。学園カーストに組み込まれてヘラヘラさせられる日常など、冗談ではない。

　顔を赤らめうつむく少年は、思う。（…待て、切田類。からかう気配ではないな。東堂さんは真剣だ）

（疎遠（そえん）でギクシャクしたままでは、これから先は危険だと判断したのか？…東堂さんは不器用そうな面もある。彼女なりに歩み寄ってくれているのかもしれないな）

（…だったら協力し合わないと。僕も歩み寄る姿勢を見せなくては…）

　切田くんがもぐもぐ咀嚼（そしゃく）する様子をじっと見つめ、…不意に彼女は、ボソリと言った。

「…それに、少し安心した」

「っ」切田くんは何の事かと聞き返そうとしたが、もそもそと食べている途中だったので自重し、飲み込む。……水分がほしい。

　悶（もだ）える彼に、彼女は微笑む。

「切田くんってスーパーヒーローみたい。そうなのかなって。でも、切田くんは切田くんだよね」

「はい、切田くん？」

「…嫌じゃないよね？」

　甘酸っぱいドライフルーツが、彼の口元へと差し出された。……下くちびるに、軽くちょんとくっつけられる。

　東堂さんが真剣な顔で覗き込んでいる。――艷（つや）やかで、長いまつげの奥。挑戦的な、肉食獣の瞳。

「あーん、して？」

　切田くんは恥辱に悶（もだ）え、なんだかグラリと変な扉が開きそうになったが、……今は焼け付く意識をつなぎとめ、えいやとばかりに果物を咥（くわ）えた。

「…よろしい」

　指先の砂糖を舐（な）め取（と）って、彼女はじ（・）っ（・）と（・）り（・）と微笑んだ。

　◇

「パンデモーヌ閣下！」

　部屋を出たパンデモーヌ伯の足を止めるものがいる。

「…衛兵隊の、研究所当番の隊長さんね。なんて言ったかしら」

「トガリであります！任務に関するお願いの儀があり参上いたしました！」

　衛兵隊の軍装を纏（まと）う、ヘラついた雰囲気の中年男だ。

　近年の風潮によって、前時代的な貴族の風習こそ今は廃（すた）れてはいるものの、――衛兵隊の中隊長ごときが上位貴族へと直訴を行っている。しかも衛兵隊は宰相派ではなく、利権屋派閥に属していたはずだ。

　パンデモーヌ伯は不敵でにこやかな顔を作り、率直に意思を伝えた。

「不躾（ぶしつけ）すぎるわ。不愉快ね」

　トガリ隊長は緊張の面持ちで硬直する。

「…は！…緊急時ゆえ、平（ひら）にご容赦いただきたく！」

「まあ、言うだけ言ってみれば良いんじゃない？」

「はっ！逃亡した召喚者の、追撃の許可をいただきたく」

「…つまりあなたは、わたしが命令したという言質（げんち）が欲しいわけね。勇者を取り逃がした汚名を返上するべく、責任の押し付け所として私のところに来た。そう言うのね？」

「…はっ！現地の判断というものを、魔法学者として名高き閣下ならば受け入れてくださる度量があると、見越した次第であります！」

　嫌味にしれっと返答するトガリ隊長を見て、パンデモーヌ伯は見直すように口を釣り上げる。

「…あら、なかなかどうして口の回ること。トガリ隊長だったかしら？今から追えるの？」

「もちろんでぇあります！」

　その答えを聞き、パンデモーヌ伯はニンマリと笑った。

「よろしい。では、あなたに特命を与えましょう」

「…はっ。…特命、でありますか」流石のトガリ隊長も、これには怪訝（けげん）そうな顔をする。

「逃亡者の中に、男の子がいるはず。貧弱そうな子よ」

「はっ？…はっ！」

「その子、私のものにしたいわ。必ず私のところに連れてきなさい」

「…逃亡したのは女と、外部の魔術師らしき人物でありますが…」

「あるいはそれのことかもしれない。出来る？」

「はっ！可能であります！！」トガリは神妙な面持ちで姿勢を正（ただ）し、そして、内心を邪（よこしま）に歪（ゆが）める。

（…いやはや、お偉いもんだ。自分の領地をほっぽり出して中央で遊んでいる、昼行灯（ひるあんどん）の変態伯爵が。稚児趣味が高じて異世界のガキにまで手を出すつもりか？…気っ色悪いなぁ、おい…）

（…まあいい。俺の目的は女のほうよ。仮に覆面がご指定のガキでなくっとも、…勢い余って殺してしまったのだとしても。手柄さえありゃあいくらだって誤魔化しは効くだろうさ）

　しゃちほこばるトガリ隊長に、……パンデモーヌ伯はぬ（・）る（・）り（・）と顔を近づけて、至近距離で彼を覗き込む。――眼窩のモノクルが鼻先に触れ、皮脂がこびりついた。

「…よろしい。成し遂げたならば」カッと目を見開いたまま、パンデモーヌ伯はニンマリ笑った。

「『無（・）礼（・）』は（・）許（・）し（・）ま（・）し（・）ょ（・）う（・）」

　硬直したトガリの額から、汗が滴（したた）る。

「察（・）し（・）の（・）良（・）い（・）あなただもの。意味はは（・）っ（・）き（・）り（・）と分かるわね？とり逃がした無能と此度（こたび）の無礼、返上する機会を与えられたの。とおっても幸せよね？あなた」

「…は、はっ！ありがとうございます！！」

「聞き返さないだけま（・）し（・）だと思ってあげましょう？…フフ。自分の立場が分かっているようで何より」至極（しごく）ゆっくりと顔を離し、パンデモーヌ伯はにこやかに続ける。

「必ず成し遂げなさい。…無様（ぶざま）を晒（さら）したのなら…わかるわね？」

　トガリは汗まみれの顔をしゃちほこばらせ、敬礼した。

　◇

「イジメすぎちゃったかしら？」

　よろよろと去る男の背を一瞥（いちべつ）して、…パンデモーヌ伯はモノクルを外して高そうなハンカチで拭き、ひとりごちる。

「解除魔法など受け付けない高位の状態異常魔法である【ブレインウォッシュ（洗脳）】。それを、ひと撫でで解除する『スキルホルダー』」

「……狂王の帰還のためには、必要になるパーツ……」

　彼の浮かべた意地の悪い笑みは、――そのまま、凄惨（せいさん）な笑みへと変わった。

「絶対に、何（・）を（・）し（・）て（・）で（・）も（・）、手に入れなくてはね？」