切田くんと東堂さん、ひとまず手を繋ぐ

 ――朦朧もうろうとしている。今まで、夢を見ていた気がする。


『……切田くん……』それは、決して良い夢ではない。悲しくて、苦しくて、不本意で、理不尽で。


「切田くん、キミを追放するニャン」(……だれぇ?)


 日頃のいたらなさを指摘され、パーティーだかクランだか職場を追放されてしまうのだ。もはや、明日を生きる金もない。



 悲しんでいる場合ではない。ハズレスキルで下剋上しなければならない。



(……おかしいな。追放ものって、こんなに悲壮感のある始まりだったかな……)


 しかし切田くんは実際には、パーティーどころか追放されるべき集まりになど、何処どこにも一切いっさい所属していなかった。気のおける仲間もいないし、手のひら返す幼馴染もいない。……仮に追放されるとしたら、家か学校か現実ぐらいだ。


(いやいや、それも悲しすぎるでしょ…)現状認識が自虐になってしまった。悲しくて理不尽だ。…………(……ん?)




(……なんだ?)――現実と現状が。音を立てて急速に動き出す。




 我に返った切田くんが目を覚ますと、自分が酷く奇妙な状況に置かれていることを認識した。(……あれ、生きてる?……)


(……なんだろう、心地良い気がする。……この状況は一体……)



 腹部への強い圧迫感。柔らかくも断続的な、縦の振動。……なすがままにされてる。けれど、なんだか気持ちが良い。


 全身を包む浮遊感。ガッチリと腹回りへと密着する人の体、それを支える強い力。……密着より伝わる、――心地良く熱い、誰かの体温。



 切田くんは運搬されていた。肩にかついで荷物のように運搬されていた。いわゆるお米様抱っこだ。(……ナニコレ〜?)



(何にもエロくも何とも無いじゃないか!なんなの?思わせぶりに期待させておいて…ゲフンゲフン…いや、)視界に映るのは、華奢な背中だ。その身にまとう白い服は、切田くんが奪って着ていたローブのようだ。


「…気がついたの?」


 すずやかな声が伝わってくる。凛とした、知性を感じさせる落ち着き。――そこには、先程の猛獣のような、狂乱の影は欠片かけらもない。


 こちら側とて動揺は無い。(ナイヨ)澄ました声で返す。


「はい、今気がつきました」


「そう。良かった」冷たく、そっけない答え。



 少しでも収まりを良くしようと、肩の荷物を抱きかかえ直す。……締め付ける細腕の感触。腕より伝わる、お互いの、少しの緊張。



 状況を整理してみる。つまり自分は今、自分を轢き潰した、――そんな凶暴さなど欠片かけらもない、華奢で知的な『聖女』によって、雄々しく肩にかつがれ運ばれている。スゴイ。(…なるほど、わからん。…全然頭に入ってこない)


「…どういうことなんです…?」兎にも角にも奇妙な事になっている。女子に密着しているのになんにも嬉しくない。なんだか空気も空々そらぞらしい。



 彼女は、酷く平坦な声で返してきた。



「…つまり、きみはこう言いたいわけね。突然の手ひどい目に遭って気を失ったはずなのに、気がつくときみは、米俵のようにかつがれて運ばれていた。…なにがなんだかわからない」


 ただの事実確認ではあるが、切田くんは返答に困ってしまった。……なんというか、取り付く島がない。


「まあ、大体そんなですかね…」


「うん」


「……」


「……」



 ふたりはしばらく黙り込む。



(……つ、つらい。……気まずい……)


(ここから一体どうすれば…)切田くんはコミュ力に自信がない。(…あとこれ、ちょっと恥ずかしいな…)


 他の通行人たちが怪訝な視線をジロジロ向けている。(…そりゃそうだ)とも思ったが、なんと切り出して良いのかも分からず、彼女の肩の上でグデンとしたまま黙る。(…もう少し別の運び方とかあるでしょ。米て…)


(…いや待て。他に女子高生JKが未成年男子を運ぶ為に適した方法って事?ハイエース以外で)思い浮かばない。(お姫様抱っこ…『トゥンク…』…無いな。ファイヤーマンズキャリー…『要救助者ぁ!!』…かっこよすぎる。うーん…)


 歩行に合わせて脳も揺さぶられている。強い力で抱きかかえられ、意外と安定している。(やっぱ米かぁ…)地面がゆっくりと流れていく。切田くんはなんだか楽しくなって、流れる地面をじっと眺めた。コイン精米機送りだ。



「……たしかにそうね。きみの言うとおり、変ね。今の私たち」


「そうですね?」食い気味に突っ込む。米なので。



 長い沈黙を破り、彼女が平坦な読み上げる口調で問う。



「気がつくシーン、やり直す?」


「シーンて。…いえ、やり直すって?」


「…このな状況は、きみがあれほど手ひどい気の失いかたをしたあとで、『気がついた?』と声をかけられるシチュエーションであるとはとても思えない」


 ……『聖女』は、言葉を選ぶように続けた。


「…そうね。…そう。きみの言うとおりだわ。普通こういった事はもっと、安らいだ気持ちと共にあるべきもの」


「あくまで一般論なのだけれど。たとえば家のふかふかしたおふとんの中。優しい養護教諭のいる保健室のベッド。公園のベンチ、これは親しい人のひざまくらの上」


(ひざまくらだって!…太もも…いい)「ひざまくらだったら、実現性ありそうですね!?」


 切田くんは美人の太ももが大好きだ。咄嗟とっさに食いついてしまい力強い返しをする。



 それを聞いた『聖女』は、目をパチクリさせた。



「…ふーん。…今からする?」


(…んぇ?)「…ひざまくらをですか?」


「そう。ひざまくら。…そしてきみの目覚めのシーン、仕切り直す?…こう、きみの額に手を当てて『…気がついた?』って。優しい微笑み付きで」



(は?…最高か?)切田くんは素直に嬉々とした。



(なかなかときめくシチュエーション。ぜひお願いします!)彼女の表情が見えていない切田くんは、全力で調子の良いことを思った。


(こんな御都合ドキドキイベントが流れてくるとは。有り難う時代の流れ。激動のFX為替相場。普通ないよ?こんな事……)、嫌な違和感をおぼえる。……刹那の思考が加速する。



(……待て、調子に乗るな切田類。そんな都合のいいことあるわけがない。『聖女』さんだって自らの考えがあって言っているんだぞ)


何故なぜひざまくらをしてくれると言っているのかを考えるんだ。つまり、殴り倒して轢き潰したお詫びだろ。それは決して、僕にするひざまくらじゃあない)



(……負い目を感じているんだ)



 なんだかガクッと来てしまった。(だからか。彼女のどう接すればいいかわからない感じは…)


(『聖女』さんだって本当は、見知らぬ男の僕になんても構いたくはないはずだ。…一緒に呼ばれたからって、敵かもどうかもわからない他人なんだぞ…)


(でも彼女は、僕を『殺しかけて』しまった。事故の結果だとしても。それをいくら『聖女』の力で治したからって、気にしないわけにはいかないはず)


(…とはいえ今は、他人に対して安易に頭を下げられる状況じゃない。僕が敵だった場合、つけ込まれてとんでもない代償を要求される場面。ぐへへ。…だから彼女は困っている)



(……僕の出方をうかがっているのか……)何だか申し訳ない気持ちになり、そして、無性に恥ずかしくなる。


 ――つまり、切田くんの下心から何からずっと、彼女に観測されてモロバレだったという事だ。(…うわぁ〜…)大暴落気配だ。損切りせねばなるまい。



(…まあ、無いよなぁ。そんな負い目につけ込んでドヤったり脅したりとか。それを『膝枕がいい!』ておま…)


(…よく気づいた。さすが僕)刹那の長考を終えた切田くんは、バタつきたい衝動を『精神力回復』で抑えて、グデンとしたまま穏やかに答えた。


「殴り倒したことなら気にしてませんよ。なんか治ってるし」



「……」彼女は黙ってしまった。



(…嫌な顔をされながらのお詫びのひざまくらか。…それはそれで良い。…クルな…)


(…いや、それでも純粋に嬉しいかな。…やっぱりやわらかいのだろうか。…いい匂いしそう…)



 とりとめのないことを考えていると、彼女はおずおずと口を開いた。



「…ごめんね。


「いいですよ。それより下ろしてほしいです」肩の上でだらんと、切田くんは言った。


「ああ、そうね」



 ◇



 地上に降ろしてもらい、砕かれた肩をぐるぐると回す。体のどこにも痛みはない。呼吸も正常で、破裂した肺も元通りのようだ。(完全に治っている。彼女の能力は、強力な治癒と暴走化といったところだろうか。どちらもパワーが強い…)



 ――そこから感じる強い違和感が、切田くんの緊張を煽る。あれ程の打撃を受け、に轢き潰されて、……そして自分は、死にひんしていたはずだ。



(…いや、強すぎないかこれ。流石にこのパワーは異常だろ。大型トラック並みの圧力でふっとばす力と、その直撃を受けて損壊した体を、跡形もなく治せる超能力だって?)


(…それに比べて『マジックボルト』と、打撃を食らった時に流れ込んだはずの『精神力回復』は、いわんやすでに彼女に見せてしまっている。…戦いになれば負ける。力の相性が悪すぎるし…それに出力も)その身で食らった彼女の一撃。躍動と圧力。すくんだ切田くんを捉える、強い光を放つ猛獣の瞳。



(…多分、僕のほうがずっと弱い)


 初めて見た時に感じたコンプレックスが、胸をギュッと締め付ける。



 ――消沈する少年を、彼女は、推し量るように見つめている。



 荘厳そうごんほどに静やかな、氷温の極地に咲く花を想わせる、透明な美貌。『聖女』と呼ばれた年上の美少女。



 誰もが目を奪うほどに美しく、えらく可愛い。美少女であり、年上の美女でもある。少し上の先輩であり、(多分)いいとこの御令嬢であり、女子高生JKでさえある。


 それでも、彼女を真っ先に形容するべき言葉は、『綺麗な人』という、純粋で単純なものであった。――そんな、はかなくも硬質な、ガラス細工の様な意識が、プリズムを透過するみたいに向けられている。



「…きみって、なんだか普通の人とは違うよね」透明な声が語りかけてきた。



(……力不足を悩んでる時にそんなん言われると、脳がバグるんですけど)「…買いかぶられても、もう出せる物はありませんよ。…なんです?」


「でも、きみ。何も要求して来なかったでしょう。あれだけの事をされておいて」



 あれだけの事。――勿論もちろん二度とはゴメンだが、派手に吹っ飛ばされグルングルン転げまわった事とか、体内に血が貯まる感覚とか、急速に遠ざかってプツンと途切れる意識とか、(ヒュー)思い返すとなんだか楽しい。絶叫マシンだ。



「…別に、これで普通だと思いますよ。今はそれどころじゃありませんし、普通の人にだってが居るんですから。僕がたまたま後者ってだけで…」


「なんなら、あのまま地面に息が出来なくなるぐらい叩きつけて、内臓が口から出るまで踏みつけながら、『二度と私の前に現れないで』って啖呵たんかを切る覚悟までしていたのだけれど」



(…ヒェェ…)危ない。ノンデリセーフだ。(つか怖い!自分の能力スーパーパワーに順応し過ぎでしょ、この人…)「トクベツマンです。はい」


「拍子抜けしちゃったな。なんだか」小さな溜息。


「やらないでくださいね。でないとほっそいお姉さんから、いかつい女子プロレスラーがパイプ椅子ガツンガツンさせて入場してくる、にまで見る目変えていきますからね」多方面に失礼を振りまいている気がするが、脳がバグっているので良いだろう。



「……」ムスッとしてしまった。怒っているのか、興味があるのか。そんな目でめつけてくる。美人過ぎて全然嫌じゃない。



 人との距離をはかる冷たい視線が、まとう空気が、……その時、崩れた。彼女は頬を赤く染め、声を裏返して、気まずそうに目をそらした。



「…あと、服!」


「勝手に借りた」



 切田くんは目をぱちくりさせる。(……ん?何を慌てて……)



(…あっ、ローブのことを気にしていると思われたのかな。……いや、脱がされたってことだもんな)昏倒する切田くんからことを気にしているのだろう。……たしかにそれは、強烈な体験だ。


 彼女の恥じらうさまに切田くんもつられて恥ずかしくなり、目を伏せる。……何故かこちらがやましい気分になる。


 目を向け直すと、顔を上げた彼女と目が合った。

 ふたりはとっさにうつむき直した。



(…あ、あれっ?…なんだか妙な空気になってしまった…)切田くんは突然の、思ってもみなさにうろたえる。



 彼女のまとう、くすんだ白いローブ。刺繍などで細かい装飾が施されており、首についた血の跡はもう黒ずんでいる。――白いローブはダボダボのブカブカだ。


 顔の返り血や汚れはよく拭き取ったようで、凛とした美貌は元の通りだ。


 食料を詰めた麻袋を片手にぶら下げている。それを見た切田くんは、どこかホッとする。……急いだとはいえ、結構真剣に中身を選んだのだ。


 と共に、切田くんは答える。


「服、ズタズタでしたからね。そのままでいいです」



 彼女は顔を上げ、視線の合った切田くんをじっと見つめた。……覗き込むような、少し興味深げな眼差しだ。



「…ありがと」


「ところで、どうなってます?今」キョロキョロしてみる。少なくとも研究所付近ではない。


「そうね、まず私はきみを抱えてだいぶ走った。最初の建物から20kmは離れたと思う」


 彼女は考え深げに続ける。


「向かったのは海の匂いのする方向」


「海の匂い?」切田くんはスンスンと鼻を鳴らす。さっぱりわからん。


「郊外に向かえば追っ手がかかっても目立つわ。今はこの街の人混みにまぎれましょう」


「…港に向かえば港湾労働者、人足の寄せ場があるはず。こんな大都市ならばきっとスラム化しているはずよ。人混みと治安の悪さは追っ手への壁になってくれるわ。うまくいけば港からこの街を脱出できるかもしれない」



(なるほど。『聖女』さんの考えは正しい)



 切田くんは素直に感心した。筋が通っているし、自分には他の良い案など思いつきもしなかった。


 そしてヒネた。(…美人でしかも賢いとかさあ…)


(…まあ、逆に美人でアレだと大変だろうからな。悪い奴に引っかかって夏休みデビュー、金髪黒ギャルのピアスバキバキにされてたり…)全力で偏見を振りかざす。


(まあ、金髪黒ギャル自体は良いと思いますけれども)「いい判断のように思えます。僕も一緒に行っても?」


「……そうね。しばらくよろしくね。えーと」


「切田です。切田類きるた るい



 彼女は返答に、少しの迷いを見せる。



「…東堂とうどうよ」


「よろしく、東堂さん」


「…よろしくね。切田くん」



 ◇



「はいこれ、切田くん」道すがら、彼女はローブの懐から小袋を差し出す。受け取るとずっしり重い。


「財布ですね」


 何枚かの金貨、銀貨、銅貨が入っている。人の手を渡りぬいた、くすんだ貴金属の貨幣。(…は?かっこいいが)ファンタジーらしさに、切田くんのテンションが少し上がる。


 ……しかし今は、気持ちをおくびにも出さず、ひとまず落ち着きはらって答える。「結構入ってます。儲かるんですねあの仕事」


「…あの仕事?」


「魔法研究員的なやつでしょうか。これは刺繍が豪華だし、ちょっと偉い人のものなのかな?」このローブが研究所員の制服なのだとしたら、奪ったものだと察する者も出てくるかもしれない。……お米様抱っこは終わったが、いまだ周囲の視線を感じる。



 大都市郊外から都心部へと向かう道。周囲は林や畑などもあるが、結構な割合で住居が立ち並び、人通りもそれなりにある。――ただでさえ奇妙な風体ふうていの切田くんと人目を引く風貌ふうぼうの『聖女』だ。チラチラどころかジロジロ見ていく者も結構いた。捨て台詞も聞こえる。


「…すっごい美人」「まだ子供でしょ」「すっごい変な格好」(すっごい変とは何だ!)ムキーとなる。(いくらなんでも言い過ぎ、…おっと…)



「…そのローブも足がつくかもしれません。僕の制服もですけど、買い替えるか、上に何か着たほうが良さそうですね」


「そうね」東堂さんは言葉少なに答えた。乾いた声。


「…この服、どうやって手に入れたの?切田くん」


「どうって。死体から剥ぎましたよ。今は我慢してください」


「…うん」思いつめた口調で、続けた。



「私が殺した死体から?」



 ……切田くんの胸の内に、少しの警戒心が沸き起こる。



(所有権を主張するつもりだろうか。話した感じ、そういうことをする人には見えないけど)


「…いいえ。僕が殺しました。証拠が必要ですか?」


「…そうじゃなくて」


 東堂さんはなにか言いたげに、うつむいてを振った。


「…切田くん、落ち着いてるね。何年生?」


「高1です」


「ふたつも下なんだ。…なのに、どうしてそんなに落ち着いているの?」



「ああ」切田くんは肩をすくめながら答える。



「東堂さんにも宿ったでしょう。変な力ですよ。スーパーパワー。奴らも魔法を使っていたし、そういったたぐいのものでしょう」


「…落ち着く力なの?」


「そうですよ。変ですか?」


「変よ」少し表情を和らげ、クスリと笑った。




「切田くん」




 そして彼女は、どこか遠い声で問うた。



「…何人殺した?」


「二十人ちょい、二十五人ぐらいですかね」少し思い返して、こともなげに切田くんは答えた。


「…わたしも…そのぐらいかな…」


「…ゴチャゴチャしてたし…」


「…正確には覚えてないけど…」ボソボソと語りながら、すくんだ様に立ち止まる。




「…覚えて…」




 東堂さんは真っ青になっていた。




 瞳は宙を彷徨い、可憐な唇は紫になっている。



「…きみのことも…もう少しで…」ワナワナと震え、しゃがみ込んで、彼女はうずくまった。まるで、貧血でも起こしたかのように。



 ◇



(…無理もないか)切田くんは即座に察する。


(殺らなきゃ殺られるとは言っても、そう簡単に割り切れるものじゃない。…僕だって実はそうだ)


(…気の強そうな東堂さんでさえこれだ。『精神力回復』が無ければ、僕ならもっと酷いことになっていただろう)



 声を掛けようにも、弱った時の半可はんかな慰め言葉などだけであろう。切田くんは(はい便利〜)躊躇ちゅうちょなくかがみ込んで、そっと彼女の背中に手を添えた。



 すると東堂さんは不思議そうに、ゆっくりと顔を上げた。


 ……血色が戻っていき、表情にも生気が宿っている。



 そして、しゃがんだまま、じっと切田くんの顔を覗き込んだ。


「…落ち着く力?」


「そうです」


「私が間違ってた。便利ね、それ」


「僕もそう思います」背から手を放して立ち上がり、中腰で、その手を差し伸べる。



 東堂さんはその手をじっと見つめ、少し逡巡しゅんじゅんする。



 そして手を伸ばし、差し伸べられた手のひらをギュッと握った。……伝わってくる、冷たくも温かい、すべすべした、しっとりとした感触。



 握った手に支えられて、ギクシャクと、目をそらして立ち上がる。そして、手を握りしめたまま無言で歩き出した。


 真っ青だった顔には、赤みが差していた。



(んー?)引きずられそうになった切田くんは、慌てて言った。「ちょ、ちょっと待ってください!」


「……何?」そっぽを向いたまま不機嫌そうに、つっけんどんに彼女は答える。……かと言って、放ってはおけまい。切田くんは遠慮がちにそのことを伝える。


「食料の入った袋が…」「…あっ…」東堂さんは自分が放り出した麻袋に気づかなかったことに硬直し、立ちすくんでしまった。


 放り出されている袋を取るために、手のひらが離れる。


 彼女は指を宙に彷徨さまよわせて、軽く下唇を噛んでうつむき、腕を引っ込めてしまう。


 

 切田くんは食料袋を拾うと肩に引っ掛けて駆け戻り、そしてなんの遠慮もなくひょいと、彼女が引っ込めた手を握り直した。



「……!…!!……」彼女はさらに顔を真っ赤に染めて、なにか言いたげに口をパクパクとさせた。



 切田くんは気づかず、気の抜けた声をかける。「お待たせです。行きましょう」


 東堂さんは眉を釣り上げてうつむき、ボソリと絞り出した。


「……待って、ない……!」


「…なんです?」


「…なんでもっ…!」



 声を荒げた彼女は、そこで我に返り、前を向いてキッパリと言う。



「いいえ。なんでもない」


「はい」


 ふたりは改めて歩き出した。……東堂さんが心持ち、肩をいからせている気がする。


(…なんか怒ってるな。…『精神力回復』を盾に手を握ったの、セクハラだと思われたかな…)あくまで実利が目的。他意はなかったはずだ。……少しは頭をよぎったが。切田くんは後ろめたくなってしょんぼりする。


「…ありがと」


(…んぇ?)「何です?」


「…いいえ」


 何か言った気がする東堂さんが、心持ち頬を紅潮させたまま、目を合わせずにつっけんどんに、……それでいて、からかうように問いかけてくる。


「…切田くんって、ジゴロなのかな?」


「ジゴロて」笑い出したくなったが我慢する。そして彼女の軽口にほっとする。そこまで怒ってはいないようだ。


 東堂さんは平静さをよそおい、からかう口調を続ける。


「きみは弱った女の子には、誰にでもそうやって手を差し伸べるのかな。優しい言葉をかけたり、背中をさすったり、手を握ったり」



 少し、言葉を飲み込む。



「…変に自分を見せようとせずに、ただ同意や共感をしてくれたり。…手慣れているっていうのかな…」


(…『精神力回復』の力で落ち着いて動けているのが、キザったらしく見えたのかな…?)「…元はヘタレですよ僕」


「ふうん?」



 意味ありげに目線を向けて、すぐに外した。……少しの沈黙。

 小声で、恥ずかしそうに言う。



はがねよ」


「えっ?」


「名前。東堂鋼とうどう はがね


「カッケ」


「…だから言いたくなかったの」東堂さんははにかんで、弱々しく言った。


 切田くんは脳内で(はがね…鋼…)と何度か繰り返してみる。


「響きはとてもいいと思いますよ。たしかに字面はいかついですね」


「……切田くんはルイでしょ。女の子みたいな名前だし、交換してよ」


切田鋼きるた はがねですか」


 うーん、と、深く考え込んだ。


「切田鋼。いいですね。めっちゃ切れそう」



 ジトッとした目で、彼女は切田くんを見ていた。

 ……少し顔を赤らめて、言った。



「…切田くんって、ジゴロでしょ」


「わあ理不尽」


「…あと、細くて美人のお姉さん。ね」


「うぇ?…ハイ」(…図々しいな!?いつの話だよ!?事実陳列罪で捕まればいいと思うよ?)



「そういえば」と気がついたように、東堂さんは言った。



「もうひとりは?私達の間にいた子」


 切田くんは『勇者』の様子を思い出し、そっけなく答えた。……それは本人にも意外なほど、冷たく響いた。


「ゴネたんで置いてきました」


「…そう」


 彼女もそっけなく答え、握る手に少し、力を込めた。

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