切田くんと東堂さん、ひとまず手を繋ぐ
――
『……切田くん……』それは、決して良い夢ではない。悲しくて、苦しくて、不本意で、理不尽で。
「切田くん、キミを追放するニャン」(……だれぇ?)
日頃の
悲しんでいる場合ではない。ハズレスキルで下剋上しなければならない。
(……おかしいな。追放ものって、こんなに悲壮感のある始まりだったかな……)
しかし切田くんは実際には、パーティーどころか追放されるべき集まりになど、
(いやいや、それも悲しすぎるでしょ…)現状認識が自虐になってしまった。悲しくて理不尽だ。…………(……ん?)
(……なんだ?)――現実と現状が。音を立てて急速に動き出す。
我に返った切田くんが目を覚ますと、自分が酷く奇妙な状況に置かれていることを認識した。(……あれ、生きてる?……)
(……なんだろう、心地良い気がする。……この状況は一体……)
腹部への強い圧迫感。柔らかくも断続的な、縦の振動。……なすがままにされてる。けれど、なんだか気持ちが良い。
全身を包む浮遊感。ガッチリと腹回りへと密着する人の体、それを支える強い力。……密着より伝わる、――心地良く熱い、誰かの体温。
切田くんは運搬されていた。肩にかついで荷物のように運搬されていた。いわゆるお米様抱っこだ。(……ナニコレ〜?)
(何にもエロくも何とも無いじゃないか!なんなの?思わせぶりに期待させておいて…ゲフンゲフン…いや、)視界に映るのは、華奢な背中だ。その身に
「…気がついたの?」
こちら側とて動揺は無い。(ナイヨ)澄ました声で返す。
「はい、今気がつきました」
「そう。良かった」冷たく、そっけない答え。
少しでも収まりを良くしようと、肩の荷物を抱きかかえ直す。……締め付ける細腕の感触。腕より伝わる、お互いの、少しの緊張。
状況を整理してみる。つまり自分は今、自分を轢き潰した、――そんな凶暴さなど
「…どういうことなんです…?」兎にも角にも奇妙な事になっている。女子に密着しているのに
彼女は、酷く平坦な声で返してきた。
「…つまり、きみはこう言いたいわけね。突然の手ひどい目に遭って気を失ったはずなのに、気がつくときみは、米俵のように
ただの事実確認ではあるが、切田くんは返答に困ってしまった。……なんというか、取り付く島がない。
「まあ、大体そんなですかね…」
「うん」
「……」
「……」
ふたりはしばらく黙り込む。
(……つ、つらい。……気まずい……)
(ここから一体どうすれば…)切田くんはコミュ力に自信がない。(…あとこれ、ちょっと恥ずかしいな…)
他の通行人たちが怪訝な視線をジロジロ向けている。(…そりゃそうだ)とも思ったが、なんと切り出して良いのかも分からず、彼女の肩の上でグデンとしたまま黙る。(…もう少し別の運び方とかあるでしょ。米て…)
(…いや待て。他に
歩行に合わせて脳も揺さぶられている。強い力で抱きかかえられ、意外と安定している。(やっぱ米かぁ…)地面がゆっくりと流れていく。切田くんはなんだか楽しくなって、流れる地面をじっと眺めた。コイン精米機送りだ。
「……たしかにそうね。きみの言うとおり、変ね。今の私たち」
「そうですね?」食い気味に突っ込む。米なので。
長い沈黙を破り、彼女が平坦な読み上げる口調で問う。
「気がつくシーン、やり直す?」
「シーンて。…いえ、やり直すって?」
「…この
……『聖女』は、言葉を選ぶように続けた。
「…そうね。…そう。きみの言うとおりだわ。普通こういった事はもっと、安らいだ気持ちと共にあるべきもの」
「あくまで一般論なのだけれど。たとえば家のふかふかしたおふとんの中。優しい養護教諭のいる保健室のベッド。公園のベンチ、これは親しい人のひざまくらの上」
(ひざまくらだって!…太もも…いい)「ひざまくらだったら、実現性ありそうですね!?」
切田くんは美人の太ももが大好きだ。
それを聞いた『聖女』は、目をパチクリさせた。
「…ふーん。…今からする?」
(…んぇ?)「…ひざまくらをですか?」
「そう。ひざまくら。…そしてきみの目覚めのシーン、仕切り直す?…こう、きみの額に手を当てて『…気がついた?』って。優しい微笑み付きで」
(は?…最高か?)切田くんは素直に嬉々とした。
(なかなかときめくシチュエーション。ぜひお願いします!)彼女の表情が見えていない切田くんは、全力で調子の良いことを思った。
(こんな御都合ドキドキイベントが流れてくるとは。有り難う時代の流れ。激動のFX為替相場。普通ないよ?こんな事……)
(……待て、調子に乗るな切田類。そんな都合のいいことあるわけがない。『聖女』さんだって自らの考えがあって言っているんだぞ)
(
(……負い目を感じているんだ)
なんだかガクッと来てしまった。(だからか。彼女のどう接すればいいかわからない感じは…)
(『聖女』さんだって本当は、見知らぬ男の僕になんて
(でも彼女は、僕を『殺しかけて』しまった。事故の結果だとしても。それをいくら『聖女』の力で治したからって、気にしないわけにはいかないはず)
(…とはいえ今は、他人に対して安易に頭を下げられる状況じゃない。僕が敵だった場合、つけ込まれてとんでもない代償を要求される場面。ぐへへ。…だから彼女は困っている)
(……僕の出方を
――つまり、切田くんの下心から何からずっと、彼女に観測されてモロバレだったという事だ。(…うわぁ〜…)大暴落気配だ。損切りせねばなるまい。
(…まあ、無いよなぁ。そんな負い目につけ込んでドヤったり脅したりとか。それを『膝枕がいい!』ておま…)
(…よく気づいた。さすが僕)刹那の長考を終えた切田くんは、バタつきたい衝動を『精神力回復』で抑えて、グデンとしたまま穏やかに答えた。
「殴り倒したことなら気にしてませんよ。なんか治ってるし」
「……」彼女は黙ってしまった。
(…嫌な顔をされながらのお詫びのひざまくらか。…それはそれで良い。…クルな…)
(…いや、それでも純粋に嬉しいかな。…やっぱりやわらかいのだろうか。…いい匂いしそう…)
とりとめのないことを考えていると、彼女はおずおずと口を開いた。
「…ごめんね。
「いいですよ。それより下ろしてほしいです」肩の上でだらんと、切田くんは言った。
「ああ、そうね」
◇
地上に降ろしてもらい、砕かれた肩をぐるぐると回す。体のどこにも痛みはない。呼吸も正常で、破裂した肺も元通りのようだ。(完全に治っている。彼女の能力は、強力な治癒と暴走化といったところだろうか。どちらもパワーが強い…)
――そこから感じる強い違和感が、切田くんの緊張を煽る。あれ程の打撃を受け、
(…いや、強すぎないかこれ。流石にこのパワーは異常だろ。大型トラック並みの圧力でふっとばす力と、その直撃を受けて損壊した体を、跡形もなく治せる超能力だって?)
(…それに比べて『マジックボルト』と、打撃を食らった時に流れ込んだはずの『精神力回復』は、
(…多分、僕のほうがずっと弱い)
初めて見た時に感じたコンプレックスが、胸をギュッと締め付ける。
――消沈する少年を、彼女は、推し量るように
誰もが目を奪う
それでも、彼女を真っ先に形容するべき言葉は、『綺麗な人』という、純粋で単純なものであった。――そんな、
「…きみって、なんだか普通の人とは違うよね」透明な声が語りかけてきた。
(……力不足を悩んでる時にそんなん言われると、脳がバグるんですけど)「…買いかぶられても、もう出せる物はありませんよ。…なんです?」
「でも、きみ。何も要求して来なかったでしょう。あれだけの事をされておいて」
あれだけの事。――
「…別に、これで普通だと思いますよ。今はそれどころじゃありませんし、普通の人にだって
「なんなら、あのまま地面に息が出来なくなるぐらい叩きつけて、内臓が口から出るまで踏みつけながら、『二度と私の前に現れないで』って
(…ヒェェ…)危ない。ノンデリセーフだ。(つか怖い!自分の
「拍子抜けしちゃったな。なんだか」小さな溜息。
「やらないでくださいね。でないと
「……」ムスッとしてしまった。怒っているのか、興味があるのか。そんな目で
人との距離を
「…あと、服!」
「勝手に借りた」
切田くんは目をぱちくりさせる。(……ん?何を慌てて……)
(…あっ、ローブのことを気にしていると思われたのかな。……いや、脱がされたってことだもんな)
彼女の恥じらうさまに切田くんもつられて恥ずかしくなり、目を伏せる。……何故かこちらがやましい気分になる。
目を向け直すと、顔を上げた彼女と目が合った。
ふたりはとっさにうつむき直した。
(…あ、あれっ?…なんだか妙な空気になってしまった…)切田くんは突然の、思ってもみなさにうろたえる。
彼女の
顔の返り血や汚れはよく拭き取ったようで、凛とした美貌は元の通りだ。
食料を詰めた麻袋を片手にぶら下げている。それを見た切田くんは、どこかホッとする。……急いだとはいえ、結構真剣に中身を選んだのだ。
「服、ズタズタでしたからね。そのままでいいです」
彼女は顔を上げ、視線の合った切田くんをじっと見つめた。……覗き込むような、少し興味深げな眼差しだ。
「…ありがと」
「ところで、どうなってます?今」キョロキョロしてみる。少なくとも研究所付近ではない。
「そうね、まず私はきみを抱えてだいぶ走った。最初の建物から20kmは離れたと思う」
彼女は考え深げに続ける。
「向かったのは海の匂いのする方向」
「海の匂い?」切田くんはスンスンと鼻を鳴らす。さっぱりわからん。
「郊外に向かえば追っ手がかかっても目立つわ。今はこの街の人混みに
「…港に向かえば港湾労働者、人足の寄せ場があるはず。こんな大都市ならばきっとスラム化しているはずよ。人混みと治安の悪さは追っ手への壁になってくれるわ。うまくいけば港からこの街を脱出できるかもしれない」
(なるほど。『聖女』さんの考えは正しい)
切田くんは素直に感心した。筋が通っているし、自分には他の良い案など思いつきもしなかった。
そしてヒネた。(…美人でしかも賢いとかさあ…)
(…まあ、逆に美人でアレだと大変だろうからな。悪い奴に引っかかって夏休みデビュー、金髪黒ギャルのピアスバキバキにされてたり…)全力で偏見を振りかざす。
(まあ、金髪黒ギャル自体は良いと思いますけれども)「いい判断のように思えます。僕も一緒に行っても?」
「……そうね。しばらくよろしくね。えーと」
「切田です。
彼女は返答に、少しの迷いを見せる。
「…
「よろしく、東堂さん」
「…よろしくね。切田くん」
◇
「はいこれ、切田くん」道すがら、彼女はローブの懐から小袋を差し出す。受け取るとずっしり重い。
「財布ですね」
何枚かの金貨、銀貨、銅貨が入っている。人の手を渡りぬいた、くすんだ貴金属の貨幣。(…は?かっこいいが)ファンタジーらしさに、切田くんのテンションが少し上がる。
……しかし今は、
「…あの仕事?」
「魔法研究員的なやつでしょうか。これは刺繍が豪華だし、ちょっと偉い人のものなのかな?」このローブが研究所員の制服なのだとしたら、奪ったものだと察する者も出てくるかもしれない。……お米様抱っこは終わったが、
大都市郊外から都心部へと向かう道。周囲は林や畑などもあるが、結構な割合で住居が立ち並び、人通りもそれなりにある。――ただでさえ奇妙な
「…すっごい美人」「まだ子供でしょ」「すっごい変な格好」(すっごい変とは何だ!)ムキーとなる。(いくらなんでも言い過ぎ、…おっと…)
「…そのローブも足がつくかもしれません。僕の制服もですけど、買い替えるか、上に何か着たほうが良さそうですね」
「そうね」東堂さんは言葉少なに答えた。乾いた声。
「…この服、どうやって手に入れたの?切田くん」
「どうって。死体から剥ぎましたよ。今は我慢してください」
「…うん」思いつめた口調で、続けた。
「私が殺した死体から?」
……切田くんの胸の内に、少しの警戒心が沸き起こる。
(所有権を主張するつもりだろうか。話した感じ、そういうことをする人には見えないけど)
「…いいえ。僕が殺しました。証拠が必要ですか?」
「…そうじゃなくて」
東堂さんはなにか言いたげに、うつむいて
「…切田くん、落ち着いてるね。何年生?」
「高1です」
「ふたつも下なんだ。…なのに、どうしてそんなに落ち着いているの?」
「ああ」切田くんは肩をすくめながら答える。
「東堂さんにも宿ったでしょう。変な力ですよ。スーパーパワー。奴らも魔法を使っていたし、そういったたぐいのものでしょう」
「…落ち着く力なの?」
「そうですよ。変ですか?」
「変よ」少し表情を和らげ、クスリと笑った。
「切田くん」
そして彼女は、どこか遠い声で問うた。
「…何人殺した?」
「二十人ちょい、二十五人ぐらいですかね」少し思い返して、こともなげに切田くんは答えた。
「…わたしも…そのぐらいかな…」
「…ゴチャゴチャしてたし…」
「…正確には覚えてないけど…」ボソボソと語りながら、
「…覚えて…」
東堂さんは真っ青になっていた。
瞳は宙を彷徨い、可憐な唇は紫になっている。
「…きみのことも…もう少しで…」ワナワナと震え、しゃがみ込んで、彼女はうずくまった。まるで、貧血でも起こしたかのように。
◇
(…無理もないか)切田くんは即座に察する。
(殺らなきゃ殺られるとは言っても、そう簡単に割り切れるものじゃない。…僕だって実はそうだ)
(…気の強そうな東堂さんでさえこれだ。『精神力回復』が無ければ、僕ならもっと酷いことになっていただろう)
声を掛けようにも、弱った時の
すると東堂さんは不思議そうに、ゆっくりと顔を上げた。
……血色が戻っていき、表情にも生気が宿っている。
そして、しゃがんだまま、じっと切田くんの顔を覗き込んだ。
「…落ち着く力?」
「そうです」
「私が間違ってた。便利ね、それ」
「僕もそう思います」背から手を放して立ち上がり、中腰で、その手を差し伸べる。
東堂さんはその手をじっと見つめ、少し
そして手を伸ばし、差し伸べられた手のひらをギュッと握った。……伝わってくる、冷たくも温かい、すべすべした、しっとりとした感触。
握った手に支えられて、ギクシャクと、目をそらして立ち上がる。そして、手を握りしめたまま無言で歩き出した。
真っ青だった顔には、赤みが差していた。
(んー?)引きずられそうになった切田くんは、慌てて言った。「ちょ、ちょっと待ってください!」
「……何?」そっぽを向いたまま不機嫌そうに、つっけんどんに彼女は答える。……かと言って、放ってはおけまい。切田くんは遠慮がちにそのことを伝える。
「食料の入った袋が…」「…あっ…」東堂さんは自分が放り出した麻袋に気づかなかったことに硬直し、立ちすくんでしまった。
放り出されている袋を取るために、手のひらが離れる。
彼女は指を宙に
切田くんは食料袋を拾うと肩に引っ掛けて駆け戻り、そしてなんの遠慮もなくひょいと、彼女が引っ込めた手を握り直した。
「……!…!!……」彼女はさらに顔を真っ赤に染めて、なにか言いたげに口をパクパクとさせた。
切田くんは気づかず、気の抜けた声をかける。「お待たせです。行きましょう」
東堂さんは眉を釣り上げてうつむき、ボソリと絞り出した。
「……待って、ない……!」
「…なんです?」
「…なんでもっ…!」
声を荒げた彼女は、そこで我に返り、前を向いてキッパリと言う。
「いいえ。なんでもない」
「はい」
ふたりは改めて歩き出した。……東堂さんが心持ち、肩をいからせている気がする。
(…なんか怒ってるな。…『精神力回復』を盾に手を握ったの、セクハラだと思われたかな…)あくまで実利が目的。他意はなかったはずだ。……少しは頭をよぎったが。切田くんは後ろめたくなってしょんぼりする。
「…ありがと」
(…んぇ?)「何です?」
「…いいえ」
何か言った気がする東堂さんが、心持ち頬を紅潮させたまま、目を合わせずにつっけんどんに、……それでいて、からかうように問いかけてくる。
「…切田くんって、ジゴロなのかな?」
「ジゴロて」笑い出したくなったが我慢する。そして彼女の軽口にほっとする。そこまで怒ってはいないようだ。
東堂さんは平静さを
「きみは弱った女の子には、誰にでもそうやって手を差し伸べるのかな。優しい言葉をかけたり、背中をさすったり、手を握ったり」
少し、言葉を飲み込む。
「…変に自分を見せようとせずに、ただ同意や共感をしてくれたり。…手慣れているっていうのかな…」
(…『精神力回復』の力で落ち着いて動けているのが、キザったらしく見えたのかな…?)「…元はヘタレですよ僕」
「ふうん?」
意味ありげに目線を向けて、すぐに外した。……少しの沈黙。
小声で、恥ずかしそうに言う。
「
「えっ?」
「名前。
「カッケ」
「…だから言いたくなかったの」東堂さんははにかんで、弱々しく言った。
切田くんは脳内で(はがね…鋼…)と何度か繰り返してみる。
「響きはとてもいいと思いますよ。たしかに字面はいかついですね」
「……切田くんはルイでしょ。女の子みたいな名前だし、交換してよ」
「
うーん、と、深く考え込んだ。
「切田鋼。いいですね。めっちゃ切れそう」
ジトッとした目で、彼女は切田くんを見ていた。
……少し顔を赤らめて、言った。
「…切田くんって、ジゴロでしょ」
「わあ理不尽」
「…あと、細くて美人のお姉さん。ね」
「うぇ?…ハイ」(…図々しいな!?いつの話だよ!?事実陳列罪で捕まればいいと思うよ?)
「そういえば」
「もうひとりは?私達の間にいた子」
切田くんは『勇者』の様子を思い出し、そっけなく答えた。……それは本人にも意外なほど、冷たく響いた。
「ゴネたんで置いてきました」
「…そう」
彼女もそっけなく答え、握る手に少し、力を込めた。
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