理想の子ども

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理想の子ども

広々とした白い部屋に足を踏み入れた瞬間、ケンとナオミは未来の息吹を感じた。国家が提供する遺伝子選別のシステムによって、人類はこれまでにない「完璧な子ども」を手に入れることができる。今、その技術は二人の目の前に広がっていた。


ガラスの向こうには、無機質なコンソールがずらりと並び、薄く青白い光を放っている。そこに映し出されているのは、ケンとナオミの遺伝子を元に生成された数十の受精卵のデータ。ディスプレイに流れる数字やグラフが、彼らの将来の子どもたちの知能、体力、性格、さらには美的要素までを冷たく分析していた。


「本当にこれが私たちの子どもになるの?」ナオミは声をひそめ、震えるように問いかけた。彼女の目は、画面に映し出された「未来の可能性」に戸惑いを隠せなかった。


「そうさ。僕たちが選んだ子どもが、この中から生まれるんだ。」ケンは自信ありげに答えたが、その言葉の奥には小さな不安が混じっていた。彼もまた、この選択が家族に与える影響を完全に理解しているわけではなかった。


ディスプレイには、最も可能性の高い受精卵が赤い枠で囲まれ、推奨候補として表示されていた。ケンはその数字の精密さに、しばし見とれていた。知能指数は高く、遺伝的な病気のリスクは低い。目は父親譲りの深いブラウン、髪は母親の柔らかい黒髪を引き継ぐ可能性が高い。画面に並んだ詳細なデータが、まるでショーウィンドウに並ぶ商品を選ぶかのように彼らに提示されている。


ナオミは目を細めながら、数十個に及ぶ遺伝子データを見つめた。どの子どもも、自分たちの一部を引き継ぎつつ、ある意味では「完璧な存在」だった。しかし、心のどこかで、彼女は何かが欠けていると感じていた。


「これで本当にいいのかしら…」ナオミはつぶやいた。自然に子どもを授かる選択肢もないわけではない。だが、国家が推奨するこの方法を拒むのは、時代遅れな選択とも感じられた。周囲の友人たちも、ほとんどがこのシステムを選び、優秀な子どもを育てている。また普通の子どもでは、この競争社会で生き残ることは難しい。


「ナオミ、僕たちは最高の未来を手に入れようとしているんだ。この選択は間違いないよ。自然に子どもを生む人たちがどんな目にあっているか、君も知っているだろう?」ケンの声には、どこか焦りが滲んでいた。彼自身、この選択が夫婦の未来を変える重大なものであることを理解していた。しかし、その期待と不安の狭間で揺れる感情を、うまく整理することができずにいた。


二人はしばし沈黙の中でデータを見つめた。静寂を破ったのは、システムの担当者である冷静な声だった。「決断の準備が整いましたか? この受精卵が推奨候補です。これが最も優れた結果をもたらすでしょう。」


ケンはナオミの方を見つめた。彼女の瞳に映る不安を読み取りながらも、彼自身は前に進むことを選んだ。自分たちの子どもが、最高の未来を担う存在であってほしい――その思いが、彼の胸を満たしていた。


「選ぼう、ナオミ。」彼は静かに言った。「この子が、僕たちの未来だ。」


ナオミは一瞬、息を呑んだ。ただ、彼の目を見つめ、ゆっくりと頷いた。彼女もまた、未来への一歩を踏み出す覚悟を決めたのだ。その瞬間、システムが作動し、赤い枠に囲まれた受精卵のデータが確定された。二人は手を握り合い、新しい命の選択が完了したことを感じた。これが、彼らの理想の子どもとなる存在だった。


外の世界では、青空が広がり、柔らかな風が流れていた。ケンとナオミは、その風の中で、これから始まる新たな生活を思い描き、微笑みを交わした。希望に満ちた未来が、彼らの前に広がっていた。


ケンとナオミの家には、温かい光が満ちていた。数ヶ月前、彼らは選別を経て生まれた第一子を迎え入れ、今やその存在が家族に大きな喜びをもたらしていた。小さな命は、彼らにとってまさに「理想の子ども」だった。


第一子の名前は「アキラ」と名付けられた。まだ幼い彼の顔は、どこか両親の面影を強く残しつつも、洗練された美しさを持っていた。彼の大きな瞳は常に好奇心で輝いており、両親の一挙一動を興味深そうに見つめていた。


朝、陽が差し込むリビングで、ナオミはアキラを抱き上げ、笑顔で頬を寄せた。彼の笑い声が部屋中に響き、二人の心を一瞬で明るくする。ケンは、その様子を見ながらコーヒーを啜り、温かな気持ちに浸っていた。


「アキラ、もうこんなに大きくなったのね。」ナオミはそう言いながら、小さな彼の手を握りしめた。彼の手はまだ小さく、しかしどこか力強さを感じさせる。アキラの成長は驚くべきもので、知能も発達していた。既にいくつかの簡単な言葉を覚え始めており、彼らに向かって「ママ」「パパ」と呼びかけるたびに、二人は心が温かくなるのを感じていた。


「信じられないな、僕たちがこんなにも素晴らしい子どもを持てるなんて。」ケンはナオミに向かって微笑んだ。「この子が生まれてから、毎日が新しい発見の連続だ。」


「本当にね…。」ナオミは遠くを見るように呟いた。リビングの窓からは、庭に咲く色とりどりの花々が見えた。そこには、彼らの小さな家族が未来に向けて広がっていく象徴があった。アキラが少しずつ歩き始め、庭の草花に興味を示す姿を、ナオミは何度も目にしていた。すべてが輝いて見える。


アキラが生まれた日、ケンとナオミは互いに涙を浮かべながら、その小さな存在を見つめていた。国家のシステムで選び抜かれた子どもだとはいえ、アキラは間違いなく彼らの愛する子どもだった。病院の真っ白なベッドで、ケンはナオミの手をそっと握りしめ、ナオミはアキラの顔にそっと触れた。彼の小さな指が、母親の手に絡まるその瞬間、ナオミは自分たちの決断が正しかったと確信した。


「パパ!」アキラが突然、ケンに向かって手を伸ばした。ケンは驚いた顔で彼の元に駆け寄り、両手を広げて抱き上げた。アキラはその小さな手でケンの肩をぎゅっと掴み、嬉しそうに笑った。


「アキラ、今日も元気いっぱいだな。」ケンは、成長の早さに驚きを隠せない。アキラの知能は確かに高く、その発達は目覚ましいものだった。ナオミはその様子を見つめながら、家族としての幸せを心から実感していた。


夕方になると、ケンはアキラを膝の上に乗せ、本を読んでやることが日課になっていた。物語のページをめくるたびに、アキラは興味津々でその内容に目を輝かせていた。ケンは彼が言葉を理解していることに驚きつつ、ますますこの子が「特別な存在」であることを確信する。


「将来、この子はきっと素晴らしい大人になるだろうな。」ケンは静かに言いながら、アキラの柔らかな髪を撫でた。ナオミもまた、微笑みを浮かべながらその言葉に頷いた。


その晩、ナオミはベッドに横たわり、穏やかな呼吸をするアキラの寝顔を見つめた。彼の成長が日々目に見える形で現れるたびに、彼女の心には大きな満足感が広がっていく。この子が家族に与える幸福感は、言葉に尽くせないものがあった。


「ケン、この子を選んで本当に良かったわ。」ナオミは静かに囁いた。


「僕もそう思う。」ケンはナオミの手を握り返し、二人の間には、確かな愛情と未来への希望が流れていた。


家族としての一歩一歩が、これほどまでに確信に満ちていたことはなかった。彼らは、アキラと共に歩む未来がどれほど輝かしいものになるかを信じていた。


その夜、ナオミは穏やかな夢の中で、アキラがすくすくと成長し、彼がさらなる可能性を切り拓いていく姿を描いた。そして、その夢はただの幻想ではなく、現実に変わるという確信を胸に、静かに微笑んだ。


アキラが生まれてから数年が経ち、彼はますますその才能を発揮し始めていた。知能も高く、運動能力も優れていて、ケンとナオミの誇りとなっていた。毎日が新しい発見の連続であり、彼らの生活は充実していた。しかし、その平穏は突然訪れた知らせによって破られる。


ある日、国家からの通知が届いた。「第二子を作る機会が与えられました。」その通知には、選別のための情報が詳細に記されており、再び遺伝子選択が行えることが書かれていた。選択肢は明確だった。アキラだけではなく、さらに優秀な子どもを作り出すことが可能だというのだ。


ケンはその知らせを読んだ瞬間、心の中に一瞬の迷いが生まれた。アキラがすでに理想的な子どもであり、彼に対して何一つ不満はない。それでも、第二子がアキラよりも優秀である可能性が示されているという事実に、彼は無意識に惹かれ始めていた。


その夜、ケンはナオミと二人でリビングに座り、通知を見つめながら話し合った。


「これ…どうするべきだろう?」ケンは戸惑ったように口を開いた。彼の手の中には、第二子についての選別データの概要が記された資料があった。アキラと同様に、選び抜かれた最高の遺伝子を持つ子どもたちの可能性が、再び彼らの前に並んでいる。


ナオミは沈黙していた。彼女もアキラを心から愛している。しかし、目の前に新たな選択肢が提示されたことで、心の中に一抹の好奇心が芽生えてしまった。「さらに優れた子ども」という言葉が、彼女の心に響き始めていた。


「アキラは完璧な子どもよ。」ナオミは慎重に言葉を選びながら続けた。「でも…もし、この第二子がもっと…その…。」


言葉に詰まるナオミの横顔を見て、ケンは彼女が同じ葛藤を抱いていることに気づいた。彼もまた、理想を追い求める心が静かに揺れているのを感じていた。第一子がすでに完璧だと思っていたが、第二子がさらに優秀かもしれないという可能性が、彼の中で抑えがたい興味を呼び起こしていた。


「僕たち、あのときと同じ選択をしようとしているんだ。」ケンは静かに言った。「でも今回は、アキラがいる。彼を無視して、また新しい子を選ぶなんて…。」


ナオミは頷きながらも、目をそらして言葉を続けた。「でも、これが彼のためにもなるかもしれないわ。兄弟がいれば、お互いに刺激し合って成長できるでしょう?」


そう言ったものの、ナオミも内心では自分の言葉に完全な確信を持てなかった。彼女の心の奥深くでは、もっと完璧な子どもを持ちたいという欲求がうずいていた。


二人の間に沈黙が流れる。アキラが隣の部屋で絵本を読んでいる音が聞こえていた。彼の小さな声が、ページをめくるたびに響き、幸せな日常の一部であることが感じられる。それでも、二人の心は、次第にその「完璧さ」を超えるものへと傾いていった。


ケンはゆっくりと資料をめくりながら、遺伝子データを見つめた。第二子の可能性は、確かにアキラよりもさらに高かった。数値が示す通り、彼らはより優れた知能と体力を持つ子どもを選ぶことができる。それに加えて、社会的な地位や成功への道もさらに確かなものになるだろうという期待があった。


「ナオミ、もし僕たちがこの子を選んだら、どうなるんだろう?」ケンは静かに問うた。彼の声には、かすかな希望とともに、ためらいが混ざっていた。二人は互いに目を合わせたが、答えは見つからなかった。心の中で渦巻く感情は、理性では抑えられないものだった。


その晩、二人はほとんど眠れなかった。選ぶべきか、やめるべきか、二人の心は揺れ動き続けた。アキラへの愛情と、新たな命への期待との間で、均衡は崩れ始めていた。


数日後、ケンとナオミはついに決断を下した。彼らは第二子を選ぶことにしたのだ。心のどこかで第一子アキラがいる限り、この選択が彼を傷つけることになるかもしれないという思いがあったが、それでも未来の可能性に賭けることを選んだ。


二人は再び国家の施設に足を運び、遺伝子選択のプロセスに入った。前回と同様に、無機質な空間で子どもの遺伝子データが並び、彼らは再び自分たちの未来を選び抜くことになった。


第二子の選択が完了し、数ヶ月後、ナオミは再び妊娠し、家には新たな期待が膨らんでいた。家族全員がその事実を受け入れ、準備を進める中で、少しずつ変化が訪れ始めていた。だが、その変化は当初、誰の目にも見えないほど小さなものだった。


アキラは今でも家族の一員として愛されていた。しかし、ケンとナオミの関心は、次第に新たに生まれる子ども、すなわち「第二子」に向かい始めていた。両親の態度に大きな変化があるわけではない。けれど、アキラに対する時間や愛情が、どこか以前のようには注がれなくなっていることに、アキラ自身も薄々気づいていた。


ある日、アキラはリビングで一人静かに絵を描いていた。彼の絵は色鮮やかで、家族が楽しそうに手を繋ぐ様子が描かれている。だが、その後ろには少し小さな、自分の姿が描かれていた。彼は、なぜか自分だけが少し遠くに立っているように感じた。


「ママ、見て。僕が描いたんだ!」アキラは母親に見せようと声を上げたが、ナオミはキッチンで忙しそうに何かをしており、軽く微笑んだだけで振り返ることはなかった。


「後で見るわね、アキラ。ちょっと待ってて。」ナオミの声は優しいものだったが、以前のようにアキラに対して熱心に時間をかける余裕がなくなっていた。彼女の心は、どこかで第二子のことに向かっていた。


アキラは、母親の返事を聞いて、小さく頷くだけだった。彼は自分が家族にとって重要であることを感じていたいが、何かが変わっていることを子どもながらに敏感に感じ取っていた。


数ヶ月後、第二子がついに誕生した。彼の名前は「リョウ」と名付けられた。リョウは、まさにケンとナオミが期待していた通りの子どもだった。アキラもまた弟の誕生を喜んだが、両親の目がリョウに集中していることに気づかずにはいられなかった。


リョウは、生まれてすぐに周囲を驚かせるほどの発達ぶりを見せた。まだ数ヶ月の赤ん坊であるにもかかわらず、その反応は驚くほど早く、両親にとって彼の存在はますます特別なものに映った。


「リョウは本当にすごいね。」ケンはリビングで、リョウの小さな手を握りながら言った。「アキラの時も驚いたけど、この子はさらに早い。」


ナオミも同様に感嘆していた。「そうね、アキラも素晴らしかったけれど…この子はもっとすごいかもしれないわ。」


その言葉が、アキラの耳にふと届いた。彼は隣の部屋で一人で積み木をしていたが、両親の会話に敏感になっていた。


アキラの胸に小さな不安が広がった。「もっとすごい」という言葉が、彼を不安にさせた。彼は自分が以前と同じように愛されているのか、自分でもよくわからなくなってきた。


日々が過ぎるにつれ、リョウはますます家族の中心的な存在となっていった。ナオミもケンも、リョウの成長を見守りながら彼に多くの時間と愛情を注ぎ続けた。一方、アキラは次第に影のような存在になりつつあった。


ある日、家族がリビングで団らんをしている時、アキラは母親に質問しようと口を開いた。「ねえ、ママ、今度の学校の発表会で、僕の絵が選ばれたんだ!」


ナオミは弟のリョウを抱きながら、アキラに微笑んだが、すぐにリョウの方へと目を戻してしまった。「それは素晴らしいわ、アキラ。でも今、リョウが初めての一歩を踏もうとしているのよ!」


その瞬間、リョウは小さな足を動かし、ついに自力で歩き始めた。両親は歓声を上げ、ケンはその瞬間をスマートフォンで撮影し、家族のグループにシェアした。


アキラはその様子をじっと見つめながら、胸の中に静かな寂しさが広がっていくのを感じた。自分の話題は一瞬でかき消され、家族の注目は完全に弟に向かっていた。


日が経つにつれ、アキラはますます自分が家族の中心から遠ざかっていることを感じるようになった。弟のリョウが成長するにつれて、彼の優秀さはますます際立ち、家族の会話はほとんどがリョウに関するものとなり、アキラは次第に口を閉ざすようになった。


ある夜、アキラは自分の部屋で絵を描いていたが、ふと筆を止め、静かに窓の外を見つめた。庭には、両親がリョウを抱きながら楽しそうに話している姿が見えた。以前は自分がその場所にいたことを思い出しながら、彼は胸に小さな痛みを感じた。


その時、彼の心には明確な孤独が芽生え始めていた。かつては家族の中心であった自分が、もはや両親の目に映っていないという現実に気づいたのだった。


時間は過ぎ、リョウはますます家族の中心的存在になっていった。彼の知能や運動能力は非凡であり、ケンとナオミはますます彼に注目するようになった。リョウの笑顔と明るさが家の雰囲気を一層明るくし、家族の話題はすべて彼に集中していた。


一方で、アキラはその影に隠れるように、静かに日々を過ごすようになっていた。彼は両親に愛されていないわけではなかった。しかし、その愛情はかつてのような全幅のものではなく、彼が弟よりも注目を集める機会はどんどん減っていった。


ある日、学校での発表会があった。アキラの絵が学校代表に選ばれ、多くの賞賛を集めた。しかし、両親はその日、リョウの特別な育児セミナーに参加していて、アキラの発表には来られなかった。彼は、他の生徒たちの家族が自分の子どもたちを誇らしげに見つめる中、一人、舞台の袖で静かに立っていた。


帰宅後、アキラは頑張ったことを両親に伝えたが、彼らはリョウのセミナーの話で頭がいっぱいだった。ナオミは微笑んで「おめでとう」と言ったが、リョウがまた新しい言葉を覚えたことを話し始め、結局アキラの話題は薄れてしまった。


その夜、アキラは一人、自分の部屋でベッドに座っていた。彼の手には学校からもらった表彰状が握られていたが、それを両親に見せるタイミングは、もう失われたように感じた。表彰状を机の上に置き、窓の外をぼんやりと見つめた。かつてはあれほど明るかった家の風景が、今ではどこか遠く感じられた。


アキラの胸の中には、次第に深い孤独が広がっていた。彼は弟のリョウを憎んでいるわけではない。むしろ、リョウは素直で明るく、アキラも弟を愛していた。しかし、両親がリョウばかりに目を向けるたび、アキラの心は少しずつ沈んでいった。


ある夜、リビングではケンとナオミがリョウの初めての歌を聞いて笑顔で拍手をしていた。その光景を少し離れた場所から見つめるアキラは、立ち尽くしながら、自分がかつてその場にいたことを思い出した。自分が初めて歌ったときも、両親は同じように拍手をし、喜んでくれていた。しかし、今ではその場所に立つのはリョウだった。


アキラは無言のまま自分の部屋に戻り、机に向かった。彼は描きかけの絵をぼんやりと眺め、何かを描こうとしたが、筆は進まなかった。心の中に、かつてのような創造力が湧き上がらない。彼の手は止まったまま、ただ虚空を見つめていた。


ある日、アキラはふと家族のアルバムを開いた。そこには彼が赤ん坊だった頃の写真がたくさん並んでいた。笑顔でアキラを抱くナオミや、彼を高く持ち上げるケンの姿が写っていた。ページをめくるたびに、その頃の家族の温かさがよみがえる。しかし、ページが進むにつれて、アキラの写真は減り、リョウの写真が増えていく。リョウの成長を記録する写真が、次々とページを埋めていく。


アキラはページを閉じ、静かにため息をついた。彼は、もう自分がかつてのように家族の中心にいないことを確信した。両親は悪意を持って彼を疎かにしているわけではなかったが、それでも彼は家族から孤立していく感覚を拭い去ることができなかった。


その夜、アキラは一つの決断をした。彼はもう、両親に認められることを求めるのをやめようと心に決めた。彼らがリョウに夢中でいることを、無理に変えようとはしない。アキラは静かに自分の居場所を見つけようと考えた。


「僕は一人でも大丈夫だ。」アキラはそう自分に言い聞かせ、ベッドに横たわった。


彼は両親に対して怒りを感じることも、リョウに嫉妬することもなかった。ただ、自分が愛される存在ではなくなったという現実を受け入れようとしていた。孤独は彼の中に静かに広がり、彼はその孤独に身を委ねることを決意した。


翌朝、アキラはいつものように学校に向かった。リビングでは、両親がリョウと楽しそうに朝食を取っていた。アキラは「行ってきます」と声をかけたが、両親はリョウの話に夢中で、その言葉に気づかなかった。


アキラは一瞬立ち止まり、彼らの様子を見つめたが、すぐに扉を開けて外に出た。彼の歩く先には、冷たい秋の風が吹き抜けていた。アキラは肩をすくめながら歩き出し、その風に抗うことなく、ただ淡々と進んでいった。


彼の背後で扉が静かに閉まる音がしたが、家の中から誰もその音に気づくことはなかった。

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