この場所
店から1歩外へ出たはいいものの、カッとてりつける日差しに僕は少々気分が悪くなるほどで、ゴードン・ラチャンスが50年代末期に体験した夏もこれくらいの暑さだったんだろうかと、黙って妄想にふけってしまうくらい
とにかく色々なことが重なって、たまらなくむかむかしたような気持だった。
そうやって俯きながらジーンズのポケットに手を突っ込み、歩いて30分くらいだったかな、唐突にみんながある家の前で立ち止まった。ダニエルの家についたのだ。
僕は勢いあまってハロルドの背中に顔をぶつけそうになったが、なんとかギリギリのところで気付いて止まったあと、少々出遅れながらもハッと顔を上げた。
目前には三角屋根の、二階建ての黄色い一軒家がたっていて、その黄色は真っ青な大空と比べると、あまりに対照的な色をしていた。
夏の陽光のせいで緑の庭には濃い影が落ち、それらは白昼堂々住む世界の違う僕だけを見下ろしては、むせ返りそうなほどの美しいコントラストを作りあげていた。
僕はこの景色を、神聖ななにかだと勘違いしそうになった。
それほどまでにここは僕の“理想”を全て詰め込んだような、そんな感じの家だったから。
ダニエルの母親自慢の綺麗に整えられた庭では、スプリンクラーが絶えず草花にきらきらと水をまいていて、その奥では9歳の少女がゴールデンレトリバーと共に声をあげながら遊んでいる。
既にそれなりの汗を額ににじませていた僕らは ―やっと着いたと愚痴を言う前に― 早足で彼の家に近づき、ようやく日陰に入れたところでドア横にあるベルを鳴らした。
“ジーッ” という音の後に、カートが大声で「ダニエル!」と、彼の名前を響きわたらせるようにして叫ぶと、数秒後、廊下からはバタバタという騒がしい音が聞こえてきた。
次の瞬間ダニエルは勢いよくドアを開け、網戸を開いたあと、少し乱れた髪と共に僕らの前へと顔を突き出した。
「よお、わざわざ来てもらって悪かったな。行こうぜ。」
彼はちょっぴり息を切らして、着る暇もなかったジャケットを肩にかけながら現れては、たった1秒でカート達に “さっさと行け”と指で合図をだした。
みんなが指示通りにゾロゾロと階段を降りて行くなか、ダニエルは肩にかけていたジャケットをいそいそと着はじめるので、僕はそんな彼を置いてけぼりにしないようちらちらと彼を見ながら、ほとんど留まるような感じでゆっくりと階段を降りていった。
そんな僕に気付いたのか、ダニエルは穏やかな顔で近づき、僕の背中をポンッと叩いて
「久しぶり」
と、ただ一言そう言った。
僕もただ気まずそうに、ぎこちなく「うん」と返した。
みんなで古着屋へと歩いている道中、僕は思い切ってダニエルに「どうして最近店に訪れなかったの?」と訊いてみた。
すると彼は僕の言葉に本当に驚いたのか、意表をつかれたような表情を見せて
「クソッ、あいつら喋ってなかったのかよ」
と愚痴をつぶやき、とても大きな嘆声を吐きながらしばらく考え込んだあと
「リリーの夏休みが18日から始まったんだ」
と話し始めた。
「あいつあんまり外へ行かずにずっと家で宿題してるんだけどさ、母さんも父さんも夏になるとやっぱり仕事が忙しくなるみたいで、いつもみたいに定時で帰って来れないことも増えたんだ。そんなんで母さんはリリーをひとりぼっちにすることがどうしても心配だと、夜はなるべく家にいて欲しいと俺に言ってきたんだ。俺も妹を家に1人置いていくのはさすがに目覚めが悪いってんでそれを了承した。しばらくの間、夜は妹と一緒に居てやったんだ。でもほんと、信じられないくらい大変だったぜ。10も離れた妹に、これでもかというほどこき使われたんだからな。そういうことで、なかなか顔を出せずにいたんだ。」
ダニエルは歯を見せながら笑い
「もうやらんよ」と言っていたけれど、きっと妹のためだと頼まれてしまえば、また優しく引き受けてしまうのだろう。
僕が口を開きかけた時、だいぶ前を歩いていた3人から
「早く来いよ。お前らのせいで俺たちは古着屋にたどり着けないんだぞ!」と大声で呼ばれた。
僕は声を遮られたせいで風を食んだ状態になった。
「競走しよう。」ダニエルは言う。
「こんな暑いのに、頭がおかしくなったのか?」
僕が笑って答えると「いいだろ」とダニエルもにやにやしている。
「ほら」
「分かった、オーケー。」
「ゴー!」
僕らは一気に走り出した。長い斜面を、拳を握りしめて
ダスティンはダニエルを、ハロルドは僕を応援してぎゃあぎゃあと騒いでいる。
必死に足を前に出しながら、ふとダニエルの顔を見ると、彼は眉をゆるませ、口角を極限まで上げて笑っていた。
人通りのない緩やかな上り坂、木陰のあたるストリート。僕らはこの瞬間、この場所に、ハッキリと何かを残したことを知っていた。シミになるくらいの存在感を、月に旗を掲げたニール・アームストロングのように、大きく示しあげたのだ。
― 結局、勝負はダニエルの勝ちだった。
ダスティンは分かりやすく拳を振り上げ、ハロルドは残念そうな声で唸っていたが、奴はそもそも僕が勝てるわけないと分かっていたのか
「もしお前がダニエルに勝てる日が訪れたら、その時は俺がお前にキャデラックを買ってやるよ。」
と言って、肩で息をしている僕の背中をさすった。
僕は口をつぐみながら、ほんの一瞬だけ
「リリーが夏休みに入る前の1週間は、自分の意思で来なかったのか?」
と、彼に聞いてしまいそうになった自分を心の中で非難した。
僕とダニエルが全力で勝負した坂を上ればすぐに小さめの商店街が並んでいて、僕らは目的の古着屋へと一直線に歩いていった。
店の中は意外にも大きくスペースが取られていて、ヒバの木を使ったフローリングからは独特の心地よい香りがする。
老人特有の眼鏡をかけた店主のジョーンズ爺さんは、パイプに新聞、そして厳粛そうなむっつりとしたツラと、まさに絵に書いたような荒い親父っぷりをみせていたが、僕は彼がこの店に愛着を抱いているのが分かっていた。
そんなもの、綺麗に整えられた店内を見ればすぐに分かってしまうものなのだ。
ジョーンズ爺さんがここで一日中黙って座っているのをいいことに、ダスティンとハロルドは次から次へと羽のついた帽子だとか、セックス・ピストルズのようにビリビリに破けた服だとかを探し出しては、ゲラゲラと爆笑し、2人だけのファッションショーを開催していた。
そんな奴らを横目に、僕は何も手に取らず、ただ店の中を行ったり来たりしながら適当に時間を潰していた。
すると突然後ろからタバコをふかしたカートが現れ、僕の頭にカウボーイハットを被せてきたので、僕は黙って後ろを振り返り
「神と話をしたいのか?一緒に会いに行こうぜ、それが一番の方法だ…」
と、迫真の演技でハリソン・フォードの真似をしてやった。
「馬鹿野郎、ジョーンズはカウボーイハットじゃねぇよ。ていうかなんだお前、全然帽子似合わねぇな」
「なに?僕と喧嘩したいの?」
自分から被せてきたくせに「似合わない」とはなんだ、失礼な奴だな。
「ていうか、どうしていきなり帽子なんか持ってきたんだよ…」
僕がカウボーイハットを外して訊くと、カートは「お詫びだよ。」と言って、今度は赤いキャップを被せてきた。
「お詫び?なんの」
「今日いきなりお前を誘っただろ?あれ、ただ俺が服買いたかっただけなんだ。」
奴は微妙に笑いながら、まばらに並ぶ帽子たちを見つめて、僕がなんとなく分かっていたようなことを今になって白状した。
「もちろん、お前のことを考えなかったわけじゃねえさ。ついでにデートの服でも選んでやろうと思ってたし、ただまぁ、俺が無理やり連れてきたのも事実だから、とりあえず帽子でも買ってやろうかと思ったんだよ。」
カートはいつだって、変なところで律儀になるんだな。
タバコをくわえながら立っているカートに、僕はつい面白くなって顔をほころばせてしまうところだったけど、なんとか平然とした様子を装って「そうか」と、静かに言いながら赤いキャップを外した。
するとカートは、今度は茶色いハンチングを僕に被せてきた。
僕は2度も同じことをされたので、たまらずに吹き出してしまった。
「お前、ちゃんとした服を着ればハンチング似合うよ。買ってやろうか?」
「あぁそうかい、そりゃどうも。でも、女の子と遊びに行くのに帽子をかぶるのは顔を見せないも同義だし、センスがないよ。本当に詫びのつもりなら、帽子以外のものにしてくれ。」
さっきの仕返しに僕が低い声でそう言うと、カートは足元でもすくわれたのか、なかなか見せないほどの間抜け面を披露したあとに
「ファッキュー」とつぶやき、僕からハンチングを取り上げては、僕の金髪をぐしゃぐしゃにこねくり回した。
僕がこんなこと言ったって、カートはどこに行っても生真面目なんだから、帽子以外がいいと言えばちゃんと考えてくれるんだ。
その後数十分間にわたり、色んな服や小物を見て回ったが、結果的に奴は僕に赤いコンバースをプレゼントした。
しかも、オールスターの全身真っ赤なやつを
たまたま店の端っこに置いてあったもんで、試しに履いてみたら、驚いたことに、僕の足のサイズとほぼピッタリだったんだ。2人一緒になって吹き出したね。
カートはこの出来事を面白がって
「これにしよう」と提案してきた。
僕もすっかりこの靴が気に入っちゃったから、喜んでその言葉を受け入れたよ。僕は掘り出し物っていうのは、こういったもののことを指すんだと気付いて、ずっとワクワクが止まらなかった。
買ったあともすぐには履かず、ジョーンズ爺さんに丁寧に紙袋へと入れてもらった。
カートは「履かないのか?」と不思議そうにしていたけど、僕は断固としてそれを拒否した。
友達に買ってもらったからという特別感のせいもあるが、なにより、僕はこういった運命みたいな出来事があると分かりやすく上機嫌になるタイプで、しばらくその気分に浸っていたくなるような人間だったのだ。
だからこの靴は家まで持ち帰って、自分の部屋でゆっくり履こうと思った。
カートも何着か服を買って満足したらしく、他の3人もリストバンドやサスペンダーといったアイテムを購入していた。
店から出たあとはみんなと適当に商店街を練り歩き、珍しく酒の入っていない一日をすごした。
日も傾き、ようやく足に疲れが見えてきた夕方6時頃、僕たちは肩を並べて坂を下っては、お気に入りのバンドや好きな俳優の話をしながら帰路についた。
最初にダニエルが家に戻り、次にダスティンが抜けた。3番目に僕が店の前まで来て、カートとハロルドの背中を見送った。
ここから僕の家で飲む選択肢もあっただろうが、友達だからといって、そう何時間も顔を突き合わせてはいられないことをみな理解していた。
僕は家に帰ったあと、自室でカートに貰ったコンバースを雑巾で拭きながら、どこを切り取っても真っ赤な靴を見つめていた。
顔が緩んで、ひたすらに満足そうな笑みを浮かべては、楽しかった今日という日をしっかり胸に刻み込んだ。
いつか思い出せるよう、未来の自分のために
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