初めての友達

それからというものの、グレイスは頻繁に8時5分のバスに現れるようになった。

といってもだいたいは週に1.2回程度で、決まった曜日もなく、完全に彼女の気分で現れる日は変わった。


グレイスは僕が下を向いて大人しくバスを待っていると、必ず後ろから「わっ」と大声を出したり、時には幽霊のように静かに隣に立っては僕が気付いて腰を抜かすまでの時間を楽しんだりしていて、逆に僕が「もう驚かされないぞ」と密かに誓いながら、いつも彼女が出てくる道路の奥の左角をジッと見て待っていても、彼女は現れない。


僕はまるで風に吹かれる花でも相手にしているかのような気分だった。

おかげで以前の静かで退屈な待ち時間は、グレイスのせいで気が気では無い忙しい時間に一変してしまった。


しかも彼女は僕を驚かすだけでは飽き足らないほど相当なおしゃべりで、僕がボーッと聞いているフリをしていてもお構い無しに色んなことを話してくる。

とくに最初のうちは「友達はいないの?」とか「休日は何をしてるの?」って、まるでクラスで1人ぽつんと座っている子を心配する教師みたいな質問ばっかりしてきて、―僕にはそれすらも嬉しかったけれど― とにかく、彼女はおしゃべりだった。


「それじゃあ、朝から晩まで、一日中遊ぶってことをしたことがないの?」


とある日に彼女が聞いてきた。

それは僕が「毎日父さんの店を手伝ってる」と言ったあとだった


「うん、そんなことする必要も無いし、仕事だろうがなんだろうが、ずっと家にいれるのは僕にとっても気が楽なんだよ。」


僕は落ち着いた声で答える。


「でも、やりたいことや、行きたいところくらいあるでしょう?」

「まさか…ないよ。あってもこの街で解決出来ることばかりさ」


僕がそう言うと、彼女は少し眉間に力を入れて「うそ、信じられない!」と含み笑いをしながら言った。


彼女と話し始めて2週間と何日か経ったけれど、今みたいにたまに出るちょっとした性格の違いには、まだなかなか慣れることが出来なかった。

僕と彼女は正反対だから、きっとどこかで分かり合えない時が来る。これは絶対だ

冷めた感情かもしれないけど、僕はこれ以外に自分の身を守る方法が思いつかなかった。


グレイスは外向的で、どこへでも行きたがる性格だった。世界のあっちらこっちらに見たい景色があって、特にフランスへの強い憧れの気持ちはよく話してくれた。

そして将来はパリでファッション関係の仕事に就くのだとそこらじゅうの人に言って回り、常に人の意見を求めては

「これはどう思う?」と話をひっかけるような人間だった。

そんな彼女は中身だけでなく外見にも恵まれていて、いかにもこれからの未来が明るそうな、欠点という欠点は何も無いような人間に見えて


何もかもが、僕とは違う女性だった。


「そうだ、いい事を思いついたわ。聞いてちょうだい!」


しばらく考え事をしていたグレイスは、いきなり僕の目の前に来て肩をガッと掴んだ。


「ほら、聞いて!」


僕は頭にハテナを浮かべながらも、彼女の勢いに押し負けたので、少し後ずさりしながら聞いた。


「…えっと、いったい何を思いついたって言うんだい?」


僕の問いにグレイスはキラキラとした目で答える。


「これから夏休みでしょう?2人で一緒に遊びにいくのよ。この街ではない、どこかで!」


興奮して両手に力が入ってる彼女に、僕は「落ち着け」と言わんばかりに口を挟んだ。


「この街じゃないって?どこへ?」

「えっ?そんなの…、…どこかよ!どこでもいいわ。とにかく、夏休みが始まったら一緒にどこかへ行きましょう!」


叫んだ興奮で息を切らしながらも自信満々な顔でこちらを見るグレイスに、僕はただポカンとして目を見開くばかりだった。


(どこへ?わざわざこの街を離れて何をしに行くんだ?)

まったく同じ疑問がぐるぐると巡って、もはや思考停止のような気持ちだった。

僕は突拍子もない話や、計画性のない話を聞くのはあまり得意じゃなかった。


「…行くにしても、もう少し具体的な話をしてくれない?僕は何が何だか…まったくついていけないよ。」

「あら、“どこかへ行く” じゃ足りない?」

「なにも」

「じゃあ、他のお友達との先約でもあるの?」

「…なにも」


僕に “お友達” がいると思ってるのか?

嫌な人だ。

グレイスの言葉に僕が分かりやすくムッとしていると、彼女は笑いながら「冗談よ」と言って僕の肩を叩く。


「今日のうちに計画を練るから、詳しいことは夜に電話で話しましょ。どこへ行って何をするか、あなたも候補を考えてね。」


彼女はそう言いながらバスへと飛び乗った。

間違ってもこの間みたいに乗り過ごさないよう、僕も急いでバスの手すりを掴んで乗車した。


グレイスの「あなたも候補を考えてね」という言葉が頭の中を巡回しては、風船のように割れてパラパラと飛び散る。

僕には行きたいところなんてない

欲しいものもないし、グレイスのように見たい景色もない。

この街じゃないどこかで女の子と遊ぶ想像が僕には全く出来なかった。


「…ということで、バンディ先生。なにかいい案があれば教えて欲しいんですけれど…」


僕は昼休みにバンディ先生のもとへと駆け込んだ。

大人である彼なら女性が好きそうな雰囲気や、喜びそうな場所が分かると思ったから


「えぇと…つまり、4週間前に初めてこの国の土を踏んだ私に、オススメのデートスポットを聞いているのか?」

「デートなんて、グレイスとはそんなに畏まった関係じゃないです。」


僕は笑いながらキッパリと彼女との関係を否定した。


「ただ歳が近い友達は初めてで…異性だし、彼女もいい人だから。あんまり気を遣わせたりガッカリさせたりってのは嫌なんです。」


今までは大学生のダニエル達と適当に酒でも飲んでいればそれだけで楽しかったけれど、さすがにグレイスにそんな態度を取るのは失礼だと理解していたし、女性の好みが男どもとは訳が違うことも分かっていた。


先生は顎に手を当てながら「ふむ…」と少々考え込んでいたが、しばらくすると僕の肩に左手を置いてニコッと微笑みかけた。


「わかった、場所までは手伝えないかもしれないけど、ある程度何をするかを一緒に決めてみようか。けど、私も決して女性との付き合いが長かったわけではないから、そこだけ理解してくれるね?」


優しく肩を撫でながら言う先生に、僕はホッと胸をなでおろして「ありがとうございます」と礼を言った。


その後僕は昼休みをまるまる使ってバンディ先生と一緒に作戦を考えた。

どうしても場所だけは思いつかなかったので、僕はやりたい事や欲しいものだけを必死に捻り出した。


きっと柄にもなくはしゃいでいたんだと、今になっては思う。

グレイスに「遊びに行こう」と言われたことも、先生に相談にのってもらえたことも、すべてが純粋に嬉しかった。

おかげで僕はもうとっくに今年の夏はいい夏になると感覚的に理解していたし、最終的にもそうなった。

本当に幸せな夏だった。


学校から帰ったあとは店の掃除をしながらひたすらにグレイスからの着信を待った。

自分から電話をかけようかとも思ったけれど、出てくれなかったらとか、番号を間違えたらなんてことを1度考えてしまうと、どうしても億劫になって出来なかった。


僕がソワソワしているのに気付いたのか、父さんはしたり顔で「もうあの子と付き合ったのか?」と聞いてきたけど、もう普通にウザかったので、僕は父さんの口から出る何もかもを聞こえないフリした。


父さんを無視してから10分くらい経った頃、横にあった黒電話が鼓膜を破らんばかりに音を鳴らして震えた。きっと、いや絶対にグレイスからの着信だった。


店に2回コールが響いた後、僕は3回目がなる前に受話器を取って、大きく息を吸った。

「もしもし」


『あっ、もしもし?私グレイスだけど』

「やぁ、僕はルイスだよ」


彼女の声が聞こえて安心したのか、一瞬だけ声が裏返った。

遊ぶ約束の電話だと思うと、どうもいつものように声が出せない。

恥ずかしかったから咳払いをして誤魔化そうとしたけど、そんな僕に気付いたのか、彼女は電話越しにクスクスと笑っていた。


『ふふ、知ってるわ、ルイスくん。別に初めての電話ってわけじゃないんだから落ち着いてよ。』

「ごめん、ワクワクしてるんだ」

『あら、私もよ。だからさっそく私の行きたいところを聞いてくれるかしら?』


僕は “聞きかせたがり” な彼女に「どこへ行きたいの?」と期待通りに質問してあげた。

すると彼女は電話の向こうで今朝みたいに気分が上がったのか、はかはかとした様子で言う。


『ノリッジよ!一緒にノリッジへ行きましょう!』

「なんだって?」


僕は思わず聞き返した。


『だから、ノリッジよ。少し遠出するにはピッタリの場所じゃない?』

「いや、ノリッジは分かるけど。君、ここからノリッジまで何時間かかるか分かってるの?全然少しの距離じゃないよ。」


ノリッジはノーフォーク州メインの都市で、街の中心部には1988年から続くロイヤル・アーケードや、ずっと昔に建てられたノリッジ城に大聖堂といった歴史的建造物も存在する。

僕からしたら大都会も同然な街だけど、ただ1つ問題なのが、こんな田舎町からノリッジへ行くには電車の硬い椅子に座って2時間か3時間か、とにかくかなりの時間を過ごさなくてはいけないということ。


『えぇ、バスとか電車で行けばすごく時間がかかるわ。だから車で行こうと思うの』

「車?悪いけど、僕んちの車は無理だよ。」


僕の家にある車はお世辞にも綺麗とは言えない、おそらくこの町の全員が満場一致で「オンボロだ」と笑うであろうシボレー・C/Kの初代モデルだった。

でも、彼女は食い気味に僕の言葉を遮った。


『違うわ!私のよ、私の車に乗って行くの』

「えっ、君の?」

『えぇ!17歳になった瞬間に免許を取ったの。可愛い中古の愛車だっているわ!』


彼女はまるで恋人でも紹介するかのように嬉しそうな声で話した。


「ワオ、君が車を?すごい。」

『でしょ?これなら1時間もかからずにノリッジへ行けるわよね!』

「うん、そういうことなら賛成だよ。そうだ、僕もやりたい事を考えてきたから、聞いてくれる?」

『もちろん!何がしたい?なんでも言ってちょうだい…――』


そうしてグレイスとの電話は日が暮れるまで続いて、僕が受話器を置いたのは夜の7時、あれから2時間後だった。

僕たちは8月5日にノリッジへ行く計画を立てて、ノリッジに何があるのかもよく分かっていないまま欲しいものや見たいものを考えた


そして7月の31日に学期末が終わり、いよいよ念願の夏休みが僕たちのもとへとやってきた

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