崩壊
パシッと音を立てて弾かれた手は、行き場をなくし、宙に浮いた
意味がわかっていないようなあほ面の俺に対して
あいつは確かにこう言った
「…なぁ、いい加減僕を弟みたいに扱うのはやめろ。…不愉快だ」
俺が受け入れようと触った彼の目は真っ直ぐに俺を見ていて
その荒々しく、悔しそうで、今にも泣き出してしまいそうな無防備な瞳に、俺は不覚にも驚いてしまったのだ。
────────────────────
ねぇ、僕は諦めたかったんだよ。
綺麗な君を、愛しい君を、輝いている君を
「……ルイス」
でも僕じゃダメだったから
「ルイス、おい、…お前どうしたんだよ」
「…ごめん、帰る」
彼に背を向けて僕は早歩きで帰ろうとした。
心のふつふつが収まらなかったから、このままだと何か大変なことをしでかしてしまうと分かっていたから。
…あぁこの感覚、僕はよく知ってる
13歳の時にも経験した、僕の中の何かが大きく音を立てて沸き上がってくる感覚。
「おい…!お前最近俺に一線を引いてるだろ、なんでだよ!傷に触ったことなら謝るから…1回ちょっと待てっ…てば!」
帰ろうとする僕の腕がグンッと引っ張られた
そんなわがままな彼に僕は心底腹が立った
怒鳴りたくなんてなかったけど、そうだったね、君は僕が心配なんだったね。
「あぁもう…!お前はいつもそうだ、僕のことを子供扱いしやがって!一体何がしたいんだよ!!」
僕はもう一度、今度は思いっきり彼を拒絶してやった。
僕の大声なんて初めて聞いたんだろう
ダニエルはビクッと動きをとめた
…あぁ、そうだ、このまま嘘でもいい、彼を罵ろう。全てが彼のせいだと言わんばかりに突き放そう。
そうすればきっと僕を「弟」だなんて思わなくなる
きっと僕をひとりの人間として嫌いになってくれる
「……なぁ」
“名案” をひらめいた僕は、そのまま彼の言葉も聞かず、感情に身を任せて、彼を傷付けにいった。
「黙れ!僕はお前のその目が大嫌いだ!!
いつも心配そうに僕を見て、怪我をしないかとハラハラしてやがる!」
こんなどす黒い声の正体が自分だなんて思えなかったけど
もう沢山だった
「お前は僕を優しく理解しようとしているのかもしれないけど、そんな同情心たっぷりの目線を向けられ続けた僕の気持ちを一瞬でも考えたことはあるのか!?」
そうだ、僕は君と対等にいれないのが辛かったんだよ。
君が僕に何かを重ねているのが許せなかったんだよ
「この偽善者!僕を優しく引き止めるくせして、君はあまりにも僕のことを分かってない!!もううんざりだ!」
僕は彼の襟首に掴みかかって「何様のつもりだ」とか、何度も「嫌いだ」とも言った。必要以上に彼を罵った。
まるで全てが彼のせいだとでも言わんばかりにヒステリックになった僕の言葉を、ダニエルはただジッと聞いていた。
「僕のことを理解しようとする覚悟なんてないくせに!!中途半端なことするなよ!!」
肩で息をしながら僕はトドメの言葉を吐いた
襟首を掴んでいたはずの手からがくっと力が抜ける。喉はヒリヒリして、視界はぼんやりとしていた。
ふと、生暖かい何かが頬を伝う感覚に気付く
僕はハッとして彼に顔を見せないよう下を向いた。
“いつから?”
もう自分の感情がなんなのか、全く分からなかった。
ただ1つ分かるのは、この涙を彼に見せることがたまらなく恐ろしいということだけ
なんとか止めようと僕は力いっぱいに目を擦った
それでも溢れ出る感情の抑え方を僕は知らなかった
止めるのを諦めて、僕は必死に息を殺してなんにもないように見せたけど
所詮ただの悪あがきで、何も変わらなかった
肩を震わせ、ボロボロと泣いている僕を見て、ダニエルはようやく口を開いた
「ごめんなぁ…」
そうたった一言、ポツリと呟いた。
僕は驚いた
だってその声は想像もしなかったほど弱々しく、可愛そうで、後悔ばかりが満ちた声色だったから
すぐに彼は本当に全て自分が悪いんだと思い込んでいることが分かった。
「…なぁ、俺に年の離れた妹が居ることは知ってるだろ?」
僕が鼻水をすすりながら黙っていると、今度はダニエルが話し始めた。
「まだ9歳で、とてもじゃないがロックなんて理解出来る歳じゃないし、好みだって全然違うんだ。…当たり前だが酒も飲めない」
「だから……だから俺は、歳の近い男のお前に夢中になった。最初は気の合う友達ができたと嬉しかったけど、いつしか俺はお前を理想の弟にしてやろうと、そう思うようになっていたんだ」
ため息混じりにそう話したあと
ダニエルは僕を腕の中に招き入れた。
「お前に言われてやっと気付くなんて、俺は本当に酷いやつだ。…俺が悪かった。
ごめん、ルイス」
彼に抱きしめられた衝撃と、彼に謝られた驚きで僕の頭は完全に困惑していた。
僕は君を傷付けにいったのに、たくさん酷い言葉を投げつけたのに、それでも僕と向き合ってくれる彼が信じられなかった。
「これからはお前の話を聞くよ、1人の友達としてちゃんと接する。受け入れる覚悟がないなんて言わせないよ」
彼の手の中は、全ての不安が拭われてしまうほど暖かかった。
でもあぁ、僕は最低だ。君に抱きしめられて嬉しいはずなのに
こんなところを誰かに見られたらどうしようかなんて考えているんだ
今君に告白したら、もっと強く抱きしめてくれるかな
もしかしたらほんとのほんとに僕を受け入れてくれるかもしれない
…大切な君と幸せになることが、できるかもしれない。
僕の中には少しの希望が輝いていた。彼との可能性を見出して、すがりつきたかった。
「…ダニエル」
僕はぐしゃぐしゃの顔で話しかけた。
君は覚悟が出来てるんだろ
「僕、は…」
お願いだ、僕を安心させてくれ。
「僕は…っ、君が…!」
チリンッ
集中していたからか、いきなり後ろから聞こえた音に僕はびっくりして、その拍子にドンッと彼を突き放してしまった。
心臓が縮みそうになった原因をひと目見ようと後ろを振り向くと、来ていたのは自転車で、乗っていたおじさんはこちらの様子を見ていた。
あの時きっとダニエルは気付いていなかっただろうけど、僕はしっかりそのおじさんと目を合わせていたんだ。
僕はこの出来事を生涯忘れないと思う。
あの人はまるで残虐的な殺人現場を目撃したかのような、頭のおかしい狂ったサイコパスを見るような目で僕たちを見たのだ。
それは僕のすべてを全否定するような顔だった
そしてその顔を見た瞬間、僕の中に芽生えていたはずの希望はいとも容易く、ポッキリと折れてしまった。
僕らの横を通り過ぎる一瞬、瞬きをする暇もないくらい短い時間だった。
でも、ゲイという生物がいかに特殊で、異分子的存在であるかを再確認するには十分すぎる時間だった。
少しの風が笑うように追い打ちをかける
僕が間違っていると、この世の全てがそう言っているような気分だった。
「驚いたな…ルイス、大丈夫か?…何か言いかけてたみたいだけど……」
僕はなにを自惚れていたんだろう
ポツポツと雨が降ってくる
やっぱりそうだ
彼が僕なんかを受け入れてくれるはずない
だって僕は、人間なんかじゃないから。
「……君は、僕を理解できない」
この悩みは誰にも打ち明けられないことを悟った。相談して幸せになってはいけないことを理解した。
多分彼は何か言っていたけど、僕は何も応えずダニエルに背を向けて、ゆっくりと歩いた
そんな僕を彼も諦めたのだろう。
もう、僕の腕が引っ張られることはなかった
しばらく一人でとぼとぼ歩いていた。もう後ろに彼は居ない。
次第に雨音が強くなっていって、頬を伝っているこれがなんなのか、声を出しているのに耳に届かない理由さえ分からない
ただ、何か、取り返しのつかない過ちを犯してしまったことだけがよく分かっていた。
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