タバコの灰が落ちるまで
駆け込んだお店の人に事情を話すと、後片付けをしていた女性店員がすぐに手当に必要なものを持ってきてくれた。
消毒液にガーゼ、さらには冷凍グリーンピースが目の前にドサッと置かれた。
もうすぐ閉店だというのに、いきなり現れた怪我だらけの僕と先生を優しく受け入れてくれた彼女は今すぐにこの店をやめて、職を改めるべきだと思う。
とりあえず席に座って、やっと一息つける状態にはなった。
そして僕がしばらくグリーンピースで顔を冷やしていると、先生が
「それで、君はどうしてそんなに男前な顔になったのか、教えてくれるか?」
と、僕の顔に絆創膏を貼りながら聞いてきた。
「あー…、えっと……」
グリーンピースで顔が半分隠れていたとはいえ、僕はすごく嫌な顔をしていたと思う。
だって全部は話したくなかったから
先生から目を逸らしながらどこまで話そうかを考える。
自暴自棄になっていた事も、奴らを無視せずに自分から喧嘩をふっかけた事も、あまり言いたくない
なんでって、こんなのくだらないし、カッコ悪いだろ
「…あいつらが煽ってきて」
「君はそういう挑発には乗らない人だと思うんだけど、何かあったのかい?」
「うーん…少し酒が入っていたんです。それで頭が正常に判断しなくて」
「…君の家はパブだろう?毎日のように酒と顔を合わせてるのに、少量の酒で判断が出来なくなるほど酔えないだろ」
その言葉に図星をつかれて、僕はついギクッと動きを止めてしまった
確かにあの時僕は全く酔っていなかったし、酒だって度数が弱かった。
でも、冷静じゃなかったのは本当だ。
僕が「ううん…」と口をもごもごさせていると、先生は僕の腕に湿布を貼りながら息をついて言った。
「まぁ無理して言わなくても大丈夫だよ、ただ原因を知りたかっただけだから。あの大学生達には私から言っておく」
「…バンディ先生、アイツらと知り合いなんですか?」
「全員では無いよ、ただ1人知ってる顔がいたんだ。多分スペインで教師をやってた頃の生徒だから連絡をとってみる。」
「へぇ…スペイン…」
「うん、私はスペイン出身でね、母国で少しだけ中学校の先生をさせてもらったんだよ」
かなり意外な発言だった
というのも、先生はあまりスペイン人には見えなかったからだ
肌もそんなに黒くないし、どちらかと言うとフランス人のような顔をしている
僕が「本当に?」と言わんばかりに、ジッと先生の顔を見つめていると先生は「目線がくすぐったい」と肩を上げて笑った。
「はい、とりあえず目立つ傷は手当できたよ。」
先生はそう言って僕の顔や腕から手を離した
グリーンピースで冷やしていた患部も、さっきより痛みが引いていてホッとした。
すると落ち着いた僕らに気付いたのか、対応をしてくれた女性店員が話しかけてきた
「傷は大丈夫?まだ何か必要なものは?」
「お陰様でなんとか動ける程度にはなりました、ありがとう。」
僕がそう言うと、彼女はとても安心したような顔をして口を開いた。
「お礼なんて良いのよ、あなたが無事でよかったわ!それに、小さい街でくらい助け合わなきゃ!私はグレイス・シモンズよ、よろしくね」
「僕はルイス・スコット、よろしく」
そう言って僕はグレイスと握手を交わした。
この人はずば抜けていい人なんだと、この一瞬で分かってしまうくらい
彼女との握手は印象深く、元気が貰えそうだった。
その後グレイスは先生とも握手をして、僕たちの入店にひどく驚いたという話をした。
途中で
「このお店に閉店時間がなかったら、あなた達に料理を出せたのに…」
と、申し訳なさそうに言うから、僕は焦って
「いきなりやってきたのは僕たちだから、そんな事言わないで。今度はちゃんと昼にここへ来るよ、もちろん人を連れて」
と言った。
僕がそう言うと、彼女は
「あら、そう?それじゃあその時はうんとチップを貰いに行くわね!」
と、まるで計算通りと言わんばかりにいたずらな笑顔を見せた。
グレイスの笑顔はまるでジュリア・ロバーツのように、お転婆で茶目っ気のある笑顔だった
僕がゲイじゃなかったら惚れてたと思う。
気付くと時間は9時半を過ぎていて、すっかりお店の閉店時間も無視していたから
「また来るよ」とだけ言い残して怪我だらけの身体を抱えながら、僕らは店を後にした。
――「いい人でしたね」
店を出て少し歩いたあと、僕は先生に話しかけた
「そうだね、きっと彼女のこれからの人生に問題なんてない。」
「はは、それは言い過ぎですよ。」
そんな会話をしながら僕は涼しくて落ち着いた夜にライターを付ける
「…君はまだ16歳だろ?しかも教師の前で吸うなんて、随分と肝が据わってるね」
「一緒に吸って、共犯になってくれます?」
「あいにく私は21の時に辞めたんだ、残念」
「1本くらいならあげるのに」
「生徒からタバコを貰うなんて出来ないさ
君が卒業したら、貰ってやる。」
表情ひとつ変えずに言う先生に、何となく哀愁を感じて
僕は「…そうですか、残念」と言った。
身体の痛みにタバコと生暖かい香りが染み込んでくるから、いつもと同じ銘柄なのに何故か違う味がした。
「明日にでも君の店へ行くよ。ゆっくり君と話してみたい」
「予約ですね、それじゃあ1つ席を空けておきます」
「あぁ、助かるよ」
そうしてその後も何度か、タバコの灰が落ちるまでの間に短い会話をした
ついに全ての灰が落ちたあと、僕らは家へ帰った。
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