第1話 スコールの出会い

「やばい、また降ってきた…」


突然降り出した激しい雨に、ハルトは車椅子を必死に動かしていた。足の力を失ってからというもの、突然の天候の変化には常に気を配っているはずだったが、今日は油断していた。近くにある古寺の軒下を見つけると、彼はなんとかそこまでたどり着く。


「ふぅ…」ハルトは濡れたシャツの袖を絞りながら、雨音を聞いて少し落ち着きを取り戻した。


その時、ふと視線の端に誰かの存在を感じた。ハルトの隣には、傘も差さず、肩を縮めて座っている女性がいた。長い髪で顔を覆い、まるでこの世の中から隠れているかのような姿だった。


ハルトは無意識に声をかけた。「大丈夫?」


女性は驚いたように顔を上げたが、すぐに目を伏せた。その動きがどこかぎこちなく、不器用に見えた。


「…大丈夫です。すみません、気にしないでください。」彼女の声は小さく、か細いものだったが、どこか心に響くものがあった。


「この雨、ひどいね。急に降ってきたからさ、びっくりしたよ。」


ハルトは少しでも会話を続けようと話しかけたが、相手はただうつむいたまま何も言わない。それでも、彼女が雨宿りのためにここにやってきたことは明らかだった。


「ここ、昔から雨宿りする人が多いんだってさ。俺もよく来るんだけど、今日は本当に運が悪かったな。」


ハルトは自分のことを少しずつ話し始めた。自分が足を悪くして車椅子生活になったこと。こうして雨宿りをしながら、ただ日常の一瞬をやり過ごす日々のこと。特別なことは何もないけれど、誰かと話していることが、なぜか心を軽くしてくれる気がした。


女性は最初、ただ黙って聞いているだけだったが、ハルトが話し続けるうちに、少しずつ顔を上げた。


「…私も、雨に濡れるのが嫌で、ここに来たんです。」彼女はポツリと呟いた。


「そっか、同じだね。」ハルトは微笑みながら答えた。


「…あ、あの…」女性は何かを言いたそうにしながら、ためらいがちに続けた。「私、引っ込み思案で…あまり、話すのが得意じゃないんです。」


「大丈夫だよ。無理に話さなくていいから。」ハルトは優しい声で答えた。「俺も、そんなに得意じゃないしさ。」


その言葉に、女性は少しだけ笑みを浮かべたように見えた。


「名前、聞いてもいい?」ハルトが勇気を出して尋ねる。


「…レニです。」


「レニか、いい名前だね。俺はハルト。よろしくね。」


それから、二人の間にはしばしの沈黙が流れたが、その沈黙は気まずいものではなかった。雨の音が、まるで二人の会話の続きのように優しく響いていた。


「…ハルトさんは、カラオケとか、好きですか?」ふいにレニが口を開いた。


「カラオケ?うん、好きだよ。レニも好きなの?」


レニは小さくうなずいた。「はい、でも…あまり人前では歌わないんです。けど、一人で歌うのは、好きです。」


ハルトは思わず微笑んだ。「俺も一人で行くのが好きだよ。歌うのは、なんていうか、気持ちが楽になるから。」


「そうですよね…私も、歌うと少しだけ、楽になれる気がします。」


二人は、カラオケという意外な共通点を見つけ、少しずつ距離を縮めていった。雨はまだ止む気配がなかったが、その瞬間、二人にとってはそれが大した問題ではなくなっていた。


「また、ここで会えるといいね。」ハルトはそう言って笑った。


レニは照れくさそうにうなずいた。「はい…また。」


こうして、雨宿りの古寺で始まった二人の物語は、これから少しずつ動き出していくのだった。

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