第3章 そこに流れる過去と未来

第16話

 ロゼがしゃべった途端、周囲からどよめきが起こる。

 すぐ後ろに控えていたタユタも「信じられないでござるっす」と、呆けたような声を出していた。

 万桜もタユタに同意してしまうが、首を垂れたロゼを放置しておくわけにもいかず声をかけることにする。


「えーっと、よろしくな。それと、俺のことはマスターじゃなくて……何て呼んでもらおう?」


 職場では神野さんと堅苦しく呼ばれても気になったことはないのだが、見た目はどうあれペット枠であるだろうロゼに呼ばれるのは違う気がする。万桜と呼ばれるのは魔王と混同されそうで紛らわしい。

 となると、本名と同じくらい馴染みのあるペンネームの方がマシであろうと結論付ける。


「俺のことを呼ぶ時はテンマって呼んでくれ」


 成長し、小説を書き始めた頃の話だ。

 神の魔王という字面から何の気なしに色々調べていると織田信長が自分のことを第六天魔王と自称したことを知り、どことなく通じるところがある気がしてテンマというペンネームを使うようになっていた。

 そうしてペンネームだけでなく、SNSやゲームなど様々なところで本名以外を登録して使う際にはテンマを活用していた。

 すでに人生の半分以上をテンマとして過ごしてきたこともあり、下手したら本名よりも馴染んでいるかもしれないほどだった。

「わかったなのです。では、ロゼはこれからはマスターのことをテンマ様と呼ぶであります」

 二足歩行の形態であったなら最敬礼でもしていたであろう勢いだ。

 

「ひゃ~、すごいでござるっす。アッシュパンサーが、っていうか、魔獣がしゃべってるの初めて聞いたでござるっす」

 しばし遠巻きに見守っていたタユタだったが、テンマがロゼの広いおでこの部分を撫で始めたのに反応して近寄ってくると気の抜けた声をかけてくる。

 どうやら猫と同じようにゴロゴロと気持ち良さそうに喉を鳴らし、赤眼からはどう猛さは完全に消えているのを確認してようやく警戒心を解くことができたようだ。

 それでも、タユタはロゼの手が届く距離までは近寄ろうとはしないので、簡単には信じ切れないと見える。

「魔獣がしゃべるのを初めて聞いたどころか、魔獣を見るのも、コボルトを見るのも初めてなんですけどね」

 タユタに続いて周囲で様子を窺っていたコボルト達も若様が動き出したのをキッカケに駆け寄ってくる中、テンマは独り言ちる。

 テンマの声は誰にも反応されることなく、コボルト達の関心は従順になったばかりのロゼに向けられることになる。


「万桜殿。この赤眼はもう大丈夫なのでござるか?」

 若様はおっかなびっくりといった物腰でテンマに尋ねてきた。

「ロゼのことなら大丈夫。そうだ。若様達も俺のことを呼ぶ時はテンマって呼んでくれるか? その、あれだ。神名持ちって言うのは余り大っぴらにしない方が良いだろ?」

 呼び慣れない名で呼ばれ、本名だと言うのにむず痒く感じてしまい、丁度良いタイミングなのでロゼと合わせてもらうことにする。

 テンマの言い分はコボルト達にとっても納得しやすいものだったらしく、反論もなく受け入れてくれた。

「なるほど。そうですね。では、拙者らもテンマ殿と呼ばせて頂くでござる」

 若様が宣言すると周囲のコボルト達にも目配せして強制的に受け入れさせる。

「助かるよ。この子のことはロゼと呼んでくれて構わない。俺の言うことを聞いてくれるようになったから、もう怖がらなくて良いよ。な?」

 宣言した後にロゼに視線を向ける。

「大丈夫なのです。ロゼはテンマ様の言うことを絶対に守るなのです」

 これに再びどよめきが起こり、この場は何とか丸く収まった矢先、テンマの意識はぶつりとブラックアウトしてしまった。

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