この世界の魔道において、森羅万象は「四元素」と、それらが融合して生まれる「四領域」から成り立っている。

 例えば、四元素を風・火・土・水と定義したとき、風と火を融合させると「雷電」の領域が、土と水を融合させると「草木」の領域が生成される。

 しかし、対に位置する元素(例:風と土、火と水)はその性質上、互いに打ち消し合うため、自然の状態で領域を為す(融合する)ことはありえない。

 

「――では、この法則を超えて対元素を融合させ、新たな領域を作り出したら

どうなるのか?」

 【対元素融合】とは、簡単に言えばそのような魔道理論である。


 この発想自体は古くから存在していた。しかし「自然では存在することができない領域の生成」については否定的な考えが多く、現世利益の大きい錬成術等に比べると、この分野は長く日蔭の立場にあったと言える。


 そんな状況が一変したのは、今から約300年前のことである。ナワール魔道大学の研究特務班が、「極めて短い時間、極めて少量」ではあったが「第五の領域」を生成することに成功したのだ。

 この発見は、魔道の歴史において画期的な出来事であり、「【対元素融合】の成功により、近代魔道は現代魔道へと移行した」とまで評価されることとなった。


 現在においても【対元素融合】は最も注目される分野の一つであり、多くの魔道士たちがその研究に取り組んでいる。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 アルバートが『本鍵の試練』に挑戦し始めてから、一か月が経とうとしていた。


 「箱」に設置された図書室。

 その机にアルバートが突っ伏している。


 彼の周辺には、魔道の理論書が散らばっているが、そのどれもが「対元素融合」に関わるものであった。




 アルバートは、何者かの気配を察して身を起こした。

 そこにはキタブ=アッカが立っていた。

 

 彼は、アルバートが枕にしていた分厚い書物をちらりと見て言った。

「対元素融合か。ふむ、確かに難関ではある」


 アルバートは慌てて姿勢を正し、

「これはお恥ずかしいところを……」

「いやいや、無理もないさ。決して平易な理論ではないし、発動には繊細な注意が

必要だからな」

「4元素や4領域の魔道は、日常生活で何度もお世話になってきたので、むしろ

楽しく吸収できたのですが、こいつにはどうにも浮世離れしておる気がして……」

「自然の理を捻じ曲げるような魔道だからな」

「ひとつ発動するにしろ、大規模な魔道施設が必要となります。

 それゆえ現実的な使い道も限られるとなると、どうにもやる気が起きないのです」


「おやおや、宝を得るためという理由でも不足か」

「もちろん、宝は喉から手が出るほど欲しい。ですが、その、上手く伝わるかは

わかりませんが……この魔道はどうにも美しくないのです」

 

 キタブ=アッカは、その言葉を聞くと面白そうに眼を細めて、

「美しくない、か。なるほど、それは追求者殿にとっては重要なことであったな。

 ――そういえば、おぬしの『魔道美学論』を読ませてもらった」


 それは、アルバートが学生時代に著した論文であった。

 遠い昔の作品を唐突に掘り返されたとき、人はいつでも狼狽えるものである。

「いイっ!?儂の論文のことなど、いったい何処でお聞きになられたのですか!?」

「そりゃもちろん、アガク大師からさ。独善が鼻につくが、真理に触れているところも多くあると感じたよ」

「まったくもって若気の至りであのような……」

「反省など不要」

 キタブ=アッカはニヤリと笑った。

「人格というものは石材とは違う。年を経たからといって丸くはなったりはしない。

 我やおぬしのような『はみだし者』は特に、だ。そうは思わんか?」

「はあ……」

「それにしても、惜しいな」

「惜しい?」

「おぬしには、狂が足りない」

「狂、ですか」

「執念と言っても良い。そうしたものがあと少しおぬしの中にあったならば、

人間という箱から這い出て、こちら側に来ることもできただろうに」

「またまた、一介のはぐれ魔道士には過分なお言葉かと――」

「謙遜も不要」

 そう言い切ってから、キタブ=アッカはアルバートを見据える。


 しばしの間、そして溜息。


「やれやれ、本気で言っているのか。あのアガク大師に『友人』とまで言わせた

男が……勿体無いにもほどがあるぞ」

「はは、褒めていただけるのは光栄ですが、才に乏しいのは見てのとおりです」

 アルバートが自嘲混じりに示した机の上には、書き損じの魔道式が山のように積まれていた。


 キタブ=アッカは、アルバートに問いかける。

「才に乏しい……か。では、追求者殿から見て、我、キタブ=アッカの才はどれほどのものだろうか」

 アルバートは即座に答えた。

「計り知れませんな」


 この一月間の修行の結果、アルバートの魔力は大幅に増加した。

 だからこそ、キタブ=アッカが操る魔道の「凄まじさ」が以前よりはっきりと理解できるようになっていたのである。


 キタブ=アッカは、その答えを耳にすると、少し考え込んだようだった。

「我にとって、日常のすべては『究極の箱を作るため』の修行であった。

だから、どのように難解な理論であっても、苦痛をともなう実践であっても、

歩みを止めるようなことはなかった。

 ……とすると、我が才などは、たかだか歩みを止めぬことに他ならない」


「きっと、それが一番難しいことなのです」

 アルバートはキタブ=アッカの目をまっすぐ見つめて続けた。

「誰もが『そんなことは自分でもできる』と思いますが、

『寒いから』

『足が痛むから』

『忙しいから』

『儲からないから』

『人目が気になるから』

 そんなふうに理由をつけて、結局は歩みを止めてしまうものなのです」

 そう一息に言い切った。

 それから、自分の言葉の熱に気付き、すこし恥ずかしくなって付け加える。

「そう考えると、師がさきほど言っておられた狂そのものが、才の本質なのかも

知れませんなぁ……いささか陳腐な結論で恐縮ですが」


 老魔道士は、あくまで頑固な後輩に、呆れと慈しみの混じった視線を向けた。

「おやおや、そうすると、先ほどおぬしを『狂が足りぬ』と評した意図がまったく逆になってしまうではないか」

「叱咤激励と受け取っておきます」

「そんなに照れなくてもよかろうに……まあよい。その詫びというわけではないが、おぬしの止まりかけている歩みを、我が後押ししてやろう」

 キタブ=アッカは苦笑しながらそう言った。

 アルバートが、その真意を測りかねて怪訝な顔をすると、

「深い意味は無い。対元素融合理論の講義をしてやろうという話だ」

「それは願ったり叶ったりですが……その……それって、いわゆる試験問題の漏洩になりませんか?」

「……見かけによらず娑婆臭いのう。そのような心配は無用だ。聞けばおぬし、

ナワール魔道大学におったそうではないか。ならば我の後輩に当たるわけだから、

これは先輩から後輩への教導ということ。あくまで人と人との関りであって『箱』は無関係よ。さらに言えば『追求者』に対して指導をしてはならぬという契約は無かったからな」

「なるほど、そういう理屈で……」

「それにな、他人が『箱』の中におると、どうにも落ち着いて研究ができん。

早う出て行って欲しいというのが正直なところよ。このまま放っておいたら、

おぬし、この『箱』に永住することになりかねんぞ!」

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