第49話 三手先

 聖剣が顕現された直後、ローザの目にも留まらぬ猛攻がレインを襲った。

 聖剣の切れ味と硬度はローザの意志に比例する。また、概念上の存在であるため質量も存在しない。

 ローザは聖剣をまるで羽ペンかのごとく軽々と振り回し、レインを追い詰めていく。


 レインもまた、先ほどまでとはちがい、防戦一方の戦況を強いられているようだった。

 ギリギリのところで聖剣の切っ先を躱し、必中確実な攻撃は殴打や蹴りによる打撃で防御する。

 その表情は焦りに満ちていた。おそらくは、ローザの攻撃もスローに見えていないのだろう。

 未知の聖剣を手にした、最強を更新し続けるローザの攻撃に、【下克上】の適応が追いついていないと見えた。


(このまま押し込む……!!)


 ローザの気迫が、レインを会場中央にまで押し戻す。

 と。砕けたリングの残骸に足を取られたレインが、わずかにヨロけた。

 その絶好の隙を突き、ローザは聖剣を振り下ろす。

 下ろした、つもりだった。


「……………………は?」


 ローザの口から、間の抜けた声がもれる。

 眼前のレインは斬られていない。無傷のまま、驚きの顔でこちらを見ている。

 けれど、聖剣の柄の位置はたしかにレインの肩口に深く喰い込んでいる。


 後方に飛び退き、ローザは聖剣を確認する。

 聖剣のガードから上――刀身に当たる部分が、


「なッ、そんなバカな……!?」


 概念上の武器が腐る。ありえない現象だ。

 これはローザの特異な魔力を練り、剣聖としての意志をもって顕現されたもの。

 破壊や劣化、腐敗など起こりえな――


「――、そういう、ことか……」


 そこまでを思案して、ローザは思い至る。

 護衛から伝え聞いていた。

 数日前。レインは絡まれている。

 騎士団寮の帰り道。夕陽の届かない薄暗い路地裏で、【腐溶怒】という、触れたものを腐らせるスキルを持った悪漢に絡まれている。


 そして――


 腐心とはちがう。ネガティブになったり、落ち込んだり、やる気がなくなったり……そうした、精神的な下振れ状態を、ひとは『腐る』と形容する。

 レインは、【腐溶怒】でローザの心を知らず腐らせることで、剣聖の意志により顕現された聖剣を存在ごと腐敗させたのだ。


「ああああああああああッッッ!!」


 驚愕も束の間。立ち上がったレインが咆哮とともに詰め寄り、リングの残骸の中から拾い上げたのであろうローザの片手剣を、お返しとばかりに振り下ろしてきた。

 ローザはすぐさま聖剣を再生成し、レインの剣戟を防ぐ。

 弾き、押して、引いて、振って、払って、薙いで、突いて、裂いて。

 ダンスかのごとき攻防、音楽のような金属音が、観客席の熱気を最高潮に押し上げる。

 一歩間違えれば死に直結する『手合わせ』の中。


「――ふひひ!」

「――あはは!」


 ローザとレインは、知らず笑っていた。

 気が違えたわけではない。

 ただ、昔を思いだして楽しくなっていただけだった。


「レイン、脇が甘い! 何度も言わせるな! 攻撃の最中にも常に防御を意識!」

「クッ……、うるさいな、わかってるよ!」

「わかってない! そもそも、剣の持ち方が我流すぎる! そんなだから――」


 区切って、ローザは上体をそらしながらレインの一撃を避けつつ、曲芸よろしく聖剣を振り上げた。

 ピッ、とレインの左頬が浅く裂ける。

 はじめて、ローザの

 ローザの才能の成長速度が、【下克上】の吸収速度を上回った奇跡の瞬間である。


「――防御の隙ができて、こんな風に食らうことになるんだ!」

「グッ……いや、いまのはローザのほうこそ我流の動きだったろうが! ズルいぞ!」

「勝てば官軍! 我流でもなんでも利用してこそ!」

「さっきと言ってることちげえじゃねえかッ!!」


 じゃれるように武器を振るい、互いの実力をぶつけ合う。

 ローザの思惑だとか、レインの決意だとか、そんなものはもうどうでもよかった。

 いまはただ、あの頃のように純粋な気持ちで、幼なじみと剣を交えたかった。

 肩を並べたかった。

 日が暮れるまで村の広場で手合わせをして、どちらかの親に怒られるまで木剣を振るう……そんな、夢中になれる一瞬が、ただほしかっただけなのだ。


 けれど。

 楽しい時間は、永遠には続かない。

 蝶は、虫かごに帰らない。


「さあ、ここからどうする!? レイン!」

「~~、だあッ!!」


 数秒の鍔迫り合いを経て、レインが片手剣を押しだし距離を取った。体勢を立て直そうという魂胆だ。だが、それを許すほどローザの剣は遅くない。

 バランスを崩しながら後退するレインの肩目がけて、ローザは聖剣を振り下ろした。

 速度を重視した片手持ち。

 防御の隙間を縫う、避けようのない必中の一撃。


 もらった――ローザがそう確信した、直後。

 ガキンッ!! と甲高い音が響くと同時、ローザの聖剣が空高く舞い上がった。

 手から離れた聖剣はそのまま宙を舞い、はるか後方の壁際に落下する。


 半身をひねり、片手剣を振り上げた形で固まるレイン。

 ――だが、ここで

 レインは、好機とばかりにさらに身体をひねって半回転すると、ローザに渾身の一撃を振るった。

 それは、四年前の手合わせにはなかった、一手先の攻撃。


「俺は――」


〝ヒーローさんの手、豆とかあって固いんだけど! 特に薬指と小指の根本あたり〟


 薬指と小指の付け根にできる豆は、主に剣術を嗜む者の手に多く見られる。

 クワを振るだけではできない、剣士の証だ。

 レインは、ローザが帰ったあとも、農作業の合間を見ては木剣を振るい、一人稽古を続けてきた。

 燻る騎士への憧れを手のひらの豆に変え、隠してきた。

 その成果が、この一手先の攻撃だった。


「――空っぽじゃ、ないッ!!」


 レインも成長している。腕を上げている。

 しかしそれは、


「二度もやらせるかッ!!」


 レインの、地面を這うような下からの一閃を右頬を犠牲にして避けると、ローザはもう片方の手に、を生成。

 握り締めた新たな聖剣を、レインの顔面目がけて突きだした。

 片手剣を戻そうと振り下ろしても、この突きには間に合わない。避けることも物理的に不可能。どれだけ異常な速度で動いたとしても、食らうことは免れない。

 一手先のレインを超える、二手先の攻撃。


(今度こそ……!)


 ローザが胸中で、たしかに勝利を掴みかけた、そのときだった。


 ――


 突きだした聖剣の切っ先に、なにかが当たった。

 レインの顔の前方に、先ほどの下からの一閃の軌道を描くようにして、地面から宙空に向けてベールめいたナニカが張られている。


 それは――薄い氷壁。

 感覚でわかる。間違いなく、【氷の精霊】の精霊魔術だった。

 最強の氷結力を吸収した、――


『小僧め、……ッ!!』

「あああああああああああああああああッッッッッ!!」


 レインが咆哮とともに前蹴りを繰りだし、前方の氷壁ごと、ローザの聖剣を弾き飛ばす。

 主の下を離れ、地に捨てられる聖剣。

 レインは勢いそのまま、斜めに傾いたリングの瓦礫片にローザをはりつけよろしく押しつけ、その細い首筋に片手剣の刃を添えた。


 シン、と。

 あれほど騒がしかった会場が、水を打ったような静寂に包まれた。

 観客の目には、レインに追い詰められているローザの姿がある。


 ――魔王を討伐した騎士団長が、ただの農家に?


 静寂から一転、動揺の声が漏れ聴こえてくる中。打つ手なしの状態になったローザが、悔しげな声でつぶやいた。


「私の、負けだ……」


 その敗北宣言を聞き、レインがフラフラとした足取りで後ずさる。

 直後。ローザは膝をつき、うなだれた。

 いつかの手合わせ後のように、長い銀髪がプルプルと震えている。


「ハァ、ハァ……勝った、のか……、俺が…………?」


 レインは剣を手放すと、その場に崩れ落ちるようにして尻餅をついた。

 片手剣を握った右腕が小刻みに震え、紫に変色している。内出血だ。

 左眼の白目部分も真っ赤に染まっている。左の脇腹にも強い鈍痛。一手先の攻撃時、高速で身体をひねったせいか。

 適応し続ける【下克上】に、肉体が追いついていないようだった。


 永遠に思える静寂が沈殿する。

 マイクを通していないので、ローザの敗北宣言は観客に聴こえていない。

 だが、誰が見てもわかる、ローザの敗北を喫したであろう姿勢を前に、観客は一度呆気に取られたように目を見開いた後、


「「「「「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッッッッ!!」」」」」


 割れんばかりの大歓声をあげた。

 レインの勝利を前のめりに祝う観客たち。進行役が熱く、この大番狂わせを実況する。このときのために用意していたのか、色とりどりの紙吹雪が会場に舞い落ちてきた。

 ローザが顔をあげ、またも敗北した悔しさに深いため息を吐くと、


「「「「「勇者、勇者、勇者!!」」」」」


 突如として、レインへの勇者コールがはじまった。

 戸惑うレインを尻目に、ローザは思わず口角を吊り上げる。


 作戦は成功だ、と。

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