第47話 ローザの猛攻

 真冬のような冷気が会場に吹きつけ、【氷の精霊】がその姿を現す。

 異形の存在の登場に、会場中の観客が目を奪われ、吐息をもらした。

 客席最前列で見守る騎士団一行のまとめ役たるガラハも、思わず見惚れている。

 指定席からマチューブ同時生配信をしつつ見守っていたミルルとキャロルのふたりも、カメラの存在を忘れてガラスに張りついていた。


 真夏のような陽射しの下、季節外れの冷気が吹き荒れるが、観客が寒さに震えることはない。

 客席とリングのある会場の狭間には、あらゆる魔術と物理攻撃を無効化する魔力防護壁が張られているからだ。

 先日、カナリエが堕とした傀儡の青年の得意魔術だ――カナリエはその青年だけでなく、近衛師団の魔術部隊の傀儡を観客席に潜ませていた。

 ローザが精霊魔術を最大出力で使用したときのための、防護壁の補強要員である。


「精霊か」


 と。レインが戦闘態勢のまま、ローザに話しかけてきた。


「実物を見るのははじめてだ。もっと暑い夏とかに出てきてくれると助かるんだけどな」

「軽口を叩けるのもそこまでだ――シヴァっち」

『仰せのままに』


 ローザの命令を受け、【氷の精霊】が右手を上げる。

【氷の精霊】の足元に張っていた薄い氷が一筋、生き物のようにリングを走り、レインの左足を一瞬にして凍結させた。

 壊死させるほどではない。動きを止めるための拘束魔術だ。


 レインに勝つ。

 正確には、【下克上】を騙す。


 そのためには、レインの認識が一手遅れる『奇襲』しかない、とローザは結論付けた。

【下克上】は、あくまでローザ単体の戦力をまくっていると推察できる。そうでなければ、山で行っていた普通の手合わせでも、ローザは負けることができていないはずだからだ。精霊の力を掛け合わせたローザの真の戦力最強を、【下克上】はまだ知らない。

 その、戦場において最も恐ろしい『未知』の隙を突く。


「なッ、……クソ! 動けねえ!」

「ミラっち!」


 身動きの取れなくなったレインに駆け寄りながら、ローザが聴き慣れない名を呼ぶ。

 直後。【氷の精霊】の頭上に、ポン、と小さな異形が姿を現した。『あわわわ』と落ちそうになりながら、なんとか【氷の精霊】の頭にしがみつく。


『と、突然呼ばないでよぉ……』


 50センチほどの背丈しかない、小人のような異形だった。緑の肌にツンと尖がった耳、黒ローブにボサボサの長髪。容姿は幼女然としている。【氷の精霊】の頭の後ろに隠れながら、おどおどとした目つきでローザを見やっている。


『じ、じゃあ……た、食べるよぉ?』

「頼む!」

『あ、あむぅ』


 小人が口を開き、【氷の精霊】の髪ごとナニカを頬張ったかと思うと、ローザの水色になった髪がキラキラと鏡のような光沢を放ちはじめた。

鏡の精霊ミラージュラ】。

 王都に数百年も前から住み着いていた、ちょっと引きこもり気味の精霊変なやつである。


 三年前。王都に来たばかりのローザの才覚に怯え、鏡面世界に引きずり込み暗殺しようとしたところ、見事返り討ちに遭い、成り行きで精霊契約を交わしたのだった。

 使用する能力は――模倣。

 対象者のスキルを、鏡のようにコピーする精霊魔術だ。


「借りるぞ、ガラハッ!!」


 ローザは観客席のガラハを一瞥し、彼のスキル【怪重】をコピーする。

【怪重】は使用者の半径百メートル以内にある、あらゆる生物の質量を攻撃に乗せることができるスキルだ。

 そして、いまいる闘技場の直径は二百メートル。客席は満席。すでにが闘技場に収容されている状態。

 この状況下における破壊力は、2トンなんて生易しいものには留まらない――


「フッ――、!!」


 片手剣を振り上げ、眼前のレイン目がけて【怪重】を叩きつけるローザ。

 慌てて防御の体勢を取り、剣を構えたレインだったが、およそ数千トンを超える超荷重攻撃を防げるはずもなく。

 盾代わりの片手剣は、眼下のリング諸共、粉々に砕け散ったのだった。


 ドゴォオオオンンッッ!!


 耳をつんざく轟音。闘技場全体が大きく揺れる。

 凄まじい風圧とともに吹き上がる土煙。砕けたリング下の地面に大きな亀裂が走った。

 会場に隕石が落下したような惨状だが、ローザの表情は険しいままだ。

 なぜなら、王都に来たばかりの頃、レインはすでに【怪重】を……最強の『荷重力』を体験ストックしている。


(……、だろうな)


 土煙の中。、ゆらり、と立ち上がる人影を確認した瞬間、ローザは大きく後方に飛び退く。

 その先には、ちょうど会場端まで退避していたカナリエがいた。

 砂の煙幕が晴れていく。

 ローザは【氷の精霊】に合図を送ったあと、カナリエを振り返った。


「カナリエッ!」

「……、防護壁全開ッ!!」


 カナリエが慌てて叫ぶと、観客席に潜ませていた傀儡が立ち上がり、魔力防護壁を最大限まで補強しはじめた。


「たらふく喰え、シヴァっち!!」

『仰せのままに』


 ローザの命令を受け、【氷の精霊】が両手をかざすと、砂煙を飲み込むようにして巨大な氷山が生みだされた。

 美しすぎる氷山を中心に、人間の活動限界を超えた冷気が会場全体に吹き荒れ、防護壁にまで霜が伸びる。


 観客席から悲鳴にも似た歓声があがる。

 が、目の前で繰り広げられる戦闘に怖れを抱く者や、逃げだすものはいない。王国の英雄たるローザがいるのだ、世界で一番安全なのはこの闘技場だと、そんな全幅ぜんぷくの信頼感が観客の恐怖を高揚に変えていた。


 ただひとり、全力の魔力行使で冷や汗をかいたカナリエを除いて。


「か、勘弁してよ、ほんと……」


 凍死しないよう自身にも防護壁を張りながら、カナリエはその場に尻餅をつく。

 まさか、本当に精霊魔術を最大出力で行使してくるとは思ってもみなかったのだ。

 そんな苦労を知ってか知らずか、ローザがカナリエに向け、笑顔でこう言った。


「助かった! ありがとう、相棒!」

「……、――」


 ローザのその、何気ない感謝の言葉に、カナリエは思わず目を見開く。


 相棒、相棒、相棒。


 呼ばれたかった、呼んでほしかったその言葉が、不意にカナリエの視界を滲ませる。


 輝かしい道を突っ走る騎士団長。

 その栄光を陰ながら支える、縁の下の副団長。

 それだけでよかった、それ以上は望んでいなかった。

 騎士道に反した汚い仕事をしてしまった自分はもう、そう呼んでもらえる資格を持っていない。隣に並ぶ権利だって、本当はないのだから。


 なのに――相棒、と。

 主人公ローザは、脇役カナリエを隣に並べてくれた。

 並べてくれたのだ、こんなにもあっさりと。


「ほん、と……勘弁してよ」


 やおら立ち上がり、乱暴に目元を拭うカナリエ。


「ローザッ!!」


 思いを吐きだすように、カナリエは叫ぶ。


「同じ相手に何回負けるつもりなのよ! こっちはもう見飽きてるんだから……いい加減、ほんとの最強になっちゃいなさいッ!!」

「ふひひ、承知した!」


 笑って応じ、ローザは片手剣を胸の前で水平に構えると、静かに目をつむった。

 氷でも鏡でもない、別種の高濃度の魔力が渦を巻く。

 パリン、と壮麗な音を立てて氷山が四散し、中からレインが現れた。

 直後。魔力が収束すると同時、水色から一転、ローザの髪色がに染まる。

 ボッ、と片手剣に灼熱の火炎が灯った。


「いくぞ――【炎の精霊】!!」

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