第45話 特別な入団試験

 中央広場を北に抜けた先に、王立闘技場はどっしりと腰を据えていた。

 闘技場の形は円形で、屋根がない開放型。直径は二百メートル。

 最大収容人数は6万人。観光客用の案内板によると、王都で最古の建築物らしい。

 入場口や通路など、経年劣化により修繕された箇所以外は、すべて石造りでできていた。

 闘技場に到着した俺は、弁当箱の入ったトートバッグを肩にさげなおし、辺りを見回す。


「おぉ……ひとでいっぱいだ」


 秋晴れの下、大勢の国民が闘技場前に押し寄せていた。

 時刻は午前九時。出店の食べ物を食べ歩いたり、記念写真を撮ったり、襲名式のスケジュールやローザの紹介文が載ったパンフレットを見たり、と……皆が皆、お祭り感覚で襲名式のはじまりを待ちわびている。

 国の代表を決める式だから、もっと厳かな雰囲気のものなのかと思っていたが、かなりラフな式のようだった。


(にしても……)


 ふと。こちらに向けられていた、いくつかの好奇の視線に気づく。

 声をかけてくることはせず、俺を遠巻きに見ながらひそひそと内緒話をしている。


(……まあ、こうなるよな)


 十中八九、俺の個人配信の話を……ローザへの公開告白の話をしているのだろう。

 昨夜。就寝前にミルルに折り返しの通話をした際、ミルルは『幼なじみとしての好きって意味だと思ったっス』と鼻詰まりの声で言っていた。

 なので、全員が全員アレを愛の告白だと解釈してはいないだろうが、格好のネタであることに違いはない。


「い、いやあ、ほんと、ひとでいっぱいだあ……」


 白々しくつぶやいて、周りの視線から逃げるように闘技場の裏手側に足を向ける。開式まではまだ時間があるから、それまでひとのいないところに退避していよう。


「――ちょっとちょっと、どこ行くつもりよ?」


 そのとき。背後からのそんな聴き慣れた声が、俺の足を止めた。


「あ、ああ、カナリエ」

「困るわよ、いまのレインくんは配達係なんだから。ちゃんとお弁当届けてくれないと」

「悪い、ちょっと視線に堪えかねて……」

「気持ちはわからなくもないけど……とにかく、レインくんはこっち。ついてきて」

「お、おう」


 言うが早いか、カナリエは足早に正面入口から闘技場内に入った。俺も慌てて後を追う。

 客席に向かう一般客とは別方向に進み、関係者専用エリアの通路に足を進める。


「なあカナリエ」


 その中途、俺は前を歩くカナリエに話しかけた。


「弁当を渡すだけなら、別に闘技場前でもよかったんじゃないか?」

「それだと式のあとで一緒に食べられないじゃない。そのトートバックの膨らみからして、お弁当はふたつ用意してるんでしょ? ローザの分と、レインくんの分と」

「……護衛に探らせたのか?」

「まさか。普通に膨らみから推測しただけよ――それと、昨日のあの大胆な配信からね」


 歩く速度を落とし、俺の隣に並ぶカナリエ。

 こちらの顔を覗き込み、なんとも小憎たらしいニヤついた目を向けてくる。


「ねえねえ。昨日の告白のことイジっちゃってもいいの? それとも、そっとしておいたほうがいい? うぷぷぷ」

「…………そっとしておいてくれると助かる」


 それは、あの公開告白が本気だった、と自白したに等しい。

 誤魔化すこともできた。

 だが、カナリエは王都に来るときから世話になっている恩人だ。

 彼女にだけは、包み隠さず俺の本心を教えておきたかった。


「うふふ、了解。なら、いまはそっとしておいてあげる」


 心底楽しそうに微笑むと、カナリエは魔導フォンの時計を確認し、話題を移した。


「それじゃあ、ちょっと時間もあるし、レインくんの進路のお話でもしましょうか」

「進路の話?」

「護衛の報告によるとレインくん、昨日の夜、宿屋のベッドの上で寝転がりながら、王立騎士団のサイトの団員募集のページを閲覧してたらしいじゃない? 両脚をバタつかせて悩んでいるようだった、って報告が入ってるけど――だから、ようやく騎士になる覚悟を決めたのかなー、と思ってさ」

「…………」


 寝る前は必ずカーテンを閉めよう、と固く心に誓った。


「あれ? 護衛の見間違いだったかしら?」

「……いや、合ってるよ。恥ずかしながら」

「そうよね、よかった――それで、どうする?」


 そう言って、カナリエはピタ、と通路上で足を止めた。

 右手側には、『南口』と書かれた入場口がポッカリ口を開けている。

 その先には、喧騒渦巻く客席と、秋にしては強すぎる陽射しを浴びた四角い石のリングが見えた。

 襲名式が行われる会場だ――続けて、マイクを通した男性の声が大音量で闘技場全体に響き渡る。端々で聞き取れる単語からするに、どうやら式の進行を務める進行役のようだ。


「本気で騎士になるつもりがあるのなら」


 カナリエの言葉で、俺は意識を通路に戻す。


「わたしがここで入団試験をしてあげるけど」

「こ、ここで? いまから?」

「そう。筆記も面談もなしの、特別入団試験。これに合格したら、すぐにでも騎士にしてあげる。どうする? 受けてみる?」


 思いがけないチャンスの到来に、しばし思考が停止する。

 けれど、思考の奥の本能が叫んでいた。

 これ以上はもう、待ちたくない。


「………………受ける」


 小声で俺が口にした直後、会場からワッと歓声が湧き起こった。

 見ると、リング上に銀髪の少女がその姿を現わしていた。

 この式のためにあつらえたであろう特別な衣装に身を包み、透き通った髪をポニーテイルに結わいて、笑顔で周りに手を振っている。

 熱の篭もった進行役の入場コールを受け、ローザがマイクを手に自己紹介すると、観客がより盛り上がりを見せた。

 比例して、俺の中にある熱もその温度を上げていく。


(追いつく。絶対、あの隣に……!)


 歓声に負けない大声で、俺はカナリエに告げる。


「受けます。その特別な入団試験、受けさせてください!」

「うふふ。いい返事」


 どこかホッとしたような安堵の表情でカナリエはうなずく。


「はい、わかりました。それじゃあ、さっそく試験をはじめましょうか!」

「はい!」


 行き先を示すホテルマンのように、カナリエが右手をスッと伸ばした。

 俺はその手に導かれるようにして歩きだす。

 なぜか、入場口のほうに向かって。


「あ、トートバッグわたしが持つわよ。邪魔になるから」

「はい!」

「魔導フォンも持っておくから出して。途中で落とすと困るでしょ」

「はい!」

「それで、肝心の試験内容なんだけど」

「はい!」


「ローザと戦って、勝ったら試験合格ね」


「はい! …………はい?」


 いまなんて言った?

 思わず振り返ろうとしたが、その瞬間、カナリエに、ドン、と背中を強く押された。

 そのまま俺はつんのめるようにして、会場に足を踏み入れる。

 肌を焦がす日光と会場中の視線が、突如として現れた部外者の俺にそそがれる。

 しばしの静寂の後。


「「「「「「「ウオオオオオオオオオオオオーーーッッッッ!!」」」」」」」


 闘技場全体が、地鳴りのような大歓声に揺れた。


「マジかよ!?」「ヒーローが演武の相手!?」「胸熱すぎんだろ!!」「永久保存だこれ!!」


 驚き、戸惑い、期待の声が四方八方から湧き上がる。

 リングの隅や観客席に設置された魔導テレビのカメラが、すべて俺に向けられる。

 客席最上段に位置するガラス張りの指定席の観客も興味深げに立ち上がり、リングを見下ろしていた。

 観客の声と熱気が、ビリビリと俺の肌を震わせる。

 リング上のローザが、マイクをスタッフに手渡し、不敵な笑みでこちらを見た。


「さあ、準備はいい?」


 俺の背中に、カナリエの両手が添えられる。


「これがわたしたちの最後の一手よ。思う存分暴れてきなさい、ヒーロー!」


 鼓舞するように言って、カナリエが俺の背中をやさしく押した。

 しばらく立ち尽くしていた俺だったが、歩き方を思いだしたかのように一歩、また一歩と前へ進み、リングに近づいていく。

 ローザに、近づいていく。


 昨日、事故のような個人配信を経て、カナリエが言っていた『一番大切なモノ』の正体に気づいた。

 気づいてから、もっとローザと一緒にいたくなった。

 一緒の時間を過ごしたくなった。

 手をつなぎたくなった。

 メールなんかで満足できるか。

 理屈じゃない。俺は子どもの頃のように、ローザともっと当たり前に一緒にいたかったのだ。


 騎士になれば、そうしたローザとの時間を増やせる――待つことに慣れすぎたせいか、そんな簡単なことに気づけなかった。


 好きな幼なじみと一緒にいたいから、騎士になる。

 不純な動機だ。昔夢見た、絵本の英雄譚に出てくる理想の騎士には程遠い。

 けれど、アイツと一緒にいられるのなら、それだけでいい。

 それだけがいい。


(絶対、騎士になる)


 決意新たに、割れんばかりの歓声と会場の熱気を浴びながら、リングに上がる。

 息抜きじゃない、およそ四年振りの本気の手合わせ。

 将来が決まる大事な一戦なのに、なぜだろう、子どものときのようにワクワクしている自分がいた。

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