第38話 過去話6
到着したノードン村は、ローザの知らない、はじめて訪れる場所のようだった。
すべてが灰になっていた。
家屋は焼け落ち、村道は炭と魔物の死骸であふれている。
わずかに形を残している家屋の外壁の裏面を覗いてみると、人型の黒ずみがあった。
それが、火炎に燃やされた人間の跡だと気づき、ローザは食べたばかりの晩飯を戻した。
何度か、【氷の精霊】が声をかけてきていた気がするが、ローザは覚えていなかった。生存者を探すことに必死で、聴こえていなかったのだ。
一歩、灰を踏みしめるたび、ローザに後悔の波が押し寄せる。
「……私のせいだ」
レインを意識して大浴場になんて行かなければ、被害はきっと抑えられた。
レインを、恋愛対象として見ていなければ、きっと。
そもそも、私がいなければ。
こんな銀髪に生まれていなければ。
大好きな家族はみんな、死なずに済んだのに。
村を守りたい、その一心で生きてきた。
けれど、村は燃やされた。
守りたい村は、失われた。
「私の、せいで……」
怖れていた絶望感と喪失感が、ローザの身体にぎゅうぎゅうに詰め込まれていく。自分が死ねば元通りになるだろうか? そんな考えが、自然に脳裏をよぎった。
ほんのすこし気を緩めると、ここまで全力疾走してきた足が止まってしまいそうだった。
けれど、止めてはいけないと本能が叫んでいた。
止めた瞬間、自我が崩壊すると、それこそ本能が理解していた。
「――、…………ぁ」
そのときだ。
村の広場で、呆然と立ち尽くす誰かの背中が見えた。
炭や血痕で黒ずんだ服を着るその誰かは、両手でなにかを抱えているようだった。
【氷の精霊】が目で合図して、姿を隠す。
ローザは、その誰かに――最近、男らしい体つきになってきていた彼に歩み寄る。
近づくごとに視界が潤み、ここまで我慢していた感情がこぼれてしまいそうだった。
「レイン、ぁ……レインッ!!」
「…………ローザ?」
ゆっくりと振り返った彼、レインを、ローザは力強く抱きしめた。
裸でいることなど関係ない。
いまはただ、唯一の生存者であるレインの存在をこの肌でたしかめたかった。
「レイン、ああ……よかった、よかった! 無事だったのだな、怪我は?」
「俺は、大丈夫……ローザは?」
「私も大丈夫だ。ああ、よかった……本当に、よく無事でいてくれた……」
「俺が」
すこしぼんやりしているのか。訥々とレインは言葉を紡ぐ。
「俺が、もっと早く魔物を倒せてたら、みんなを無事に避難させられたんだけど……火の手が、生きてるみたいに早く広がって……」
「この、魔物の群れを、すべてレインが……?」
辺りを見回し、広場に散らばった魔物の死骸を確認する。
この場だけで、ザッと80匹以上が転がっている。これだけの魔物を【下克上】も発動せずに生身ひとつで処理したというのか?
そんなの、一介の騎士の実力をはるかに凌駕している。
「本当に、ゴメン」
消え入るようなレインの謝罪に、ローザは抱きしめる力を強め、首を横に振った。
「そんな、謝らないでくれ……私なんだ。私こそが、責められるべきで」
「本当に、ゴメンな…………これだけしか、守れなかった」
「……? これだけ……?」
ローザが訝しげに抱擁を解除すると、レインが申し訳なさそうに両手に抱えていたソレを見せた。
「ッ、……!?」
思わず息を呑むローザ。
ソレは、真っ黒に焦げた人間の手首だった。
それも、ふたり分。大きさと形からするに、女性の左手首と男性の右手首であることがわかった。
そのふたつの手首に、ローザは見覚えがあった。見間違えるはずがない。
産まれたときから、ローザを愛してくれた手だ。
「こっちが、ローザのおばさん、それでこっちが、ローザのおじさん……本当に、ゴメン。俺の父さんと母さんは、気づいたらもう溶けちゃってたから、ふたりだけでもって思ったんだけど……魔物を相手にしてたら、間に合わなくって……」
「……ッ、レイン……!」
手首ごと、いや、両親の死を隠すようにして、ローザは再度レインを抱きしめる。
それは、レインにすがっているようにも見えた。
「大丈夫。大丈夫だ、レイン」
自分に言い聞かせるように、ローザは震える涙声で言う。
「レインだけは、絶対に守るから」
振り絞った誓いを皮切りに、ローザの目から抑えていた感情がポロポロとこぼれだした。
泣くつもりはなかった。
けれど、知らず心が限界を迎えていた。
せめて嗚咽だけは漏らすまいと、下唇を強く噛み締める。
もっと怒られたかった。
もっとやさしくしておけばよかった。
玄関を出る父の背中も、台所に立つ母の背中も、もう見ることはできない。
できないんだ、もう二度と。
後悔の奔流の中。村人たちの笑顔と笑い声が、ローザの脳内にリフレインする。
村は、もう戻らない。
だから、残された
それが、ローザにできる唯一の贖罪だった。
雫がこぼれ落ちるたび、灰になった故郷に、しんしんと雪が降る。
別れを告げるように、季節外れの蝶が舞った。
ローザの震える肩を眺めながら、レインはぼんやりとした脳で決意する。
思い起こされたのは、幼少期、ローザが眠る自分の涙を拭ってくれた記憶。
守られるだけじゃない。
俺も、ローザを守らないと――
その瞬間から、レインは騎士になる夢を捨て、農家になることを決めた。
農家になり、ひとつの場所に留まって、ローザがいつでも帰れる場所になろうと思った。
ローザにとっての『村』になろうと、レインはそう考えたのだ。
まずは村の畑を再現して、それと、リンゴやナシも栽培していこう。それから……。
農家としてやるべきことを考えていくごとに、レインの瞳から光が消えていった。
絵本が燃える。
夢が消える。
王都に向かう日の朝。
ローザは、台所に立つレインから、農家の道に進むことを伝えられた。
一緒に目指してきた騎士の夢を捨てる、というのだ。
朝食を作りながら言うものだから、ローザはなにかの冗談かと思った。
けれど、レインは本気だよ、と答えた。
「な、なんで急に……だって、私とあんなにがんばって…………、」
その瞬間、ローザは自身が犯した罪を知る。
自分が抱きついて泣いたことが原因だ。
レインがローザの実家を再現したログハウスを建てている時点で、嫌な予感はしていた。
けれど、騎士の夢を捨てるほどのことではないだろうと、それこそ高をくくっていた。この数年、レインの熱量を木剣越しに浴びてきたのだから、なおさらに。
しかし――そうなのだ。
レインは、人見知りでウブなくせに、ローザにお節介を焼くときだけ大胆になる。
幼なじみを守るためなら、長年の夢だって大胆に捨ててみせる。
そういう、やさしすぎる男なのだ。
「…………そう、か。わかった、わかったよ……」
ローザはそれ以上なにも言えず、足早にレインの家を出た。
山道を一歩下りるたびに涙がこぼれた。
泣く権利はないと知っていたが、幼なじみの夢の死に泣かずにはいられなかった。
これが、ローザが過去に犯した罪。
村だけでなく、レインの騎士の夢をも燃やしてしまった、少女の幼い過ち。
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