第32話 反逆の一手

「なにかしてしまったのかな? 私は」


 レインがいなくなった訓練場でひとり、ローザは困惑顔で近くの段差に腰かけた。

 青白い月明かりの下。ため息をひとつ吐き、レインのハンカチを見つめる。


「……なにかするのは、これからなんだがな」


 ふと。ローザは夕方の一幕――国王とのプライベートな話を思い返した。


 

     ◆


 

「おお! 待っておったぞ、騎士団長殿!」


 王城の執務室の扉を開けると、国王の耳障りな声がローザを出迎えた。

 扉を閉め、ローザはその場で踵をそろえ背筋を伸ばす。

 目の前のテーブルに座る肥えた現国王に対してではない、前国王の血筋に対する敬意だった。

 国王は両手を広げ、オーバーに歓迎の意を示す。


「すまぬな、かような狭き場所に! 玉座の間では声が響く。プライベートな話をするならここが最適だと思ったのだ! ささ、好きなところに座ってくれ!」

「いえ、私はここで」

「あっそ。じゃあ扉前にずっと立っておれ! 物好きだのぅ、騎士団の連中は! いやあ、前国王……親父が死ぬ前に騎士団の運営権を手放す法律を定めてくれてよかった! 余にお主らのような無法者たちはあつかい切れんからな!」

「…………」


 正しくは、前国王は運営権を手放したのではなく、避難させたのだ。

 この無能な息子の下では騎士団の誇りが腐ってしまうと思ったから。

 そうした父親の想いも露知らず、現国王はせせら笑いながら葉巻に火をつけた。


「と、話の前になにか食べるか? と言っても、お主は立ったまま食べることになるが」

「ご用件は?」


 眉尻をピクリとも動かさず、ローザは訊ねる。長話をするつもりはなかった。

 それは国王も同じなのか。フン、と豚のような鼻を鳴らした後、口から煙を吐き、落ち着き払ったテンションで本題を切りだしてきた。


「いま話題になっている男……レインとか言ったか? あの男との関係を切ってほしい」


 数瞬、言葉の意味を脳内で噛み砕き、ローザはつとめて冷静に訊ね返した。


「……理由をお聞きしても?」

「お主は看板勇者となる人間だ。それ相応の品格が求められる。当然、交流を持つ相手にもそれ相応の身分が求められる。看板勇者と平民ではあまりに不釣り合いだ。平民と手をつないで観光する看板勇者がどこにいる。そんなことでは、保てる威厳も保てん」


 昼間の観光時、声をかけてくる人間はいなかったが、目撃情報は魔導ネットに流されていたのだろう。国王が知っていても不思議はない。


「僭越ながら」


 直立したままローザは語気強く反論する。


「看板勇者は棚に飾られた美術品ではありません。品格でも身分でもなく、王国を護るための力、それこそが看板勇者に求められるものです。誰と交流を持とうと、観光しようと、その力が鈍ることはありません――ご心配なさらずとも、私は私の命を賭して、王国のために全力を尽くす所存です。国王さまのその指摘は、行きすぎた杞憂かと」

「月に二回」


 国王の放ったその言葉に、ローザはわずかに反応してしまう。


「騎士団長殿は月に二回ほど、フィーゲル王国北方に位置する山に出向いていたそうだな。麓の村から山道を登った先にある山間、お主の故郷であるノードン村があった辺りだ。聞くところによれば、時には副団長も同伴させていたそうじゃないか。あまつさえ、暗部まで配備させていたとか」

「…………それ、は」


 ローザは返答に窮しながら、カナリエの言葉を思い出す。


〝ここ数ヶ月、近衛師団の暗部がどうにもキナ臭いのよね〟


 近衛師団の暗部は、最低でも月に二度、国王の護衛を放棄し、王都を離れていた。

 その行動の意味が、いまわかった。任務放棄していたのではない。あれは国王の命令で、月二回レインの下に出向く。だから、どちらも月に二回だったのだ。

 ギュッ、と葉巻の火種を押しつぶすように消して、国王は続ける。


「暗部は気軽に雇える警備員ではない。その山には、重要なナニカがあると見て然るべきだ――そこで余はこう推測した。もしかして騎士団長殿は、あの山で我がフィーゲル王国に反乱を起こすための下準備を進めているのではないか、と」

「なッ、……!?」

「反乱となれば話は別だ。運営権云々の法律も関係なく、国の長たる余が介入しないわけにはいかない」

「ま、待ってください!」


 ローザは思わず、前に一歩踏みだす。


「反乱など、そのような愚かな考えは微塵も――」

「ない、と口にするのは簡単だ。真意はわからん。特に、お主の横には賢しい女狐がおるからな。偽りの回答をするように口裏を合わせている可能性も捨てきれん――だから余は、その山に住んでいる当人に事の真相を問いただそうと、つい先日、近衛師団を送ったのだ。お主たち騎士はまだしも、一般人であれば拷問で大抵は吐くだろうとな」


〝山住みのただの一般人ですけど〟


 バズった動画で、レインはたしかにそう言っていた。

 国王は、その発言と騎士団寮舎区域から出てくるレインの目撃情報とを結びつけ、山にいるローザの共謀者はレインなのではないかと、そう推測したのだ。


「しかし、騎士団長殿は近衛師団を退けた。その上、男の周りに護衛まで張った。まるで、真相を知られたくない、とでも言わんばかりにな――余は反乱の疑いを強めた。だがそれは同時に、その男が反乱に必要不可欠な存在である証左とも言えた。言い換えれば、その男がいなければ反乱は起きえないということだ。だから」


 区切って、国王はテーブル上に肘をつき、押し黙るローザを見据えた。


「余は、騎士団長殿がその男との関係を切ってくれるのであれば、すべてを不問にすると決めた。疑わしきは罰せず。お主のこれまでの功績に免じて、温情を与えてやろうというのだ。……とにかく、不安の芽さえ潰してくれれば、余はそれだけでいい」


 ローザは口を引き結びながら、この『プライベートな話』の真の目的を理解する。


 不安の芽さえ潰してくれれば、それだけでいい――


 尻すぼみにつぶやかれたその言葉が、国王の狙いのすべてなのだろう。

 どんな無能でも、反乱分子を温情で見逃すようなヘマだけはしない。それは、導火線に火のついた爆弾をなにもせず眺め、放置するに等しい愚行だからだ。


 つまりは、それ相応の身分だとか、反乱だとか、そんなものは嘘っぱちの言いがかりでしかなくて(言いがかりだという自覚があるからこそ、ローザだけに伝えているわけで)。


 結局のところ、国王は怖いのだ。


「なあ騎士団長殿。王都の街並みを見ただろう? 観光客であふれ返っている。いま王国は『波』に乗っている。お主たち騎士団が魔王を討伐してくれたおかげで、国益は右肩上がりだ。過去に類を見ないほど王都は潤ってきている。この波は、お主が看板勇者となり、知名度を上げるたびにさらに大きくなるはずだ……どこの馬の骨とも知れない平民風情に、この波を止めさせるわけにはいかない」


 国王からすれば、レインは異物。

 金のなる木であるローザに突如として飛びついてきた、害虫だ。

 誰だって、駆除しようとするのが普通だろう。

 徹底的に、狡猾に、老獪に。


「貴族はいい、他国の看板勇者でもかまわん。だが平民はダメだ。ましてや農家など論外。お主の株を、価値を下げることになる。そうなればお主をメインとした騎士団の集客性も弱まり、観光客は激減する。王都がまた渇く――だから、このとおりだ」


 そう言って、国王はテーブルに額をつけるようにして頭を下げた。

 国王は、このプライベートな話にローザを誘う際、従わない場合はそれでもかまわない、と近衛師団に伝えていた。

 それはつまり、従わなければこちらで勝手に、という遠回しの脅迫にほかならない。


 だが、レインもレインで魔導ネットで一定の人気を得ている。安易に排除すれば国民の反発を招く。

 民意を離したくもない国王としては、ローザにこう決断を迫るほかなかった。


「騎士団長殿。どうか、あの平民を捨て、お主の愛国心をここに示してくれ!」


 だから、関係を『切ってほしい』なのだ。

 関係を切れ、と強要してしまえば、ローザとの間にわだかまりが残り、正しい反乱の芽を育ててしまうことになる。

 だが、ローザ自ら関係を断てば、反乱の芽は育たず枯れる。国王も、気兼ねなくローザを使い倒すことができる。


(打つ手なし、か……)


 静かにうつむき、ローザは自嘲する。

 仮にレインを連れて王都から逃げだしても、看板勇者を辞退すると申し出ても、結果は同じだろう。

 どちらにせよ、ありもしない反乱の疑いを真実に変えられ、ローザとレインに国家反逆罪がかけられるだけだ。

 一生、追われる身になってしまう。

 ローザの愛国心とは、言い換えて、レインがいるこの国を護るということだ。

 レインに危害がおよぶ選択肢は取れない。

 たとえ、真の意味で国王の傀儡になろうとも。


 マッチポンプの詰将棋。

 老獪による、数ヶ月前から講じられていた最後の一手。


 ローザは目を閉じ、覚悟を決めると、そっと顔を上げた。

 諦観の表情で国王を見据える。

 そうして。紫煙まじりの空気を吸い、力なく口を開きかけた。

 瞬間。


(………………いや、


 ローザは、逆転のその手に気づいた。

 ふと脳裏をよぎるのは、王城に着く前に届いた、カナリエからの一通のメール。

 届いたときには理解できなかった、反逆の一手。

 全身が粟立つ。


『レインくんは煽っとく。舞台はアンタが用意しなさい』


 おそらくは、ローザが国王の下に連れて行かれたことを、レインから聞いたのだろう。その情報だけでカナリエは、国王が、その末にローザが……そのすべてを見透かし、見越していたのだ。


(――ありがとう、カナリエ)


 最高の参謀役に胸中で深く感謝し、ローザはあらためて、目の前の国王を見つめた。


「国王さま」


 窓から差し込む夕陽が、徐々に弱まっていく。

 代わりに、ローザの瞳に希望の光が灯りだした。


「愛国心を示すにあたり、ひとつだけお願いがあります――」


 

     ◇


 

 深夜の訓練場に風が吹き、回想を終えたローザの身体を冷やす。

 だが、こうして座っているいまも胸に宿る炎は熱く、轟々と燃えさかっている。

 国王の鼻を明かしてやるという、反逆の炎だ。


(コレがうまくいけば、すべて丸く収まる)


 その一手は強引な手だ。結果を最優先するカナリエが好みそうな、手段を顧みない手。

 けれど、ローザの叶わないと思っていた夢すら叶えてくれる、奇跡の一手でもあった。

 成功率は不明だ。レインに嫌われる可能性も拭えない。

 しかしもう、ローザの頭の中にも状況的にも、その手段しか残されていなかった。


(すまないレイン……だが、それでも私は)


 レインのハンカチを力強く握り締め、ローザは決意あらたに訓練場を後にする。


 決戦は明後日。

 看板勇者の、襲名式。

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