第22話 空っぽ
騎士団寮に戻ると、時刻は昼をとっくにすぎていた。
生配信に出演した五人で食堂で昼食を摂りながら、俺とローザは魔導フォンの基礎的な使い方を教わった。
説明書は専門用語ばかりで目まいがしたが、教わった限り思ったより感覚的に使えそうだった。
事実、機械オンチのローザもすぐに使い方を会得していた。
RONEのIDも全員と交換した。騎士団長にトップマチューバー、王女にメイドと、あまりに濃すぎるメンバーではあるけれど。
気づけば夕刻。俺たちはそのまま騎士団寮で解散することに。
正門前でミルル、キャロル、リサを見送ったあと、ローザが吐息まじりに言った。
「長い一日だったな」
「だな。山の一日の五倍ぐらい長かった」
「ふひひ、さすがにそれは言いすぎだろ」
ローザが笑う。
その、いつもの笑顔を見て、俺はふとカナリエの言葉を思い出した。
〝もうすこししたら看板勇者の襲名式ってのがあるんだけど、それが終わったらローザはしばらく休みが取れなくなるのよ。当然、レインくんの家にも行けなくなる〟
焦燥感のようなものに押されて、俺の口は勝手に動いていた。
「……なあ、ローザ。看板勇者の襲名式って、いつあるんだ?」
「三日後だな」
「三日後!?」
思ったよりも大きな声が出てしまった。
「驚きすぎだろ。というか、カナリエから聞いてなかったのか?」
「もうすこししたらある、ってのは聞いてたけど、そんなに近いとは思ってなかった……じゃあ、それが終わったら」
「しばらく休暇はないだろうな。国際会議やら友好国からの招待やらで、色んな場所に向かわされるようだから。今日みたいに気軽には会えなくなるだろう」
「…………そうか」
「お。なんだ、しょぼくれた顔して。私と会えなくなるのがそんなにさみしいのか~?」
「……悪いかよ」
小声で言って、からかってくるローザから視線を外し、沈みゆく夕陽を見つめた。
ローザは幼なじみで、親友で、家族だった。
会えなくなるとなれば、さみしくなるのは当然だ。
「ふ、ふひひ。これはこれは……まさか、いつも素直じゃないレインがそんなストレートに気持ちを表すなんてな。明日はヒョウが降るかもしれないな」
「…………」
「……あ、えっと、その……いまのは冗談で」
ひょこっ、と一歩こちらに近寄ってローザは続ける。
「じ、実を言うとな? 私も、レインと会えなくなるのはさみ――」
「――もっと誇りを持って走れぇッ!!」
と。ローザの声をかき消すように、怒号めいた掛け声が遠くの路地から聴こえてきた。
同時に、ドドド、と地鳴りのような音が近づいてくる。どうやら、騎士団寮舎の外周を走っていた騎士団員たちが戻ってきたようだった。
視界の端で、ローザがガクッと落胆にうなだれる姿が映った。
「よし、走り込み終わり!」
先頭を走っていた大柄な男性騎士の一声で、後を連いてきた団員たちが一斉にその場に倒れ伏した。季節は秋。涼しいくらいの気温なのに、シャツが汗でびったりと張りついている。何周、いや何十周回ってきたのだろうか。
「まったく、これしきのことで情けない……おや? 団長がどうしてこのようなところに。――ハッ! まさか、訓練に打ち込む我々を労うために、わざわざ出迎えを!?」
「……う、うぬぼれるな!」
「辛辣ですな!?」
「これから私も、走り込みに行こうと思っていたところなんだ! ああ、本当に、なんで……ちくしょう! どうして私はこう、いつもタイミングが悪いんだ!!」
うおおおお! と泣くように叫びながら、制服姿のままローザは全速力で駆けだした。
走り終わるのを待っていると夜になりそうだし、俺たちもここで解散だろうか?
などと考えていると、「おや?」と大柄な男性騎士が俺に気づき、目の前にやってきた。
「先日の手合わせで会って以来だな、少年。息災でなによりだ」
「あ、はい。その節はどうも……えっと」
「ガラハだ」
「ガラハさん。俺はレインって言います」
「よく知っている。方々で騒がれていたからな」
シニカルに微笑み、手を差し伸べてくる大柄な男性騎士――ガラハ。
固い岩のような手を握り返すと、ガラハは俺の手を見つめ、怪訝そうに眉をひそめた。
「ど、どうかしました?」
「……いや、先日とはまったくの別人のようだと思ってな」
「別人……?」
「すまない、オレの勘違いだったようだ――ところで、ひとつ訊ねたいのだが」
握手を解くと、大木のような腕を組み、ガラハは軽い語調で言った。
「少年、騎士になる気はないか?」
「ずいぶんと話変わりましたね……」
「団員たちの勧誘は断っていたようだから、部隊長のオレの勧誘ならばどうかと思ってな。偶然でもなんでも、オレの一刀を受け止めたのだ。それに」
区切って、ガラハはまたも俺の手に視線を移した。
「相当な努力家でもある。素質はあると思うが?」
「気持ちはうれしいですけど……無理ですよ、騎士なんて。俺には農家がお似合いです。実際、クラス適正の儀でも農家って言われてますし」
「農家が好きなのか?」
「……いえ、嫌いってわけではないですけど、特に好きということも」
「ふむ……一生物のスキルはともかく、クラス適正の儀で賜ったクラスがその者の将来を決めるわけではない、というのは?」
「もちろん知っています」
「では、質問を変えよう。騎士は好きか?」
「…………好き、だと思います」
嘘でも嫌いと言えなかった。
それはローザが就いている職業だからでもあるし、曲がりなりにも、自分が憧れたことのある夢でもあったからだった。
「そうか」
ガラハはニヤリ、と楽しそうに笑った。
「ならば目指さぬ理由はないだろう。農家も立派な職だが、一度きりの人生、自分の好きな職業に就くのも良いと思うぞ」
「好きな、職業……」
「そう。騎士レインの人生だ。ワクワクするだろ?」
ベタベタの勧誘だ。わかっている。
にもかかわらず、俺の鼓動は高鳴ってしまっていた。
想像が勝手にふくらんでいく。
自分が、本当に騎士に?
燃えたはずの絵本がその形を取り戻し、わずかに開きかける。
〝大丈夫、大丈夫だ。レイン〟
瞬間。
脳裏をよぎったのは、灰になった故郷と、ローザのやさしい涙声だった。
パタン、と夢が閉じる。
「……それでも」
自分でも、声が暗くなっているのがわかった。
「俺のクラスは、農家ですから。これからもずっと、その運命に従って生きていくべきなんだと思います。自分で、そう決めましたから。いまさら別の人生を夢見るだなんて、そんなの……」
「……なるほど、相わかった。無理に勧誘してすまない」
軽く頭を下げた後、ガラハはため息をひとつ。
失望したと言わんばかりに肩を落として、言った。
「見込みちがいだった――少年は、空っぽな人間だったのだな」
「……、空っぽ…………」
「新たな道に怯え、いらぬ義務感に縛られながら人生を浪費する虚無の存在。それがいまの少年だ。オレの言葉が響かぬわけだ。中身がない空なのだから叩いても――むぐぅ」
「あああああッ!! なに失礼ぶっこいてんすか隊長!」
突然。倒れ伏していた団員が飛び起き、黙れとばかりにガラハの口を押さえはじめた。それに追従するように、ほかの団員たちもガラハに飛びかかる。
「ゴメンな少年、隊長脳筋ゴリラだから!」「隊長のゴリラ語は気にしなくていいよ!」「空っぽなのはこのひとの頭なんだよ!」「おれらも何度も勧誘して悪いな!」「この脳筋ゴリラは無視して、農家がんばれ!」
「――ぷはッ、黙って聞いてればお前らああああああああッッ!!」
まさにゴリラよろしく両腕を豪快にぶん回し、まとわりつく団員たちを振り払うガラハ。阿鼻叫喚。慌てて逃げだす団員たちを、ガラハが怒号をあげて追いかけていく。
「空っぽな、人間……」
残された俺はひとり、ガラハの言葉を反芻する。
手のひらの薬指と小指の根本にできた古い豆が、ズクン、と鼓動に合わせてすこし痛む。
空っぽじゃない、と抗議しているかのようだった。
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