第16話 キャロルはキャロル

 ミルルの醒めるような青髪を目にした瞬間、あれほど怒っていたキャロルがピタリと怒りを収めて、俺の背中にその身を隠した。

 人見知りを発動したのかと思ったが、視線はミルルに釘付けになっている。

 心なしか、瞳がキラキラと輝いているようにも見えた。


(ああ、そういえば、ミルルはキャロルの憧れのひとだったな)


 なら、せっかくの機会だ。ふたりきりで話をさせてあげよう。


「ほら、キャロル。チャンスだぞ」


 背中のキャロルの手を掴むが、キャロルは俺の背中から離れようとはしなかった。

 身体をよじって強引に引き剥がしにかかるも、キャロルはその矮躯を利用してササッ、とポジションを移動し、俺の手から逃れるのだった。なんでだよ。

 そんな攻防を繰り広げていると、ミルルが不満げな顔でこちらに近づいてきた。


「ちょっと! 無視はひどくないっスか? ヒーローくん。傷つくなあ……」

「え? ああ……すみません」


 まあ、憧れが強すぎて話せないのかもしれない。

 キャロルのことは一旦置いておいて、俺は目の前のミルルとの会話に意識を向けた。


「無視したつもりはなかったんですけど」

「アハハ、冗談っスよ。ちょっと困らせてみようとしただけっス」


 気恥ずかしそうにうつむくミルルを前にし、なぜかリサが「なッ!?」と息を呑んだ。


「こ、このむず痒くもピンクい波動は、三角関係ですって……ッ!? ハァハァ、オモシロ展開すぎます~……ぐぅ、ってください、わたくしの心臓……ッ!!」


 唸るリサをいないものとしてあつかい、ミルルは「つか」と顔を上げた。


「ウチには敬語じゃなくっていいっスよ。見た感じ年も近いだろうし、タメ口で全然」

「そう? それじゃあ、お言葉に甘えて」

「うん。そのほうがウチも楽っス――つか、ヒーローくん」

「はい?」

「ウチときみ、もう初対面じゃないっスよ?」


 青髪の、悪戯っ子のような笑みがこちらを覗き込む。

 昨日は初対面だから名前を教えなかった。

 つまり、もう初対面ではなくなったのだから、俺の名前を教えろ、という意味だ。

 今朝のような野次馬ならいざ知らず、彼女は全世界に名を知られているマチューバーだ。個人情報を吹聴するような真似はしないだろう。

 俺は降参とばかりに肩をすくめて、右手を差し伸べた。


「レインだ。はじめまして、ミルル」

「はじめましてっス、レイン! いい名前っスね」

「ミルルには負けるよ」


 握手を交わしたあと、俺は辺りを見渡しつつ。


「それで、ミルルはどうしてここに?」


 この路地の先には騎士団寮舎しかない。迷子でもない限り、一般の市民はそうそう立ち寄らない区域のはずだ。


「昨日レインが言ってたじゃないっスか。『お礼は騎士団にいるローザって子に』って。その口ぶりからするにローザ団長と知り合いっぽかったから、騎士団寮に行けばレインに会えるんじゃないかな、と思ったんスよ――で、運よく会えたら、そのまま昨日のお礼を返しちゃおうと思って! 会えなかったら、何度でも騎士団寮に通うつもりだったっス。何度でも、何度でも」

「サラッと怖いこと言うなよ……にしても、律儀だなあ」

「ウチの家訓っスから! でも、まさか本当に今日会えちゃうとは――ところで」

「うん?」

「さっきから気になってたんスけど、どうして王女さまがここにいるんスか?」


 背中に隠れているキャロルが、ビクリ、と動揺に身体を震わせた。


「王女?」

「その子、このフィーゲル王国の第三王女、キャロル王女っスよね? その、言いにくいんスけど、魔導ネットで『稀代のワガママ王女』とか言われちゃってる、あの……国王の国内放送で隣に立ってるのよく見かけるんで、間違いないと思うっスけど」

「へえ、キャロルって王女さまだったのか」

「……ッ、ぁ…………」


 キャロルは愕然とした様子で、恐る恐るといった風に俺の背中から離れた。

 ふと、昨日のキャロルの言葉が脳裏をよぎる。


〝なんでこの国にいてキャロルの名前も知らないのよ〟


 なるほど。ごもっともな指摘だ。

 メイドを従え、豪奢なドレスを着ているわけである。

 執拗に俺の背に隠れていたのは、すこしでも素性を隠すためか。


「あ、あの、キャロル、は……」


 いままでの強気な態度が嘘かのように、弱々しくうつむいてしまうキャロル。

 スカートの前部分をギュッと力いっぱい掴む。

 掴んでいなければ倒れてしまう、と言わんばかりだ。


「お嬢さま……」


 リサがキャロルに寄り添い、震える小さな背にやさしく手を添えた。


〝わ、笑いたかったら笑えば? 笑われるのは、慣れてるし〟


 素性がバレたら、嫌われてしまう。

 キャロルが震えているのは、そう危惧しているからだろう。

 馬になれ、だなんて高慢で不躾ぶしつけな命令を口にできた理由がわかった。

 王都で第三王女はとっくに嫌われてるから、もうこれ以上嫌われようがないと自暴自棄になっていたのだ。


 それでも、ミルルのようになりたいと願っているのは、すこしでもみんなに好かれたいという思いの表れか。


(そんな不器用なところまで、昔のローザに似なくてもいいのに……)


 稀代のワガママ王女と呼ばれてしまった背景も、笑われることに慣れてしまった事情も、俺は知らない。

 だから、目の前にある事実だけを信じることにした。


「でも、キャロルはキャロルだろ?」


 なにかを言いかけたキャロルが、ハッと顔をあげた。俺は続ける。


「俺にとっては、ワガママで元気なただの友だちだよ。それ以上でも、以下でもない――それとも、これからは王女さまとしてあつかったほうがいいか?」

「よ、よくない……絶対によくないッ!! と、友だちがいい!」

「だよな。俺もキャロルとは友だちでいたい――んじゃあ、くだらない話は終わりにして、約束通りさっさと騎士団寮に行って撮影をはじめようぜ。ほら」


 言いつつ、俺は左腕を差しだした。

 平民が礼儀も弁えず、王族に腕を貸す。絶対に赦されない――友だちにしか許されない、高慢で不躾な所作だ。

 その意味を汲み取ったのか。キャロルは曇っていた表情をパァっと咲かせ、左腕に強く、先ほどよりも強くしがみついてきた。


「……えへへ。ありがとう、レイン」

「なんのことやら」


 俺はただ、キャロルは友だちだと再確認しただけだ。

 わざとトボけながら、キャロルを引き連れて騎士団寮への道を進みはじめる。

 リサもまた、俺に向けて深々と頭を下げた後、メイドらしく粛々と背後に連いてきた。


「むぅ……、えいっ!」


 と。遅れてミルルが拗ねたような顔で歩み寄ってきたかと思うと、ガバッ、となぜか俺の右腕に抱きついてきた。

 キャロルにはない豊満な感触が上腕三頭筋をたわわに刺激する。


「あの、ミルルさん?」

「ウチも、もうレインの友だちっスから! ……いいっスよね?」

「……まあ、別にいいけど」

「よくないわよバカ!」


 左腕のキャロルが、狭間の俺越しに、右腕のミルルに抗議する。


「レインはキャロルのなの、いますぐ離れなさい! いくらミルルでも許さないわよ!」

「離れないもんねー、ウチもレインの友だちなんスから! ……つか、ふむふむ」

「な、なによ?」

「王女……じゃなくて、キャロちゃん、結構嫉妬深いんスね。かわいいー」

「か、かわ……!?」

「そういうところをもっとアピールできれば、みんなからの印象も変わるのに。いっそのこと髪とか下ろしてみたりしたら、より印象が変わって見えるんじゃないっスかね?」

「…………み、ミルルは」

「はい?」

「髪、下ろしたほうが、かわいいと思う……?」

「んー、そのままでもかわいいっスけど、一度下ろしてみるのもアリだと思うっスよ? なんなら髪形とか含めてウチがコーデしてもいいし」

「ッ、し、してほしい! ……です!」

「アハハ! 別にタメ口でいいっスよ、キャロちゃん」


 文字通り瞬く間に、仲を深めていくミルルとキャロル。

 両腕に抱きつかれたままなのは歩きづらいことこの上なかったが、ふたりの仲睦まじい会話を聞けるのならそれも悪くない。そう思った。

 背後から聴こえてくるリサの荒い吐息は気になったけれど。


 ……ただ、まあ。

 傍から見れば、その構図は俺が女性三人を侍らせているように見えなくもないわけで。


「レインが、ヤリチンになっちゃったーーッッ!!」


 ローザに謂われなきレッテルを貼られるのも、すこしだけ納得できてしまったのだった。

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