第14話 ヤ〇チン

「ローザ、ちょっと」


 近衛師団との一悶着を終え、騎士団員たちがぞろぞろと食堂に向かう中、ローザはカナリエに呼び止められた。返事をする前に手首を掴まれ、廊下の陰に引き込まれる。


「おっとっと……どうした、カナリエ。かくれんぼか?」

「なんでこのタイミングでかくれんぼに誘うのよ――そうじゃなくて、身体」

「ん? ああ、問題ないさ。すこし顕現しただけだからな。ほぼ喰われていない」

「……ほんと?」


 そっと、ローザの透き通った銀髪に手を伸ばすカナリエ。

 昔より、水色が強い。


「思わず止めようとしちゃったけど、あの場を収める手はあれしかなかった。わかってる。わかってるけど……でも、もうすこし自分のことも大切にしなさいよね」


 その、カナリエのあまりに心配そうな表情を見て、ローザは思わず吹きだす。


「わかった気をつける。だから、そんな捨てられそうな子犬みたいな顔をしないでくれ」

「し、してないわよそんな顔!」

「ふひひ――それで? まさか、知略謀略に長けたカナリエともあろう者が、私の身体の心配をするためだけに呼び止めたわけではないのだろう?」


「わたしをなんだと思ってんのよアンタは……まあ、その通りだけど」


 区切って、ため息をひとつ。カナリエは本題を切りだした。


「ちょっと、レインくんの話をしておきたかったのよ」

「ああ……うん、そうだな。そうだった」


 ローザは神妙な顔つきで近くの壁にもたれ、腕を組んだ。


「なぜ国王がレインを探しているのか、その謎を考えるべきだったな。私は魔導フォンを持っていないからわからないが、団員の話ではレインが人助けをした動画が人気になっているのだろう? なぜそんな目に遭っているのかはさておいて、それしきのことで、どうして一国の王が近衛師団を動かすのか……」


「いや、国王の企みも気になるけど、わたしが話したいのはレインくんのスキルのこと」

「【下克上】の?」

「これ見て」


 言って、カナリエは魔導フォンを取りだし、件の動画のサムネを見せた。


「レインくんの後ろに、青髪の女の子が映ってるでしょ? この子が、いまマチューブで一番人気のあるミルル。動画の種類も豊富でトークもうまい。若い子にも大人気で、街でバレたら数百人が集まるレベル。王国外にもファンがいて、公式ファンクラブの会員数は数千万を超えてる――一部では、世界最強のインフルエンサーなんて呼ばれてるわ」

「世界最強?」


 レインのスキルを知る者としては、そのフレーズを看過することはできない。

 訝しむローザを前に、カナリエは首肯して動画を再生させた。


「そう。レインくんは、ミルルと同じ画角に映ることで【下克上】を発動、最強の影響力を手にしちゃったのよ。彼がいま世間から注目されてるのは、十中八九それが原因ね」

「影響力……そんな概念に近いものまで発動対象なのか、【下克上】は」


 カナリエのその推測は正しいのだろう、とローザは確信する。

 事実、動画内のレインから、自身の好意を抜きにしても、不思議と目が離せなくなっていたからだ。


「疑問なのは」


 言いながらカナリエは、レインが茶髪男の手を砕くシーンで動画を止めた。


「ミルルを助けたとき、レインくんは戦力も最強になってたってこと。戦力最強はローザのはずなのに。世界最強にしか勝てないっていう【下克上】の特性を考えれば、ミルルと同じ画角に映ったところで、最強になるのは影響力だけのはずじゃない?」

「……言われてみれば、たしかに」

「これは、わたしの憶測なんだけど」


 声をひそめ、カナリエは続ける。


「おそらく【下克上】は、あらゆる世界最強を『ストック』していくことができる」

「……、ストックだと?」

「『吸収』って言い方をしてもいいかもしれない――ローザとの手合わせで、最強の『戦力』をすでに吸収ストックしていたから、最強の『影響力』を前に【下克上】を発動したときも、その戦力を引きだすことができた」

「なるほど……」


 困惑気味にローザはうなずく。


「そう考えれば、その動画のレインの力にも説明がつくか」

「ほんと、幼なじみだからってそんなところまで似なくてもいいのにね――なんであれ、世界中の最強を吸収して本物の化物になる前に、どっかのタイミングで【下克上】のことは本人に打ち明けるべきなのかもね……まあ、もしかしたらもうレインくん自身、違和感くらいは覚えはじめてるかもしれないけど」


 話は終わりとばかりに、カナリエは魔導フォンを仕舞った。


「とまあ、伝えたかったのはそんなところ。要は、現時点で【下克上】の存在を知ってるのはわたしたちだけだから、できる限りサポートしてあげましょうね、って話」

「承知した。情報共有ありがとう」

「これも副団長の務めですから――にしても」

「ん?」

「レインくんが騎士になってくれたら、話は簡単なんだけどなー。騎士団としての庇護も与えられるし、上司として【下克上】も利用できるし。一石二鳥だもの」

「こら、ひとの幼なじみを道具あつかいするな」

「うふふ。冗談よ、冗談」


 悪びれる様子のないカナリエに呆れた後、ローザはすこしさみしそうに目を伏せる。


(レインが騎士、か……)


 三年前。

 クラス適正の儀で農家と告げられてから、レインは一時の間、あの絵本を――騎士が活躍する英雄譚を開かなくなった。

 農家がよほどショックなようだった。


 クラス適正の儀で賜るクラスは、なにもその人間の将来を決めるものではない。

 あれは、あくまで指針。基礎ステータスから適正のあるクラスを読み取り、お薦めしているに過ぎない。

 そもそも、『剣聖』のように、現代では存在していないクラスを賜るケースもある。

 クラスと職業はちがう。別に無視したってかまわないのだ。


 珍しく落ち込んだ様子のレインを川べりに連れていき、ローザはそうやさしく説いた。


〝そうかな、なれるかな〟


 あのときの、前向きになったレインのはにかんだ照れ笑いを、ローザは一生忘れない。

 その一ヶ月後、故郷の村は絵本とともに燃えた。

 それから、レインはあっさりと騎士の夢を捨て、農家の道を歩みはじめた。

 ローザはその理由を知っている。自分が過去に犯した罪のせいだ。

 それがわかっているから、ローザは二度と夢の話を振らなくなった。振れなくなった。

 いまはもう、きっと、レインの夢はローザの記憶の中にしか残っていない。


(……一緒に肩を並べられたら、どれだけ幸せだろう)


 叶わぬ夢に想いを馳せていると、カナリエが「そうそう」と思いだしたように言った。


「ミルルよりもすごいインフルエンサーになった以上、これからレインくんには、野次馬はもちろんのこと、大量のファンも付きまとうことになるだろうから。誰かに取られないよう気をつけなさいよね」

「……誰かに取られる?」

「そうよ。レインくんも年頃の男の子なんだから、うかうかしてたらファンの女の子に目移りしちゃうかもしれないじゃない」

「レインが? 私以外の女に? ――ハッ」


 カナリエの危惧を、ローザは鼻で笑い飛ばす。


「そうか、カナリエは気づいてないから……ああ、そうかそうか。そうだよな。普通ならそういう心配をしてしまうよなあ?」

「こんなにイラッとくるドヤ顔って世界に存在したのね……まあ、心配じゃないならいいわよ。わたしはただ、変に乙女なローザのことだから、レインくんがファンの女を喰いまくって『へき』をこじらせた挙句、最強のヤ……んん」


 不自然に咳払いを挟み、カナリエは言う。


「ヤリ〇ンにでもなったりしたら嫌なんじゃないかなー、と思ってさ」

「ヤリ……、ひ、卑猥なッ! もっといい表現があったはずだろ!」

「えー、ほかの表現なんてなくない? 男はヤリ〇ン、女はビ――」

「あーあーあー!! 聴こえない聴こえない! と、とにかくレインは大丈夫だからッ! そういう心配は無用だ!」

「まあ、アンタがそう言うなら……」

「よ、よし、では私たちも食堂に向かうぞ! ほら、行った行った!」


 話を切り上げ、思わぬ猥談で火照った頬を隠しながら、カナリエの背を押すローザ。


(私のことを好きなレインが、ほかの女にうつつを抜かすわけ……)


 十六年連れ添った幼なじみに全幅の信頼を寄せつつ、ローザは食堂へ向かった。



 

 

 その信頼が砕け散ったのは、朝食を終えた十分後。

 騎士団寮舎を訪れたレインが、左腕に金髪の幼女をしがみつかせ、右腕には青髪の派手な女性を抱きつかせ、背後にはメイド服の女性を引き連れて、と……三種の『癖』をはべらせているサマを目撃したときのことだった。


「れ……レインが、レインが……」


 ワナワナと震えながら、ローザは泣き叫んだ。


「レインが、ヤリチンになっちゃったーーッッ!!」

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