第12話 バズった朝
王都の朝は騒がしい。
寝ぼけ眼で身体を起こし、窓から外の路地を見下ろした。
陽も出切っていない早朝から、数名の男女が路地にたまり、なにか相談し合っている。俺の眠りを醒ましたのは、彼らの話し声のようだった。
話の内容までは聴こえない。くぐもった音声がガラス越しに響いている。
と、大剣のようなものを背負った小さな女の子が通りがかったところで、そのひとたちは方々へ散っていった。
誰かを探しているようにも見えた。
「……迷子か?」
なんであれ、この騒がしさも、山に住んでいたら聴けないものである。
これも貴重な経験だ、と俺は伸びをひとつし、ベッドから出た。
眠気はまだ残っていたが、王都だと思うと変に緊張して二度寝できそうになかった。
寝間着から着替えて一階の食堂に向かうと、白髪のお婆さんがキッチンに立っていた。
この宿屋、『ビレビハ』のオーナーだ。
十年前までは旦那さんとふたりで切り盛りしていたが、いまはひとりでひっそりと経営しているらしい。
新しいものが苦手で、王都に住んでいるのに魔導フォンのことも知らないのだそうだ。予約用の端末が置いていないわけである。
(この宿は俺と同じだな。時代に置いてかれたままだ)
皮肉っていると、食堂中に漂う懐かしい食卓の香りが
「おはようございます。オーナーさん」
「あら? おはようございます。随分と早起きですね。まだ寝ていてもよかったのに」
「なんか目が覚めちゃって。よければ手伝いますよ」
「お客さんにそんなことさせられませんよ。そちらでゆっくりお茶でも飲んで――、う」
と。背後のテーブルを振り返ったオーナーが、苦しそうに顔を
オーナーは深く、長く息を吐きながら、静かに腰をさすっていた。
「すみませんね、昔っから腰が悪くて……あいたた」
「オーナーさん」
オーナーを支えながらテーブルに誘導し、俺は提案する。
「実は俺、山のほうで農家をやってまして。今日もうちの畑で採れた野菜を持ってきてるんですよ。よければその野菜を使って、朝食に一品追加してもいいですか?」
「え、ええ、それはかまわないですけど……」
「ありがとうございます。あ、一品作るついでに、朝食の続きも俺がやっちゃっていいですか? 見た感じ、すぐに済ませられそうですし」
朝食メニューは焼き魚、コメ、トウフとホウレン草のおひたし、ミソスープ。魚はあと一分焼く。コメは炊けてる。おひたしは完成してる。ミソスープはミソをとく。残された行程は多くない。盛りつけと片づけも含めて十分で終わりそうだ。
オーナーとしての意地があるのだろう。やんわり提案を断っていたオーナーだったが、俺が折れないのを見ると、腰の状態を確認しつつ。
「……そこまで言うなら。それじゃあ、申し訳ないけど、お願いしちゃおうかしら?」
「任せてください! じゃあ、ゆっくり休んでてくださいね」
「ええ。ありがとうね」
椅子に座ったまま、オーナーはやさしく微笑んだ。なんだかむず痒くなり、俺は駆け足で宿泊部屋に戻った。急いでバッグから野菜を取りだす。
(……母さんも、あんな感じだったな)
すこし懐かしさを覚えながら、野菜を抱えて部屋を出た。
朝食を食べ終えたあと、オーナーとの四方山話もそこそこに宿屋を後にした。
ポケットに、ハンカチを入れるのを忘れない。
それは、お手洗いなどで濡れた手を拭くためでもあり、ヤンチャな幼なじみが転んだときに止血するためでもあった。
子どもの頃から抜けない習慣だ。
向かうは騎士団寮舎。
キャロルの動画撮影に協力する約束をしていたからだ。
それと、万が一連絡が必要になったときのために、ローザに泊まっている宿を伝えておきたかった。
(王都観光もしたいけど……まあ、それはまた後日でいいか)
時刻は午前七時。
待ち合わせにはすこし早い気もするが、遅れるよりはいいだろう。
「い、いた! おい、あそこにいるぞッ!!」
宿屋を出て数分後。まだ人気の少ない大通りを歩いていると、向かいから見知らぬ男性が駆け寄ってきた。
遅れて、数名の男女がワラワラと俺を取り囲む。
昨日の再来かと身構えたが、彼らが魔導フォンのレンズを向けてくることはなかった。
「あ、あの、俺になにか用――」
「突然すみません! あなた、このバズってる動画のひとですよね!?」
俺の問いかけをさえぎり、若い女性が興奮気味に魔導フォンの画面を見せつけてきた。
そこには昨日、ミルルが絡まれたときの動画が流されていた。
あの茶髪の男の視点で、ミルルのフードを剥ぐ。その後、俺が間に割って入る。
そこで、女性は動画の再生を止めた。
「いま、この動画がマチューブでバカバズってて! 一晩でもう8億再生されてるんですよ! エグくないですか? 特に、ミルルを助けたこの男のひとは誰なんだって、みんなあなたの正体を知りたがってるんです! 私たちも、朝からあなたを探してて! あ、でも動画も写真も撮らないので、そこは安心してください! あの迷惑系のやつらみたいな非常識な行動は論外ですから!」
赤の他人を特定しようと探し回るのは非常識ではないのだろうかと思ったが、さておき。
「正体と言われても、俺はただの農家で……」
「農家なんですか!? ねえ聞いた? ヒーローさん農家なんだって!」
「きゃー!」と黄色い声をあげて、若い女性は隣り合う友人らしき女性と身を寄せ合った。背後で見守っていた男性陣も「おお!」「新情報だ!」と低い驚嘆を響かせる。
「ひ、ヒーロー?」
「名前がわからないから、みんなミルルを助けたヒーローって呼んでるんです! 動画のタイトルにも使われてますし、その流れで!」
「……そう、なんですか」
あの一件で、ミルルではなく、なぜか一般人の俺が注目されている?
やばい。
理解が追いつかなすぎてクラクラしてきた。
「あ、あの、できたらでいいんですけど、記念に握手とかしてもらえませんか?」
「…………はい」
「きゃあ! ありがとうございます! うわヤバッ! ヒーローさんの手、豆とかあって固いんだけど! 特に薬指と小指の根本あたり! 手の甲も血管エグいカッコいい!」
「そ、それじゃあ、俺は用があるので……」
このままだと、もっと大変な騒ぎになる気がする。俺の本能がそう告げていた。
失礼します、と言い置いて、俺は足早にその場を離れる。
「もうこの手一生洗わない!」「ファンになりそう!」背後から聴こえる恥ずかしい会話を振り切って、すぐ横の裏路地に逃げ込む。
王都の朝は、騒がしすぎる。
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