第08話 また明日も

 洗濯カゴを返却したあと、俺はそのまま食堂に足を運んだ。ローザに、消化のいい昼食を作ってやるためだ。

 カナリエに謝られたのは、その食堂に向かう道中でのことだった。

 偶然、廊下で鉢合わせたカナリエは、出会いがしらに「ゴメン!」と頭を下げてきた。ローザが風邪を引いたのは嘘だというのだ。


「もうすこししたら看板勇者の襲名式ってのがあるんだけど、それが終わったらローザはしばらく休みが取れなくなるのよ。当然、レインくんの家にも行けなくなる。だから、そうなる前に会わせておこうかと思ったの。ローザ、ああ見えてさみしがり屋だからさ」


 よく知っています、と俺は苦笑する。

 ローザとかくれんぼで遊ぶと、決まって俺の負けになる。

 鬼になったローザが「レインどこー?」と不安そうな顔で探しながら、ついには泣きだしてしまうため、俺がわざと姿を現さざるを得なかったからだ。


「ほんとにゴメンね……嘘ってわかって、怒った?」


 数秒思案し、俺は怒ってませんよ、と返した。

 連れだし方はたしかに強引で、ちょっと不謹慎でもあるけれど、ローザが無事であるのならそれでいい。

 それにまあ、ローザほどではないにしろ、俺もちょっとはさみしく思っていたのだから。

 別に、本当にちょっと、ほんのすこしだけだけれど。


「ふふ。そう、それはよかった」


 俺の顔を見て、カナリエはどこか含みのある笑みを浮かべた。

 なにを考えているのか見透かされた気がして、俺は思わず顔をそむける。

 それにしても、そうか、嘘だったのか。

 ローザになにもなくて、本当によかった。

 じゃがいもの冷製スープは、今度こそふたり分で大丈夫そうだ。

 



 

 ローザの洗濯物を取り込み、畳み終えた頃になると、外はすっかり茜色に染まっていた。


「今夜はどこに泊まるつもりなんだ?」


 ふと、騎士団寮の正門前まで見送りに来てくれたローザが訊ねてきた。


「カナリエから聞いた。しばらくは王都に滞在するのだろう? ……それとも、私が病気じゃないとわかったから、今日中にでも山に」


「帰らない帰らない。さすがに暗くなりすぎたし。それに、カナリエさんにとんでもない額の滞在費もいただいちまったしな」


「……そうか、よかった」


 先ほど廊下で鉢合わせたとき、嘘で連れだしたお詫びと称して、王都での滞在費を渡されていた。

 ぴったり500万ゴールド

 10万Gで王都の最高級ホテルに一泊できるそうだから、最低でも一ヶ月半は滞在できる計算だ。


〝近衛師団と比べれば薄給だけど、騎士団もそれなりに稼げる職ではあるのよねー〟


 なんてカナリエはうそぶいていたが、500万Gは農家の約一年分の収入に相当する。

 慌てて突き返したが、有無を言わさず押しつけられ――あまつさえ逃げられてしまったので、やむなく受け取るしかなかったのだった。


「全額使い切るまで滞在はしないけど、ローザの看板勇者の襲名式ってのが終わるまでは王都にいようかと思ってるよ。山の収穫もほぼ片付いた頃だったし」


 魔導フォンしかり、マチューブ然り。山にこもっていて知らなかったことが多すぎるから、この滞在を機に社会勉強し直すのもいいだろう。


「ただまあ、どこに泊まるかまでは決まってないけどな。カナリエさんが言ってたホテルは高すぎるから泊まりたくないんだよな……緊張で身体が休まらなそうだ」


「それなら」


 夕陽に照らされた路地の先。ポツポツと灯りはじめた市街地の明かりを見つめながら、ローザは続けた。


「わ、私の部屋に泊まればいいんじゃないか?」


「ローザの寮部屋に? 広さ的には充分だろうけど、さすがにそれは……」


「寝床の心配は不要だぞ? 同じベッドでこう、重なって寝ればいい。私が下で、レインが上だ。無論、向かい合わせで」


「なんで人類がもっとも選ばないであろう寝方をチョイスしちまうんだよ。しかも、体重の重い俺を上にしてるし――同じベッドだとしたら、普通は横並びだろうよ」


「……レインのえっち」


「お前の判断基準どうなってんの!?」


「むぅ、ああ言えばこう言う……そんなに私の部屋に泊まるのが嫌なのか?」


「嫌ではないけど……なんというか、まあ、色々あるだろ。お互いに」


「…………なるほど、恥ずかしいのか」


 聴き取れないほど小さな声でつぶやいたのち、ローザは得心いったとばかりの表情で。


「そうだったな。レインも年頃の男だ。ゴニョゴニョ(大好きな)女の部屋で寝食を共にするのは酷よな。配慮が足りなかった、すまない」


「なにを言ってるのかわからねえが、なにかとんでもねえ勘違いをしていそうなことだけはわかったぜ……ッ!」


「照れるな照れるな」


「だから照れてねえ!」


「ふひひ。ともあれ、だ」


 笑みを口端に引きずりつつ、うれしそうにローザは言った。


「また明日も会えるな、レイン!」


「……ああ、そうだな」


 ローザの相変わらずな、楽しそうで人懐っこい笑顔を見た瞬間、毒気を抜かれたように全身からフッと力が抜けた。

 カナリエが家を訪ねてきてからここまで、ずっと張り詰めていたものが急に切られたかのようだった。

 この感覚は、安心とか満足とか、きっとそんな恥ずかしい名前をしているにちがいない。

 夕焼けの中。ローザに見送られながら、そう思った。

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