第07話 王都の流行り

「俺が、きみの馬に?」

「きみじゃなくて、キャロル! なんでこの国にいてキャロルの名前も知らないのよ!」

「そう言われましても……」


 ぷんすか、と頬を膨らませる金髪幼女――キャロルに、俺はあらためて訊ねる。


「えっと、馬になれっていうのは、お馬さんごっこがしたいってこと?」

「大まかには正解!」

「大まかには」

「正確には、馬になって王都一周してもらうの! えへへ、どう? 楽しそうでしょ?」

「お馬さんごっこにしては過酷すぎないかな!?」


 一周し終えたとき、人間としての尊厳を失くしてそうである。


「楽しそうというか苦しそうだよ、それ……膝小僧ズルズルになりそう」

「う、うるさいわね! 『マチューブ』で人気になるためには、ときにはそういう過激な動画も必要なのよ! 文句あるならアンタがネタ出ししなさいよね!」

「……マチューブ?」


 聴き慣れない単語に首をかしげると、キャロルは「ハァ?」と眉をひそめた。


「マチューブよ、マチューブ。夜寝る前とかに『魔導まどうフォン』で見てるでしょ?」

「魔導フォン……」

「……いやいや、さすがに嘘でしょ?」


 言いながら、キャロルはスカートのポケットから長方形の平べったい機械を取り出した。

 王都に来るまでの道中、カナリエが何度か見ていたものと似ている。


「これが魔導フォン。ほんとに知らないの?」

「知らない……俺、ずっと山にこもってたから」


 ずっと山暮らしだったため、どうしても流行には疎い。

 先ほど使用した最新洗濯機も、勧誘してきた騎士団のひとに使い方を教わっていたぐらいだ。

 俺の発言に、キャロルとリサは絶句した。この現代においてそんな人間が存在するのか。あんぐりと開けられたふたりの口はそう言いたげだった。


「……じゃあ、そもそもアンタは、騎士団の人間でもないってわけ?」

「ああ、まぎらわしかったかな。幼なじみがこの騎士団で働いててさ。干していたのはその幼なじみの洗濯物なんだ。俺は、今日はじめて王都に来た、ただの農家で」

「ふーん……そうだったのね。だからキャロルの名前も」


 興味を失くしたとばかりに、キャロルはため息を吐く。


「だったら、アンタを馬にするのはなしか。撮ろうとしてた動画のタイトル、『騎士馬に乗って王都一周してみた』だし」

「怖いもの知らずすぎるだろ、キャロルちゃん……」

「……今日、時間あるのよね?」


 キャロルはこちらに歩み寄ると、ふわり、とスカートを咲かせて草地に座り込んだ。


「なら、魔導フォンのこととか、教えてあげてもいいけど? マチューブも、見たければ見せてあげるし……その、騎士団の下っ端って勘違いしちゃったお詫び」


 態度は高飛車だけれど、悪い子というわけではなさそうだ。

 そのツンデレ具合は、一昔前のローザに似ていて、ちょっと懐かしい。


「な、なによ? ニヤニヤして」

「いや、なんでもない――それじゃあ、お言葉に甘えて教えてもらおうかな。やさしいんだな、キャロルちゃん」

「……別に、やさしくないし」


 気恥ずかしそうにつぶやき、キャロルは魔導フォンを手に説明をはじめた。


「ハァ、ハァ……」


 その後ろで、なぜかリサが悩ましげに息を荒げていたが、触れてはいけない気がして、あえて無視した。


「それじゃあ、はじめるわね――」


 俺を相当なおのぼりさんだと思ったのか。キャロルは、この世界における魔術の歴史から丁寧に語ってくれた。



 この世界、エリオガルには太古から『精霊』が息づいていた。

 魔力体である精霊は高い知能を有し、不思議な力を操った。

 これを『精霊魔術』と呼ぶ。

 人間があつかう魔術は、その精霊魔術をもとに編みだされたものだった。


 まれに、人間でも精霊魔術を操ることができる者がいた。彼らは精霊と契約を交わし、その人外の力を得ていた。

 こうした者を『稀人まれびと』と云う。


 ローザがまさにその稀人だった。

 ローザは四歳のとき、孤児の俺が拾われて故郷の村にくる前に、傷ついた【氷の精霊シヴァール】と契約を交わしたのだという。

 一度、精霊の力を得る上で代償デメリットはないのか? と訊ねたことがあるが、ローザは苦笑いするだけで答えてはくれなかった。

 言語化して説明するのがむずかしいのか、言いたくなかったのか、どちらなのかはいまもわからない。


 魔術は神秘の現象だった。

 過去、数多の魔術師が魔術の研鑽に励み、術式の効率化に頭を悩ませた。トンガリ帽子に黒ローブ、左手には魔導書、右手には杖。そんな古式ゆかしい姿の魔術師が当たり前に街を闊歩していた。


 だが、百年前。

 魔術式を埋め込んだ『魔導延石アーティファクト』が開発されたことにより、魔術は急速にその神秘性を失った。

 古の魔術師は滅び、精霊への畏怖は薄れ、魔術はより簡易的に、誰でも発動できるものになった。

 この変革を、『魔導革命まどうかくめい』と呼ぶ。


 魔導革命後、魔導延石を活用した産業が発展していった。軍事的なものから生活必需品まで。魔導延石は、あらゆるインフラをささえる要となった。

 ボタンひとつで火が点き、スイッチひとつで明かりが灯る。

 魔術よりも魔術めいた発明の数々が、街からトンガリ帽の影を追いやった。



 ここまでは一般常識の範囲で、もちろん俺も知っていた。

 なんなら俺の家にも魔導延石を使ったものはあるのだ。照明やコンロ、数世代前の洗濯機など、魔導革命の恩恵を俺も受けてはいた。


「ということは、キャロルちゃんが持ってるその魔導フォンにも?」

「当然、魔導延石が入ってるわよ」

「へえ、そんなに小型化してるんだ。最近の魔導延石は」


「魔導フォンが広く普及しはじめたのは十年前。同じように、魔導延石を利用した『魔導ネットワーク』ってのがあって、魔導フォンはそこに接続するための端末なの――それで、その魔導ネットにマチューブっていう動画サイトがあるの。数えきれないくらいたくさんの動画があがってて、すごいやつだと100億再生もされてたりするのよ。ほらこれ」


 キャロルは魔導フォンで、その100億再生を誇る動画を見せてくれた。

 青髪のショートカットの女性が、サイケデリックな色のお菓子を食べている動画だった。驚いたり悶絶するたびに、画面下部に文字が表示されている。テロップというらしい。


「ね、すごいでしょ?」

「もう数が大きすぎて、すごいのかどうかもわからないけど」


 苦笑いしつつ、俺は続けた。


「キャロルちゃんは、そこに動画をあげたかったんだな。自分が撮った動画を、みんなに見てもらいたかったんだ」

「……まあ、それもあるけど、その」


 どこか言い出しづらそうに、画面上の青髪の女性を見つめながら、キャロルは言う。


「夢なの。いつか、ミルルみたいになりたいな、って……」

「ミルル?」

「この青髪の子。マチューブで……ううん、エリオガルで一番有名なトップマチューバー。世界最強のインフルエンサー、なんて呼ばれてたりもするのよ」

「世界最強……」


 どこか聞き覚えのあるフレーズだった。

 どこで聞いたかは、覚えていないけれど。


「ミルルの動画を見てると、自然と笑顔になれるの。さみしいことも忘れられる……だから、キャロルもそういう動画を作れたらな、と思って」

「……キャロルちゃんの憧れなのか、そのミルルってひとは」

「わ、笑いたかったら笑えば? 笑われるのは、慣れてるし」

「? 笑うわけないだろ。大事な夢なんだから」

「……え?」

「なれるといいな、ミルルみたいに」


 夢を追いかけるひとを、俺は無条件で尊敬する。

 いまの俺には――絵本を閉じた俺にはもう、目標も夢もないからだ。

 やりたいことを見つけられた。ただそれだけで、そのひとの人生は何倍にも輝く。

 夢を捨てる前は、俺の人生もそうだった、気がする。


「…………そんなこと言われたの、はじめて」


 ボソリ、とつぶやくと、キャロルはおもむろに立ち上がった。

 説明は終わりらしい。俺も腰をあげて、尻についた草を払う。


「ありがとうな、キャロルちゃん。いろいろ教えてくれて。すこし物知りになれたよ」

「――前」

「え?」

「アンタの名前、なんて言うの?」

「あれ、名乗ってなかったっけ? レインだよ、レイン。呼び方は好きにしてくれ」

「レイン、レインね……」


 どこかうれしそうに繰り返すと、キャロルは前のめりに顔を近づけてきた。


「レインは明日もここに来るの?」

「そうだな、たぶん来ると思うよ」


 道中でカナリエにも伝えていたが、とりあえず、ローザの風邪が完治するまでは王都に滞在する予定だった。どこに泊まるかまでは、まだ決めていないけれど。


「それじゃあ、新しい動画のネタ考えてくるから、明日こそ動画撮影に協力しなさい!」

「それはいいけど……過酷なやつはやめてね?」

「さあ、それはどうかしらね!」


 花のように微笑んで、キャロルは広場の出口向けて駆けだした。


「そうだ、レイン!」


 去り際。キャロルはくるり、とこちらを振り返って、弾むように言った。


「キャロルのこと、『ちゃん』付けで呼ぶのはやめなさい! 子どもあつかいされるの、好きじゃないの!」

「わかったよ、キャロル!」

「えへへ、大儀たいぎである!」


 かわいらしく敬礼して、キャロルは満面の笑顔で広場を後にした。

 キャロルのアイデアの方向性からすると、王都一周とまではいかずとも、身体を張ったなにかをされる可能性はありそうだ。

 明日は筋肉痛待ったなしだな、と嘆息しながら、洗濯カゴを手に取って戻ろうとすると、ガシッ、と左手首を掴まれた。

 ずっと息を荒げて見守っていた使用人、リサである。


「……あの、リサさん? キャロルを追わなくてもい――」

「応援していますから~!」


 こちらの言葉をさえぎって、リサは熱弁する。

 口端に、わずかにヨダレが垂れていた。


「わたくし、身分違い物が大好物でして~! お嬢さまとレインさまのやり取りを眺めているだけで、ああ、それはそれは垂涎すいぜんものでした~!! 先ほどのちゃん付けをやめさせる場面などはもう、思わず叫びそうになりました~! 子どもではなく、対等な女性として見られたいという、お嬢さまの繊細な心情がグッときました~ッ!!」

「身分違……はい?」

「ああもう! レインさまのせいでわたくしは、おふたりという推しカプの行く末を見届けるまで死ねないことが確定してしまいましたよ~! ともあれ、お嬢さま共々よろしくお願いいたしますね~!」


 まくしたてたあと、あっさり手を離して、「それでは~」と足早に立ち去るリサ。


「……推しカプ?」


 リサがなんの話をしていたのか理解しかねるが、俺とキャロルをコンビのように捉えて楽しんでいるのはなんとなくわかった。


「むずかしいんだな、王都の流行りって……」


 王都に馴染めるかどうか不安になりながら、俺は洗濯カゴを手に騎士団寮に戻った。

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