第06話 看板勇者

 魔王討伐後、ローザは風邪を引いた。一ヶ月以上高熱が続く、タチの悪い風邪だった。それは、周りから見れば死んでしまいそうなほどにひどい風邪だった。

 最近、ようやく起き上がれるようにはなったが高熱が続いているので、レインに看病に来てもらおうと思った。これが魔王の死に際に残した呪いだとしたら、ローザの最期を看取ることになるかもしれないから。


「――という、根も葉もない大嘘をついて、レインを王都に連れてきた、と」

「そゆこと。ある日突然『レインくんに会いたい欲』を暴発させて、こっそり王都を抜けだされても困るからね。言わば、ローザのメンタルケアをしてあげたわけよ、わたしは。アンタの側にいる参謀役兼、姑としてね。姑として! 姑! としてッ!!」

「……レインから聞いたのか?」

「それはもう、しっかりと」

「…………姑って言ってゴメンなさい」

「うむ。素直に謝れてえらい――まあでも、わたしもレインくんにあとで謝っておかないと。嘘ついてゴメンねって。まさかあんなに慌てるとは思わなくってさ。すごい心配そうな顔でローザの容態を訊いてくるの。王都までの道中、さすがのわたしも心が痛んだわ」

「とても心痛めているようには見えないが……」


 てへ、と悪びれもせずウィンクするカナリエを横目に、ローザは深いため息を吐いた。


 訓練場を離れた後。

 レインに運ばれたローザは、騎士団寮の自室のベッドで横になっていた。【下克上】を発動しているレインに強引に寝かされたのだ。

 そのレインはというと、慣れた手つきでリンゴとナシをうさぎさんの形にカットすると、ローザの部屋に脱ぎ散らかされていた大量の衣類を抱え込み、寮内の洗濯場に行っていた。

 まんまオカンである。

 ローザは身体を起こし、看病という名の事情説明に来たカナリエを見やる。


「だがまあ、結果的には連れてきてもらったほうがよかったのかもな。私が『看板勇者』になってしまえば、しばらく休暇らしい休暇は取れなくなるだろうし」


 看板勇者かんばんゆうしゃ

 一騎当千、万夫不当。単身で一国を滅ぼす、絶大な戦力を有する者に与えられる称号だ。フィーゲル王国だけでなく、各国がこの看板勇者を最低ひとり据えている。

 言わば、その国の最終兵器だ。

 看板、という枕詞は、その国の代表という意味と、エリオガルの歴史上ただのひとりも『勇者』のクラスを賜った者がいないことに由来している。本物ではない、お飾りの勇者。要するに皮肉だ。

 先の魔王討伐戦で前任の看板勇者が戦死したため、魔王討伐というもっとも栄誉な功績をあげたローザが、次期看板勇者として選出されていた。


「にしても、ローザが看板勇者かあ。いまだに実感湧かないけど、戦力だけ見れば適任か。せいぜい外交の切り札として利用されちゃいなさい」

「薄情者。まあ、フィーゲル王国を護るためには致し方ないことだが……たしか、襲名式が終わったあとにすぐ国際会議があるんだよな?」

「ふぉうふぉう(そうそう)」


 枕元に置かれていたナシを勝手に頬張りながら、カナリエは続ける。


「魔王討伐のために結ばれた友好条約の更新っていう名目だけど、要は各国の看板勇者の自慢大会よ。そこで存在をアピールすることができれば、言い換えて、他国を脅すことができれば、今後フィーゲル王国に有利な交渉を進められるようになるって寸法よ」

「……清々しいほど王国の駒だな、私は。いや、もはや傀儡か?」

「まあ、お人形に代わりはないわね。でも、近衛師団のやつらよりはマシじゃない?」


 フィーゲル王国には、ふたつの『武力』が存在する。

 国王自ら指揮を執る近衛師団と、団長各位が指揮および運営をする王立騎士団だ。


 たとえるなら、エリート校と一般校。


 エリート校たる近衛師団は格式高く、給料も目が飛び出るほどの高額だが、規律がとにかく厳しい。国民の血税で働く国家公務員的な立ち位置のため、腕っぷしだけでなく、正しい倫理観を備えた人格者しか入団することはできない。


 一般校たる王立騎士団は、入団の敷居は低く給料も安いが規律は緩い。腕が立てば平民でも入団することができる。前国王が騎士団の運営権を騎士団長に譲渡する法律を定めたため、現国王の命令が届かぬ傭兵団じみた独立組織となっていた。


 どちらもこの王都に駐在しているが、そうした真逆の形態の差から、騎士団と近衛師団は犬猿の仲となっていた。


「前の看板勇者は近衛師団の人間だったから、それこそ国王の駒になって言いなりにされてたけど、ローザはちがう。平民から実力で騎士団長に成り上がって、魔王まで仕留めた『英雄』だから、国王も駒としては扱いづらいんじゃないかしらね。そんな人気者を駒扱いしたら、民意が簡単に離れちゃうもの」


 ローザが人気な理由は、なにも容姿端麗だから、というだけではない。

 いつの世も国民はシンデレラストーリーに憧れる。平民から騎士団長にまで昇り詰めたローザは、国民の期待を一手に担う『主人公』として憧れられていた。


「扱いづらいのに、私を看板勇者に選出するのだな?」

「ローザの戦力と人気が使えることに変わりはないからね。知ってる? 魔王討伐後から、王都への観光客が大量に増えてるの。英雄が住む街を一目見ようと、聖地巡礼に来る観光客が後を絶たないのよ。この好景気はアンタが看板勇者になったら加速する。扱いづらいから、なんて私怨でこの流れを断ち切るほど、国王もバカじゃないわよ――バカどころか、老獪ろうかいきわまってるって感じ」

「? というと?」

「……わたしの考えすぎかもだけど」


 ふと、カナリエは背後の扉を振り返った。

 耳をそばだて、ひとの気配がないことを確認すると、座っていた丸椅子ごとローザに近づき、小声で続ける。


「ここ数ヶ月、近衛師団の暗部がどうにもキナ臭いのよね。あっちの暗部は、ウチみたいな偵察じゃなく、国王の護衛が主な仕事でしょ? なのに、度々王都を離れていたらしいのよ。最低でも月に二度。最近は、おとなしく王都に留まってるみたいだけど」

「月に二度。国王の護衛を放棄してまで、か……目的は?」

「それがわかれば苦労しないわよ。まあ、ローザみたいに愛しの誰かに会いに行ってた、とかなら笑い話で済むんだけど。指揮してるのが国王だからちょっと気になってね」

「……念のため、引き続き調査を」

「当然――てかさー」


 と、カナリエは声のボリュームを戻して続けた。密談は終わり、という意味らしい。


「さっき『結果的には連れてきてもらったほうがよかった』とか言ってたけど、それってレインくんと会いたかった、って告白してるようなものなんですけどー? ローザにとってレインくんは、ちゃんとご褒美だったってことですかにゃー?」


 ニヤニヤ、と意地悪な笑みを浮かべるカナリエを、ローザはどこか達観した表情で見る。


「ご褒美……まあ、そうだな。そう言ってもいいのかもしれない」

「お? おお!? え、なによ、ちょっと素直になっちゃって! 担がれて密着したことで告白する覚悟でも決まったの?」

「い、いや、告白まではちょっと」


 レインの想いに気づいた(勘違い)からと言って、告白に踏み切れるわけではなかった。

 それに。


(……レインは、許してくれたのだろうか? 過去に犯した、私の罪を)


 業火に燃えるあの夜の記憶が、後悔が、ローザから告白の勇気を奪っていく。


「なーんだ、残念……まあ、ちょっとでも素直になれたのは進展か――なんであれ、いまのうちに甘えておきなさい。レインくんも、しばらく王都に滞在するって言ってたから」

「承知した――ところで、カナリエ」

「ん、なに?」

「その『レインくん』って呼び方、いつからするようになったんだ? 前までは幼なじみくんだったのに……なんか、カナリエがそう呼ぶたびにこう、胸がモヤモヤするんだが」

「……アンタ、意外と独占欲強めだったのね」


 

     □


 

 洗濯場に行くまでに7回、最新洗濯機を回している最中に3回、こうして騎士団寮横の広場で洗濯物を干しているときに5回。

 俺が、騎士団のひとたちに勧誘された回数だ。

 先ほど、俺がローザの対戦相手ののを見て、騎士としての素質アリと見込んだらしい。


(騎士、か……)


 昔は絵本の中の騎士に憧れていた。

 幼少期、ローザと日が暮れるまで剣術ごっこをしていたのはその憧れがあったからだ。いまだにローザの手合わせに付き合っているのだって、そうした思いを引きずっている証とも言える。


 だが、俺のクラスは農家だ。剣ではなく、クワを握らなければいけない。

 だから、勧誘はすべて断った。

 そういう人生なんだと、自分に言い聞かせながら。


(にしたって、騎士団全員で俺をからかってる、わけじゃないよな……?)


 王都に来ることは誰も知らなかったはずだから、それはないか。

 それと。

 うまく説明できないが、訓練場を離れたときからローザと手合わせを行ったあとのような感覚が残っていた。

 目の前で起きたことを、しっかりと認識できていないような、認識したものが間違っているととっくに気づいているような、そんな致命的な違和感。


(なんなんだろう、これ?)


 不思議に思いながら、また一着、ローザの衣類を物干しざおに干していく。


「――ちょっと、そこの下っ端!」


 最後の服を干し終えた頃、背中にそんな甲高い声が浴びせられた。

 振り返ると、豪奢なドレスを着た金髪ツインテールの子どもがいた。

 十二歳ほどだろうか。美人特有の整った顔立ちをしているが、ぷっくりとした頬に幼さが残っている。


「――お、お嬢さま、お洗濯中にご迷惑ですよ~」


 そんな金髪幼女の後ろで、使用人服を着た女性が困ったような表情で控えていた。お嬢さまという言葉から察するに、彼女はこの幼女のメイドだろうか。


「うるさいわね、リサはちょっと黙ってなさい!」

「そんな~……あ、あの、お忙しいのに、お嬢さまがすみません~……」

「いえ、ちょうど干し終わったところなので」


 何度も頭を下げてくるメイド――リサから、視線を幼女に移す。


「それで、俺になにか用かな?」

「アンタ、時間ある? あるわよね? あるって言いなさい! 言って!」

「念押しの圧がすごい……まあ、あるにはあるけど」

「そう。それじゃあ――ほら」


 言って、金髪幼女は高飛車な態度で、ビシッ、と足元の草地を指差した。


「早くひざまずいて、キャロルの馬になりなさい!」

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