第02話 下克上
レインと別れたあと。ローザが森を歩いていると、鬱蒼とした樹々の上に複数の気配が現れた。
それらは姿を見せることなく、歩み続けるローザに語りかける。
「北東の渓谷、異常なし」
「南南西の森、異常なし」
「北北西の滝付近に、イノシシ二頭を発見。対象に近づく気配なし」
「南東の川下、異常なし」
謎の報告を受け、ローザは「承知した」と冷淡に応える。
その表情は、王立騎士団の長たるソレだった。
「イノシシはレインの食糧にもなる。レインの家に近づくようであれば殺処分。彼の家の前に放置しろ。ただし、刃物傷などの人的証拠は残さないように。あくまで自然死を装った処分を心がけろ」
「「「「御意」」」」
「そのほかの方面も監視続行。レインに近づく者があれば、動物であれ人間であれ、すぐに処分を」
「「「「御意」」」」
その言葉を合図に、樹の上の気配が音もなく散開する。
しばらく森を進むと、目の前の視界が開け、舗装された山道が姿を現した。
レインが作った道だ――この道を下っていけば、麓の村に出る。そこから街道に沿って馬車に六時間ほど揺られれば、王都にたどり着く。
「あら。逢引はおしまい?」
五分ほど山道を下った先の木陰で、紫髪の女性が佇んでいた。
蠱惑的な雰囲気漂う女性だった。豊満な肉体に目尻の下がった妖艶な瞳。ローザと同じ騎士団の制服を着ていなければ、とても戦場に赴くような人間には見えない。
王立騎士団副団長、カナリエである。
カナリエは手にしていた『
「わたしはてっきり、今日も愛しの幼なじみくんの家に泊まってくるかと思ったのに」
「それは後日だ。今日はすこし、魔王城に用ができた」
「……はい?」
「今日の『確認』でも、私はレインに負けることができた。つまり、私より強い戦力を有する者は現在、この世界には存在しないということだ」
レインが授かったスキル――【
世界最強の存在に『しか』勝てないという、超ド級のレアスキルだ。
つまり。
手合わせであれなんであれ、レインに負けたローザは、負けながらにして世界最強であることが証明されたのである。
レインがおちょくられていると誤認するわけだ。
【下克上】発動中、最強を超えた彼の目には、ローザの動きがすべてスローに見えていたのだから。
これでは、穴だらけになった足場も、まさか自分が剣聖を圧倒して作られたものだとは思えない。
(相変わらず化物じみた強さだったな、レインのやつ……)
三年前。このスキルの重要性を、当のレインは理解していなかった。
農家が世界最強と対峙するわけがない、無用の長物だと、そう高をくくっていたからだ。
そうして、レインの記憶から【下克上】は忘れ去られていった。
けれど。ローザだけは忘れず、しかと覚えていた。
レインに関することで忘れた記憶など、ひとつもないのだ。
だからローザは、騎士団に入団後すぐに暗部を投入。
レインの周辺を厳重に警備させ、【下克上】を隠蔽することにした。
そのスキル特性を考えると、【下克上】は世界最強以外の存在……たとえば、世界二位以下の存在には呆気なくやられてしまうことになるからだ。
【下克上】が
また、ローザが執拗に『レインは強い』と持ち上げていたのも、隠蔽工作の一環だった。あえて大げさに主張することで冗談だと思わせ、レインが自ら【下克上】の存在に気づくきっかけを消していたのだ。
(レインは、私が守る)
その決意は、【下克上】を利用して実力を測っていることへの罪悪感ゆえか、それとも。
歩みを進めながら、ローザは続ける。
「今日も私は最強だった。そして、魔王軍のここ数年の度重なる侵攻によって、騎士団の戦力は底上げされた。皮肉なことだがな。悲願を果たすならいましかない――というわけで、カナリエ。帰ったら急いで出兵準備を。国王にも至急、魔王討伐に向かうと伝えて」
「……本気で、魔王を滅ぼす気? こんな唐突に?」
「当然だ。それがこの世界、エリオガルに生きるすべての民の願いなのだから。勝機を逃してなにが団長だ」
「ほんと、いつものことながら急なのよね、アンタは……」
坦々と話を進めるローザを追いながら、カナリエは呆れたようにため息をついた。
「了解しました、団長さま。ご命令通り、帰ったらすぐに出兵準備を進めますわ」
「頼む」
「まったく、どっちが本当のあなたなのかしらね」
「どういう意味だ?」
首をかしげるローザに、カナリエは悪戯っ子めいた笑みを向ける。
「冷徹な団長と、幼なじみと
「……どちらも本当の私だ」
「なら、さっきの笑顔を団員たちにも見せてやりなさいよ。『氷の剣聖』なんて呼ばれてるアンタの印象も、すこしは改善するでしょうに」
「さっきの笑顔?」
「アンタ、幼なじみくんと笑ってるときの自分の顔、見たことある? もうすんごいのよ。いつもキリッとしてる目尻をだらしなく下げて、デレデレ甘えた顔になるの」
「――――」
「監視に回ってる暗部の連中も言ってたわよ。あれは完璧に恋する乙女ですね、って」
「恋する、乙女……」
「告白しないの? 幼なじみくんに」
カナリエの言葉に思わず足を止めるローザ。
だが、「フッ」と余裕の笑みを浮かべると、先ほどよりも荒々しい足並みで下山を再開させた。
「戯言を。するはずないだろう、告白だなんて」
「これだけ足しげく通っておいてまだ認めないか、意地っ張りめ――え、幼なじみくんのこと嫌いなの?」
「嫌いではない。嫌いではないが、レインは家族として好きなんだ。きょうだいみたいなものだよ。レインもきっと、私のことは家族のようなものだと思っているはずだ」
「……さっき、『熱烈な求愛』だとか『求婚』だとか言ってたわよね?」
「あれこそ、家族としての戯れでしかない。
そもそも考えてもみろ。自分のきょうだいに、
『不器用でやさしくて、笑うと子どもみたいに顔がくしゃってなるのがかわいくて、だけど集中してるときの真面目な顔は誰よりもカッコいい、そんなあなたのことが世界で一番大好きです』
だなんて、告白するやつがいると思うか?」
「まさにいまわたしの目の前に現れた気がするけど……まあ、普通はいないわね。そんな恥ずかしい告白するやつは」
「そうだろ? ……恥ずかしい告白?」
「続けて」
「あ、はい。――とにかく、レインはもはや異性ではなく家族なんだ。恋愛対象にはならないよ……ま、まあ? 仮にレインから告白してきたとしたら、そのときは然るべき返事をすべきだとは思うが、そんなものは机上の空論、論ずるに値しない空想の類でしかないわけで。第一、過去にあんなことをした私にレインが振り向いてくれるはずが……」
「待って待って! ローザ、道から外れてる!」
心ここにあらずといった様子で茂みに突っ込んでいくローザ。カナリエが慌ててその手を掴み、山道に引き戻す。
「す、すまない。よそ見していた。ありがとう、カナリエ」
「ほんと、どこまでも乙女よね、アンタって……」
「? 道を間違えることが乙女なのか?」
「はいはい、いまはそれでいいわよ。ほら、しゃきっと歩く」
これ以上は言うまいと、カナリエは両肩をすくめて言及をやめる。
背を押され、前を進むローザの両耳は、先ほどの空想が尾を引いているのか、真っ赤に染まっていた。
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