第6話 宰相様のお茶とお話

「飲み物を淹れますよ。座っていてください」


 連れて行かれたのは宰相閣下の執務室。

 何とも質実剛健の……つまりは面白みの無い殺風景な部屋だった。

 ここまで遊びが無いと逆に個性的とも言えた。

 

 実家にいた頃のデイジーの部屋も見る人によっては味気ないと言われるが、デイジーはちゃんと部屋を飾っている。

 と言っても、自分の趣味らしい趣味は無いので、一般的な流行を取り入れただけのものだ。

 本人なりに頑張って流行を取り入れ続けることで、没個性になってかえって印象を薄くするのは最早デイジーの様式美である。


 宰相様はテキパキとお茶を淹れる。

 それをデイジーはボンヤリと見ていたが、どうにもお茶を蒸らすことも茶器を温めることもしていない。

 温度もおそらく考えてはいないだろう。


「さあ、どうぞ。茶菓子はあいにく有りません」


 そして、向かい側に優雅に座り長い足を組む。

 何も言わずに、自身はお茶も飲まずにデイジーをジッと観察している。

 観察していることを隠しもしない。


 毒の心配などは流石にしてないので、デイジーは茶に口をつける。


(豊かなはずの香りが無いわ。それに渋みが出てる。テキパキとしていたけど本当にそれだけなのね)


 恐れ多くも宰相様に文句をつけるほど命知らずでは無いのでアルカイックスマイルを崩さず、音を立てずにカップを置く。


「それで貴女は何故こんな時間に外に出ていたんですか?」


 デイジーに負けないアルカイックスマイルだ。

 しかし、鋼の瞳は冷徹にデイジーを観察している。

 デイジーはなるべくそれに気がついていない様に、愚鈍に見える様に心掛ける。


「よく眠れなかったもので……散歩に」


 声を穏やかに抑えて答える。


「――庭園まで行ってたんですか?」


 ゾクリと背筋が凍った。

 おそらく腕には鳥肌が立っている。


「な……ぜ?そう思ったのですか?」


(この方は信頼して良い人なのかな?

 何と言ってもベアトリーチェ姫の命が掛かっている……だけではない。

 私だって余計な事に首を突っ込めば命が危ないかも知れない。

 私はただ婚活に来ただけなのに。

 でも、私一人ではとても対処できないし、この方はベアトリーチェ様を心配されてたし……。

 だけどまだ、この方について私は何も知らない……)


 自分一人の命の事ならば直ぐに決断できただろうが、自分の仕える姫君の命までも掛かった選択と思うと、デイジーは即座に決断は出せなかった。


 肝の座っているデイジーの声が震えるのは珍しい事。

 デイジーは誤魔化すためにカップを手に取ろうとしたが、声だけじゃなく手も僅かに震えているのに気がついて膝の上にそっと戻した。


(私の反応の不自然さを見逃す人では無い……と思う)


 チラリと伺うと、美貌の宰相はフッと笑った。


「警戒しないで下さい。

 ただ単に貴女の服に花粉と花の香りが移っていたからですよ。

 あそこの花の花粉は服についたら中々取れないらしいですよ。

 この季節はメイド泣かせの花園なんです。

 で、花園で全身花粉だらけになったのは何故ですか?」


 そう言われて、デイジーは自分の姿を慌てて確認する。

 暗い色の服に黄色の花粉があちらこちらに付いていた。

 あの香りの強い花に囲まれて姿を隠していたからだ。


 デイジーは観念した。

 どうもこの人には勝てる気がしない。

 もしもこの人がベアトリーチェ姫と敵対する勢力の人間だったとしても、デイジーでは何の障害にもならないだろう。

 ならば、信じてみるしかない。


「それは――」


 デイジーは花園で見た光景を全て話した。

 何一つ取りこぼしが無いように。


「人相書きはできますか?絵が描けるのですよね?」


「――忘れないうちに描こうと思っていたところです」


 エヴァン宰相は、高級そうな手触りの良い紙を二枚くれた。

 羽ペンにインクを付けて、何とか丁寧に特徴を意識して顔と体型が分かるように描く。

 途中でポタリとインクが紙の端に垂れたのはご愛嬌。


「――上手いですね」


 その声に僅かな驚きが込められているのに気が付いてデイジーは密かに唇の端が勝手に持ち上がるのを自覚した。

 

 褒められるのは嬉しい。

 家族以外の他者から中々認識して貰えないデイジーは、強く印象に残る結果を出した瞬間……その一瞬だけ誰かの中に存在できるのだ。

 その瞬間のためならばどれくらいだって努力できた。

 デイジーには才能があった。

 何よりも努力の才能が。


 そして、直ぐに表情を消す。

 他人の心の中には、デイジーは長くはいられない。

 誰かに自分を……自分だけを見て欲しいが、それを自覚しながら叶わないのは辛い事だった。

 だから、デイジーは自ら消えるのだ。


 両親は双子の妹達に振り回されてたし、双子達はデイジーを慕っても双子同士の特有の絆の間にはデイジーは割って入ることは出来なかった。

 デイジーは二番手三番手。それでも愛されているだけ幸せな事も知っていた。


 デイジーは花園の片隅に咲く花だ。

 一番目立つ場所には他の花を。


「しかし、こんな夜中によくここまで相手の姿が見えましたね。

 かなり無理をして近づいたのでは?」


 エヴァンは絵をよく見ながら、デイジーに聞いた。


「私、目立たないのを利用して近づくの得意なんです」


「――確かに派手ではありませんが、目立たないなどとご自分を卑下するのは良く無いですよ」


 エヴァンはやはり冷たい人では無いのかも知れない、とデイジーは思った。

 言葉を選びながら諭してくれる。

 でも、デイジーのは自己卑下とかそういったレベルではないのだ。


「いいえ……私本当に目立たないんです。

 それに顔も特徴が無いと良く言われます。覚えにくいと。

 それに背も小さいし……少し子供っぽいので、髪の毛を纏めて帽子に入れてると男の子だと思われることもあるんですよ」


 男の子に間違われるのはとっておきの笑い話だ。

 声変わり前の少年だと思うらしい。

 実は実家にいた頃も、たまに街を散策するのに少年の様な格好をすることはあった。

 貴族の女性が一人で出歩くよりは安全だろうと思って。


「少年?そんな訳が……」


 疑われた。

 デイジーは無言で長い髪を一本の三つ編みにして見せる。

 特に、今は寝る前に化粧を落としてすっぴんなので、服以外は性別を判定する要因が無くなってるはずだ。

 ……こうして宰相と顔を合わせると知っていれば化粧の一つもしただろう。いや、分かっていたら外には出なかったか?

 まあ、もしもの事は言っても仕方のない事だ。


 無言で三つ編みバージョンを見せつけるデイジーを宰相様は、口を微かに開けて固まる。

 そして少し俯いた後に目を細める。


「――――なるほど。そして貴女は隠密行動が得意と言ってましたね。

 しかも、記憶力も良いようだ。絵心もある」


 エヴァンがニコリと嬉しそうに笑った。

 それまでの作られた笑顔ではない、

 まるで欲しかったオモチャを買って貰えた少年の様な無邪気な笑顔。

 冷たい印象の顔が丸っ切り覆る。


「デイジー・スミシー」


「――はい!?」


 いきなり名前を呼ばれてビックリして慌てて返事をする。


「貴女が欲しくなりました。

 ……今日はもう遅いから帰って良いですよ」


 エヴァンから笑顔は消えたが、その瞳は興味深げにデイジーを観察している。


「欲しい?――欲しい!?それってどういう!?」


 流石に男性と夜中に二人きりのシチュエーションで言われるとドギマギするセリフだ。

 感情が出にくいデイジーでも流石に平常ではいられない。


「ふ…………貴女もそんな風に慌てる事があるんですね。

 随分と自分を抑えるのが得意な女性だと思ってましたが……面白い。

 ますます興味を引かれましたよ。

 さあ、今日は早く帰りなさい。……それとも私と朝まで過ごすのをご希望ですか?」


 宰相様はからかうモードに突入したらしく、完全に面白がっている。


「いいです!結構です!帰ります!失礼しました!」


「送って行きますよ」


「いりません!おやすみなさい!」


 デイジーは返事も聞かずに慌てて部屋を出る。

 足早に自室に戻って、急いで着替えてベッドに頭から潜り込む。


「もう!酷い目にあった!」


 デイジーは中々寝付けず、寝不足で次の日を迎える事になったのだった。

 

 

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