第5話 花園の密談
デイジーはパチリと目を開けた。
窓の外はまだ真っ暗。
やはり慣れないところではしっかりと寝付くのは無理なようだ。
部屋を見渡すと、やはり単なる侍女には勿体無い広さの部屋だ。
ここは、ベアトリーチェ王女に真夜中に急にワガママを言われても対応しやすいように、と宛てがわれたデイジー専用の部屋だ。
特別扱いで他の侍女たちよりも待遇が良い……と言えなくも無いが、本当に待遇が良いなら次から次へと侍女が辞めるはずもない。
(夜中に呼び出しってそもそも何?
王女は……こう言っては何だがまだ子供なんだから朝までグッスリ寝ていて欲しい)
デイジーはゴロゴロと寝返りを打ちながら何とかもう一度寝ようと頑張ったが、そのまま時間ばかりが経過する。
「……はぁ、散歩でもしようかな」
デイジーは大人しいが行動は大胆だ。
目立たず顔や名前を覚えてもらえない事、そして、なんやかんやで爵位は高い家の令嬢である。
好き勝手な事をしてても怒られ難いし、そもそも何をしてても気付かれないので怒られようがない。
意識しなくてもそれである。
そっと気配を消して移動すると不思議な程に誰にも存在を気取られない。
だから、デイジーは夜の王宮のお散歩に出かける事にした。
――王女は……流石に初日の夜から呼びつけたりしないよね?
念の為軽く見て回る程度にしよう。
身なりを多少整えて、ドアをゆっくり音を立てない様に気をつけて開けて、そっと廊下に出る。
暗いが歩くのに不便なほどでは無い。
知らない場所を見て回ると言うよりは、眠れない夜の暇つぶしの意味合いが強い。
夜に溶けるような紺色の動きやすいドレス。
少し冷えるので暗い色味のスカーフを首元に巻くと、白い肌が隠されて暗がりの中での存在感が更に薄くなる。
別に意識してその色を選んだのではなく、暗めの色の服ばかりここに持って来ていただけのこと。
静かな足取りでデイジーは移動する。
本人は意識していないが、デイジーは足音を忍ばせなくても元から足音を殆ど立てない。
衣擦れの音も立てない。
単なる歩き方の癖の結果だが、近づいても気付かれ難いのはそういった事象も合わさっての結果なのだ。
暗い宮殿に自分一人が歩き回っていることに気を良くして、デイジーは少し外にも出てみる事にした。
(いや、自分の職場を知っておこうとするのは、仕事熱心と言えるのでは?)
自分に言い訳をしつつ辺りを見回す。
華やかさと上品さを絶妙にバランスが取られた庭園を遠目に見る。
どうせなら昼間によく見たかった。
月明かりがあれば違うかも知れないが、ちょうど今は雲間に隠れているので美しい花々も夜闇に沈んでいる。
行く当ても無いのでふらふらと近づく。
そして足を止めた。
(こんな真夜中なのに人の声がする?)
デイジーは息を潜める。
ゆっくりと滑る様に静かに移動し俯き加減になってスカーフで顔を半分隠す。
庭園の東屋でどうやら男女が話している。
濡れ場にしては親密さが足りない気がするが、デイジーはその手の知識は多少あっても実践経験が無いので判断はできない。
――まだ恋人になる前なのかも知れない。何にせよ、邪魔しない様に退散しないと。
「…………毒を」
デイジーは足を止める。
男の方の声が聞こえてしまった。
仕方なく生垣の中、先程より更に深くに身を潜らせる。
強い花の香りに包まれる。
(物騒な台詞ね。
むしろ濡れ場であったならどれだけ良かったか。
王宮で毒なんて聞いておいてなかった事になど流石に出来ない。
……聞いたところで誰に訴えるべきかは分からないけど)
デイジーは長女なのもあってか責任感が強いところがある。
妹たちのトラブルを収めるのに長年奔走して来た結果だ。
「……ベアトリーチェ」
「――!?」
更に聞き捨てならない名前が聞こえてしまった。
しかし、ここでは遠過ぎて話の内容が聞き取れない。
デイジーは、意を決して少しずつ近づいていく。
「使用人のガキにでも運ばせて……」
「新人のメイドが来るらしいからその子に任せて運ばせれば良い……」
「食事に……」
いくら目立たないと言っても、姿を隠すものが無いところにノコノコ出ていく訳には行かない。
これ以上は進むのは無理だ。
でも、話の内容はポツリポツリと漏れ聞こえる声で理解できる。
(ベアトリーチェ殿下が狙われている!)
デイジーはしばらくやり取りを聞いて大まかな計画をすっかり確認できた。
そして、男女は立ち上がる。
デイジーは更に息を詰めて体を縮こめる。
雲間から月が出て、煌々と男女の姿を照らし出した。
デイジーはその特徴をしっかりと目に焼き付ける。
「おや、美しい花だ。君に」
男の足が一輪の花に触れる。それを何本か手折って若い女に渡した。
「あら……ありがとうございます」
手渡しているのは今まさにデイジーの周辺に密集して咲いている香りの良い白い花だ。
名前は知らない。
そのまま男女の姿は見えなくなった。
念のために少し待ってから立ち上がる。
手ではたいてスカートを整えて今日の散歩は終了だ。
(とんでもない場面に出くわしてしまった。この後眠れるかな?)
見聞きした事を忘れないうちにどこかにメモでも……いや、その前に二人の顔の特徴を描いておきたい。
絵の勉強もさせてくれていた両親に感謝しなくては。
デイジーは今までに無いくらい真剣に今後のことを考えていた。
だから、ぼんやりしていた。
そして月がまた雲間に隠れてしまって、周囲が暗かったこともある。
――ボスン!
「きゃっ!」
顔面をぶつけてよろめく。
「おっと、危ない」
デイジーの二の腕を逞しい腕が掴んで転倒を防ぐ。
サッと雲間が途切れて、月明かりが相手を照らし出した。
月の光をそのままに紡いだ様な長い輝く銀髪。
刃物の鋭さを持つ眼光の持ち主。
「……宰相様」
「貴女は……デイジー・スミシー?
なぜこんな夜更けに外を出歩いている?」
運の悪いデイジーが出会ったのは寄りにもよって冷血宰相エヴァン・アラバスターであった。
デイジーは戦慄する。
(たった一度会っただけの私の顔を覚えているなんて!)
デイジーの顔は記憶力の良い人でも何度も見ないと覚えられないのが普通である。
「……少し話をしよう。ついて来なさい」
「はい……」
デイジーは内心の怯えは出さずに、しずしずと連行されていった。
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