epilogue2:むかしむかし…②
🎀
水野さんが持っていた飴玉の箱の中には、白い粉の入った小さな袋がパンパンに詰め込まれていた。私と水野さんは二人して(主に私が)警官の質問に答えた。警官と話し始めて小一時間くらいしあ頃に、養護施設の職員が私を迎えに交番へ来た。その時には、水野さんの迎えは来ていなかった。私は水野さんのことを気にしながらも、家路についた。
──あの小さな袋の中の粉。十中八九、違法薬物だ。私も、椋島の手下に似たような手口で、薬物を運ばされていたことがある。流石に運搬ルートはあれよりは複雑で、運び屋が薬物を他人に手渡す姿が第三者には絶対に見られないよう徹底されていたけど。これは後から聞いたことだけど、あの薬物には椋島と、その裏にいたイブラムという男の血が含まれていたらしい。私も薬の使用を勧められたことがあったけれど、もし使っていたら血が含まれた薬に依存し、彼らの傀儡になっていたかもしれないと、私に施設を紹介してくれた人は言っていた。今回、水野さんが運ばされそうになったのは、そういうんじゃなく、もっと普通の? だとは思うけれど。
──少しだけ、あまりよくない想像をする自分がいた。水野さんが運んでいたのが、私が運んでいたのと同じような物だったら。そしたら、またあの人達に会えるだろうか、と。そう考えて、私はかぶりを振った。良くない。良くないぞ、これは。
次の日、私は登校するなり、水野さんを探すことにした。おはよう、と挨拶をしてくれたユキちゃんに挨拶を返して早々、「水野さんって知ってる?」と聞いてしまう。軽率過ぎる。この時は本当に、一度自分の頭を抱えた。
「水野さん?
「そうそう」
「知ってるよ。同じ部活だし」
オッケー。結果的にオッケー。なるほどな、あの身長だと、バレーボール部なら、さぞ部員に頼りにされていることだろう。
「でも、どうして?」
「えっと、昨日水野さんの落とし物拾って? 返しにいけたらなーとかなんとか」
「へ? とか?」
そんな感じで、ユキちゃんは何とか誤魔化しつつ、私はユキちゃんに聞いた、水野さんのいるクラスの扉を開けた。
「水野さんいますかー!?」
思いの外、大声になる。鎮まれ、アドレナリン。果たして水野香春は、そこにいた。私はひとまず、ホッと一息つく。水野さんは私の顔を認めると、怯えたような怒ったような──えっと、その顔は何?
「来て」
私は水野さんを手招きする。水野さんはゆっくりと席から立ち上がると、私の前にやって来た。
「何」
明らかに不機嫌だった。
「えっと、昨日大丈夫だったかなーって?」
「あの後、お母さんが迎えに来た……」
「そっかあー。良かったー」
「警察も家に来て、お母さんとも色々、聞かれた」
「あー……」
水野さんの方は、そうか。私は昨日あったことを、隠すことなく交番にいた警官に伝えていた。それで、後でまた話を聞くかもしれない、とは私も言われてはいた。元々は私が警官に渡したあの飴玉の箱を持っていたのが水野さんだと言うことも、当然ちゃんと警官に言ってある。
──もしかして恨まれた、かな?
「ねえ」
水野さんがチラチラと教室にいる他の生徒達を見て、私に言った。
「その話するなら、ここじゃちょっと」
「あ、そっか。そうだよね」
私は水野さんを連れて、第一校舎と第二校舎を繋ぐ渡り廊下の辺りまで来た。クラス朝礼までそう時間もないので、あまり教室から離れるわけにもいかない。
「ま、とにかく無事でよかった」
教室を出てからずっと、水野さんは無言のままだった。渡り廊下に来ても水野さんは口を開こうとしなかったので、私はとりあえず言葉を紡ぐ。
「警察はなんて──」
「なんで、わかったの?」
話をしようとした私の言葉を無視して、水野さんがようやく口を開いた。
「なんでって」
「私が、あれ持ってるって」
ああ、そっか。水野さんとしては、細心の注意を払っていたはずだ。もし私以外の人にあの飴玉の箱を見られたとして、特に問題はない筈だったのだ。
「えっと──」
水野さんの問いかけに、私は言葉を探した。何て答えたら良い? 勘? うん、確かに勘だ。水野さんがヤバい物を運んでいるなんて、確証はなかった。飴玉の箱だって、ただ水野さんが落とし物を拾っただけなのかもしれなかったし。だけど、もしも私が想像している通りだとするなら──目の前での出来事を、無視することなんて、私にはできない。
「──私も、似たようなことしてたから」
だから結局、私は正直に話した。水野さんは、私の答えに対してすぐには何も言うことなく、ただじっと私の目を見つめた。それから、小さく鼻息を出して、一瞬目を瞑った。
「そう、なんだ」
「うん、自分もやらないか勧められたりしたよ。やんなくて良かった」
「そうだね」
水野さんは、私に何を言うべきか考えあぐねている様子だった。自分でも、おそらく彼女の考えていた想定解とは違う答えをしたんだろうな、という自覚はある。うーむ、そろそろクラス朝礼も始まってしまう。このまま二人ギクシャクしていても時間がもったいない。
「あ」
私の頭に一つ、アイデアが浮かぶ。ひとまずそれを水野さんに伝えよう。
「あのさ、もし水野さんさえ良かったらなんだけど──」
💧
「──何で私がこんなこと」
「良いじゃん良いじゃん! せっかくなんだからさー」
水野さんと朝、学校の渡り廊下で話した日から数日後の日曜日、私と水野さんは、児童養護施設の子ども達に、紙芝居の読み聞かせをしていた。私が今お世話になっている施設では、私が最年長。元々、料理も含めて家の手伝いが嫌いではなかった私は、施設に来てからも色々とスタッフの仕事を手伝っている。高校生になった今は、ちゃんとバイトとして対価ももらっている。
私が紙芝居を読む係、水野さんは私の補佐と子ども達の面倒を見る手伝い。皆がお話に目が向いていても、中にはよそ見をする子もいるから、そういう子がいたら一緒に紙芝居を見ようとか声かけて、無理そうなら危ないことしないように見張ってれば良いよ的な指示を水野さんには出した。
今日のお話は、泣いた赤鬼。この施設では、あまり定番のお話とも言えないが、子ども達に読む話として私がお気に入りだ。人間と友達になりたい赤鬼の相談を聞いた青鬼が、自分か悪者を演じてそれを赤鬼が追い払えば良いと、提案する。青鬼は、人間と仲良くなった赤鬼を見て、自分と仲良くしているとまた人間とは友達ではいられないから、と赤鬼の前から姿を消す。ざっくり、そういうお話。
子供たちも、もう何度も聞いているお話なので、私が次に捲るシーンを覚えている子もいる。そんな時、私は人差し指に手を当てて「知らない子もいるからね」と笑顔で制しているが、限界もある。今日は水野さんも一緒に、私と同じ仕草をして、そういう子を諌めてくれた。水野さんは時折、子供達にもみくちゃにされながらも、苦笑を顔に浮かべてしっかりと子供達のお世話をしてくれた。それだけ見ても、悪い人じゃないんだろうな、と思う私はチョロいんだろうか。
──渡り廊下で私が水野さんに提案したのは、私のいる施設に水野さんも来ないか、ということ。水野さんの家の事情はしっかり知らないけど、水野さんが良くない大人とやり取りをしたのは確実だし、警察もその捜査をするというのであれば、しばらくの間だけでも、友達の家にお泊りのつもりでどうか、施設の人や学校には私が話つけるから、と。私の提案に、水野さんは最初、めちゃくちゃ怪訝な顔をした。うん、まあそりゃそうだよね。結局その日は、朝礼時間のチャイムが鳴って、私と水野さんはそれぞれ自分のクラスに戻った。流石にちょっと馴れ馴れし過ぎたか、なんて授業中に反省もした。あくまで提案だ。決めるのは水野さん、のつもりでいたら、昼休みに今度は水野さんの方から私のクラスに来てくれた。
──あなたの提案、のむよ。と。
「桜木さん、だっけ」
紙芝居の読み聞かせが終わって、子供達を解散させた後、部屋の片付けをしながら水野さんが話しかけて来た。
「ひめで良いよ。あ、一応言っとくとそういう名前ね」
たまに「ひめって呼んで」って言うと、違う意味で取られて変な顔されることあるんだよな。
「まだそんなに仲良くない」
だが、名前呼びの提案は、水野さんにバッサリと切り捨てられてしまった。
「ま、そっか」
「桜木さん、なんかすごいね。猪突猛進というか」
「褒め言葉として受け取っておきましょう」
「昔から、そうなの?」
「何が?」
水野さんは部屋に散らばったゴミを拾う手をピタリと止める。それから少し考える素振りをして、私の顔を見た。
「だって、知らない人間を自分ちに招いてとか」
「家とは違うし」
「とにかく、世話焼きが過ぎるでしょ」
「水野さんはそういうの嫌い?」
水野さんはまた考え込む。答えにくい質問をされると、黙ってしまう癖があるようだった。
「──そんなことない。正直、家には居づらかったし、助かった」
「親と反り合わないの?」
「違う。親は悪くない」
「ふうん。私もさ、今もお母さんとは会うんだ。私はお母さんのことは嫌いになれなくて。昔、家出して心配させちゃったなって負い目もあるし」
「家出したんだ」
「したのです」
そんな感じで、何でもないことのように自分のことを話す。水野さんにも自分のことを話してほしい、というわけではないけれど、何でも話しやすい空気は作りたかった。
「うち、お母さんが頑張ってるけど、それでも生活大変そうで」
そして私としては嬉しいことに、水野さんも何となく自分のことを話し始めてくれた。
「なんとか、お母さんの為になりたくて。それで、うちでもお金稼げる仕事があるって聞いて、それで」
「それで、か」
ふうん。でも、そうだとすると──。
水野さんは私とは違う。私は、自分の家にいるのが嫌で、逃げ出したんだから。
「えらいね、水野さん」
「そんなことない。馬鹿なことしたってのは、ちゃんと自分でも分かってる」
「でも、自分で何とかしようって思ったわけでしょ」
それはやっぱり、すごいことだと思う。
「でも、大人に頼らずに自分だけでってのは多分、良くないんだよ。私ら、言うてまだ子供なんだ」
「……そうだね」
「一人で何とかしようって思っても、結局誰かなしでは何もできない。なら、最初から頼るつもりで、そんで頼る大人はちゃんと選ばないとなーって、私は昔変なことに首突っ込んじゃってから、そう思ったよ」
「そう、なのかも」
水野さんは小さく息を吐いて、またゴミを拾い始めた。私の方も、子供達が使った紙コップや紙皿をどんどんゴミ袋に詰めていく。部屋の掃除が一通り終わって、私は額の汗を拭った。
「終わったー! お疲れ様!」
「お疲れ様」
水野さんは疲れた様子で、その場にしゃがんだ。私は水野さんに、言葉達が残した烏龍茶のペットボトルを渡す。
「ありがと」
「どういたしまして」
水野さんはペットボトルの蓋を開けて、ごくごくと一気に中身を飲み干した。良い飲みっぷりだ。
「──さっきの話なんだけどさ」
水野さんは飲み終えたペットボトルの蓋をキュッと閉めて、ボトルを抱きかかえるように持った。
「さっきの話?」
「何でそんなに、世話焼くの」
「私は別に──」
今度は私の方が、答えに窮する番だった。何でと言われましても。
──そこで、私の脳裏に、あの人たちの姿が浮かんだ。
家が燃え盛る火事の中から私を抱えて助けてくれた綺麗な横顔、路地裏で男に詰め寄られていた時に私を助けてくれた面倒くさそうな顔、行く場をなくした私に嫌な顔をせずに一緒にいてくれた優しい顔──。
「私、昔色々な人に助けられたから」
そんな人達の顔を頭に浮かべながら、言葉を紡ぐ。
「単純に私、その人達の真似してるだけなんだ」
「ふうん……」
水野さんは立ち上がると、中身が空になったペットボトルを、私が部屋の隅に置いたゴミ袋の中に放り込んだ。
「じゃ、うちはその人達に感謝だ」
「いや、私は?」
「ふふ」
水野さんが、笑った。子供達がいた時に見せた苦笑は別にして、多分私は彼女が自然に笑った顔を初めて見たな、と思う。
「当然、桜木さんにも。ありがと」
「ひめで良いのになー」
水野さんは少し大仰にも、私に向かって頭を下げた。私は少しこそばゆい気持ちを覚えながらも、こちらも立ち上がり、同じように頭を下げた。
「いえいえ、どういたしまして」
二人同時に、顔を上げる。お互いの顔を見合わせて、私達はどちらともなく、にっこりと笑った。
🎀
「ここ、かな?」
スマホの地図アプリを頼りに、知らない町の初めて訪れる場所で、私は上を見上げる。家の表札にかかっている苗字を見て、多分そう、間違いなく、きっとそう、と心の中で頷く。
──三年前から持っているメモ帳の切れ端、そこに書かれていた住所の場所に私は来ていた。
水野さんは結局、一か月ほど施設で私と一緒に生活をして、子供たちの世話なんかもしながら、自分の家に戻っていった。娘が家のことわ心配して、良くないバイトに手を染めたことを知った水野さんのお母さんは、水野さんとしっかり話し合って、今後のことを一緒に相談したそうだ。お金のことだから、すぐに改善されるわけでもないかもしれないけど、そうやって親子で話し合えるんだったら、大丈夫だと思う。
「──私と違って」
そんな自虐も吐き出しつつ、私は「村瀬」と表札のかかれた家の前で、立ち止まる。私を助けてくれた人。眞弓さん、リコさん、一果さん、それに──叶斗さん。彼には、何かあった時の為にと彼の住所の書かれたメモの切れ端をもらっていた。三年前のことは夢のように感じる。それもとびきりの悪夢だ。それでも、その悪夢の中にも、希望があった。あの家で過ごした日々は、私の中にある色々なものの元になっている。水野さんと少しの間、一緒に暮らしてそう感じた私は、その感謝をちゃんと伝えたくなった。
──きっと、あの人達にはもう二度と会うことはない。けれど、自分が救われたのだということを、知らせることはしても良いはずだ。
ユキちゃんの家の近くを騒がしたという、吸血鬼のニュースはもう聞かれなくなった。犯人が捕まったというニュースは聞かないが、もしかしたら、今度もまた救われた人がいるのだと思う。
「──流石に吸血鬼の話はできないよな」
話せるところと話せないところと、一応事前に整理はしてきたけれど、改めて声に出して確認する。私は人差し指を突き出して、インターホンを押した。
Once upon a time in the bloody world...to be continued.
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