epilogue2:むかしむかし…①

🎀


「ひめー、一緒に帰ろー」


 部活を終えて校門を出ると、ユキちゃんが声を掛けてきた。小柄でせかせかと動くユキちゃんはいつもながら可愛らしいなあ、なんてことを思いながら、私はにっこりと笑う。


「うん、ユキちゃんもちょうど部活終わり?」

「そうそう。やばいー疲れたーと思ってたら、ひめの顔が見えたから飛んできた」


 ユキちゃんはそんなことをニコニコしながら言う。私は演劇部、ユキちゃんは女子バレーボール部で、いつも部活の終わりの時間が被るわけではない。だけど、彼女はクラスメイトの中でもかなり仲の良い友達なので、こうして機会が合えば一緒に帰ることは多い。


「それはそれは、お疲れ様。帰りにコンビニ寄る?」

「寄るー。愛しのマイプリンセスは優しい」

「プリンセスはやめなさいて」


 学校帰りに他愛ない話を友達として、家に帰る。何気ないいつもの日常だけど、ふとした時には私は「ああ、今平和だな」と感じる。生活に息苦しさを感じて家出をしたのがもう三年も前の話になる。ユキちゃんに言った通り、途中でコンビニに寄り道をした。私はユキちゃんにカフェラテを一杯奢ってあげて、友達や先生の愚痴なんかを言い合いながら、駅に向かった。私もユキちゃんも電車通学だ。


「ねえ、このニュース見た?」


 ユキちゃんと駄弁りながら駅まで歩いて、ホームで二人、電車を待っている時に、ユキちゃんが自分のスマホの画面を私に見せた。ニュースアプリの記事で、私はその見出しを見て一瞬びくりと体を震わせる。


『男性遺体から血液消失 埼玉県警が殺人事件で捜査』


 ──見た。三年前、東京新宿や千葉県流山市であった事件とも関連付けて、吸血鬼の再来だと騒ぐまとめ記事も、私は読んでいる。同一犯の犯行説、本物の吸血鬼説、模倣犯説。あらゆる方向から事件について、色々な人が考察を繰り広げている様は、この人たちは実際には事件について心配なんかしていなくて、ただセンセーショナルな事件に興奮してるだけなんだろうな、と思うと嫌な目眩がしたけれど、結局色々な記事に目を通してしまった。


「うん、知ってる。怖いよね」


 私が静かに言うと「ホントだよー」とユキちゃんは溜息を漏らした。


「事件あったの、私の家の近くだからさ。今日もお母さんに、あなたも気をつけなさいねって言われて送り出されてきた」

「良いお母さんじゃん」

「いや、そうじゃなくて。犯人、早く捕まってほしいなって」

「……うん、そうだね」


 ユキちゃんの言葉に頷きながら、私の頭の中にぼんやりとした記憶がよみがえってくる。

 ──三年前のあの時の記憶は、まるで夢か何かのように思える。

 家から逃げた私がまず直面したのは、当然のように資金問題だ。頼れる大人もいない。子供が一人、街を歩いていてお金がないと口にしたなら警察のご厄介になるに決まっている。それが嫌だった私は、それこそニュースで適当に見たつたない知識をもとに、手持ちにあるお金で新宿を訪れた。最初のうち、私は自分に声をかけてくる男の人に、自分の歳を誤魔化して伝えて泊まらせてもらうことを繰り返した。多分、ほとんどの男は私が歳を誤魔化していることを分かっていただろうけど、小さな女の子を家に連れ込むことに良心の呵責なんて覚えない彼らは、そんなことわざわざ指摘しない。


「お前さ、金ないってんなら良いバイトあんだけど」


 だから、私が適当に声をかけて家に連れて行ってもらった気怠そうな男に、あまり寝心地が良いとは言えないベッドの上でバイトを紹介されたのも、当然の流れと言えた。男の名前も覚えていない。その男は全裸のままスマホをいじって紹介先の住所を調べると、その住所をメモに書いて渡した。男は私にメモを渡すと自分の役目は終わったとでも言うようにまた布団の上に寝転がり、勝手に眠った。私は男に脱がされたてくしゃくしゃになった服を拾い集めて着てから、メモを元に男に紹介された住所に行った。

 私と同じように、お金を求める子供たちがそこにはたくさんいた。警察に見つかれば補導される年齢の私たちは、普通のバイトをすることは当然できない。それで私達のような子供ができることは専ら、怪しいものばかりだ。大人が嫌で大人に頼りたくないのに、生きる為に悪い大人の世話になるしかない矛盾。そんなものに気付いても、目を瞑るしかない。私も含めて。私もまた例に漏れず、そんな子供を喰い物にする悪い大人、所謂半グレ組織の都合の良い駒として利用されるようになった。

 ──椋島という男が率いるその半グレグループが如何に危険な物であったのか、その時の私はまだ知らなかった。



🌙


「ヒメちゃん、電車来たよ」 


 ユキちゃんに肩を叩かれて、私は心臓が飛び上がりそうになった。少し、物思いに耽り過ぎた。


「大丈夫?」


 ユキちゃんが心配そうに私の顔を覗き込む。私は「大丈夫大丈夫」と頷いて、急いでユキちゃんと一緒に電車に乗り込んだ。


「ごめん、ボーッとしてた」

「ま、部活終わりだとねー。私もよく降りなきゃいけない駅を通り過ぎちゃう」

「それはしっかりしなよ」


 本当に何気ない会話で二人して笑い合う。私達の前に座っているサラリーマンが迷惑そうに咳払いしたのを見て、私とユキちゃんはお互い自分の口に人差し指を当てて、今度は静かに笑った。

 そんな中、私はユキちゃんが見せてくれたニュース記事の見出しをまた思い出す。

 吸血鬼か。私があのニュースの話題をくまなく調べてしまったのは、三年前私を助けてくれた人達の話題が、どこかにあるかもしれないと思ってしまったからだ。

 ──私を助けてくれたあの三人がいなかったら、もしかすると私も吸血鬼の餌食になっていたかもしれない。


「あ、私もう降りるねー」


 電車が駅に停まり、ユキちゃんが私に手を振った。


「うん、じゃあユキちゃん、また明日ー」

「また明日ー!」

「気をつけて帰んなよー」

「おーけー、マイプリンセス」


 ユキちゃんはおどけた調子で電車から降りて、私の視界から姿を消す。電車の中も空いてきて、座れる席があったので、私は部活で疲れた体を座席に預ける。しばらくボーッと、向かいの窓から見える景色を見ていた。一度思い出してしまうと、昔のことがどんどん頭の中に溢れてくる。

 半グレとは縁を切り、色々あって児童養護施設のお世話になることになった私だが、母とは今でも月一くらいの頻度で面会をしている。母も休息が必要だったのだ。女手一人で私を育ててきて、一生懸命働いて、それでも生活はギリギリで。そんな中でも頑張って頑張って。そんな母のことを、嫌いにはなれない。母は、自分が連れて来た男に私が暴力を加えられるのを止められなかった。仕事に行きたくても行けなくなって、男の稼ぎで養われて、それで母も強く男に反発することができなかった。色々な方向から精神を根こそぎ削られて母も限界だったんだと、今ならそうも思える。


 ──ふと、目の前にいる女の子の姿が目に入った。女の子はキョロキョロと辺りを見渡している。その挙動不審な様子が、どうも気になった。女の子はかなり身長が高い。隣に立っているおじさんよりも高い。次の駅に着いて、女の子は優先席に座る。他に空いている席もあるのに。それ自体は別に、おかしなことと言うわけでもない。むしろ他の席が空いているからこそ優先席に座っても問題ない。女の子はまだそわそわとしている。あの子には、見覚えがある。確か、クラスは違うけど同じ学年の女子だ。名前はえっと、水野こはるさんだっけ?

 水野さんはハァと一息つくと、座席の下に手を伸ばした。しばらく手をモゾモゾさせてから次に手を座席の下から抜き出した時、彼女の手に何かが握られているのを見て、私は目を見開く。電車が停まる。水野さんはスッと立ち上がると、小走りで電車の外に出た。私も急いで彼女の後を追う。

 ──何やってるんだ私。

 あんなの、私が気にすることじゃない。でも、気づいちゃったんだから、しょうがないじゃん。


「待って!」


 私は声に出して叫ぶ。水野さんは、電車から降りる人の波をかき分けて、ホームの階段を降りる。私は彼女の姿を見失うまいと、集中する。階段を降りて、駅の改札が目に入る。水野さんはそこで一瞬立ち止まる。定期券を取り出すのを忘れていたようだ。私は一気に彼女との距離を詰めた。水野さんが改札を通る。私の定期はスマホ連動だから大丈夫。問題ない。それからえっと、えっと──。


「──な、何!?」


 驚いた様子で水野さんが私の方を振り向いた。気づけば、私は水野さんの腕を掴んでいた。こうして近付いてみると、水野さんと私の身長差はかなりある。頭ひとつ分くらい。あ、えっと、突っ走り過ぎたな──。


「あの、その」


 夢中で何も考えていなかった私は、何と言って良いか分からず、変にどもってしまった。


「あ、あの! 水野さん! だよね!?」

「え? え? そう、だけど……」

「あの、えっと、それ何かな!?」


 私は水野さんの腕を掴んだまま、彼女の持っている物を指差す。私は自分の頭を抱えたくなった。違う。そうじゃないって。


「それは……」


 水野さんの目が明らかに泳いだ。どうして彼女に目が行ったのか分かった。私も昔、似たようなことをしたことがある。水野さんの手には、何の変哲もない飴玉の箱が握られていた。本当に何でもない、その辺のコンビニで買えるような奴。


「来て」

「!? ちょっと!」


 水野さんが私の手を振り解こうとした。うお、力強ッ! 私は手を振り解かれる前に、水野さんが手に持っている飴玉の箱を強奪する。もう! こうなったら強行突破だ。私は水野さんに振り解かれた手でもう一度彼女の腕を掴む。そのまま彼女を引っ張るようにして、私は近くにある交番に向かった。


「離してッ!」


 水野さんが大声で叫んで、もう一度私の手を振り解こうとする。けれど、それが良くなかった。いや、私にとっては幸運だった。交番から警官が一人、何事かと飛び出して来る。私はすぐさま飴玉の箱を警官に渡した。


「それっ! 調べて!」


 水野さんもそこで逃げるよりも、観念する方を選んだらしい。顔を真っ青にしながら暴れるのをやめて大人しくなり、その場に座り込んだ。彼女の腕を掴んでいた私は、その勢いで尻餅をつく。警官は慌てた様子で私に手を差し伸べる。


「あ、ありがとうございます……」


 私は警官の手を握り、立ち上がらせてもらい、汚れた自分の制服を手でパンパンと叩いた。

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