Epilogue
epilogue1:僕と彼女の逃避行
🌙
見慣れた風景、見慣れた街、見慣れた星空。
ここを出てから少ししか経っていない筈なのに、懐かしさを覚えて胸がじんとする。僕はどこよりも見慣れた家の郵便受けに手紙と壊れたスマホを入れる。家の電気はもう消えていた。もう夜遅い。当然だ。
「良いのか?」
名残惜しさを感じながら家から遠ざかると、近くの電柱で待っていた眞弓が僕を睨み付けて言った。
「うん。機会があればまた来る。手紙にも、そう書いておいた」
僕がもう使うことのないスマホと一緒に、自宅の郵便受けに入れた手紙には、自分がまだ生きていること、事情があって簡単には家に戻ってこれないこと、多分僕を探したところで見つからないこと、もしかしたら僕の友達だと言って訪ねてくる女の子がいるかもしれないから、その子には優しくしてほしいこと、そんな色々を書き連ねた。簡素な内容にとどめようと思っていたのに、気付けば百均で買った便箋一枚なんかには書ききれなくて、結局十枚以上の手紙になってしまった。手紙を畳んで入れて厚めになった封筒を、両親のいる家の郵便受けに置いていくことは僕にとって、かつての日常とのせめてもの別れの儀式だった。
実家に一度戻りたい旨を話すと、喜谷さんは複雑そうな表情をした。魔狩りとして生きていくのであれば、行方不明の状態を意地するか、死んだことにする方が良い、というのが彼女の考えだった。正に冬夜がそうだったように、自分の敵対する存在の身内を真っ先に狙う吸血鬼のことを考えると、家族がいることは重荷になる。僕の選ぶ道はそういう道であり、今からで考え直しても遅くはないと、喜谷さんは厳しくも優しい口調で言った。
「ただ、挨拶ができるのであれば、するに越したことはないと思います」
姉弟子はそうも言ってくれた。それで結局、手紙だけを置いてきた。僕は自撮り写真も一緒にいれることを検討したが、それは喜谷さんに止められた。手紙だけであれば、本当に僕の書いた手紙ではなく、誰かの悪戯だという可能性も残る。それくらいが、ギリギリのラインだった。
「眞弓はどこか、寄りたいところない?」
「ふん」
眞弓は不機嫌そうに鼻を鳴らす。
「──元々、俺の故郷ではない」
「そっか……」
僕は左手の義手を動かして、偽名を使って新しく契約したスマホを手に取った。僕の失った左腕は今、義手に置き換えられている。銀と鉄でできたこの腕は、僕が二体の吸血鬼を貫いた鉄杭と同じ効果を魔にもたらす。と、喜谷さんは言っていたが、実戦で使用したことはない。とは言え、喜谷さんには義手を元あった腕と同じように動かせるレベルになるようにと、かなり厳しく扱かれた。お陰で今は、この対魔義手を今では生身ではなくとも自分の本当の身体のように扱える、ようになったと思う。
──今日が僕の、魔を狩る者としての初陣の日である。
「魔狩りからの連絡は未だか」
「そろそろだと思う──あ、ちょうど来た」
喜谷さんからの電話がかかってきて、無音でスマホが振動する。僕は通話ボタンをタップして、眞弓にも会話内容が聴こえるよう彼女にはスマホに無線接続したイヤホンを渡す。
『用事は済みましたか』
「はい。勝手な我儘を聞いてくれて、ありがとうございます」
『……家族との別れを禁じる程、私も鬼じゃありません』
電話の向こうで、喜谷さんが深く息を吐いた音が聞こえた。
『二人とも準備は万端ですか? こっちは──』
『──叶斗ー? 早くこっち来てよー。堅物眼鏡と二人とかマジ嫌になるからさー』
喜谷さんの言葉を遮るように、リコの声が電話口で響いた。僕と眞弓が故郷に戻っている間、リコは喜谷さんの監視を受けて二人で行動していた。僕の魔狩りとしての活動に、リコも協力してくれることに、喜谷さんは意外にも賛成だった。曰く、「リリー・カーネイジ・コールコデットをも従える新人というのは、大いに箔がつく」とのこと。
「但し、一度でも人間を害することがあれば直ちに駆除対象となりますから、そのつもりで。叶斗さんも良いですね?」
僕と眞弓とリコ、トリオでの活動を認めた後、喜谷さんは鋭い眼差しを僕らに向けて、そう付け加えた。僕はその言葉に、即座に頷いた。
──実のところ、眞弓と一緒に魔狩りをすることに対して一番難色を示したのは僕だ。傲岸不遜な吸血鬼、その人格の中に元の眞弓がいる。あの日、そのことを強く実感した僕は改めて、彼女を戦わせ続けることを躊躇った。けれど、そんな僕の躊躇いは彼女の言葉で簡単に吹き飛んだ。
──俺と貴様は共犯だろう。
「リコめ。相変わらず小煩い」
眞弓が、電話の向こうから聴こえるリコの声に顔を顰めて、イヤホンを一度耳から外した。眞弓とリコの反りが合わないのも、相変わらずだ。ただ、知らないうちに二人とも、お互いを名前で呼ぶようにはなっていた。眞弓の方はどうだか知らないが、リコが言うには「だって眞弓ちゃん、もう雑魚とは言えないし」とのこと。
──眞弓の魔としての力は、日々強くなっている。今はもう、日に三度の吸血だけでは足らず、吸血衝動を抑えるのにも苦労しており、彼女が望む時に僕が血を差し出すようになっていた。それに眞弓はもう、陽の光の下を歩けない。陽の光を浴びると、全身を火傷するような状態になってしまう。以前のように、人間と同じ生活サイクルをしていたある日、初めて眞弓が日光に苦しみだした時、僕はかつてない程に焦った。
──新宿で噂される吸血鬼の存在。それは魔狩りのネットワークを持ってしても、完全に隠し切れるモノではなかった。冬夜と椋島が消えても、その被害者の口全てを塞げるわけでもない。そうした吸血鬼に対する恐怖が、あの場で生き残った眞弓の魔としての強度を上げている、というのな喜谷さんの見解だ。あの日彼女は吸血鬼らしく、不死者らしく戦い過ぎた。そのことに気が回らなかった自分のことは、悔やんでも悔やみきれない。
『とにかく、今後あなた方がどう生きていくか。それが本日のミッションにはかかっています。ゆめゆめお忘れなきように。分かっていますね?』
「はい。分かっています」
「ふん、愚問だ。この俺の偉大さを、貴様らもとくと見るが良い」
僕と眞弓はお互いの顔を見合わせて、頷き合う。ここからまた、二人で死から逃げる新たな逃避行が始まる。
『今回、あなた方が対峙するのは所謂、
「はい!」
通話を切り、僕らは夜の闇の中を駆ける。僕は眞弓の手を握る。眞弓も僕の手を握り返した。眞弓は僕を引っ張り上げて、力強く地面を蹴る。僕らは跳躍する。見慣れているが、こんな高さからは見たことのない夜の街が、遠ざかって行く。
「それじゃあ行くよ」
「はッ! 当然だ。俺の手、決して離すなよ」
「心配しなくたって、絶対に離すつもりなんてない」
僕は眞弓はお互いの手を、これ以上にない強さで握り締め合う。僕ら二人は夜の風を切り、生き続ける為に、闇を駆ける──。
She eats my blood...fin.
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