終わらない黄昏時④
残された部屋の中、僕は下着を履き直して喜谷さんたちが来るのを待つ。待っている間、またあの倉庫で見せた眞弓の瞳を思い出していた。元の眞弓もやっぱり、完全に消えたわけじゃない。そのことは、この数ヶ月あった出来事の中で、僕の心を最も穏やかにした。
しばらく経って喜谷さんがリコとヒメちゃんを連れて、辺りをキョロキョロと見回しながら、部屋の中に入ってきた。喜谷さんはベッドの上に座る僕の姿を確認すると咳払いをして、「先程の話の続きです」と口を開いた。
🎀
「叶斗さん、お疲れ様」
「ヒメちゃん。うん、お疲れ様」
独り自分の部屋で外を眺めているところ、ヒメちゃんがお粥を持って部屋にきてくれた。あの後、喜谷さんと色々なことを話して、僕と眞弓はまた別々の部屋で休養することを求められた。リコもあの戦いでは負傷していたけれど、僕や眞弓とは違い、ずっと元気の良い調子だった。喜谷さんは今外出しているのだが、「あなたは監視対象ですので」と、その際にリコも一緒に連れて行った。ヒメちゃんは、僕が意識を失っている最中も自分から望んで僕の身の回りの世話を手伝ってくれていたらしい。僕にはヒメちゃんを危険な目に合わせてしまったという負い目がある。それで、そんなことまでしなくて良かったのにと言ったら「そんなこと言わないでください」と、ピシャリと僕を叱るような口調で言われてしまった。
「具合はどう?」
「うん、自分で歩いたりするのはまだ大変だけど、頭痛とかそういうのは今はあまりない」
「良かった」
ヒメちゃんは、はにかむように笑って、僕にお粥を手渡してくれた。僕はヒメちゃんに例を言って、また外を見る。窓からは山々が見える。部屋に戻された後、地方かどこかの山奥かと思って見ていたら、喜谷さんが「ここも東京ですよ。多摩の青梅市です」と言われて少し驚いた。東京も都心から離れると、これだけ自然豊かな場所があるというのは、知識では何となく知っていても、意外には違いなかった。
この建物は元々、民家として利用されていた物を、喜谷さんが拠点として利用しているらしく、僕と眞弓が寝ている部屋も元は宿泊部屋だったところを改装したそうだ。喜谷さんが言うには、この建物の周りは、リコと眞弓が万が一暴走した時に備えて、他の魔狩りが何人か見張っているとのことだったが、僕はその姿を未だ見ていない。
「ヒメちゃん、明日には発つんだよね」
「うん」
喜谷さんとは、ヒメちゃんの今後のことも話し合った。眞弓が僕を吸血する前に話していた通り、ヒメちゃんは喜谷さんの伝手で児童保護施設の世話になることになった。ヒメちゃんは自分の家のことは最後まで語りたがらなかったけれど「大人の話も、こちらの責任です」と深入りせず話を進める喜谷さんは、僕の目にはとても頼もしく思えた。結局、僕のできたことは殆どなくて、寧ろヒメちゃんを吸血鬼という危険な闇の世界に巻き込んでしまっただけ──。そんなことを考えていた僕の気持ちを読むかのように、喜谷さんは携帯端末で数枚の写真を見せてくれた。
「これは?」
「あの倉庫で監禁されていた人達です」
その時、喜谷さんが僕に見せたのは、狭い部屋で身を寄せ合っている人々の写真だった。若い女性が多いが、男女問わない児童に、指先が木の枝みたいになっている老人まで、色々な人の姿がある。皆、一様に怯えた目をしていた。
「それって──」
「イブラム、それに彼の眷属として仕えていた椋島という男、そして
喜谷さんは写真を一枚一枚ゆっくりと僕に見せながらそう説明し、僕の目を見て力強い口調で断言した。
「あなたは魔狩りとして吸血鬼を狩り、多くの人を救いました。それが私の知る全てです。桜木緋芽も、あなたが救ったうちの一人ですよ」と──。
その言葉には、僕の方が救われた。良いことをしたなんて思っていない。多分僕はこれからも、椋島と冬夜に鉄杭を突き刺した時の生々しい感触を、ことある度に思い出すと思う。それでも喜谷さんは一貫して「あなたは魔狩りです。もう、そうなのです」と、僕の現状を彼女らの理屈に絡め取ってくれた。それに僕はこれ以上なく、ホッとしている。リコに言われるまでもなく、僕はまだまだ未熟で、子供だ。──そしてそれは、卑下することではないんだろう。
「叶斗さんも、会いに来てくれるんでしょ」
「うん。ヒメちゃんの生活が落ち着くまでは」
色々なことが片付けば、ヒメちゃんとはそれきりだ。喜谷さんとも、そういう約束でヒメちゃんを任せることに決まった。すぐとはいかないだろうけど、魔の世界に彼女がこれ以上関わる理由はない。
「叶斗さん、色々ありがとうね」
ヒメちゃんは顔を赤らめて小さな声でつぶやいた。
「僕らの方こそ。ヒメちゃんがいなかったら、未だふらふら街中を彷徨ってたかもだし」
東京に来て、あの人の家を探そうとしたは良いものの、ヒメちゃんが声を掛けてくれなければ、僕らはもうしばらく路頭に迷っていただろう。
「うん。叶斗さんがそう言ってくれて、嬉しかった。流石モテ男」
「だから違うってば」
「私、叶斗さん達と暮らして、楽しかった。リコさんも優しかったし、眞弓さんはその──」
口籠もってしまうヒメちゃんを見て、僕は思わず吹き出した。眞弓は結局、あの家でヒメちゃんと二人で話す機会なんて、ほとんどなかったな。それでも眞弓なりに、ヒメちゃんのことは気にかけていたのを、僕は知っている。傲岸不遜、そのくせ人見知りな吸血鬼の人格ではなく、元の眞弓であればヒメちゃんのことは可愛がっただろうな、なんてことを考えてしまう。そんな光景は、多分もう夢でしかないのだけれど。僕は窓から視線をお粥に移し、スプーンで一杯掬ってふうふうと冷まして口に入れる。
「美味しい。これ、ヒメちゃんが作ったやつ?」
「うん、そうだよ」
ヒメちゃんは誇らしげに笑って答えた。
「最初は一果さんが作ってたんだけど、その……見てて危なっかしくて。私が作りますってお鍋奪っちゃった」
僕はまた吹き出しそうになり、口元を手で押さえた。喜谷さんとはまだ少ししか話していないけど、あの人の話となると感情的になるところとか、リコに対して距離感を測りかねているところとか、厳格そうでいながら親しみやすいところも結構ありそうだ。今後魔狩りの姉弟子として喜谷さんのお世話になるにしても、そう肩肘を張らなくても良さそうだと感じる。そんなことを本人の前で言ったら、喜谷さんは怒るかな。怒るだろうな。
「……ヒメちゃんがいてくれてホントに良かったよ」
僕はまた一杯、お粥を口に運ぶ。温かて、優しい味が口いっぱいに広がった。大袈裟でなく、闇に彩られている僕らがうまく生活することができたのは、ヒメちゃんがいてくれたからだと思う。そんな彼女の作ってくれる料理が食べられなくなることも、やっぱり寂しい。
お粥を食べ終えて手を合わせた後、僕は少しだけ考えて、ヒメちゃんを見る。
「ねえ、ヒメちゃん。なんか、書くものない?」
「書くもの? えっと、確かそこの棚に」
ヒメちゃんはベッド横のチェストの引き出しを開けた。ヒメちゃんはその中から、メモ帳とボールペンを取り出して「はい」と僕に渡す。
「ありがとう」
僕はメモ帳の紙を一枚破って、そこにボールペンで文字を書いていく。一旦、内容を確認してから、僕はそれをボールペンとメモ帳を返すのと一緒に、ヒメちゃんに渡した。
「これ、何?」
「僕の実家の、住所。電話番号とかの方が良いと思うんだけど、僕今、スマホ使えないし……」
僕は首を傾げるヒメちゃんを見て、人差しを自分の口に当てた。
「喜谷さんには内緒ね。やっぱりどうしようもなくなったって時に、尋ねてきたら良いと思う。ホントは自分が面倒見るって啖呵切れたらカッコいいんだけど……母さんも、僕の友達って聞いたら、悪いようにはしないと思う」
「友達……」
ヒメちゃんを前に、恩人の真似事をしてみたくなった。僕はあの人みたいにはいかないけれど、逃げ場所がひとつあることが、生きる行き場を失ってしまった時、どれだけ頼りになるか、僕はよく知っている。
「なんか、微妙にカッコ悪くてごめんね」
「ううん」
ヒメちゃんは、僕から受け取ったメモ帳の切れ端を大事そうに自分の胸に押し当てる。つうと一筋、ヒメちゃんの目から涙が流れた。ヒメちゃんはそれを誤魔化すように目を擦って、ぼすんと僕の胸に自分の顔を押し当てた。
「モテ男には敵わないな」
「だからそれやめて……」
ヒメちゃんの声は、僕に密着しているせいでくぐもっている。僕はそんなヒメちゃんの頭を手のひらでそっと叩いて、しばらく二人、寂しさを噛み締めた。
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