彼女と僕の逃避③
僕はわざとらしく咳払いをする仕草でウンウンと喉を鳴らして、それからまたヒメちゃんに向き直った。
「えっと、話戻そう」
「は、はい」
ヒメちゃんも慌てて頷く。ちょっとの間、沈黙があり、ヒメちゃんは首を傾げた。
「えっと、何の話でしたっけ」
「貴様があ奴らに仕事を貰っていた、という話だ」
眞弓がそう言って、退屈そうに欠伸をした。意外と言ったら悪いが、ちゃんと話を聞いてるんだな、と僕は変なところに感心する。
「あ、そうです。住み込みのバイトをしないかって誘われて。でも、今更と言われるかもだけど、私は流石にそれはちょっと警戒して」
「んー、まあ妥当じゃない? 明らかグレーな──今は闇バイトって言うんだっけ? その仕事を任されて、ちょっと信頼されたタイミングでってことでしょ。よりヤバい仕事か、もしくは吸血鬼のことがなくたって、体を求められる仕事だってのは検討がつく」
おずおずとした態度のヒメちゃんに、リコがそんな風にフォローを入れた。これまた意外にも、リコもその辺りの機微に詳しいようだった。伊達に闇に生きている存在じゃない、ということかもしれない。一介の高校生でしかなかった僕なんかより、余程ああした奴らの手管には通じていても、不思議ではない。
「リコさんの、言う通り、です」
ヒメちゃんはリコと僕の顔をチラチラと何度か見た。僕は言いようもない気まずさを感じて、思わず身を乗り出す。
「だから、ヒメちゃんはあの日あいつらから逃げようとしてた?」
僕たちがヒメちゃんをあの男たちから助け出して、この家に連れてきた時のことだ。ヒメちゃんが男たちに囲まれていたのは、これまで仕事を受けていた彼女が、もうこれ以上の仕事は受けないと言ったから。
「はい」
ヒメちゃんは視線を下に落とした。なるほど、そういうことだったのか。
「でもまさか、あいつらがあんな……」
ヒメちゃんが、肩をぶるっと震わせる。さっきのことを思い出したのだろうか。
あの椋島という男──。仲間やヒメちゃんの前でも容赦なく、人の血を啜っていた。他にもあいつに血を吸われて死んだ人間は大勢いるのだろう。
「でも、そんな奴らのところに、あなたは戻ろうとした。それはなんで?」
リコが視線を落としたヒメちゃんのことを覗き込むような姿勢で尋ねた。
「それは──」
ヒメちゃんは改めて顔を上げて、僕とリコ、そして眞弓の顔を見る。それから小さく頭を下げて、ごめんなさいとつぶやいた。
「私はここにいても、何もできないと思ったから……」
ヒメちゃんは静かに、長く息を吐いた。
「あいつらは怪しかったけど、少なくとも私を必要としていた」
「くだらん」
ヒメちゃんの言葉を聞いて、そう強く吐き捨てたのは眞弓だった。
「それで貴様は死ぬかもしれなかったのだぞ?」
「はい」
「貴様がどこでいつ死のうが俺には関係がない。だが、生きることに投げやりになっても致し方なかろうに」
眞弓は大口を開けて溜息を吐くと、椅子から立ち上がった。
「俺は──俺が生き残る為にこいつと一緒にいる」
眞弓は真っ直ぐに僕を見る。その視線は普段よりも透き通って見えた。吸血以外で眞弓が僕のことをこんな風に見つめるのを珍しく思って、僕の全身の毛がぞくりと立ち上がる思いをした。
「話は分かった。風呂に入る」
眞弓はそう言って、リビングから出て行く。バタン、と強めに扉が閉じられて、残された僕らは三人とも呆然と眞弓が立ち去った方を見ていた。
「自由か」
リコが呆れたようにそう言って、ふっと笑った。
「まあ、あいつの言ってることは間違ってない。ヒメちゃんも行くとこないなら遠慮なく、私たちみたいにこのお兄さんに寄生すれば良いし」
「寄生って」
不適切な表現だと思ったが、実際のところ否定することもなかった。確かに僕は眞弓とリコという魔に寄生されている。ただ、寄生というのであれば僕自身もそうだ。
今はこの家と、眞弓の両親の口座から引き出したお金があるが、お金はいつか尽きるし、この家でずっと生活できるとも限らない。今は大きな問題がないけれど、いつ電気や水道が使えなくなるかもわからないし。そうなった時どうすれば良いのか、正直なところ僕には考えるすべがない。だからと言って、以前の生活に戻るわけにもいかない。それに眞弓が両親を殺して、僕らが失踪してからまだそう時間は経っていない。
──眞弓だけじゃない。僕だって今日、人を殺した。僕だってもう、表に出てきて良い人間じゃない。
「あたしもう寝たいけど、シャワーは浴びたいしなあ。ヒメちゃんもでしょ?」
「え。あ、はい」
眞弓がリビングからいなくなって沈黙の続いた空気を切り裂いたリコから急に名前を呼ばれて、ヒメちゃんはビクッと肩を震わせてから頷いた。
「ヒメちゃんももうあたしらの関係知ってるから言っちゃうけど、その後あたしらは食事しないとだし?」
「あ、えっと。はい。それはごゆっくり」
「そうだけど、別にわざわざ言う必要ないだろ」
空気を和ませようとしたんだか知らないが、その話は今することでもない筈だ。
「えー、でもヒメちゃんがまだウチにいるんだって言うなら、あたしは食事の時間、邪魔されたくないし。あ、ヒメちゃんも混ざるっていうのはあり」
「やめろやめろ」
これ以上その辺りの話を広げてほしくない。
「結局どうなの? また出てく?」
リコは僕の制止の言葉を無視して、頬杖をつきながらヒメちゃんを見つめた。その眼差しには優しげな言葉とは裏腹に、これ以上の厄介ごとはごめんだという非難が含まれているように感じた。
「ご、ご迷惑をかけてすみませんが」
ヒメちゃんは肩を竦めて、また下を向いてしまった。けれど、しっかりと次の言葉を繋げる。
「もう少しだけ、ここに置いてほしい、です」
ヒメちゃんが小さく鼻を啜る音が聞こえた。僕からは表情が見えないけれど、泣いているのだろうか。
「ご飯、作ってよ。いつもみたいに」
少し悩んだが、僕はヒメちゃんにそう声をかけた。
「ヒメちゃんの作るご飯、美味しいからさ。まだ朝ごはんって時間でもないけど、お腹すいたし。あ、もちろんお風呂の後で良いから。僕はシャワーもう浴びたし、先に何かやっといた方がいいなら、やっとく」
僕もゆっくりソファから立ち上がると、ヒメちゃんの前に立った。今夜は正直、このまま眠れそうにはない。あ、でもヒメちゃんの方は違うかもな、先に聞いた方が良かった。間違えたな、と軽く後悔する。
「あ。……はい」
ヒメちゃんはもう一度鼻を啜って、目元をゴシゴシと擦ってから下を向いたまま立ち上がった。
「あの、そしたら野菜を切ってもらって」
ヒメちゃんの言葉に、僕はホッとした。とりあえず良かった。
「おっけー。リコもシャワー終わって時間あったら手伝ってよ」
「えー、あたしは寝るつもりだったんだけど」
「食事はするって言ったろ」
「そっちの食事じゃなーい」
リコは不満そうに天を仰ぐ。その様子を見て、ヒメちゃんが一瞬笑ったように見えた。
「あの、ありがとうございます」
「えっと、どういたしまして」
僕はヒメちゃんを先導する形で、台所まで向かった。
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