魔との対峙②

 椋島の動きは速かった。

 僕たちが彼に対峙する姿勢を取った瞬間、椋島は大きく跳躍した。僕は鉄杭を構えるが、椋島の方が速い。椋島は僕の目と鼻の先に来る。苦悶しているようにも微笑んでいるようにも見える歪んだ表情で、彼は大きく口を開けた。それを見て、眞弓が叫ぶ。


たわけ!」


 ドスンという鈍い音と共に、椋島の顔が勢いよく僕から遠ざかった。代わりに僕の前には機嫌の悪そうな眞弓がいる。椋島は壁にぶつかり、倒れたがむくりと起き上がる。それを見て、眞弓は大きく舌打ちをすると、横目で僕を睨んだ。


「どいつもこいつも戯けが」

「ごめん、眞弓」


 鉄杭を構えたままこぼした僕の言葉を、眞弓は鼻で笑う。


「貴様は俺の餌だ。俺以外の魔にそうそう簡単にしてやられるでない」

「……そうだね」


 僕は立ち上がった椋島を見る。まだよろよろとしていて、こちらに目線は向けていない。彼も、眞弓のようなと戦うことには、決して慣れていないようにも見える。

 だから僕を狙ったのだろう。躊躇なく仲間の血を吸ったのもそうだが、眞弓やリコとの戦いの中で、奴はできるだけ優位を保とうとしている。内心、奴の中にも焦りがあるはずだ。僕は後ろで震えているヒメちゃんの方を見る。奴はヒメちゃんを獲物にする様子はなかったが、このままここにいさせたら、いつ狙われるか分かったものじゃない。幸い、僕らは一人じゃない。


「眞弓、あいつの相手頼める?」


 僕の問い掛けに、眞弓はいつものように傲岸不遜に笑う。


「誰に物を言っている? 無論だ」

「わかった」


 僕は眞弓にそう言って頷くと、今度はリコの方を見た。


「リコ、ヒメちゃんを頼む。僕もついてく」


 リコは一度だけ溜息をついたが、すぐにヒメちゃんを抱きかかえた。


「あは。人使いの粗い契約者だこと」


 リコはそう言って、呆れたように笑う。椋島の方は、気付けば体勢を立て直している。奴から離れるなら今だ。僕は部屋の出口に走る。リコもヒメちゃんを抱えて僕に続く。椋島もそれに気付いたが、眞弓が彼の前に立ち塞がる。


「おっと。まだ俺と決着がついておらんぞ」

「面倒な……」


 椋島はボソボソとイラついた声をあげる。それから僕とヒメちゃんを交互に見て、大きく吼えた。


「おおおおおお!」


 部屋中に、椋島の重厚な叫び声が響く。その声は僕の皮膚をビリビリと震わせたが、我慢できないほどじゃない。眞弓やリコのおかげで、この手の痺れには慣れている。そうは言っても、椋島の咆哮は間違いなく僕の手脚を痺れさせて、動きを阻害する。一歩一歩踏みしめるごとに、ビリビリとした感覚が足元から全身に広がる。強く意識を保たなければ、こちらが叫び声をあげそうになる。

 ──それでは駄目だ。

 唇を噛み締め、全身の痺れに耐えながら、僕はリコが抱きかかえているヒメちゃんを見る。ヒメちゃんの眼はもはや恐怖を飛び越えて虚だ。椋島の咆哮が、ヒメちゃんにはしっかり影響しているのだろう。彼女はリコの腕の中でガクガクと痙攣し、口からだらしなく涎を垂らしていた。やはりこのまま彼女をここにいさせるわけにはいかない。僕は少し考えて、その場にしゃがみ込む。


「叶斗!?」


 リコが驚いた声をあげる。僕は静かに両手で頭を抱えながら、横目で椋島を見た。椋島はニヤリと口元を歪めて、眞弓を押し除けるようにしてこちらに向かってきた。やはり、まだ僕やヒメちゃんのことを諦めていない。眞弓はそんな椋島の顔面に向けて蹴りを入れようとしたが、椋島はそれを腕で防ぐ。舌打ちする眞弓を奴は鼻で笑う。何度も同じ手は喰らわないとでも言いたげだ。そのまま反対側の腕を振り上げて、椋島は眞弓の腹を殴った。


「がはっ……!」


 今度は眞弓の方が吹き飛ぶ番だった。眞弓は大きな音を立てて、部屋の反対側の壁に激突する。体の一部が窓ガラスに当たって、パリンと窓ガラスが割れた。椋島はそんな眞弓を一瞥して、うずくまる僕に突進する。僕は彼の行動の一部始終を横目でじっと見ていた。

 ──これで良い。椋島は自分の咆哮でその場に固まった僕のことを、非力な餌だとしか認識していない。さっきと同じように、椋島の顔が僕に近付いてきているのが分かる。生暖かい奴の吐息が耳元に届いた瞬間、僕は顔を上げた。


「このッ! クソ野郎ッ!!」


 僕は自分を鼓舞するようにそう叫びながら、鉄杭を握り直す。ビリビリと痺れる腕と脚に抗いながら、僕は立ち上がる。僕の目の前で、椋島が目を見開いた。その表情には困惑が見える。思った通り、こいつは僕が抵抗することを想定していなかった。最初に僕が奴の声に抗って動いた時はまだ少し警戒があった。けれど、このまま僕とヒメちゃんを逃すまいと発したさっきの咆哮は、奴にとって絶対の自信があったんだろう。だからこそ、そこには隙がある。強大な力、人間を圧倒する異能があるからこそ、魔はそこに慢心を抱く。あの人からも教わったことだ。


「クソ吸血鬼ッ!」


 僕は鉄杭を椋島に向けて振るった。杭の先端が、椋島の肩に刺さる。ぶしゅう、と奴は勢いよく出血する。その血が僕の顔にかかったが、僕は目を瞑り、たじろがないように意識を集中して、鉄杭をより深く深く差し込んだ。


「お前えええ!?」


 自分から見れば非力なはずの人間の少年に痛手を負わされた現実を、まだ認識しきれていないのだろう。椋島は強く言葉を発しながらも、目が泳いでいた。本当は肩じゃなく心臓に向けて鉄杭を刺したかったところだが、全身の痺れに抗いながら、それも自分よりも何倍も力の優れた吸血鬼相手に対してだ。贅沢は言わない。

 僕は鉄杭をより強く握って、今度は杭を椋島の体から引き抜いた。杭を引き抜いた肩から、ぶしゅうと止めどなく血が流れる。


「ふん、ざまあないな」


 立ち上がった眞弓が、頭から血を流しながら僕と椋島の前に立つ。眞弓は肩に鉄杭を刺されて膝をついた椋島を見下ろすと、大きく体を回転させて、椋島の顔を蹴り飛ばす。ガード不能の攻撃が、もろに直撃して椋島は倒れる。


「油断した貴様の負けだ、愚か者」


 眞弓が軽蔑したような口調でそう吐き捨てる。椋島は今度こそ立ち上がることなく、その場にバタリと倒れ込み、沈黙した。

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