第4章 惹き合う闇

魔との対峙①

「お前らか、うちの若いのを可愛がってくれたのは」


 男の重厚な低音が響く。ビリビリと手足の末端が痺れた。僕は部屋中を見回す。今、部屋にいるのは僕と眞弓、リコ。それにヒメちゃんと、彼女を囲む男たち。


「確かに……匂うな……」


 納得するように頷く長身の男。僕ら三人を見下ろすように対峙するその男の眼は鋭く、心を見透かされているような気になった。黒いスーツを着て、金色の派手な模様が編まれたネクタイをキッチリと締めている。男の後ろには、ヒメちゃんが困惑した表情で、目を泳がせている。


「同胞の匂いは感じたのだ」


 男は呟く。男の声は、先程から消え入りそうに小さい。だが、その重厚な声が僕の肌をビリビリと刺激しているのも確かだった。


「お前たちも吸血鬼か」


 男の方から切り出してきたので、僕は驚いた。男の仲間もいるというのに、それを隠す気はないのか。


「いや……匂いが弱過ぎる。眷属か? 俺もあまり多くの同胞に会ったことがあるわけじゃないが」


 男はブツブツと考え込むように俯いた。こちらのことなど、警戒する素振りも見せない。


「はっ! 煮え切らんな」


 男の態度を見て、眞弓が鼻で笑った。


「貴様、そこの小娘に何をしようとしていた? そやつは俺の──」


 眞弓は一瞬、言い淀んだが、すぐにその顔に笑みを浮かべた。


下僕しもべ候補だ。勝手なことは許さん」


 普段と変わらぬ傲岸不遜な物言い。それが今この場では、少し頼もしい。


「キイキイとうるさいな」


 男は溜息を吐くと、くるりと僕らから背を向けた。それからのしのしと仲間の一人に近付く。


「あの、椋島むくしまさん? 何を──」


 仲間の一人は、固まったまま動かない。首すらその場に固定されているようで、目だけを動かして、目前にゆらりと立っている男を見上げようとしていた。


 ──と。


「ぎゃああああああああああ!?」


 悲鳴が響く。椋島と呼ばれた長身の男が、仲間の男に噛み付いていた。椋島の目は血走り、顔は大きく歪む。他の仲間もギョッとした表情でいるが、その場から一歩も動く気配はない。椋島に噛み付かれた男の肩と、椋島の口元が真っ赤に染まる。ボタボタと血が床に落ちる。眞弓が僕に対してするのとはまるで違う、乱暴で、手加減のない


「お前……ッ」


 僕は咄嗟に駆け出した。何を呆けていたのか、僕は。今、目の前にいるのは吸血鬼。眞弓とリコに慣れ過ぎていたんじゃないか? あの夜、眞弓に襲い掛かったのと同種の魔。あの人からも言われていた。

 ──眞弓以外の吸血鬼に出会った時は、躊躇してはならない。

 僕は鞄の中から、鉄杭を取り出した。最初はリコを殺す手段として、あの人の書斎にあったものを持ち出した鉄杭は、片手で持ってもそこまでの重みもなく、持ち運びに優れている。

 地面を蹴り、鉄杭を振り上げて、僕らに背を向ける吸血鬼目掛けて駆ける。そのまま僕の目線と同じくらいの位置にある、椋島の首筋目掛けて杭を振り下ろした。


「……ガッ!」


 椋島の首筋に、杭の先が刺さる。だが、椋島の動きも速かった。変わらず血走った目線を向ける先に迷い、僕の行動に驚いた様子だった椋島だったが、自身に危害を加える人間の存在にすぐ気づいた。


「……何故動ける」


 椋島は眉間に皺を寄せ、怪訝そうにブツブツとそう言いながら、僕の腕をガシリと掴んだ。力強く握られた腕が、ミシミシと歪む。僕はその痛みに耐えかねて、鉄杭を床に落とした。


「馬鹿がッ!」


 鉄杭が床に落ち、カチャンと金属音を鳴らしたのとほぼ同時に、眞弓が椋島の顔面に目掛けて拳をぶつけた。その拍子に、僕の体が自由になる。落ちた鉄杭を拾おうとしたが、グッと背中を引っ張られる力に阻まれた。


「何やってんの!」


 リコが僕の服を後ろから引っ張って、椋島から遠ざけようとしていた。それでも僕は鉄杭に手を伸ばす。これがないと、あいつを殺せない。


「……もう!」


 リコはイラついた声をあげて、僕をそのまま後ろに引っ張る。それから落ちた鉄杭を拾い、僕に手渡した。


「逃げよう」


 リコが焦った顔でそう言う。僕は痛む右腕で鉄杭を握り、左手で押さえながらも、部屋の中を改めて見回す。眞弓に顔面を殴られた椋島がよろめいて、目を瞬かせている。椋島の顔は血で塗れていた。ゴボゴボと椋島の口から血が流れたが、あれは本人の物じゃなく、仲間の血だろう。椋島に血を吸われたその仲間の方は、床に倒れ込んで、ヒューヒューと声にならない音を出して、焦点の定まらない目線を天井に向けている。肩が大きく抉れている。生きてこそいるが、僕には彼はもう助からないように見えた。


「駄目だ!」


 僕は思わず大声をあげる。その声に、リコがびくりと震えた。


「今逃げても駄目だ」


 目の前にいるのは、人間の血肉を喰らった吸血鬼。血を喰らう前よりも、目に見えて体が少し肥大しているのがわかる。椋島の仲間──椋島にとっては餌でしかないのだろう──二人は、やはり逃げる気配もなくその場に立ち尽くしている。椋島の声にやられているのだと、僕には分かる。眞弓を襲った吸血鬼も、リコもそうだったけれど、奴らの声には、人間を麻痺させる力がある。


 僕は鉄杭を握り直す。リコは呆れたように長い溜息をつくと、僕の肩に手を置いた。


「そこの二人! 死にたくなかったら逃げなさい!」


 リコが大声で叫ぶ。リコの声が、僕の肌をビリビリと刺激する。男二人は恐怖の表情を浮かべて、その場にドスンと尻餅をついた。うち一人の座っている床は濡れている。今ので失禁したらしい。だが、それで動けるようななったことに気付いた男二人は、リコに言われた通り、脚をもつれさせながらも、部屋の外に出た。ちゃんとチャンスには逃げることができるだけ、上等だ、と僕は思う。


「お前ら、何を……」

「ここで殺す」


 僕は自分に言い聞かせるように、そう言葉に出した。こいつはリコとは違う。自分の仲間を躊躇なく襲い、餌としか見ていなかった。ここで僕らが逃げたところで、こいつは更にヒトの血肉を喰らって力をつけ、犠牲者を増やすだけだ。今しかこいつに対峙できる機会はない。


 僕はチラリと部屋の隅で震えるヒメちゃんを見た。チャンスを見つけて逃げおおせたあの二人とは違い、完全に腰が抜けているようで、涙をポロポロと流して手足をバタつかせているが、その場から動けそうもない。


 ──今度は間違えない。


 僕はゴクリと唾を飲み込んだ。

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