魔との対峙③

 沈黙した椋島を見て、僕はよろよろと彼に近づいた。どうも僕は眞弓やリコのお陰で、吸血鬼の声による強制力に耐性があるらしいが、それでも椋島の声を至近距離で聞いて身体が痺れているのも事実だ。

 僕は椋島を見下ろす。椋島は、肩と首の辺りからだらだらと血を流しながらも、ギョロリとこちらを見た。


「か……は……ッ」


 声にならない声が、椋島の口から漏れる。その口からも、ぶくぶくと血が溢れた。油断するべきじゃない。こいつは未だ、生きている。


 魔のことを何も知らなかった頃の僕は、吸血鬼のせいで眞弓を失いかけた。今も、失い続けている。僕や眞弓のような人間がきっと、椋島が生きている限り増え続ける。僕はチラリとリコの方を見る。リコはヒメちゃんを抱えながら、眉間に皺を寄せて僕らを見ていた。詳しくは分からないけれど、ヒメちゃんも椋島の餌食になろうとしていたのだろう。ヒメちゃんの様子も椋島が倒れたことで落ち着いたようで、ぐったりとはしているが、息をして、ちゃんと生きている。


「心臓を……」


 僕はそう呟いて、倒れる椋島の目の前で膝をつき、鉄杭を両手で振り上げる。このまま杭を彼の心臓に突き刺す。それだけだ。リコもこの決着に、口出しはしないと決めたのだろう。泣きそうな表情を浮かべて、口元を歪めている。あの表情でリコは今、何を考えているのだろう。


「やるのか」


 いつの間にか、僕の隣に眞弓が立っていた。椋島に吹き飛ばされたせいで、眞弓も体の至るところを怪我したようだったが、それでも僕よりはしっかりと立っている。


「眞弓が殺しても無駄だぞ」


 僕はボソリと呟く。事実、眞弓が頭を吹き飛ばしたリコは復活している。不死の度合いは吸血鬼ごとに異なるといった話も、あの人から聞いたことはある。

 リコもそうだったけれど、吸血鬼は殺しても死なない。吸血鬼を殺すことができるのは、あの人のような魔を狩る者の力だけ。僕が今手に持っている鉄杭に、本当にその力があるのか、正直わからない。

 ──だけど、決めた。僕は二度と間違わない。


「いいのか」


 眞弓が僕に尋ねる。


「何が」

「お前まで俺と同じになる」

「望むところだ。寧ろ、眞弓にばかり負わせられない」

「……そうか」


 僕は眞弓の溜息を聞く。それは彼女が何かを得心したような音だった。僕は鉄杭を、椋島の心臓に目掛けて振り下ろす。


「おおお、おおおおお!」


 ゴボゴボと血に溺れるように、椋島の口から苦しみの声が発せられた。心臓に突き刺した杭は思ったよりもうまく刺さらず、僕は力任せに杭に体重を乗せた。ゴリゴリと嫌な感触と一緒に、杭は徐々に椋島の胸にゆっくりと沈む。もっとスッと刺さると思っていたのに、なんて呑気なことを考えている自分と、今目の前で自分自身が行っているエゲツない行為に混乱している自分、椋島から流れ続ける血に何故か高揚する自分、今にもここから逃げ出したくなる自分、そんな自分を許さずに今この瞬間に目を見開くことを要求する自分。色々な僕が、僕の頭の中をぐるぐると入れ替わる。


 ──ああ、きっと。


 眞弓も同じだった。眞弓もこんな想いに耐え切れなかった。引き裂かれていく自分に苦しめられて、苦しまなくて済むになった。


 ──そうであるならば、僕は。

 僕は彼女と共倒れするわけにはいかない。僕は、気を強く持たねばならない。彼女のために、そして何よりも、そんな彼女を縛ろうとする自分のために。今の僕のまま、僕は生きなくちゃいけない。魔として生きる眞弓と共にいる限り、きっとそれは避けられない。そんな生を続ける彼女にとって、椋島のような他の魔との対峙もまた同様だ。

 彼女がそうであるならば、僕もそうでなくては。


「この……ッ!」


 僕は杭に力を入れながら立ち上がった。今度こそ、自身の全体重をかけて、鉄杭を椋島の胸に沈めていく。杭を刺した場所から血飛沫が舞い、杭はズブズブと彼の体を突き破った。僕は鉄杭を両手で握る。当然のように血で塗れた僕の手を見ないフリをする。ガクガクと全身を震わせる椋島の体から、今度は思い切り杭を引き抜いた。再び血飛沫が舞う。僕の顔に、椋島の血がべったりと付着した。

 あまりにも醜い決着。流石にあの人も、自身がしていたような、綺麗な吸血鬼の殺し方まではレクチャーしちゃくれなかった。


「これで……」


 僕は椋島を見下ろす。椋島の体からはもう、生気が失われている。そう思った。


「やったな」


 放心する僕に、眞弓が語りかけた。僕は眞弓の方を振り向く。その瞬間、眞弓は僕の体を抱きかかえ、肩に担いだ。


「ちょっと、眞弓?」

「すぐにここを出る。お前が奴の心臓を貫く間に、リコと話していた。直に人が来る。さっき逃した奴の部下が、人を呼んだろう」

「あ」


 そんなこと、すっかり忘れていた。椋島の部下のようだったが、二度とここに戻ってこないということもないだろう。寧ろ他の仲間や、もしかすると警察なんかに話をしているかもしれない。


「椋島は……」

「それはもうただの死体だよ、叶斗」


 リコが静かにそう告げる。不死者である彼女が言うならそうなのだろう。眞弓は椋島の死体をチラと一瞥し、不機嫌そうに鼻を鳴らすと、僕を抱えたまま走り出した。遠ざかっていく椋島の死体を見ながら、そういえばあの人からは吸血鬼の殺し方は教えてもらったけれど、死体の処理の仕方とか、そういうのは全然教えてもらってなかったな、と思い出す。それもそうか。あの人だって、こんな場面のことは想定していない。

 眞弓に担がれるまま、暗い寒空の下に出る。流石に吸血鬼とサキュバス。眞弓とリコ、二人とも人間一人担いでいるのに、僕が全力で走るより全然速い。僕は右手に握ったままの鉄杭を見る。杭も僕の手も、血で汚れていた。先程までのことは、何か悪い夢だったんじゃないかと思っても、間違いなく現実であったのだと、否応にも鼻につく血の臭いが教えてくれているようだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る