少女の行く末④
書斎に戻ると、眞弓がデスクの上に座ってイライラした様子で脚を揺らしていた。紅潮した顔を見た後に、慌ててペンダントを確認すると、鈍く光っていた。眞弓が近くにいることに油断して、ここ最近ペンダントを確認しそびれている。眞弓は書斎に僕が戻ったのを見ると、デスクから飛び降り、僕の前にツカツカと歩いて近づく。
「遅い」
「ごめん」
僕は一足先に書斎に戻っていたヒメちゃんをチラッと見る。ヒメちゃんは僕がトイレに行く前と同じく、リコの隣に座っていた。さっきのこともあり、ヒメちゃんに話しかけるのが気まずい。リコがそんな僕の表情を慮ってか、僕に無言で頷くとヒメちゃんの肩に触れようと手を伸ばす。
「私はそろそろ、夕飯の準備しますね」
リコがヒメちゃんに触れるより先に、ヒメちゃんが立ち上がった。リコは少し眼を泳がせた後、ヒメちゃんに合わせてビシッと立ち上がる。
「あたしも手伝う」
「助かります」
ヒメちゃんはそれだけ言って、部屋から出る時に、僕と眞弓に向けて、ぺこりとお辞儀をした。
「あたしにもちゃんとちょうだいよ?」
リコは書斎から出る去り際、小声で僕に耳打ちしてからバタン、と扉を閉めた。その瞬間、眞弓が僕の背中に抱き付く。僕は眞弓に合わせてその場に座り、眞弓が血を吸いやすいようにする。眞弓は特に何も喋ることなく、ジュルジュルと音を立てながら一心不乱に僕の首筋をしゃぶる。傲岸不遜な吸血鬼、その人格が初めて表に出てからしばらく、眞弓はこのスタイルで血を飲んでいた。僕もそれまでとは違う彼女の様子に困惑していたせいもあって、何も話しかけることができなかった時期が長く続いた。けれど、眞弓はどんなことがあっても、誰かの血を吸わなくては駄目なのだ。僕の気が進まないから、眞弓が僕と話したくないからと言って、彼女を遠ざけた先にあるものは、後悔しかあり得ない。
──僕は本当に、結局何がしたいのだろう。
昼間、眞弓に問われたことを思い出す。僕は何をしたいのか。眞弓は僕に問い掛けた。僕が好きなのは今の眞弓ではなく、元に戻って欲しいかと聞かれれば、否定はできない、と思う。ただ、今目の前にいる眞弓だって、僕が守りたいと思った眞弓の一部には違いない。
「ぷはっ」
眞弓が僕の首筋から口を離す。僕はくるりと上半身を回して、膝を床につけた。目の前に、眞弓の顔が見える。眞弓の口から、いつものように涎と血が混ざった液体が垂れる。僕はそれを、指で直接拭った。
「貴様──」
眞弓は何か言おうとしたが、その先の言葉を続けなかった。僕がそれを防いだから。
──彼女の唇に、僕の唇を重ねて。
沈黙が部屋を支配する。眞弓は僕の肩を一瞬だけ押し除けたが、僕はお構いなく、眞弓の背中を抱いた。眞弓はそれに観念してか、僕の後頭部に両手を添えた。
「俺をあの低俗な淫魔と一緒にするな」
僕が眞弓から唇を離すと、眉をへの字に曲げた表情で、僕を見た。僕は彼女の言葉に、首を横に振る。
「違う。僕がそうしたかった」
「俺は貴様の求める者とは違う」
「そうかもしれない。けど、僕にとっては、眞弓は眞弓だから」
「……勝手にしろ」
僕はその言葉を聞いて、完全に眞弓と向き合って彼女を抱き締めた。眞弓は僕の行動に小さく鼻で笑った後、少ししてから、僕の背中に両手を回す。
僕と今の眞弓、リコの三人がどんな関係なのか、一口で説明するのはやっぱり無理だ。けれど、これだけは言える。
──僕は眞弓のことが好きだ。
彼女がどんな存在であろうと、僕がどんな状況にあろうと、そんなことは関係ない。僕にとって、今目の前にいる眞弓とこれまでの眞弓、そこに違いはない。彼女の外面が好きだとか、内面がどうとか、そういう話じゃない。
「ふざけた奴だ」
「ごめん」
僕は彼女の背中を抱いたまま、応える。何だか今日は謝ってばかりな気がする。
「俺が貴様の行動に逆上して、貴様を殺していたら」
「たら? 何?」
「だとしたらどうする?」
「それならそれで良い」
今度は即答した。僕は眞弓にこれ以上、吸血鬼として僕以外の人間の血を吸って欲しくない。けれど、眞弓が本気でそれを望んで僕が止めきれなかったなら、僕は自分を彼女に捧げる覚悟はある。眞弓は呆けたように口を半開きにして、僕の肩に両手を置いて膝立ちになり、僕を見下ろした。
「僕は眞弓の餌だ。そうだろ。好きにされるのは、僕の方だ」
「馬鹿が」
眞弓はまた僕の首筋に噛み付く。眞弓の鋭い歯が、ギュッと僕の肌を傷付けて血が流れる。いつもならより深く歯を食い込ませて、流れる血を啜るところだ。けれど眞弓はそうはせず、静かに優しく、飼い犬が怪我を舐めてくれるみたいに、垂れてくる血を舐めとって、首筋に舌を這わせる。舌の柔らかい部分で首筋から顎の下にかけて触れられる。いつもと少し違う刺激に身震いする。眞弓はそのまましばらく、傲岸不遜な吸血鬼らしくは血を啜ることなく、小さく傷付いた僕の肌から漏れ出る血を、たまに舐め取りながら、ひたすらに僕の首に舌を這わせ続けた。
🌓
僕が眞弓と一緒に一階のリビングに降りた頃には、ヒメちゃんとリコは既に夕食の準備を終えていた。
「お疲れ様ー。ご飯できてるよ。食べよ」
リコはそう言って、テーブルの上の箸を僕と眞弓に手渡した。二人とも僕らが降りてくるのを待っていたようで、僕らが椅子に座るとすぐに目の前の料理に手を合わせて、食事を始めた。今夜のメニューは生姜焼きに味噌汁、それにサラダが人数分の皿に取り分けられていた。僕も二人に遅れて手を合わせた後、箸で肉を摘んで口に入れる。今夜の料理も美味しくて、色々なことが頭の中を駆け巡りながらも、自然と箸だけは進んだ。ヒメちゃんも無言でパクパクと食事を口に運んで、一番最初に食べ終わった。
「ごちそうさまでした。お風呂も沸かしたので、一番最初にいただいても良いでしょうか」
ヒメちゃんは僕の眼を見ながら言う。
「うん。良いよ」
横に座っているリコではなく、僕に許可を求める辺り、やはり誤解が拭えていないと思いながらも、僕はヒメちゃんにそう返した。
「ありがとうございます。それでは」
ヒメちゃんはお辞儀をして、自分の分だけじゃなく、空になった皿を全部台所に片してから、お風呂場に向かった。
「ねえ」
「わかってる」
リコが僕に向かって口を開いたのを見て、彼女の言葉に被せるように言う。僕は急いで残ったおかずをかっ込んで、水で流し込んだ。最後までしっかり味合わないのは、ヒメちゃんには悪いけれど。済まさないといけないことは、さっさと済ませたら良い。
「……あは」
僕がリコに近付くと、リコは大きく口を開けた。もはや恒例になった、リコの口の中に唾を垂らす行為をした後、僕はすぐに下着までズボンを下ろす。
「良いの? あの子、見てるけど?」
リコは僕の腰を両手で掴み、眞弓の方を見た。眞弓はまだ残っている分の食事を口に運びながらも、チラチラとこちらの様子を伺っているのが僕からも見えた。
「良いも何もない。必要だって言うからやるだけ」
僕はリコに対して、意識して素っ気ない態度を見せる。眞弓の吸血も、リコもこれも、契約には違いないのだとしても、僕の中で明確に線引きをする。それを眞弓にも見て欲しいとさえ思う。
「こっちの気持ちは関係ないだろ、リコにとって」
「そうだけど、あたしはもうちょっとムードがあるか、前みたいにおどおどしてくれた方が──」
「良いから」
僕はリコの頭を上から押さえつけて、僕に近づけた。
「──あっは。まあ、強引なのも、嫌いじゃないよ」
リコは一瞬ブルっと体を震わせた後、紅潮した顔で僕のモノを咥える。リコが僕のモノを口に含んだ瞬間に体を巡る電流にも、段々と慣れてきた。僕の意思に関わりなく、心臓が無理矢理、血を巡らせるポンプとして動かされる。体中が熱くなり、少しだけ視界がぼんやりとして、全身の血液が下腹部まで集まっていく。リコによる無理矢理な絶頂に慣れたせいか、今はゾクゾクとした快感も背中から爪先まで伝うのを感じられた。僕はリコの頭をより強く抑えつける。それから、眞弓を見た。眞弓はもう夕食を終えて、ジッとこちらを見ていた。僕は眞弓に向けて、やんわりと口角を上げる。リコによる強制力と、舌の動きに促され、僕は絶頂を迎える。粗方出し切った感覚を覚えて、昼前にもそうしたように、僕はリコの額を押し除けて、さっさと下着を履いた。リコはゴクリと口に含んでいたものを飲み込んで、溜息をついた。
「つれないなあ」
「嫌だって言うなら止めてもいい」
「あは、そういうこと言う?」
リコは楽しそうに笑う。
「それで困るのは君の方なんじゃなかった?」
「その時は、僕らも君との関係を考え直す」
僕は改めて眞弓の眼を見つめる。
「はっ!」
眞弓も僕を見つめ返した後、大きく鼻で笑った。
「そうだな。貴様が俺たちに叛旗を翻すというのであれば、そうしたら良い。お前が不死なのだとして、何度でも肉片にしてやる」
「雑魚が戯言ほざくね」
「万全の状態でない貴様は俺に勝てん」
「……良いもんね。あたしは叶斗にもっといじめてもらうから」
リコは僕にニッコリと微笑む。僕も形だけ彼女に笑い返してから、テーブルに出しっぱなしだった自分の分の食器を片付けた。
💡
ヒメちゃんがお風呂から出た後、眞弓、僕、リコの順で風呂をさっさと済ませ、昨夜と同じように僕ら三人は二階の寝室で、ヒメちゃんは一階のソファで寝ることにした。ヒメちゃんから、誤解を受けたままなのは気持ち悪いものを感じはするが、どうしようもない。リコとヒメちゃんの距離が、ゲームを通じて少し縮まっているのを見て、二人だけ寝室というのも考えたけれど、やはり一晩もの間、しかも僕も眞弓も寝ている状態でリコを目の届かないところに置くのは憚られた。夜の食事は二人とも済んでいたのと、なんだかんだで僕も疲れていたこともあってか、布団を被ったからすぐに僕は意識を閉じた。そうして見る夢の中で、僕は眞弓とキスをしていた。今度はリコに見せられた夢じゃない。僕が、僕の中で望んでいること。けれど、目の前にいる眞弓は一言も発さず、どちらの人格なのかが分からない。僕はそれでもお構いなく、眞弓とのキスを続けた──。
「──起きて」
ゆさゆさと肩を揺らされて、僕は目が覚めた。目の前で、寝巻き姿のリコが僕を見下ろしていた。
「今日は何」
またサキュバスとして、僕や眞弓の夢にでも這入り込もうとでもしていたか。一瞬そんなことを考えたけれど、口元をへの字に曲げたリコの表情を見て、そういうわけでもなさそうだと、眠気を含む意識の中でぼんやりと思う。
「あの子、ヒメちゃんなんだけど、外に出掛けたよ」
「……今何時?」
僕は枕元にあった時計を見る。そこには、午前1時10分の表記かあった。
「心配っちゃ心配だけど」
ヒメちゃんが何歳なのか、結局今の今まで聞きそびれているが、彼女もこの家に来るまで、一人で夜の街を散策したことは一度や二度じゃない筈だ。もしかしたら、聞いてないだけで他に友達でもいるのかもしれないし。僕らがそれにどうこう言う権利はない。そんなことを寝ぼけながらリコに言うと、リコは大きく溜息をついた。
「忘れた? 前に言ったよね。あの子、魔の匂いがするんだって」
「……前も聞いたけど、それ本当に?」
「間違いない」
眞弓とリコとは別の、魔の匂い。それは流石に、僕も気にはなる。魔のことを更に知るには、書斎を弄るよりも有意義かもしれない。
──それにやっぱり、単純に彼女のことは心配だ。
「わかった。ありがとう、リコ」
僕はリコにお礼を言って、少し悩んだ後、彼女に小さく口付けをして、唾を流し込んだ。
「あは。すっかり慣れたもんだね」
「うるさい。眞弓も起こそう。三人で行く」
僕は夜の寒さに震えて、荷物の中から外套を取り出して羽織った。
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