少女の行く末③
結局その日、僕らは一日中書斎に籠もっていた。意外だったのは、眞弓が率先して文献を読み漁っていたことだ。これまで、吸血鬼としての眞弓が表に出てきた時、本人が吸血鬼や魔のことを学ぶ機会など殆どなかったから、自分のことを知るという面でも興味が湧いたのか。リコの方は、買い物を済ませて帰ってきていたヒメちゃんの作った昼ご飯を食べた後、漫画はもう飽きたと、ヒメちゃんの持っているゲーム機を見て、彼女に絡んで一緒にゲームをやりたがっていたので、目の届く範囲なら良いと、書斎の端に二人でゲームをプレイできるだけのスペースを作ってやった。ヒメちゃんの方も、誰かと一緒に遊べるのは嬉しかったようで、夜になるまで二人で夢中になってゲームに興じていた。
「色々と興味深い本はいっぱいあるけど、特にこれといって今の僕らに有用そうなものがあるかどうかはよく分かんないな」
僕は、『人と吸血鬼の歴史』の第三巻を閉じると、その本を本棚に戻して、大きく伸びをした。
「俺や貴様がどうしたいのかで、欲しい知識も変わるだろう」
眞弓が本のページを捲りながら、真っ当なことを言った。表紙を見ると、眞弓が読んでいるのはブラム・ストーカーの吸血鬼ドラキュラだった。僕は部屋の隅で楽しそうにゲームで遊んでいるリコ達を一瞥した後、書斎の椅子に座っている眞弓の横に立った。
「……眞弓はどうしたい?」
僕は彼女に尋ねた。思えば、これまで僕は自分自身の考えだけで行動してきた。あの夜、吸血衝動を抑えきれずに一人放り出されて震えていた彼女を連れ出してから、僕は眞弓の考えをしっかりと聞くことはなかった。
「俺は無論──」
眞弓はそこで一度、口をつぐんだ。それから本を机に伏せた後、僕の顔を見上げる。
「このまま、貴様と日々を過ごすのは、悪くない」
眞弓は言いながら、僕の目を真っ直ぐに見つめた。僕は一瞬、気恥ずかしさに目を背けたくなったけれど、彼女の瞳の中をじっと見つめ返した。
「貴様の本音はどうなのだ」
「……僕の?」
眞弓はゆっくりと頷いた。
「俺と共に居続けるのは苦痛ではないか? 貴様が本来、共にいたいのは俺ではあるまいて」
「それは──」
──違う、とは即答できなかった。
「……はっ」
眞弓は口籠もる僕を見て短く笑うと、伏せた本を手に取り、本の続きを読み始めた。彼女に対して言いたいことが胸の中でぐるぐると渦巻く。けれど、そのどれを口にしたところで眞弓は耳を貸さないだろうと思うと、唇を固く噛んだまま、何も話せなくなった。
「ごめん」
「何がだ」
形ばかりとしか捉えられない僕の謝罪に対して、眞弓はにべもなく応える。
「……トイレ行ってくる」
僕は漏れ出そうだった溜息を飲み込むと、書斎から出て、一階にあるトイレに向かった。どうして即答してやらなかったのか、眞弓の言う通り結局僕は何をどうしたいのか、答えの出ない問いが頭の中を占める中で用を足し、僕はまた書斎に戻ろうとトイレから出た。
「あれ」
トイレから出てすぐの廊下で、ヒメちゃんが壁にもたれて待っていた。
「ごめん、入る?」
僕は慌てて、ヒメちゃんがトイレに入れるように道を開ける。そそくさと2階に小走りで向かおうとしたところ、ヒメちゃんが僕の服の裾をギュッと掴んだ。
「ヒメちゃん?」
「もう一度、お聞きしてもよろしいでしょうか」
「何を?」
「叶斗さん、でしたよね」
僕はヒメちゃんに名前を呼ばれて、頷く。ヒメちゃんはホッとしたように一息吐いた後、僕の眼をじっと見た。
「三人の関係についてです」
「えっと」
僕は少しだけ、ヒヤリとした気持ちになる。本当のところを、全て話すことはできない。それはヒメちゃんの方も同じだろうし、彼女だって分かっちゃいるものと思っていたけれど。
「叶斗さん、自分たちも家出中みたいなものって言ってましたけど」
「まあ、そう」
「……三人の中だと、叶斗さんが主導権を握ってますよね」
「どうかな」
主導権と言われると、よく分からない。確かに、ここ数日の生活の中、自分たちの今後について僕が決めざるを得ない場面が多かったのは確かだが、別に好んでそうしているわけじゃない。
──リコに対してだってそうだ。彼女に対して、優位に働きかけたいわけじゃない、とそう思いたい。
「やっぱり、私も叶斗さんの望むようにした方が一番、良いでしょうか」
「何の話?」
ヒメちゃんは僕の腕を掴んだ。いきなりのことに、僕は「あっ」と情けなく声を上げたが、ヒメちゃんを振り払うようなことはしなかった。ヒメちゃんは反対側の手で、腕を掴んだ方の僕の手を握る、それからしばらく、二人で握り合う手を見つめた後、そのまま自分の左胸に二人の手を重なり合わせるように添えた。思わずドキリとして、手を離そうとするのを、ヒメちゃんが強く押さえつけた。僕の手がヒメちゃんの胸に触れているせいで、彼女の鼓動が直接伝わる。
「どう、したの?」
「……今日、三人が書斎でしていることを、見ました」
「え」
また、ヒヤリとした感覚が背筋を通った。ヒメちゃんが言っているのは、本を探していたことじゃないだろう。そういえばあの時、書斎の扉が開いていた。てっきり、僕を含めた三人のうちの誰かが閉め忘れたものと思ったけれど。
「やっぱり、ただで住まわせてもらうなんて、虫がいいですもんね」
「いや、そういうんじゃ……」
「私は良いです。慣れて、ます。その方が、私も納得できるし」
「納得できるって……」
「叶斗さんの、好きにしていいですよ。あのお二人のことも、決して嫌いじゃないですし。いえ、嫌うほど三人のことを知りませんけど」
ヒメちゃんはそう言うと、僕の手を胸に当てたまま、今度は反対側の手を僕に伸ばす。その手が僕のズボンの裾に伸びたのを見て、僕はようやく混乱する頭を制して、僕に伸びるヒメちゃんの腕を、今度は僕の方から掴んだ。
「痛っ」
「あ、ごめん」
僕はパッとヒメちゃんの腕を離す。そのまま、彼女の胸に触れていた手も離して、ヒメちゃんと距離を取った。さっきとそう二人の距離は変わらないのに、僕の目には一瞬、ヒメちゃんが途方もなく遠くにいるようにすら感じた。
「痛かった?」
「大丈夫です」
眞弓やリコを目の前にするのとは、別の意味で肝が冷える。バクバクとうるさい心臓を、いつものように手で無理矢理押さえつけるようにしながら、僕は一歩だけヒメちゃんに近づき、彼女を見下ろした。
「詳しくは言えないけど、眞弓もリコも君が思ってるのとは違う」
「……というと」
「違う。君はそんなこと、考えなくて良い」
「私なんかには興味ないですか」
「そういうわけじゃなくて。いや、えっと」
モゴモゴとどもり始めた僕と違い、ヒメちゃんの方は一心に僕から視線をズラさない。まるで、そうしなくては死んでしまうとでも言いたいくらいの圧を感じた。
「違う。違うんだ」
僕はわしわしと自分の頭を掻いた。自分でも説明できない。そもそも、説明できるような関係でもない。だって、何て伝えれば良いんだ? 眞弓は吸血鬼で、リコちゃんはサキュバスで? 僕は二人に仕方なく食料を提供しているだけ。仕方なく? 本当に? 僕は、僕は二人を自分の望むようにしたいとは、思っていない? 言い訳じみた理屈を重ねて、僕は自分の中にある、彼女たちに対する感情を正当化している。
「ごめん、うまく言えない。だけど違う」
「私じゃ、ダメなんですね」
「だから、そういう話でもなくて」
「いえ、いきなり失礼しました。お部屋、戻りましょう」
ヒメちゃんはくるっと勢いよく足首を軸に動いて、スタスタと書斎に向かう廊下を歩き始めた。僕はそんな彼女をポカンと呆けて見ながら、次に重ねる言い訳をひたすら考え続けていた。
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