彼女と夢魔の確執③
「貴様、俺の餌に何をした?」
目を覚まして自分の足で立って直ぐに、眞弓はギロリとリコを睨みつけた。
「は?」
リコは納得の行かなさそな視線を眞弓に向ける。
「あんたと一緒だから。約束通り、ご飯もらっただけ」
リコはそう言って、深く溜息をつく。眞弓を見下ろすその視線は、哀れむような、軽蔑するような眼差しだった。
「っていうかあんたが急にガックリ来たから庇ってあげたんでしょーに。自分の吸血衝動も管理できないザコがイキんな」
「はっ。貴様こそ、随分と派手に人間に恐怖を抱かせたくせに、よう言うわ。喰い散らかしてその後は知らん振りか? 今の貴様の在り方含め、下品極まりない」
眞弓も引かず、寧ろリコに掴みかかれるくらいに近付いて、罵倒を返す。リコが舌打ちをする音が聞こえて、僕は慌てて立ち上がると、二人の間に割って入った。
「眞弓、わかったから。リコ、君もやめて」
眞弓はふんと鼻を鳴らすと、僕とリコからそっぽを向いた。リコは変わらずに気に食わなそうな顔を崩さなかったが、しばらくして仕方なく肩を落とした。
「そいつが起きたんなら、とりあえずここから移動しよ。あらぬ疑いかけられても面倒だし」
「あらぬ疑い?」
リコは辺りを見渡して、ガードレールの周りで突っ立っている女性を一人、顎で示した。
「ああいうの。わかるでしょ」
僕は改めてリコが示した女性を見た。それで気付いたが、その女性だけでなく、辺りにいるのは殆どが若い女性ばかりだ。僕とそう変わらないか、小さい女の子さえもいるように見える。それで僕でもようやく見当がついた。ここは身を売っている女性達の溜まり場だ。
「君がいるから話しかけてくるようなのはいないかもしれないけど。まあまあガタイ良いしね、君」
「まあ、背は高い方だけど……」
どちらにせよ長居しない方が良さそうなのはリコの言う通りだと思った。僕達は路地から大通りにまた移動する。通り一本動くだけで、ガヤガヤと人混みの喧騒にすぐに戻る。目眩がしそうな程に行き交う人混みの中で逸れないように、僕は眞弓の手を握った。眞弓も特に抗うことなく僕の手を握り返す。リコの方は、そんな僕らの様子をチラチラと見ながら少しだけ前の方を歩き、僕らを先導した。
「この辺りでも、泊まれるところあるかな」
「どうだろうねー」
僕が尋ねると、リコはうーんと首を傾げた。
「リコは身分証とか」
「持ってると思う?」
「いや」
リコに問われ、僕は否定した。長い間、吸血鬼として生きるというのがどのような生活だったのかはわからないが、少なくとも人間社会の尺度に合わせて生きる必要はなかったのだろう。偽造証などがあればあるいは、とも思ったが勝手なイメージだけど、リコはそういうものを用意するようなタイプにも思えない。
「そもそもリコはどこに向かってるの?」
「ハンターの家でしょ? あたしだって心当たりはないけど、何となくそんな感じの匂いがする方」
「分かるの?」
僕は眞弓の顔を見る。眞弓は苦虫を噛み潰したような表情になって、小さく唸った。
「俺は、分からん」
意外にも、眞弓は正直に答えた。傲岸不遜な吸血鬼の人格と言え、実際に魔としての先達であるリコが感じ取れるというのなら、今この場で張り合うこともないと判断するくらいの理性はあるらしい。
「気配を隠してる奴は気配を隠してるなりの気配があるの。言っとくけど、あたしだって場所が完全に分かるわけじゃないよ。隠してるにしても、なんか知らないけどめちゃくちゃ弱いし。でも、ここに来てから匂いはする」
「リコがそう言うなら、任せた」
僕が言うと、リコは嬉しそうに笑った。リコは人混みを掻き分けながら、迷う様子もなく歩いていく。僕と眞弓は、彼女の歩みに従うしかない。いつの間にか、僕らとリコの立場が逆転していることに眞弓は不機嫌そうな態度を隠さなかったが、リコは今はもう、そんな眞弓に構うつもりはないようだった。
二十分程歩いて、大通りや広場からも離れた辺りのところでリコは立ち止まった。
「この辺りだと思う。多分」
「確信はないのか」
「この程度の匂いすら辿れないざこざこに文句言われたくないなあ」
それまでそんな雰囲気もなかったのに、また二人とも喧嘩腰になっていた。
「そういうの良いから。リコ、ありがとう。助かった」
僕はまた二人の間に割って入る。僕と眞弓だけではここまで辿り着くだけでも倍以上の時間がかかったはずだ。それを考えても、リコが戦力に加わったことは、もう少しだけポジティブに考えることができるかもしれない。
「ひとまずは泊まれるところ探して、聞き込みとか調査は明日の朝からにしよう」
「おっけー」
「俺も構わん」
僕がそう提案すると、眞弓もリコも頷いた。二人が提案を飲んでくれたことにホッとして、僕は改めて宿泊場所を探した。ネットカフェやホテルでも、通りで目立つようなところでは身分証の提示がなければ使用は難しそうだったし、表に「未成年のみのご利用は禁止」と掲示している店も多かった。
「兄さんたち」
仕方なく三人で通りをウロウロしていると、後ろから誰かに呼びとめられた。眞弓とリコの殺気がピリつくのが僕にも分かったが、僕は小声で二人に「静かに」と伝えてから後ろを振り向いた。そこにいたのは、小さな少女だった。パッと見、僕や眞弓よりも歳下に見える。
「もしかして泊まるとこ探してる?」
「えっと、まあ、そんなとこ?」
「向こうの通りにあるケインズってホテルなら兄さん達だけでも大丈夫。今なら多分、空き部屋もあるし」
「ほんと、ありがとう」
「どういたしまして」
少女はそれだけ言うと、僕らに手を振ってどこかへ行ってしまおうとしたので、僕は少女を呼び止めた。
「待って。君は大丈夫なの?」
僕の呼びかけに、そのまま立ち去ろうとした少女はくるりと振り向く。
「私、今までそこにいたんだけど、今日は別に泊まるとこあるから」
「そうなんだ」
「うん、だから気にしないで大丈夫。それじゃ」
そう言うと、少女は走り去ってしまった。これ以上、僕らと話すのは嫌だとでも言いたげに。僕らは三人、顔を見合わせたが、他に行くあてもあるわけでなく、少女の行っていたホテルに向かった。そこは外装も薄汚れた、安いラブホテルのようだった。ホテルの周りには、先ほどの少女ともそう歳の変わらなさそうな子らから、僕よりも少し歳上そうな、タバコを吸っているお兄さんまで、色々な若い人達がたむろしていた。宿泊客なのか、それとも他に何か理由があってここにいるのかは僕にはわからなかったけれど、彼らを避けながら三人でホテルの中に入った。
ホテルの受付にはカーテンがかかっているが、その向こうには人がいるのはわかる。僕は恐る恐るカーテンの向こうに僕と眞弓、リコの三人で受付に宿泊を頼むと、カーテンの向こうから料金表を見せられる。僕はその中から、一泊できるコースを選ぶと、先にお金を払うように言われたのでカーテン越しに料金表通りのお金を支払うと、空き部屋の番号札と鍵を渡された。特にそれ以上の言及はなく、僕らは戸惑いながらも番号札の部屋に向かった。
「とりあえず、寝床だ」
三人で部屋に入り、僕はホッと一息つく。しかし、それも束の間、後ろからグッとお腹の辺りに強く抱きつかれ、僕はびくりと体を震わせた。僕の腹の方から胸の方まで這うように手を動かすのは、リコだ。
「さっきは水分補給だけだったけど、ここなら良いでしょ?」
そう言ってリコは、僕のズボンに手をかけようとした。
「待て」
眞弓がリコの腕を掴む。リコは舌打ちをして僕の体に回す腕を離した。
「何なの?」
「食事は構わん。俺も後で血はいただく。だが、まずは体を洗い流した方が良いだろう」
「……そうね」
眞弓の口から出た、思いの外常識的な提案に、リコも納得したらしい。ひとまず僕らは荷物を置いて、三人で順番に体を洗い流すことにした。
「あたしは、君と一緒に入っても良いよ? それならお風呂場でご飯も済ませられるでしょ?」
などとリコが言ったが、眞弓がリコの腕を引っ張って、結局眞弓とリコの二人で体を洗い流した後に、僕がシャワーを浴びる順番になった。シャワーを浴びて、手持ちの服に着替えた後になって、まずはリコの食事から与えることになった。眞弓はと言うと「見てられん。終わったら起こせ」と、僕とリコに背を向けてベッドの上に横になった。
「眞弓は一日三回、吸血衝動がくる」
僕はリコにズボンをずり下げられながら、事実をただ確認するように、そう伝える。
「リコはどれくらい?」
「一日に一度か二度、かな。多分、吸血鬼の頃よりコスパは良いみたい? あたしもこうなってそんな時間経ってないし、よくわかんないや」
「じゃあ、今は無理にやらなくても……」
「いいの?」
リコは僕のズボンを降ろして、僕に向かってニヤリと邪悪そうな笑みを浮かべた。リコの食事を僕が充分に与えられなければ、リコは僕との契約に縛られず、他の人間を襲うだけ。それが嫌なら、最初からそうだけれど僕に選択肢はない。
「わかった」
「よろしい。いただきまーす」
今度は下着も降ろされた。やはり、食事の段階でリコが僕に触れると、ビリビリとした電流が僕の体に流れる。そうして体が硬直しているにも関わらず、屹立する僕の性器をリコは咥える。僕の下半身にビリビリとした刺激が集中して、普通では考えられない程に素早く射精する。
「ん。ごちそうさま」
リコが言うところの水分補給を除いた、二度目の食事は、スムーズに行われた。最初も似たようなものだったが、眞弓に血を吸われた後の倍近い倦怠感を覚える。リコへの食事提供は、思っている以上にこちらの体力と精神を持っていかれているような気がする。僕はフラつきながらも眞弓が横になっているベッドまで歩き、眞弓の肩を叩いた。
「終わった、よ」
僕が言うと、眞弓はゆっくりと上半身を持ち上げて、じぃっと僕の顔を見た。
「次は眞弓」
「いや、俺ではない。まずはお前だ。まずはお前が腹を満たせ」
──確かに。眞弓の言う通りだった。これまでも、新宿についたばかりの時のように突発的にそうなってしまう時を除いて、眞弓に血を吸わせるより前に僕と眞弓とで、人間的な意味での食事をするのが常だった。リコのペースに乗せられ過ぎたかもしれない。
「そうだね、ごめん」
「謝ることではない」
僕は眞弓の言葉に従い食事を摂ることにして、ホテルのルームサービスメニューにあったカルボナーラパスタを人数分頼んだ。
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