彼女と夢魔の確執②

「ぷはぁ」


 眞弓は一通り血を吸い終わると、ぐったりと僕の肩に倒れ込んだ。僕は彼女をしっかりと受け止める。

 眞弓の意識は閉じていた。眞弓が吸血をした後に、こうやって倒れるのは、まだ元の眞弓の人格が出ている時はよくあることだった。けれど、今の状態になってからは初めてだ。僕は眞弓の頭頂部に手を当てながら、唾を飲み込む。

 もしかしたら、次に目覚めた時こそ、眞弓は戻っているかもしれない。そんな希望を抱く。


「ねえ、そろそろ移動した方が良いんじゃない?」


 眞弓が体重を乗せているのと反対側の肩を叩かれてリコに問いかけられ、僕はビクリと体を震わせた。眞弓のことを考えていたから、急に話しかけられて驚いてしまった。


「そうだね」


 周りの人々は、相変わらずチラチラとこちらを見るくらいで、まじまじと見てくるような人はいない。酔っ払いか、往来で抱き合う迷惑なカップルくらいに思われているのかもしれない。それならそれで都合は良い。


「よいしょ」


 僕は眞弓を持ち上げた。リコはそんな僕を見て、少しだけ肩をすくめると、歩き出した。


「着いてきて。ここいらなら、あたし来たことあるから」

「そう、なの?」

「東京は良い餌場だから」

「なるほど?」


 僕は眞弓の脚を両脚で持ち抱え、リコの後を追う。


「一人二人行方不明になったところで、気にする人はほとんどいない」


 物騒なことを言う。だが、そう言われれば納得はする。けれど、改めて疑問が起こる。


「リコはどうして、僕らの街であんなに血を吸ってたの?」


 リコの話を信じるなら、彼女が吸血鬼になったのは、眞弓がそうなったよりも随分前のことのようだ。だとするなら、僕らの街でニュースになる程に、あれだけの血を吸ったのは何故だ。


「あれね」


 リコは歩きながら、少しだけ話しにくそうな声音を出す。


「色々あってね。あたし、そいつにやられる前にも弱ってたんだよね」

「それは、あの人みたいな──ハンターにやられて?」


 リコは前を向いたまま、首を横に振った。


「違う。同族と」

「……他の吸血鬼?」


 リコは、今度は一度こちらを振り向いて首を縦に振った。

 あの街に、眞弓とリコ以外の吸血鬼がいた?


「あの時は、意地でも力を取り戻したかったから少し無茶をした。消えるかどうかの瀬戸際ってところだったの。手段は選んでられなかった」

「そんなことが」

「そう。それがまさか、また別の同胞にやられてサキュバスに格を落とさざるを得なくなるなんてね。あたしも焼きが回ったもんだと思っちゃった」


 リコはそこでピタリと足を止めて、完全にこちらを向いた。


「ま、君に会えたことは幸運かな。ヒトとの契約なんて滅多にできるもんじゃないし」

「血を吸われて死ぬくらいなら、話さえすれば契約してくれる人間がいても良さそうなものだけど」


 リコは僕の言葉に溜息をついた。


「適合するかどうかは賭けでしょ? それに、誰彼構わず契約はしないの。君だって、その子だから契約したんでしょ? それに相性だってある。その点、君とあたしは相性ぴったりー」


 リコはツカツカと僕の目の前まで歩いてくると、僕が抱きかかえる眞弓越しに僕の両頬を手のひらで挟んだ。


「君はあたしに手綱をつけたつまりだろうけど、それはあたしも一緒。あたしもそうそう簡単に、君みたいな上玉逃がすつもりはないから」

「……他の人間に手を出さないなら、勝手にして」


 自分でも、自分が今していることが本当に良いことなのか判断がつかない。眞弓が彼女の両親の血を吸ってから──いや、彼女が吸血鬼になってからずっと、僕は衝動に突き動かされ過ぎている自覚はある。


「あは。そーさせてもらうー」


 リコは笑顔でくるりと体を翻す。足取り軽やかなリコに着いて行くと、さっきタクシーから降りたところよりは人通りの少ない路地裏に行き当たった。ポツリポツリと、電柱の端に立っている人やガードレールにもたれ掛かっている人が見えるけれど、それくらいだ。

 歩きながら、眞弓の顔を覗き込む。次に元の眞弓が目覚めたとして、今の状況をどう説明したものだろう。眞弓が両親を殺してしまったことを、彼女に改めて伝えるのはあまりに酷だ。リコのことだってなんて言えばいい? そもそも、今の吸血鬼の人格が出ずっぱりなのだって、眞弓が彼女の両親を殺した事実を、彼女が受け止めきれないからなのだと思う。きっと、元の眞弓は真実を受け止められない。

 僕は、彼女を守りたい。

 その為には、僕は彼女に嘘だってなんだってつく。


「ここなら良いかな」


 リコはピタリと足を止める。僕は眞弓を抱えたまま、辺りを見渡した。確かに、よく見れば地べたに直に横になっている人さえいる。ここにいるのがどういう人達なのかは分からないけれど、僕らが加わったところで文句を言いに来る人間もいなさそうだ。


「そいつ、降ろしちゃって良いんじゃない?」


 リコが眞弓を指差した。僕は地面を見る。ゴミがこびり付いている汚いコンクリートの地面に、眞弓を降ろす気にはなれない。


「大丈夫。まだ抱えてられる」

「そうじゃなくて、そのままだとあたしの食事ができない」

「……へ? ちょ、ここでする気?」


 それは流石に、困る。せめて最初にそうしたように、公衆トイレかどこかでならまだしも。


「はあ。仕方ないなあ」


 そう言って、リコは僕の横に立つ。


「こっち見て」


 リコに言われた通り、僕は眞弓を抱えたまま、リコのいる方向に顔だけ向ける。すると、リコはニコリと笑うと、僕の肩に両手を置いて、僕と無理矢理に唇を重ねた。またしても急な彼女の行動に、僕の頭の中はパニックになる。僕は眞弓を抱え直すが、リコはそんなことはお構いなく、強引に僕の口の中に舌を這わせる。僕は彼女の舌を思わず自分の舌で押し返そうとしたが、かえってそれがお互いの舌を絡ませ合う形になってしまう。ビリビリとした感覚が、体中に伝わる。ホテルで同じように彼女と唇を重ねられた時、公衆トイレで精液を搾り取られた時と同じ感覚だ。サキュバスの体液に、人間の感覚を麻痺させる効果でもあるのかもしれない。それでも僕は眞弓を落とさないようにギュッと彼女を強く抱きしめる。


「んっ」


 急に力を加えられたせいか、眞弓の口から吐息が漏れた。その声を聞いて、僕の心臓が跳ね上がる。もしもここで彼女が目を覚まして、しかもそれが元の眞弓だったとしたら──。それ以上のことは考えたくない。けれど、脳の思考とは関係なく、バクバクと鼓動は昂り続ける。その間も、リコは僕の口の中で舌を大きく動かして、舌だけでなく歯の裏側から口蓋、頬の裏側までを舐めまわした。


「ん、ぷは」


 どれくらいそうしていたのか。眞弓を抱える腕が震え始め、もう限界を迎えるかもしれないと思った頃になって、リコはようやく僕から離れた。


「ま、さっきご飯もらってから時間経ってないし、今回はくらいで許してあげる」


 僕はリコが離れたところで、ガクンと膝から崩れ落ちそうになったが、それよりも先に眞弓が目を開いた。


「……ここは?」


 僕は眞弓の脚ををゆっくりと地面に降ろした。眞弓はキョロキョロと辺りを見回しながらも、地面に足をつける。それを見て僕は、汚らしい東京の地面に、ドスンと腰を落とした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る