彼女と夢魔の確執①

「ねえ、リコ」


 リコとの契約の確認が済んだところで、僕は彼女にまだ確かめておきたいことがあった。


「何?」

「えっと」


 僕は思わず口籠る。僕達は今、あの人の元へ向かおうとしている。助言だけでなく、できることなら直接的な助けを得るのが目的ではあるけれど、よく考えなくてもあの人が僕らを助けてくれるとは限らない。

 眞弓もリコも、あの人の言う駆除されるべき熊だ。

 眞弓は実の両親の血を吸って命を奪った。そして恐らく、リコは僕らの街を騒がせた吸血鬼そのものだ。そのことを、彼女の口から直接聞きたかった。


「リコは僕らの街で、どのくらいの人間の血を吸ったの?」


 悩んだ末に、僕はそう聞いた。リコが以前に人の血を吸って殺していたことは間違いない。そこから聞いても仕方がない。リコは自身に尋ねた僕の顔をじっと見る。僕もリコの視線から目を逸らさない。リコは少し考え込むようにして、言った。


「覚えてない。百人くらい? いや、流石にそんなにいないか」

「──そっか」


 その答えで充分だった。やはり、彼女は野放しにしてはいけない存在だ。誰かが息の根を止めるか、手綱を握らないといけない。僕はリコに力で敵うことはできない。それはホテルでの取っ組み合いでもよく分かった。人間の身で、吸血鬼やサキュバスの力に勝つのは無理だ。


「そっちの方は? かなり強い力だったけど」

「そっちって……」


 僕は眞弓の方を見る。眞弓はさっきからずっと、僕やリコと目を合わそうとしない。僕らと一緒に歩きながらもそっぽを向いて、今のリコの質問にも、答える気はなさそうだった。


「眞弓は……僕と家族の血以外吸ってない」


 僕はそれだけ口にした。リコは目を丸くして驚いた様子で、それ以上追及はしなかった。そうなると僕の方もリコに質問を投げかけにくくなり、無言のまま三人で大通りに出るまで歩いた。大通りに出ると、僕は近くを通ったタクシーを拾った。三人で乗り込み、新宿までの運転を頼んだ。三人で後部座席に乗った。眞弓とリコが僕を挟んで乗る形だ。一応スマホの電源を入れ直し、かかる時間を調べてみたが、ここから新宿まで一時間かからない距離だった。

 問題なのは、あの人の新しい事務所が新宿のどこにあるのか分からないということである。

 あの人の名刺にあった住所に向かい、事務所移転を知らせるメモは見つけた。しかし、家の中を探しても、移転先を記したようなものはなかった。あまり地理も知らぬ東京の街で、僕らはあの人の事務所の場所を、探さなくてはいけない。


「眞弓はやっぱりもう、あの人の気配は感じない?」


 眞弓は首を縦に振った。


「分からん。もう暫く奴も、他の魔の気配も感じ取れない」


 眞弓はそう言った後、僕を挟んでギロリとリコを睨み付けた。


「貴様に心当たりはないのか?」

「何の話かわかんないけど、喧嘩売ってんの?」


 自分を睨み付ける眞弓に対して、リコは不機嫌そうな態度で答えた。僕は眞弓の肩を叩く。


「眞弓、少し落ち着いて」

「この夢魔が奴を殺したという可能性もあり得るんだぞ」


 僕は眞弓の言葉に、即座に反論は出来なかった。ついさっき、僕自身もリコに聞こうとしたことだ。元々、眞弓は僕らの街を騒がしていた吸血鬼に、あの人が負けてしまったのだと考えていた。僕らの街を騒がしていた吸血鬼がリコだったとするなら、リコがあの人を殺したと考えることに、何の不自然もない。だが、リコは心底面倒臭そうに溜息をつき、言った。


「吸血鬼ハンターなんてね、相手にしてらんないから。あたしには心当たりがない。そもそも、あの街にハンターが居たって話、聞かなかったし。聞いてたら餌場にしてない」


 当然、リコの言葉の全てを信用することはできないが、僕には彼女が嘘を言っているようにも思えなかった。それよりも、リコの話を聞いていると、どうも眞弓の考えていたこととの違いが見えてくる。


「リコはいつから吸血鬼だったの?」

「そんなの覚えてない」

「一年前とか?」


 リコはキョトンと首を傾げた後、おかしそうにケタケタと笑った。


「あは。何それ、ウケる。流石にあたしもそんな新参じゃない」


 やっぱりそうだ。僕らの街を騒がしていた吸血鬼は、眞弓と同じように血を吸われて吸血鬼になった、別の被害者だと最初は考えていた。けれど、少なくともリコはそうじゃなさそうだ。


「……続きの話は、降りてからにしようよ」


 僕は眞弓とリコにそう言った。僕達三人以外の人間が、話を聞いている状態というのは少し居心地が悪い。タクシーの運転手にとっては、僕たち三人の若者が空想にかられてよく分からない話をしている、という風に見えていると思うしかないが、だからと言ってここで話し続ける理由もない。眞弓もリコも僕の言うことを聞き、静かに座っていた。ピリピリとした二人の間で静寂に包まれるのも、それはそれで居心地が悪いな、と少し後悔する中、目的の新宿駅付近に到着した。


「えっと、どうしようかな」


 タクシーから降り、僕は二人に問い掛ける。二人ともツンとした顔でいたが、眞弓の方が口を開いた。


「──ろ」

「え?」

「血を吸わせろ」


 眞弓の頰が紅潮し、肩で息をしていた。僕がリコに気絶させられてから、それなりに時間が経ってしまっている。眞弓も吸血衝動が限界だったのを、我慢していたのだということに、服の中に隠していたネックレスの輝きを見て、今更気付いた。


「まずは人目につかないところに……」


 僕はキョロキョロと辺りを見渡す。けれど、道行くところ全て人、人、人。見たことのない程に騒がしい人通りに、僕は唖然とする。これでは、人のいない場所を見つけるのも一苦労だ──。


「──すまん」


 眞弓が僕の肩に腕を回した。それからむしゃぼるように、僕の首筋に噛み付く。それを見て、リコが溜め息をつくと、僕の後ろに立った。少しでも人目を避けるようにしてくれているらしい。


「ありがとう」


 僕がリコに礼を言うと、リコはニコリと笑う。


「あたしにもすぐご飯ちょうだいね」

「……うん」


 リコにはを与えたばかりだろう、と思ったがそう突っぱねることも僕には出来なかった。


「ん、あ」


 眞弓は一心不乱に僕の血を吸う。いつものように唾液と血が、僕の肩を伝う。僕は眞弓の背中に腕を回した。眞弓は安心したように鼻から息を吐き、血を吸い続けた。

 その間も、街の喧騒が耳に響く。目の前でひっきりなしに人が往来するが、僕らのことをちらりと横目に見て通り過ぎる人はいても、気に留めるような人間はいなかった。

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