僕と夢魔との契約②
僕はリコの言葉に頷くと、おにぎりを2個食べて残りは鞄の中にしまった。手招きをするリコの後をつけるために立ち上がり、眞弓の顔を見た。眞弓は眉間に皺を寄せたまま頷く。
リコが歩いた先にあったのは、公園のトイレだった。リコは躊躇することなく女子トイレの方に足を踏み入れる。当然、僕と眞弓は入り口近くで唖然としながら彼女を見ていたが、リコはトイレの入り口に入ってすぐのところで振り向くと、また手招きをした。
「来てよ」
「無理だよ」
リコは少し首を傾げた後、女子トイレの方から出てくると、僕の腕を掴んだ。
「んじゃ、こっち」
リコはそう言って、僕を男子トイレの方に引っ張る。そんな僕らの様子に、眞弓が舌打ちをしたのを見ると、リコは眞弓の肩を叩いた。
「あんたは見張りよろしく」
「え」
流れるように僕の腕を引きながら男子トイレの中に入っていくリコに僕は面食らう。
「ほら、早く」
リコはその場から足を動かさない僕を急かす。僕はキョロキョロと辺りを見渡した。幸い、公園の周りに人通りはない。トイレもあまり手入れされてるとは言い難く、鼻をツンとつくような臭いが漂う。ここに人が入ってくる可能性は低い。眞弓を一人にすることだけが不安だが、流石に何かあればすぐに駆けつけられる距離だ。
「えっと。眞弓、よろしく」
「好きにしろ」
眞弓は機嫌悪そうにまた舌打ちをした。僕は鞄を含めた荷物を眞弓の立つトイレの入り口前に置く。それからリコに従い男子トイレに足を踏み入れて、二人でトイレの個室の中に入った。リコの言う通り、確かに人が来ないところではある。具合が悪い人間を連れ込むのには不自然ではない場所だし、眞弓の吸血衝動が抑えきれない時もこうやってトイレを使うのはありなのかもしれない。なんてことを考えていると、リコはガチャリと個室の鍵を閉めた。
「えっと」
トイレの狭い個室の中、無理に二人入っている状況に、僕は狼狽していた。
「ちょっとしつれい」
そんな僕をよそに、リコは開いていた洋式トイレの蓋を閉めてその上に座った。僕は個室の扉を背に、座るリコを見下ろす形になる。
「じゃあ早速よろしく」
「……どうすれば?」
リコへの餌を提供するということだけ了承し、何も説明がないままこの状況になっているものだから、よろしくと言われても困ってしまう。リコは僕の目を見つめながらキョトンとした顔をしていた。
「だからご飯を」
「血ではないんだよね?」
「あ、そっか。言ってないのか」
リコは納得したように口を大きく開けて頷く。それからニヤリと口元を歪める。その表情に、僕は思わずドキリとした。
「わかった。初めてだし、動かないで」
リコがそう言った瞬間、ビリビリとした感覚が頭の先から爪先まで流れた。ホテルで彼女に覆い被された時と同じだ。体の動きが、封じられている。
「じゃあ、すぐ済ませるから」
リコは便器に座ったまま、僕のズボンに手を伸ばす。僕の方はそんな彼女を制するように、頭を両手で抑えた。契約をしたことが関係しているのか、彼女が拘束を手加減をしているのか、あの時のように全く体が動かないというわけではなく、ものすごい気だるさを感じはするものの動くことはできる。
「何するの?」
「だから食事だって」
リコは手慣れた手つきで、僕のズボンのチャックを開けた。困惑する間もなく、ズボンと一緒に下着がズリ下ろされて、一瞬で下半身を裸にされる。
「いただきます」
流れるような動作で、リコは僕の腰の辺りを抱き寄せて、股間の間に口を近づける。心臓の鼓動があり得ない程に昂る。彼女が何をしているのか、何も理解する暇さえない。
彼女の口が露わになった僕の性器を咥えた。吸い付かれるような圧力と刺激が、僕の股間に加えられる。体の痺れが加速する。彼女の唾液が僕の性器を咥えた口元から溢れているのが見える。ドクドクと、血の巡りが無理矢理活性化させられているのが分かる。活力を無理矢理湧き立てられるような感覚。そのまま血が全身を巡る。眞弓の吸血とは違う形で、けれど間違いなく彼女に生殺与奪の権利を握られて、僕は捕食されている。
グルグルと混乱して目眩さえ覚えている僕の意思とは無関係に、僕の性器が勃起する。
「あ」
気付けば、まるで堰き止められたダムが決壊するように、絶頂の感覚が体を襲った。
「ぷはぁ」
リコが僕の性器から口を離す。彼女の涎と僕の体液が混ざったものが彼女の唇から垂れる。彼女はトイレットペーパーを適当に巻き取って取ると、口元を拭い、僕の股間にもトイレットペーパーを近づけた。
「ま、待って」
僕は彼女の頭を掴んだままだったことにそこで改めて気づいた。そのまま両手に力を加え、彼女を遠ざける。
「それは自分でやるから」
「……そ」
リコは便器から立ち上がると、蓋を開けて口元を拭った紙を放り捨てた。彼女が僕から目を離した瞬間に、僕の体を縛っていた何かが解ける感覚を味わう。僕はホッと一息ついて、少しだけ腰を落として新たに巻き取ったトイレットペーパーで股間を拭いて、下着とズボンを履いた。
「……」
彼女の拘束から解き放たれて冷静になり、僕は改めてリコを見る。彼女との契約。異性の前で射精をしたのは初めてだ。それだけじゃない。僕は今、もしかしてトンデモないことをしてなかったか?
「サキュバスって言ったでしょ」
んべえ、と僕の目の前でリコは口を大きく開けた。
「美味しかったよ。ご馳走様」
「……精をもらうってそういう」
「そ」
「……他の方法ない?」
やってしまったことは仕方がない。契約内容を理解することなく彼女を助けた僕が無責任だっただけだ。このまま彼女を見殺しにすることも、彼女が他の人間を今みたいに襲うことも防ぎたい。
「吸血鬼よりはマシだと思うよ。命までは奪わない。精を吸われた人間は、そのまま廃人と成り果てるけど」
「廃人ってのは?」
リコはまたニヤリと笑う。その笑顔は妖艶で、油断していれば引き寄せられてしまう。
「自分で考えることも困難なくらい、頭の中がぐちゃぐちゃになるってだけ。生きてはいけるんじゃない?」
「ホテルでのことは」
「何のこと?」
「キスをしただろ」
ああ、とリコは頷いた。
「血以外の体液ならあたしにとっては食事になる」
「それじゃあ」
「唾液だけだと、人間にとっては水だけ飲んでるみたいなもん。餓死しちゃう」
──僕は彼女が本当のことを言っているのかを疑った。彼女が出鱈目を言っていたのだとしても、僕には判断がつかない。このまま彼女が本当に餓死するのかを確認しても良い。だけど──。
「分かった。少なくとも旅の間、僕は君に精を提供する。君も他の人間は襲わない。それで本当に良いね?」
リコは僕の言葉に、嬉しそうに手を叩いた。
「そうこなくっちゃあ」
「じゃあ、さっさとここを出るよ」
僕は個室の鍵を開けて外に出た。入って来た時とは逆に、僕の後ろをリコがついてくる。
「眞弓、お待たせ」
「……終わったか」
「うん」
何か、気まずい。
──眞弓とはキスをしたことさえない。それなのに、僕はリコにこれから日常的に今みたいなことをさせる必要がある。
「とりあえず、行こう」
僕は自分と眞弓を誤魔化すように、さっさと公園のトイレから離れて、眞弓に預けていた荷物を手に取って歩き始めた。
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