第2章 吸血鬼とサキュバス
僕と夢魔との契約①
🌒
気付けば、見上げた先にあるのは青空だった。
「あ、起きた」
僕の視界に映る眞弓の服を来た人物と聞こえてくる声とが一致せず、一瞬混乱したけれど、僕を見下ろしたのは眞弓ではなく、あの夢魔だった。僕が眞弓の家から持ち出した服のうちの一着を身に付けている。彼女の額には眞弓が吹き飛ばした時に付けられた傷跡が残っている。辺りを見渡すと、どこかの公園のベンチの上に僕は寝させられていたらしい。体の上には毛布代わりにコートがかけられている。これも眞弓の服だ。夢魔はベンチの前で、腕を後ろ手にして僕を見下ろしていた。
あのまま気を失って、夢も見ることなく目覚めたようだが、眠っている僕をどう連れ出したのだろう。
「あんたのご主人の相手するの、大変だったんだから。今はあたしの主人でもあるか」
「……どういうこと」
夢魔は呆れたように溜め息をついて、僕の手を取った。そして僕の手のを開き、手のひらが見えるようにする。もう血は止まっていたが、そこには僕がボールペンで抉った傷が残っている。
「血の契約。人と魔が血の交換をして主従関係を結ぶ。人が魔を調伏する手段の一つだけど、貴方の場合は特殊みたい。あたしだって自分の身が可愛いし、もうあんたには何もしないってのにあの俺様ときたらあんたから離れたくないってギャン泣き──」
ドスン、と鈍い音と共に夢魔の頭を何かが襲った。彼女が地面に倒れるのを呆然と見つめていた僕は、彼女を襲ったものの正体を見てホッと一息ついた。
「眞弓」
両手にコンビニのおにぎりを何個か抱えた眞弓が、脚を上げていた。眞弓が夢魔の頭を蹴り飛ばしたらしい。
「ちょっと! あんたねえ。代わりに大事な餌を見張ってあげてたあたしにその仕打ちはないんじゃない!?」
夢魔は言いながら立ち上がり、服についた土をパンパンと叩いて眞弓を睨み付けた。
「目が覚めたか。ほら、飯だ」
眞弓は夢魔を無視して僕の目の前に、手に持っていたおにぎりを置く。
「袋に入れてもらったりしなかったの」
「……知らん」
そっか。言わないと付けてくれない店員さんいるから。
「ねえ、あたしにお礼」
夢魔は懲りることなく眞弓に話しかけるが、眞弓は鬱陶しい蝿でも見るような眼差しで彼女を刺す。
「それ以前に貴様は俺とこいつに危害を加えた敵だ。俺が貴様を殺さんのは、こいつが貴様を殺さんと判断したからに過ぎん」
「そ。ありがとね。その点はホントに──ホントに感謝してる」
さっきとは打って変わってしおらしい表情を見せて、夢魔は僕の目の前にしゃがんだ。いきなりのことで、僕はビクリと体を震わせた。白い柔肌に華奢な細腕、改めて見ても綺麗な顔立ち。見た目は僕や眞弓とそう歳も変わらないように見えるが、吸血鬼の見た目なんて当てにならない、とあの人も言っていたっけ。
「あのままだとあたし、どっちにしろまた死んでたし、あんたは命の恩人」
「手のひら返しも見苦しい。それに貴様は殺されても死なんのであろうが。貴様のような浅薄な者を見ていると吐き気がする」
夢魔はまた溜め息をついて立ち上がり、眞弓の眼前に立った。
「吸血衝動で苦しんでるあんたに血を恵んであげたのは誰?」
「ふん、浅ましい同族の血など不味くて飲めた物ではなかったな。血の味から貴様の薄汚い性根も分かるというものだ」
眞弓も夢魔に一歩近付き、心底軽蔑している様子で眉間に皺を寄せ、彼女を睨め付けた。もう二人の額と額がぶつかりそうな程に距離が近い。
「眞弓に血、あげてくれたの?」
僕の問いに、夢魔がくるりと身を翻す。それから彼女はニッコリと微笑み、頷いた。
「そう。このあたしが、こいつの為に、ね」
「こいつと契約した以上、貴様も俺の眷属だ。主人が苦しんでいる時に身を粉にするのは奴隷の務めであろう」
眞弓は夢魔に対して引く気配がない。ただ、それも当然だ。今は無害を装っているように見えるが、この子は僕の命を二度も狙ったのだし、自分を殺した眞弓への恨みだってあるだろう。拍子抜けする程にあっけらかんとしている彼女の様子に、僕も気を許しそうになったが、眞弓の態度の方が自然だ。
──それでも、僕が気を失っている間に彼女が面倒を見てくれていたのは事実だろう。コンビニで袋一つ注文してこなかった、さっきの眞弓の様子を見ても、眞弓ひとりでホテルのチェックアウトをできたとは思えないし、僕が眠る間に眞弓に血を提供してくれたというのも本当だろう。
「こっちこそ、ありがとう」
だから、僕は素直にお礼を言った。僕らと彼女との間に確執があることと、彼女が命欲しさの為とは言え僕らにしてくれたことへの感謝は別問題だ。
僕の口から感謝の言葉を聞いたことに面食らったのか、夢魔はくるくると自分の髪の毛を弄りながら恭しく、頭を小さく下げた。
「どうも」
「眞弓に血をくれたってのも助かった。えっと──」
彼女の名前を呼ぼうとしたが、僕は彼女の名前を知らない。彼女曰く、眞弓に殺されて吸血鬼から格を落とした夢魔。僕が気絶する前はただの敵。けれど今は、味方とは言えないかもしれないが、僕と契約した彼女が他の人間を襲わないように、これからも旅を共にしてもらう必要がある。
「リコ」
繋ぐ言葉を止めた僕を見て、夢魔がボソリとそう口にした。
「あたしはリコ。不死者のリコ。今は格を落として夢魔──サキュバスだけど」
「わかった」
僕は頷いて、頭をあげてベンチに座った。毛布代わりのコートを眞弓に渡して、眞弓が持ってきてくれたおにぎりを一つ掴んだ。梅だった。梅あんま好きじゃないな……。僕はそれを一旦元の場所に戻し、今度は具材の名前をちゃんと見て、鮭おにぎりを手に取って包装を剥がした。
「リコ……さん」
「呼び捨てで良い。主従関係はあんたの方が上」
「あ、そう──。わかった、リコ」
その主従関係というのがいまいちよく分かっていない。あの人はその辺り、説明してくれたことあったっけ? 寝起きで思い出せないだけかもしれないが、記憶を引っ張り出そうとしても特にそんな覚えはない。
「色々してくれたのは分かった。それはありがとう。でも、眞弓の言う通り、僕にとって君は敵だったし、いつでも眞弓は君のことを──殺せる」
僕の言葉に、眞弓は大きく頷いた。リコもそんな彼女を見て、小さな溜め息をつく。
「そんなこと分かってる。だからあたしも下手なことはしない」
「そうしてくれると、助かる」
「あんた達、なんか目的があって移動してるの?」
「眞弓に聞いてない?」
リコは首をふるふると横に振った。
「何にも」
「……そう」
今僕が自分で口にした通り、彼女のことは信用仕切れない。だから全てを話すわけにもいかない。けれど、旅の目的の全てを隠すのも、僕らの為にはならない。僕は自分達の境遇について、何を口に出して何を出さないのかを選ぶのに頭を悩ませながら、言葉を紡いだ。
「わけあって、僕は眞弓と僕との契約を勧めてくれた魔の狩る者の家に向かってる。そこに彼がいるかどうかは定かじゃない。けど、助言をもらいに」
「そこに行って、貴様を殺した方が良いと判断すれば俺は躊躇なくお前を殺す」
僕の言葉に被せるように、物騒な条件を眞弓が言う。リコは面倒くさそうに空を仰いだ。
「良いよ。あたしは従うしかないんだから。でもあたしにも条件がある」
「……どうぞ」
僕は続く彼女の言葉を促す。
「この俺様吸血鬼にそうしているようにあたしと契約した以上、あんたにはあたしにも精を提供してもらわないと」
「それは、もちろん」
不死者だというリコが、これ以上他人を襲わないようにと選んだ契約だ。僕だってそこに異論はない。
「じゃあ、早速お願いしても?」
「良いけど、ここじゃ……」
そういえば、夢魔の求める餌が何か僕はちゃんと確認していなかった。ホテルで僕を襲った時、彼女に口付けをされて直ぐに僕自身で彼女を退けた後に眞弓が僕を助けに入ってくれたが、あれが夢魔にとって吸血の代わりになるものだろうか。……正直、眞弓以外の女性と唇を合わせるのは気が引ける、というか普通に気まずい。眞弓ともキスをしたことがないのに。でも、それが彼女の食事だというのであれば仕方がない。ちゃんと確認せずに契約した僕の落ち度だ。吸血鬼のままであれば、眞弓に対してそうしているのと同じように、僕の血を提供すれば良いけれど、彼女は今は吸血鬼ではなく、格を落として夢魔──サキュバスであると言った。
──サキュバス?
リコはまた、僕にニッコリと笑い掛ける。その顔を見てなぜだか、急激に鼓動が昂った。
「ひとまず君の食事ね。それが済んだら、人目のつかないところ、行こ?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます