彼女と僕の闘争②
☀︎
気付けば、朝陽が昇っていた。
床に転がって目を瞑って、あの人のことを考えたり、昔のことを思い出したりしているうちに、いつの間にかしっかり眠れたようだ。部屋の中に時計はないので、自分のスマホで時刻を確認する。電気が通ってたのを良いことに、充電もさせてもらったから、バッテリー表示には100%の数字が記されていた。時刻は朝の5時。結構早い時間帯だけれど、これからまた東京の方まで移動することを考えると、もう移動を始めても良いかもしれない。
僕は起き上がり、横にいた眞弓を見た。眞弓の方は、まだぐっすりと眠っている。近くにコンビニでもあれば朝ごはんでも買いに行くことも考えたが、行きのタクシーで道中窓を見ていた感じだと、少し歩いたところにしかなさそうだった。昨日のコンビニで買い溜めしたお菓子とカップ麺の入った袋を見て、僕はため息をついた。カップ麺を買ったところで、ここにはお湯を沸かすために必要なものがない。ガスは動いているけれど、鍋ややかんなどの器具もこの家には残っていなかった。
「まあ、急ぐこともないか」
安心した様子で眠っている眞弓を見ながら、僕は小さくつぶやいた。僕はスマホでニュースを確認し、眉を顰めた。眞弓の両親の死体が見つかったようだ。夫婦二人の遺体が民家で見つかったこと、その一人娘が行方不明であること、これまで確認された他の異常死体との関連性が調査されていることなどが、報道されている。僕についての報道は見つからなかった。両親が警察に通報したのかも定かではないが、もしされていたとしても、この事件との関連を疑われることはないだろう。
──いや、どうかな。眞弓と僕の仲が良いことは、クラスメイトみんなが知っていることだ。眞弓のことを警察が捜査している過程で、僕の存在が浮かび上がってこないとは限らない。寧ろ、その可能性は非常に高いように思う。なら、今まで以上に慎重になった方が良いか。眞弓を守る為に飛び出したのに、僕のせいで眞弓を貶めることになるなんてのは、一番避けなくちゃならないことだ。
そんなことも考えながら、便意を感じてトイレをして和室に戻ると、眞弓ももう起き上がっていた。
「おはよう」
僕が話し掛けると、眞弓はふんと鼻を鳴らした。
「起きていたか。俺としたことが、無様にも貴様に寝姿を晒し過ぎているな」
「……仕方ないんじゃないかな」
彼女にとって、この人格で一日を過ごしたのは、昨日が初めての筈だ。僕の血を吸う時にだけ現れる眞弓の人格である彼女には、こんな長期の活動自体、大きく疲労を伴うのだと思う。
「それはそうとこっちへ来い」
そう言って、眞弓は僕を手招きした。本日一回目の吸血の時間だ。
「僕、まだ朝ご飯食べてない」
「道中で補充しろ」
僕は渋々、眞弓に近付いた。いつものように眞弓は僕の背中に腕をまわし、首筋に歯を立てる。眞弓の吸血衝動は、これまで通りであれば食事時に来る。だから、それまでに僕も食事を済ませておき、血肉を作る。人間には約5リットル以下の血液が流れていると言われる。そのうちの血液の一割程度であれば、急速に失われても人体は問題なく稼働するらしい。けれど、僕の場合、日に少なくとも三度は眞弓に血を吸われ、体内の血液が枯渇する。失われた血液で、最も修復に時間がかかるのが赤血球だ。一度の献血でさえ、失血した分の赤血球を補充するのに半月程の期間を要するというのに、眞弓という吸血鬼の餌である僕は継続的に血を吸われる。一度の出血、一日の失血では問題ない量でも、それが何日も続けば、平気ではいられない。
だから、継続して吸血鬼の餌となる人間は、吸血鬼との契約が必要になる。
──君は、この子が助かるなら何でもする覚悟はあるか?
あの人にそう問われ、迷うことなく肯定した僕は、あの人の立ち会いのもと、眞弓と血液を交換した。眞弓が僕の血を飲み、僕が眞弓の血を飲む。本来、経口摂取では実際に血液が交換されるわけではない。だが、吸血鬼という存在は、物理的な栄養として人間の血を喰らっているわけではない。
吸血とは、吸血鬼の魔としての概念。血液交換も、その魔の概念に乗った一種の儀式だ。僕の身体の中に流れる血は、眞弓との契約によって変容した。今では身体に流れる血液量の約半分を失っても、僕の身体に流れる眞弓の血が、僕の身体を修復する。
この契約があるからこそ、僕は眞弓の吸血に耐え、眞弓も僕の血を飲み干さなくても吸血衝動を抑えることができる。けれど、契約者である僕が眞弓の吸血衝動に対して血を提供することができなければ──。眞弓は近くにいる別の人間の血を吸う。そして吸われた者は、彼女の両親のように全身の血を失い、命を落とすだろう。
あの人の家で僕の血を吸う眞弓の口から、いつものように涎が垂れる。これもまた眞弓の吸血衝動が抑えられている証でもある。僕相手でなければ、眞弓は涎を垂らす間もなく、その人間の血を飲み干してしまう。
「ぷはぁ」
眞弓が僕の首筋から口を離す。強く歯を立てられても、僕の皮膚に歯型が残ることはない。それもまた僕の中に流れる眞弓の血が、即座に修復しにかかるからだ。
変死体のニュースのコメント欄に「こんなことする怪物、さっさと死刑にしろよ」なんてものを見つけたことがある。
同じように血を吸い、人を殺した眞弓が怪物だと言うなら、その血が流れている僕もまた怪物のようなものだ。眞弓に血を提供しなければ、僕の中にある眞弓の血は段々と薄くなり、元に戻ることもあるとあの人は言っていたが、僕にそんなつもりはない。眞弓が生きる限り、僕も彼女の業を背負う覚悟だ。
🌑
眞弓の食事が済んでから、二人であの人の家を出て、三十分くらい歩いた先にあったコンビニでカルビ弁当を買い、目一杯食事をしてからタクシーを見かけるまで歩いた。それからは千葉から仙台まで向かった時と同じように、僕らはタクシーを乗り継いで、東京に向かった。朝出たのが早かったのもあり、途中昼休憩を挟んで、夕飯時にはもう埼玉県を通り過ぎる頃だった。一応、千葉を通るルートは避けた。眞弓の吸血衝動が来る前に、一度またどこかで休もうとホテルを探した。眞弓を連れ出した初日は、たまたま個人情報を提示せずとも宿泊までいけたが、その日は三度程、身分証の定時を求められて「忘れてしまったので取りに行きます」「すみません、今手持ちに見つからなくて」など誤魔化し、そそくさと別のホテルへ向かうのを繰り返して、四件目にしてようやく宿泊可能なホテルを見つけてホッとした。最悪、人通りの少ない場所での野宿も考えていた。あの人の転居場所に着いてからでないと何とも言えないが、宿泊場所をどうやって見つけるかも、今後しっかり考えなければいけない問題かもしれない。
「俺は外でも問題ない」
そのことを眞弓に相談したら、彼女は躊躇うことなくそう答えた。
「そうかもしれないけど……」
「俺を誰だと思っている。舐められたものだな? 貴様に何もかも守られるような存在ではない。貴様の知っていた、かつてのこの娘とは違うのだ」
彼女はそれで良いとしても、僕が眞弓の体を外に放り出した形にしたくないと言うのもある。今の彼女は吸血鬼として、普通の人間の何倍もの腕力を持つ。だから誰かに襲われることは、万が一にも考えにくいけれど、それとこれとは話が別だ。
「ホテルに泊まるのもただじゃないし、どうしても野宿を選ばなきゃいけないこともあるかもしれないけど、他に選択肢があるならそっちを選ぶよ」
「は、好きにしろ」
眞弓は納得がいかなさそうな様子で話を切り上げ、僕に噛み付いてその日最後の食事を始めた。
その日は嘘のようにすぐに眠気が来て、ひと足先に布団に入っていた眞弓に遅れて、気絶するように意識を失った。やはり、僕の方だって、よほど疲れていたのかもしれない。そう思って眠りにつく。
──夢の中で、僕は眞弓と裸で抱き合っていた。
「叶斗、早く。私を、抱きしめて」
僕の意識の中で、眞弓は僕を求める。あの傲岸不遜の吸血鬼の人格ではなく、元の眞弓の人格。夢の中とは言え、数日ぶりに感じたその温もりに僕は涙を流す。
「眞弓。眞弓、ごめん……」
謝る僕を、眞弓は一糸纏わぬ姿で抱き締めて、頭を撫でてくれる。その感触はあまりにリアルで、本当に眞弓に触られているように感じた。
気付けば僕達は普通に学校に通い、放課後にカフェでスイーツを食べて、二人で笑い合っている。普通の生活、日常的な妄想。こんな日々が続くならば、きっとどれだけ幸せか。
──それが、僕の無意識を刺激した。
こんな都合の良い夢、認められない。眞弓は両親を殺してしまった。僕もその罪を隠し、逃走した。僕は眞弓が吸血鬼のまま生きることに加担している。そんな僕らに、そう簡単に日常は戻って来ないし、そんなことを妄想してしまう自分にも腹が立つ。
「ダメなんだよ、それじゃあ!」
僕は叫んだ。そこでハッと気付く。今までの幸せな光景が、夢であったことに。そして、自分の叫び声でその幸福な逃避から目を覚ますことができたことに。
「びっ、くり、したあ」
聞き覚えのある声がした。僕の腹の上に誰かが乗っている。眞弓じゃない。誰だ? 夢から覚めたばかりで、ぼやけた視界が徐々に綺麗になっていく。
「お前……」
僕を覗き込むように見下ろす、その顔にも見覚えがあった。忘れない。僕達が日常を手放した数日前、その元凶とも言っていい、街を襲った吸血鬼。眞弓が首を踏み潰して滅んだ筈のあの子。
「あはぁ」
僕の腹の上に跨っていたその吸血鬼は、あの日に僕に襲い掛かった時と同じ表情を顔に浮かべて笑っていた。
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