彼女と僕の闘争①
結論として、あの人の家の中を探したところで、これと言ったものは見つからなかった。書き置きまで残しているくらいだから、完全に出払ったわけではないとも思ったのだけれど、電気やガスも通っているみたいだし、家具なども残っているものの、その中身は綺麗に片付けられていた。少しだけガッカリはしたけれど仕方ない。僕は手持ちを確認する。出来るだけ眞弓と他人を接触させないように、とだけ思って深く考えなかったけど、ここに来るまでにもう十五万程使っている。眞弓の父親の口座から引き出したお金はまだ残ってはいるものの、こんな様子ではすぐに底をつくのは僕にだって目に見えていた。
一応、自分のスマホを充電器に挿して、一日ぶりに電源をつけた。SIMカードを壊したので着信履歴はないが、流石にメッセージアプリには両親から何度となく連絡が届いている。僕はついでに実家近所のニュースを調べたが、まだ連続殺人の新たなる犠牲者についての報道はされていない。眞弓の両親の死体はまだ見つかっていないのか、見つかったがまだ報道に乗っていないだけなのか、それは僕には判断がつかない。
「なあ、頼む」
ニュース記事を確認していると、後ろから眞弓が僕に覆い被さった。僕は何も言わずに、首元を露わにして、眞弓が血を吸いやすいようにした。いつものように始まる吸血。眞弓の息遣いが日に日に荒くなっていくのを感じていたが、眞弓の元の人格が表に現れないことや、あの街で吸血鬼を殺してしまったことに関係しているのか、何もわからない。あの人が本当に死んでしまったのかどうかすら。
「孤独だ」
眞弓に血を吸われながら、僕は思わずポツリと呟く。ぷはぁ、と眞弓は僕の首筋から口を外した。
「俺と行動を共にしていながら、孤独とは貴様も傲慢だな」
「いや、それは……」
僕は後ろにいる彼女の方を振り向く。彼女はニヤリと笑い、また僕の首を噛む。眞弓の口から、唾液と血の混じった液が鎖骨を伝ってだらりと垂れた。
「そうだね。ありがとう」
僕の言葉に彼女は答えることなく、血を吸い続けた。
眞弓が血を吸ったあと、僕と眞弓は家の風呂を勝手に使わせてもらい、交互に入った。今日は僕が先、眞弓が後だ。せっかく入れる機会があるなら、無理にでも入った方が良い。これから先、僕らの旅がどこまで続くのかもわからない。布団は置いてなかったので、和室を借りて二人で直に横になった。風通しがよく、少しだけ寒かったが毛布が必要な程でもない。
横になり目を瞑っていると、自然とあの人のことを思い出した。
魔を狩る者。
あの人が直接僕らに名乗ったことはなかったけれど、彼の名刺には、真上忠次とあった。見た目では線の細い、大学生くらいのお兄さんに見えた彼のことは、あまり似合わない顎髭と、首からかかる
──女、今宵の餌はお前だ。
眞弓の血を吸ったその吸血鬼は、月明かりでも雲で隠れた夜、僕らの前に突然、立っていた。奴は僕がいるにも関わらず眞弓に一直線に走り寄った。いや、あれは走り寄ったと言えるのか。僕の目には、遠くにあるその影が人の形をしていると認識するや否や、僕らの前に瞬間移動したようにしか見えなかった。奴は大きく口を開け、隣にいた僕を蹴った。何が起こったかも分からないまま、僕は強烈な蹴りで吹き飛ばされた。骨折もしなかったのは本当に偶々で、僕の命はあの時に終わっていてもおかしくはなかった。強烈な痛みに襲われ、空を仰ぎながら悲鳴をあげる僕をよそに、奴は眞弓に噛み付いたらしい。奴が眞弓に噛み付いた時、僕は自分の痛みにうずくまるくらいしかできなかったし、頭も打って意識も朦朧としていた。それでも眞弓の悲鳴が聞こえ、僕は何とか膝立ちで体を起き上がらせた。ぼんやりとした視界の先で、奴は眞弓に覆い被さっているのを見て、血の気が引いた。その時は奴が何をしているのかは分からなかったけれど、眞弓が襲われているのは分かった。
「良い。良いぞ! 久々の当たりだ!」
奴は眞弓の両腕を足で押さえつけながら高笑いをして、血に塗れた口をもう一度眞弓に近付けた。僕はそれをただ呆然と見るばかりで、動けなかった。体が麻痺して、動こうとしても指すら動かせなかった。痛みと恐怖のせいもあるけれど、吸血鬼の声には一種の催眠効果があり、人間の脳に働き掛けて動きを止めるのだと、後にあの人に教えられた。けれど、あの日の無力な自分に対する悔いは、僕の心の中にズシリと重りとして残っている。あの時の自分ほど、自分を嫌いになったこともない。
そんな自己嫌悪の中、あの人は現れた。
暗闇の中、僕の後ろから誰かが走り抜けていったかと思うと、その誰かは眞弓に顔を近付ける吸血鬼の横腹を蹴り上げた。それがあの人だった。奴はあの人の蹴りにその場で血反吐を吐き、あの人を睨み付けた。あの人はそんな奴に躊躇うことなく、左手に持っていた棒状の何かで、奴の腹を殴り受ける。その時はよく見えなかったけれど、それは鉄杭で、あの人曰く、魔を狩る者としての武器なのだそうだ。
「貴様! この俺の邪魔をするか!」
奴はあの人の攻撃に怯みながらも、あの人に対して腕を振り、鋭く伸びた爪で切り掛かった。あの人の肩が抉られ、血が流れた。けれどあの人は果敢にも目の前の吸血鬼に立ち向かい、次は心臓を狙うような奴の動きに応戦し、遂には奴を組み伏せた。
「俺を誰だと思っている。この俺は──」
「さあ、お前が誰かなんてどうでも良い。お前はただの、罪もない女子供すら狙った下衆野郎だ」
あの人は奴の心臓目掛けて、鉄杭を刺した。断末魔の声が上がった。僕と眞弓の次に悲鳴を上げたのは、他ならぬ奴自身。大きな悲鳴が僕らの周りに響いたが、それもすぐに収まった。
「この、ハンターめ。俺の食事を邪魔しおって」
奴は尚も眞弓に手を伸ばしたが、あの人がその手を強く踏むと、その場から動かなくなった。
「少年、大丈夫か」
あの人が吸血鬼を殺したおかげだったのか、僕の体は動けるようになっていた。僕はあの人に駆け寄ると、服の袖を掴んだ。
「あの、それより、眞弓がッ!」
僕は震えながら、首元から血を流す眞弓を指差した。改めて彼女の様子を見て、血の気が引く。首が、抉れている。奴は牙を突き立てるだけでなく、眞弓の首を噛み千切り、その肉まで喰らおうとしていた。彼女の目は見開かれ、虚空を見つめている。
どう見ても死んでいる。冷静に考えれば、絶対にそう思った筈だ。だが、その時の僕は冷静でなんかいられなかった。
「眞弓をッ! 眞弓を助けてッ!」
僕の言葉に、あの人は額に皺を寄せ、複雑表情をした。あの人は僕の頭をそっと優しく撫でた後、眞弓の側に近寄り、暫く見ていた。それから僕の方を振り向き、言った。
「君は、この子が助かるなら何でもする覚悟はあるか?」
彼の言葉の意味なんて、その時の僕には分からない。それでも僕はその問いに、強く頷いた。
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