彼女と僕は共に過ごす③
次の日、僕と眞弓はホテルのルームサービスを利用して朝食を摂った。荷物もほとんど触っていないので、いつでも退室できる。僕らは昨夜話し合った通りに、眞弓の吸血衝動が来るのを待った。結局、眞弓が僕の血を吸ったのは朝食を食べてから二時間経った頃で、昨日の焦燥感に駆られる形での吸血ではなく、眞弓がゆっくりと僕の首筋に噛み付く、もうとうの昔に慣れた状態で、僕は彼女に血を提供した。この調子であれば、問題なく目的地まで向かうことができるのではないかとも思ったが、油断はできない。
「電車での移動はよそう」
だから、怯え過ぎかもしれないけれど、人が大勢近くにいる状態から逃げられないような移動手段は避けることを合意した。バスや電車は極力使わない。
「来た」
眞弓の宣言と共に、ペンダントが鈍く輝く。僕は頷き、眞弓に首元を見せる。眞弓は恍惚とした表情で僕の首元を咥えて歯を立てる。
「痛いッ!」
僕は、僕の背中に腕を回している眞弓の背中を叩いた。段々と力強くなる噛みつきを我慢する行為にはいつまで経っても慣れないが、眞弓が元の人格に戻らなくなってから、眞弓の吸血は、より力強くなっている気がする。
「我慢せい」
眞弓はそう言いながらも、僕から一度口を離して噛みついた部分を舌で舐めた。それからさっきよりは少しだけ弱めに噛みつき、吸血を再会する。
「終わったぞ」
眞弓が僕の首元から離れる。僕はまだ痛みの残る首筋を撫でた。いつまのように眞弓の唾液と僕の血とでべっとりとした皮膚をハンカチで拭き取る。そうして僕らはホテルを出て、移動を再開した。コンビニに寄り、ATMで昨日は引き出せなかった分、お金を引き出す。それから少し悩んでから、お菓子やカップ麺など、比較的日持ちのする食品を籠いっぱいになるまで取って、眞弓の両親の財布から頂戴したクレジットカードを使って買った後、そのカードも折って捨てた。
コンビニを出て、着替えの入った鞄と袋いっぱいの食品を引っ提げて、移動方法について改めて考える。人の多い乗り物を使った移動手段は危険だ。けれどタクシー内なら最悪、誤魔化しが効く。だから、基本的には眞弓に血を吸わせた後、近くのタクシーを呼び移動。また吸血衝動が来る前に降り、僕の食事と吸血を済ませたら別のタクシーを拾う。それを繰り返し、夜になった頃にようやく目的の仙台市に着いた。
「ここの住所に行きたいんですけど」
仙台で改めて別のタクシーを拾って、僕はあの人の名刺にある住所を見せた。
「良いですよ。ご旅行で?」
僕らの持つ荷物をチラッと見て、運転手はそう尋ねる。
「まあそんなとこです」
僕の答えに運転手は特になんということもなく、僕らを目的地まで送り届けてくれた。あの人の名刺の住所は、意外にも住宅街の中にある家だった。とは言え、大きな木製の門の中にある少し多いかな日本家屋で、僕や眞弓の家よりだいぶ大きい。門は開きっぱなしになっており、最初は躊躇したが迷っている場合ではないと家屋前まで侵入した。
家のインターホンを押してしばらく待つ。返事はない。留守か? 出直した方が良いかもしれない。それともやはり、あの人はもう──。
「入るぞ」
僕が玄関前で逡巡していると、真弓が引き戸になっている扉をガラガラと開けた。
「ちょっ」
僕が制止をしようとした頃には、眞弓はズカズカと玄関を跨いでいた。僕は思わず大口を開けて一瞬呆けたが、すぐに気を取り直して眞弓の後に続いた。
「あのさ、あんまり勝手に──」
扉を潜った先、土間のところで眞弓が何かを手にとって立ち尽くしていた。
「眞弓?」
「見ろ」
眞弓は僕に、持っていた物を手渡してくれた。それは一枚の紙だった。
「そこに置いてあった」
眞弓は玄関の段差になっている部分を指差した。僕は眞弓から受け取った紙に書かれている文字に目を通した。
『親愛なる客人の皆様へ。現在、留守にしております。いつ戻るかは未定です。また、“夜の仕事”に関することについてですが、事務所を東京新宿に移転しました。ご連絡がつかない場合は、そちらをお尋ねください。皆様のご理解に感謝いたします。お待ちしております。』
「東京って……」
なんてこった。ほとんど蜻蛉返りじゃないか。僕は思わずため息をついた。
「でも、仕方ないか」
夜の仕事、か。紙に書かれていたのはきっと僕らのような、魔を狩る者としてのあの人を求める人に対するメッセージなんだろう。わざわざ書き置きを残すということは、連絡の取れない状態になることを見越していたということだし、まだあの人が死んだと決まったわけじゃない。
苦しい言い分だとは思う。けれど、希望は持ちたい。
「眞弓、行こう」
「なあ、やはり俺は奴が死んでいるものと思う。この家にも、全く奴の痕跡を感じん。奴はあの街の吸血鬼に敗れたのだ」
「その吸血鬼は、君が倒した」
ふん、と眞弓は鼻を鳴らした。それからニヤリと口元を歪める。
「初めから俺に協力を仰いでいれば死なずに済んだのかもしれんなあ。だが仕方のないことか。奴は俺のような魔を熊に例えたが、熊狩りに熊を用いる発想はあるまい」
「……」
「どうするのだ?」
僕はパシン、と両手で頬を叩いた。
「紙、元の場所に戻しといて」
僕は眞弓にあの人の書き置きの紙を返す。眞弓はそれを何も言わず受け取り、玄関の段差の上に置いた。
「行こう。たとえあの人が死んでても、何か僕たちのためになるものが残っていないとも限らない」
「では、今すぐに?」
「いや」
僕は首を横に振る。
「誰もいないんだろ、ここ。ここだってあの人の根城だったんなら、何か残ってるかも。今日のところは泊まらせてもらって、明日の朝に家を探索しよう」
僕の言葉に、今度は眞弓の方が呆けた。僕の言葉に呆気に取られた、という風だが何をそんなに驚くことがあるのかわからない。自分達のためになるものがありそうなら、みすみす見逃すことはない。それだけのことだ。
「はっ! 改めて、お前も大概だ。そうでもなければ、俺の餌になろうなどと思わんか。いや、俺の餌になったからこそ、か?」
傲岸不遜な吸血鬼はそう言って、笑いながら靴を脱ぎ散らかして家の中に入っていく。僕は眞弓の脱いだ靴を拾い、自分も靴を脱いで二人分を並べると、眞弓の後ろについていった。
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