彼女と僕は共に過ごす②

 心の中に堰き止められていた何かが、涙と共に流れていく。それは不安だとか後悔だとか、恐怖だとか諦念だとかそういったモノ。

 僕はシャワー室にいる眞弓に聞こえないように、声をあげずにひとしきり泣きじゃくった。それから部屋にあったティッシュペーパーでぐしゃぐしゃになった顔を拭う。ふと、ベッドの横にあった化粧台の鏡に目が行く。目元が赤くなっていて、泣いていたことがバレバレだ。眞弓がシャワー室から出てきたら、彼女に気取られる前に僕もお湯を浴びて、全てを洗い流そうなどと考えていると、ガチャリとシャワー室の扉が開いた。


「眞弓、終わったなら僕も──」

「──はあ、はあ」


 体からポタポタと滴を垂らしながら、眞弓が息を切らしていた。何も身につけていない、裸の彼女のその表情を見て、僕はすぐに察知する。慌てて僕はペンダントを見た。眞弓の吸血衝動を知らせてくれるペンダントが、鈍く光っている。さっきまで、涙を流して自分の感情に押し潰されそうになっていたせいで、気付かなかった。


「眞弓……!」


 僕は彼女に駆け寄る。眞弓はその場で膝をつく。僕も彼女の前でしゃがみ込む。彼女は僕の顔を確認すると、両腕で僕の首筋を自身に抱き寄せた。

 眞弓の力に抗うことなく、僕は彼女に身を委ねる。そういえば、眞弓の裸を見たのは初めてだった。好きな子と二人、誰もいない密室。そんなところで、裸の彼女に抱きしめられている。本当だったら、ドギマギするシチュエーションだったかもしれないが、そんな感情は全く湧いて来なかった。


「すまん……」


 眞弓は一言、ボソリとそう呟くと、僕の肩に噛み付く。いつもの眞弓なら、首を回して僕のうなじを噛むのだが、そんな余裕もないらしい。眞弓はお湯で濡れた身体のまま、僕を抱き締める。眞弓の濡れた肌に触れ、僕の服も濡れた。髪の毛もびしゃびしゃだから、吸血中もポタポタと水滴が床に垂れた。多分、シャワーを浴びていたら急に吸血衝動に襲われて、身体を拭くことなくそのまま外に出てきたんだろう。


「──ぷはぁ」


 眞弓が僕の肩から口を離すと、たらりと血が僕の胸元に垂れる。眞弓は舌を突き出し、その血を舐め取った。流石にこれには僕も身体をビクンと震わせる。


「すまない。俺も油断した。そろそろなのは、わかっていたのに」

「いや、大丈夫」


 僕は眞弓の裸から目を背けるように、天井を仰ぎ、眞弓の背中を抱いた。彼女の濡れた柔肌の感触が、そのまま伝わる。吸血を終えても未だぐったりとした様子の眞弓が、僕の胸元に顔を寄せる。僕は瞬時に眞弓の両肩を掴み、彼女を僕から引き離した。


「もう大丈夫?」


 眞弓の身体を見ないように見ないようにとは思っても、ついチラリと目線が彼女の首から下に向かった。滴る水で潤んだ乳房と、その先の膨らみ。脚を開いて膝をついたその間に見える陰毛が、僕の瞳に映る。


「ああ、おかげさまでな」

「よ、良かった」


 僕は眞弓の返答を聞くと唾を飲み、立ち上がる。


「じゃあ、えっと。僕もシャワー浴びるから。びしょびしょだし」

「わかった」


 ドキドキと高鳴る心臓を抑えながら、僕は早足でシャワールームに向かう。そのまま扉を急いで閉じ、濡れて肌にへばりついた服を慌てる必要もないのにいそいで脱ぎ捨てた。浴室の蛇口を捻ると、暖かいシャワーが身体に当たった。


「……気をつけないと」


 何に対しての言葉なのか、自分でもわからない。それでも僕は、わざわざそう独り口にして、しばらくの間、頭からゆっくりとシャワーを浴び続けた。

 備え付けのシャンプーやボディソープを使い、体を一通り洗う。それから脱衣所にあったバスローブを手に取る。さっきまで二着あった筈だが、なくなっているのを見ると、僕がシャワーを浴びている間に眞弓が自分の分を取って行ったのだろう。あまり着る機会のないものだし、腰部分にある紐の結び方に苦戦しながらもしっかりバスローブを纏って、脱衣所から出た。


「来たか。先ほどはすまなかった。改めて例を言う」


 眞弓はベッドの上に、僕が彼女の家から持ってきた着替えの一つに袖を通して座っていた。髪の毛は一応タオルで拭いたようだが、ドライヤーをかけたりはしなかったようで、テカテカと艶めていている。


「全然。僕にできるのは、これくらいだし」


 僕が今の眞弓の為に出来ることなんて、そうない。ならば、吸血鬼と化した眞弓と契約した者としての義務くらいは、粛々と果たそう。僕は一度深呼吸をし、そう決意し直した。


「明日も遠出するとして、吸血衝動には気をつけたいな」

「うむ。すまんな。俺もいつ来るかわからんのだ」

「大丈夫」


 このままタクシーや夜行バスを使って、一息にあの人に教えられた住所のところまで向かうことも考えたが、また吸血衝動が来た時に、他の人が周りに多くいるような事態は避けたい。また僕が血をあげるのが遅れて、眞弓が他の人間の血を吸い、殺してしまうとも限らないだろう。


「とりあえず血を吸って暫くは問題ないだろうし、明日はまた僕の血を吸ってもらってから部屋を出よう」

「わかった」

「今日はもう、寝よう。寝た方が良い」

「そうだな」


 眞弓は僕の言葉に頷くと、布団の中に入った。僕ももう片方のベッドに入り、眞弓に背を向ける形で横になる。無言の時間が続く。しばらくすると、腹一杯になったおかげなのか、眞弓の寝息が聞こえてきたので、僕は眞弓の方に向き直った。眞弓は規則正しく息を吐き、安らかに眠っていた。当たり前だが、こうして見ているといつもの眞弓と同じだ。傲岸不遜、傲慢な口調の吸血鬼としての人格は感じられない。そうは言っても、今夜のところはかなり大人しかった。彼女自身、どれだけ威張った姿を見せたところで、自分一人ではどうしようもないことがわかっているんだろう。別人格とは言え、彼女はどこまで行っても眞弓自身の中から出てきたものではあるんだから。

 僕は眠る眞弓をしばらく見つめた。これから先、いつまで彼女と行動を共にするのか。学校に戻ることは出来るのか。彼女が殺した吸血鬼は、果たして本当に世間を騒がしていた連続殺人犯その人だったのか。

 色々なことが頭の中をぐるぐるぐるぐると駆け回る。そんなことを考えているものだから、全く眠気なんて湧いて来なくて、僕はただひたすらに、静かに可愛げに眠る眞弓の顔を、じっと見続ける他なかった。

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