【12】清宮沙耶香

清宮沙耶香せいみやさやかが面会場所として指定したのは、県東部の靜〇川北岸にある、<靜〇川弥生遺跡資料館>の中の発掘作業事務所だった。

資料館は最近竣工したばかりの建物で、発掘された出土品の一部が、一般の来場者向けに展示されている。


鏡堂達哉きょうどうたつや天宮於兎子てんきゅうおとこが到着した時、館内では何か事件があったようで、関係者らしい人々が慌ただしく行き交っていた。

小さな応接室に通された鏡堂たちが席に落ち着くや否やドアがノックされ、作業服姿の細身の女性が「失礼します」と言いながら、顔を覗かせる。


そして鏡堂たちの顔を見て、驚いた声を上げた。

「ああ、あの時の刑事さんでしたか。

〇〇市立病院でお会いした」

室内に入ってきた清宮に、鏡堂と天宮は立ち上がって名刺を出し、身分を名乗った。


「すみません。

まだ学生ですので、名刺を持ち合わせていないんです。

改めまして〇〇大学院生の清宮沙耶香です」

申し訳なさそうに言いながら、清宮は鏡堂たちの向かいの席に着いた。


「何かあったんですか?

皆さん、お忙しそうにしていらっしゃいますが」

館内の騒ぎについて鏡堂が尋ねると、清宮は少し困ったような表情を浮かべて答えた。

「展示品の銅鏡が、突然割れてしまったんです」


「突然割れたというのは、どういうことなんでしょう?」

「それが、分からないんです。

ちゃんと強化ガラスの展示ブースに入っているものなので、一般客が手に触れることは出来ないんですけど。

何人かのお客さんが見ている前で、突然真っ二つに割れてしまったそうなんです」


「貴重なものだったんでしょうね?」

「はい、とても珍しくて貴重なものなんです。

国内では出土したことがない珍しい紋様の獣神鏡で、大陸からの渡来物ではないかと、澤村先生が仰っていました」


亡くなった〇〇大学准教授澤村耕策さわむらこうさくの名を口にした時、清宮の眼に微かな感傷が過るのを、鏡堂は見て取った。

――まだ澤村の死を、心の中で十分に消化し切れていないのだろうな。

そんなことを思いながら、彼は聴き取りを始めた。


「お時間を取って頂いてありがとうございます。

清宮さんは遺跡発掘をされているんですか?」

鏡堂の問いに清宮は肯く。

「<靜〇川弥生遺跡>の発掘と保存が、私の研究テーマなんです」


「それで毎日ここに来て、研究をされているんですね?」

「そうですね。

大学院と言っても、講義は殆どありませんので、ここでのフィールドワークが中心です」


「そうですか。

私なんかは想像もつきませんが、随分大変な研究なんでしょうね」

鏡堂のその言葉に、清宮は曖昧な笑みを返すだけだった。


「それでは、これからいくつか確認させて頂きますが、よろしいですか?」

その言葉に清宮は、やや不安気な表情を浮かべながら、無言で頷いた。


「清宮さんは先日の公聴会、中毒騒ぎがあったあの会ですが、そこで司会進行をされていたそうですね」

「はい」

「清宮さんが司会役をされることになった経緯について、教えて頂けますか?」

その問いに頷くと、清宮は静かに説明を始めた。


「本当はあの会の司会は、澤村先生がされる予定だったんです。

それがあんなことになってしまって。

それで県庁の担当の方から研究室に、代役を立てて欲しいという依頼が来たんです。


でも澤村先生の研究室には、教員は先生しかいらっしゃらなくて。

後は私とゼミの4回生が3人いるだけなんです。

それで私が手を挙げて、司会をお引き受けすることにしたんです」


「すると清宮さんが司会をお引き受けになったのは、他に人がいなかったからという理由なんですね」

「それもあるんですが、公聴会自体にも興味があったので。

司会でなくても出席するつもりでいました」


「どんなところに興味があったんですか?」

「リゾート推進派の意見にも、もちろん興味はあったんですが、どちらかというと反対派の方がどんな主張をされるのか、そちらの興味の方が大きかったです。

でも、がっかりでした」

「どうしてですか?」


「弁護士の桐山きりやまさんは遺跡の保護ではなく、単にカジノの導入に反対されていただけでした。

そしてもっとがっかりしたのは、<靜〇川弥生遺跡を保護する会>代表の椹木さわらぎさんです。


生前の澤村先生が仰ってたんですけど、<保護する会>の主張は結局、南岸遺跡の一部を観光施設として、リゾートの一部に組み込んで欲しいということだったんです。

だから会の当日椹木さんが仰っていたのも、観光施設としてのメリットだけだったんですよ。


でも澤村先生のお考えは違っていて、靜〇川の南岸には北岸よりも広大な遺跡が残っている可能性があるということだったんです。

まだ手付かずの状態ですが、それを調べて保護することは、この国に暮らす私たちの義務だと仰っていました。


刑事さんからすれば、大袈裟なことと思われるかも知れませんが、研究する者にとっては掛け替えのない古代の遺産なんですよ。

さっき割れてしまった銅鏡のことを話しましたが、あれに匹敵するような貴重な遺物が眠っているかも知れないんです。


澤村先生がよく仰ってました。

リゾートなんてどこにでも作れるけど、古代遺跡はそこにしかないんです。

そして一度壊してしまえば、もう取り返しがつかないんです」


そこまで一気に話した後、清宮沙耶香せいみやさやかは、

「一方的に話してしまってすみません」

と言うと、恥ずかしそうに俯いた。


「いえ、構いませんよ。

大変貴重な話を伺いました。

ところで話は変わりますが、公聴会当日に中毒騒ぎが起きた時の状況を、出来るだけ詳しく話して頂きたいのですが、よろしいですか?」

「はい」

頷いて清宮が語った内容は、前に松木たちから聞いたものと一致していた。


「清宮さんは被害に遭われなかったんですね?」

「はい、幸い私は無事でした。

一体何が起こっているのか分からなくて、呆然としてしまいました」


「なるほど、分かりました。

ところでつかぬことをお伺いしますが、二日前の午前中も、清宮さんはここに来ておられたんですか?」


唐突なその質問に、清宮は訝しげな表情で答える。

「二日前の午前中でしたら、ここでずっと会議をしていました。

澤村先生が亡くなって、発掘の責任者が不在になってしまったので、後任の方が決まるまでの方針について、スタッフ全員で話し合っていたんです」


「そうですか。ありがとうございます。

では話題を変えて、澤井先生が亡くなった時の状況を、以前病院のICUでお伺いしたと思いますが、追加で一点お訊きしてよろしいですか?」

鏡堂の言葉に、清宮は不審げな表情で肯いた。


「公聴会に出席された方が、澤井先生が亡くなった時に、近くにおられたということはありませんでしたか?」

その質問に対して清宮から返ってきた答えは、鏡堂たちの意表を突くものだった。

「その時は存じ上げなかったんですけど、先生が亡くなった後、公聴会でお見掛けした方がいました。

先生が倒れた時に一番近くにいて、真っ先に駆け付けて下さった方です」


「それはどなたですか?」

「建築デザイナーの、確か渡会さんと仰る方です」

「澤村先生が亡くなったその場で、渡会さんの顔を見られたんですか?」

鏡堂が興奮気味に確認すると、清宮は少し驚いた表情になる。


「その時はマスクをして、サングラスを掛けておられたので、顔は見なかったんですけど」

「では、どうして渡会さんだと分かったんですか?」


「特徴的な甲高い声をされていましたから。

それに何よりも、左手の甲の真ん中に、赤い大き目の痣があるのを憶えていましたので。

公聴会の当日に気づいたので、終わったらお礼を申し上げようと思ったんですけど、あの騒ぎでしたので」


その答えを聞いて、鏡堂と天宮は顔を見合わせた。

確かに渡会の手の甲には、痣があることを認識していたからだ。

二人の間に緊張が走る。

その様子を見て、清宮は不思議そうな表情を浮かべるのだった。


***

鏡堂たちが清宮沙耶香せいみやさやかと面談していたのと丁度同じ時刻、〇〇県内の某所。

六壬桜子りくじんさくらこは、憂鬱そうな表情で一人の男と待ち合わせていた。


「桜子さあん。お・ひ・さ」

背後から突然耳元に掛かったその声に、桜子は反射的に飛び退いて身構える。


そこには真っ赤な無地のTシャツに真っ赤なデニム、赤いジャケットに靴と靴下まで赤という、異様な出で立ちの男が、満面に笑顔を浮かべて立っていた。

桜子の待ち人である、陰陽師上狼塚神斎かみおいのづかじんさいだった。


神斎は親し気に彼女に近づくと、右手を伸ばして握手を求める。

しかし桜子はその手を掴んで、思い切り捩じ上げたのだ。


「痛たたたた。

桜子さん、何するんですかあ?」

「無暗に私に近づくなと、前にも警告した筈ですよ」

そう言って彼女は神斎の手を放すと、後ろに二歩、後ずさった。


「これ以上距離を詰めると、次は容赦しませんよ」

「分かりましたよお」

桜子の威嚇にも、神斎は懲りた様子はなく、へらへら笑いながら捩じ上げられた手を振る。

その様子を見て桜子は、諦めたようにかぶりを振るのだった。


「ところで桜子さあん。

高遠さん死んじゃったそうですね。

可哀そうに」

言葉とは裏腹に、まったく残念そうでない顔で言う神斎に向かって、桜子びしゃりとは釘を刺す。


「無駄話は結構です。

貴方と話す時間は、短いに越したことはありませんから。

高遠さんから用件は聞いていますね?」


「はいはい、聞いておりますですよお。

何でも、この県内に張り巡らされた結界の封印が解けて、異力を持った連中が、うじゃうじゃ湧いて出てるそうですね。

面白おい」


心底面白そうな顔で言う神斎に、桜子は無表情な顔で応える。

「面白いという点には同意しますが、少し凶悪の度が過ぎていますので、抑える必要があります。

なので、呼びたくもない貴方を呼んだのですよ。

分かったら、さっさと仕事に取り掛かりなさい」


「報酬は何でしょう?」

「そんなものはありません」

「ええ?いくら何でも無償は酷いでしょう。

じゃあこうしましょう。

封印が成功したら、ディズニーリゾートで一泊デートということで」

「貴方、死にたいのですか?」


桜子の殺意のこもった表情に、神斎の笑顔が引き攣る。

「もお、怖いなあ。

分かりましたよお。

他ならぬ桜子さんの依頼ですから。

ただで引き受けますよお」


「よろしい。

ところで仕事に係る前に、一つ見せたい物があります」

そう言いながら桜子は、手に持ったピンクのトートバックから、二枚に割れた銅鏡を取り出すと、神斎に手渡した。

「それは高遠さんが、県の東部で見つけた物です。

お預かりした時は割れていなかったのですが、先程突然二つに割れたのです」


受け取った銅鏡を、繁々と見ながら神斎は言った。

「珍しいですね。

句芒こうぼう>の神獣鏡ですか。

初めて見ました」


「それは最後の封印だと、高遠さんが仰っていました。

それが割れたということは」

「最後の封印が解けたと言うことですね。

面白そうだなあ。

ワクワクしますね」


そう言ってヘラヘラ笑う神斎を、桜子はうんざりした表情で見る。

「それは貴方に預けますから、すぐに仕事に掛かりなさい。

失敗は許しませんよ」


「はあい。

ご心配なく。

不詳上狼塚神斎かみおいのづかじんさいに、不可能の文字はありませえん。

ところで桜子さんは、これからどうするんですか?」


「私は何やら追手が掛かっているようですので、暫く身を隠します」

「ええ、大変ですね。

何かやらかしたんですかあ?」


「そんなことはいいので、さっさと仕事に掛かりなさい」

「分かりましたよお。

じゃあ、何か分かったら連絡しますねえ」

そう言って笑顔で手を振りながら、神斎は歩き去って行った。

その後姿に大きなため息をつくと、桜子もピンクのホンダジョルノに跨り、反対方向に走り去って行くのだった。

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